イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

TRIGUN STAMPEDE:第7話『WOLFWOOD』感想

 襲い来るド派手な野盗! 発射シーケンスに突入する巨大イオン砲! ぶち折れるドライブシャフトと暴走するロステク超特急!
 山盛りの大ピンチに少年兵器達の因縁を添え、さてジェネオラロックの惨劇再びか……というSTAMPEDE第二幕ラストである。
 ここまでマージ陰鬱なトーンで進んできた物語が、ちっぽけながら確かな可能性を掴み取る話であり、無力な傍観者であり運命からの逃亡者だったヴァッシュが覚悟を決めて、自分の異質さによって人を救う話でもあった。
 ウルフウッドの大事なものを轢き潰そうとした列車を止めて、過酷な定めから逃げるばかりの弱虫ではないと示せた代償に、人外の色で輝くその瞳。
 ここから続いていく最終章、どう積み上げ描ききるか楽しみになる話数だったと思います。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第7話から引用

 前回ウルフウッドのオリジンが明らかになったことで、彼が弟であるリヴィオを引き受け、互いの肉体を砕きながら潰し合う闘いの悲壮感は大きく増している。
 ノリが良すぎるヒャッハー強盗団を素手で制圧し、血を流さず傷を受けず状況を制圧していくヴァッシュの”軽さ”は、この状況ではある種の救いに思えても来る。
 ヴァッシュ自身とんでもなく重いものを背負っていることは、例えば第5話とかでも示されたわけだが、それでもなおその重荷に潰されず夢みたいな理想を追い続ける……そしてたしかに掴み取る往き方は、夢物語のヒーローのように綺麗だ。

 諦め、殺してしまうことは現実味のある選択かもしれないが、誰かが用意した悲惨なレールから飛び出して本当に大事なものを掴み取るためには、その冷たい怜悧さを超越していく必要がある。
 ヴァッシュは(次回顕になるだろう)惨劇と罪を背負ってなお、お人好しの博愛主義者で居続ける道を選んできた。
 人道を踏み倒せる怪物たる兄弟に、彼と同じ道へ引き込む宿命に引きずられながらも、その誘惑に抗い引きちぎって進む道を、必死に探してきた。
 過酷な鍛錬と人体改造の結果、モネヴと同じく心なき殺戮機械に成り果てた(そしてウルフウッド≒パニッシャーが、救うためには殺すしかないと同じく諦めかける)リヴィオに対しても、一度負けて間違えた程度ではヴァッシュは何もかもを諦めない。
 背丈とザラついた口調だけが大人びた、哺乳瓶の代わりにタバコとアンプル啜ってるクソガキの現実的な諦観を実力で踏破して、戻るべき場所へ戻ってきて、更に前に進もうとする。

 救いの弾丸を弟のドタマに打ち込もうとしたウルフウッドを止め、ザジの監視を叩き潰させた時、ヴァッシュは救われなかったモネヴ(と、救えなかった自分)の物語を超え、クソ教団とその神様の犠牲になりかけた子どもに、思いを届かせていく。
 そうして死や破滅や諦めに向かって突き進むウルフウッド(その象徴として、サンドスチームは道を誤って彼の故郷に突っ込みかけ、停止するのだろうけど)が、一度ヴァッシュの甘っちょろい夢を殺しているのが、STAMPEDEっぽい業の深さであり、それを超えて祝福の子どもたちも何かを掴めるかもしれないと、僕には微かな希望を抱く足場に思える。
 他ならぬヴァッシュが罪の半分を背負って、この星を生きるには厳しすぎる地の果てにしてしまった結果、諦め殺し死んでいく事こそが”現実的”になってしまったこの砂漠。
 自分をパニッシャーなのだとうそぶくウルフウッドは、その厳しさに適応しきったように見えて何も捨てきれていなくて、レガートはそれに苛立ち、ヴァッシュはそれが悲しすぎる。
 だから必死に走って、自分と同じ悲しい子どもがちったぁマトモな結末にたどり着けるよう、何度でも甘っちょろい夢に向かって命を賭ける。
 そのふらついたヒロイズムはかなりSTAMPEDE独特の筆致なのだけども、なんだかとっても”トライガン”でもあって、僕は結構好きなのだ。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第7話から引用

 何か、人の証がまだ残っているはずだ。
 凶獣と化したモネヴを前にしても、同じように諦めなかった(結果『もう一人にしない』という言葉を届け、髑髏の仮面の奥にある人間の顔を一瞬だけ取り戻し、無惨に撃ち抜かれた)ヴァッシュの言葉で、ウルフウッドは”それ”を見つける。
 自分に憧れた弟分が、カッコつけた仕草で大人の証を弄ぶ背伸びが、殺しの仕草に焼き付いている様子を。
 それは教団の過酷な支配を越えて、二人の幼さがまだ輝きを残している証明であり、カッコつけてタバコ吸えた時間はもう終わってしまっていて、二人の手には銃が握られている悲しい現実を教えもする。
 ほんっっっとこういう、頑是ない”遊び”が全くもって笑えねぇシビアな殺し合いの中ひょいと顔を見せて、ガキどもがただガキでいられた時間を世界が許してくれなかった厳しさ……それでもその名残を取り戻し守りたいと願う思いの強さが焼き付けられるシーンに弱い。
 STAMPEDEのウルフウッド、もうオレの中で完全に身体だけデカいショタだからな……。

 あんだけ否定してきたヴァッシュの楽観主義を、リロードの仕草に確かに確認することで、ウルフウッドは人殺しの機械を捨てて自分の手のひらで、リヴィオを制しにいける。
 彼の武器はその二つ名でもある”パニッシャー”であり、それを使わない道を選んだ時点で、ウルフウッド自身がどれだけ否定しようとも、彼は”ウルフウッド”なのだと思う。
 狂った神の信徒として、傲慢で残酷で悪趣味な裁きを与える存在ではなく、厳しい世界の中でも悪態をついて、カッコよく弟の憧れになれる少年。
 レガートはそんなあり方を認めず、リヴィオは己を支配する教団の呪いを自分ごと打ち抜いて、砂漠に倒れ伏す。
 その終わり方がモネヴにそっくりなのが、なんとも因果なことだと思う。
 あの時は叩きつけられて死んで終わりだった物語が、まだ終わらずに続くのがさらなる地獄の呼び水なのか、ちったぁマシな結末のフラグなのか。
 読みきれないのがSTAMPEDEらしい。
 かわいそうな男の子たちに、あんまりにサディスティックなんだよなぁこのアニメ……。

 ”ウルフウッド”を構成する愛と反骨心を上から叩き潰して、”パニッシャー”に相応しい絶望と信仰で塗りつぶそうとするキッショイ青髪。
 ナイヴズへの狂信と同時にウルフウッドへの執着が濃くなってる感じがあって、やっぱSTAMPEDEでのマッチアップ相手はレガートなんだなぁ、という感じが濃い。
 家族も故郷も皆殺しにする脚本を描き、舞台装置を整えたカスへの因縁は濃いわけで、ヴァッシュがナイヴズと向き合う隣で、ウルフウッドがレガートとの因縁を終わらせる構図が、クライマックスを飾る……のかなぁ?
 人外の怪物としての存在感を溢れさせたナイヴズも、人間であるがゆえに神に狂うレガートも、どっちも現状ぶっ飛ばされるべきゴミカスとして良い存在感出してるので、この配役は結構好きだな。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第7話から引用

 かくして一つの決着が付き、暴走(STAMPEDE)は終わらない。
 やっぱ巨大すぎる物質の存在感を切り取る時このアニメの表現力は最大限生きる感じがあって、イオン砲発射/発射阻止シーケンスの見せ方は凄く冴えてた。
 宇宙規模の超兵器の動かし方も知らず、便利な交通手段として使ってきたこの星の人間が持つある種の無邪気さと、知らずとも使わなきゃ死ぬから使った必死さを置き去りに駆動する、星を征く巨人達の火砲。
 もはやノーマンズランドではヴァッシュとナイヴズだけが伝える喪失技術の巨大さは、あれだけ人間を愛し寄り添おうとしているヴァッシュがなぜ人間災害として孤立し、悲劇をもたらすかを別の切り口から照らしている。

 本質的にヴァッシュ・ザ・スタンピードは、この巨大なイオン砲と同じ存在なのだろう。
 旧く、巨大で、制御不能な力を宿し、人間が本当になにか甘っちょろく甘いものを信じてくれた時、奇跡のように誰も傷つけない結末へと放たれていける。
 第3話では(ヴァッシュと同じく)無力な傍観者の位置に押し込められていたメルリが、今度こそ惑星の厳しいルールに抗って自分の願いを果たすべく、強く叫んでいたのが印象的だ。
 人間には背負えない重荷を、無理くり大人にされ人殺しの怪物に貶されたからこそ背負えるようになったウルフウッドと同じく、彼女もヴァッシュの無様で必死なあがきに心を動かした。
 そんなの叶うわけないけど、でも叶うのならば、今までの無力な自分を越えてすがる価値がある夢。
 それにしがみつきあがき続けたヴァッシュの闘いが、孤独ではなくなってく様子が刻まれていく。

 そしてそんな酔狂に、普通の大人は付き合えない。
 ここで『俺は降りる』と言えるキャラを配置するべく、ミリィではなくロベルトが配役されたんだなー、と勝手に納得する展開だった。
 ウルフウッドの苛烈な諦観とはまた別の意味で、ロベルトは現実的だ。
 積極的に殺すわけではないが、死ぬと分かっている危機に飛び込めるほど強くもなく、夢物語を無視できるほど乾いてもいないけど、それに溺れて死ぬのは真っ平御免。
 そんな現実感覚でメリルを止め、つまりは彼女が惹かれたヴァッシュの夢がどれだけ危険で価値があるかを示す鏡として、煤けたおじさんが舞台に上がってる必要があったのかな、と思った。
 物語リソースとしての仕事は結構いい感じに果たしているので、あと二個三個、ロベルト自身の生きた魅力がドラマの中で燃えてくると、さらに良いと思うね。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第7話から引用

 船を殺して故郷を救うか、街を見捨てて人を守るか。
 酷薄な二択を越えて両方もぎ取る夢物語を、現実にすると吠える時ヴァッシュの瞳は強い。
 それが良いな、と思った。
 今回のエピソードは救えなかったジェネオラロックの意趣返しであり、『なんもかんも超人ナイヴズ様の、思い通りに転がるわけじゃねぇぞ……』と物語が反撃の狼煙を上げる、勝利のエピソードだ。
 重たすぎる宿命とそれでも絶望できない辛さに身を捩り、逃げたり生き延びたりすることに手一杯だったヴァッシュが、確かに何かを成し遂げる。
 そのためにずっと人でいたかった怪物が、怪物である自分と向き合うこのお話に、現実と擦れて発火し続けてるウルフウッドの魂に負けない強さで、ヴァッシュが夢を叫ぶのが好きだ。
 そうして銃(”パニッシャー”)を捨て、だからこそ何も捨てない道(レガートが望んだのと真逆の道)をウルフウッドに走らせた時、ヴァッシュがとても優しい顔をしているのも。
 STAMPEDEの描き方は、ヴァッシュの弱さと同じくらい優しさも色こく刻み込んでくれていて、そこに強さと正しさが加わっていく今回の筆先は、待ってましたの手応えがあり嬉しい。

 撃たれても死なない怪物になったからこそ、ウルフウッドは焼け付く希望を掴み取れた。
 プラントと同質の怪物だからこそ、天使と思いを繋げてヴァッシュは奇跡を引き寄せれた。
 誰よりも人であり続けることを望む人でなし達は、確かにかつてとは違う道を進み、人が人であるために諦めてはいけない何かを掴んだ。
 祈るように破滅に向き合う二人の男の背中は、頼もしくも物悲しくもあって、それに重なった天使の手は超越を宿していい具合に不気味だ。
 ガッツと友情と希望を武器に、みんなでもぎ取った人生問題集の模範解答は、宿命に翻弄される主人公がどうしようもなく怪物である事実を、鮮烈に描く。
 第3話でもそうだったけど、ホラーテイストな演出、それを活かす見せ方が結構うまいアニメよね……。

 

 

 という感じの、第二幕終章でした。
 ずーーーーっと運命に負け続けたヴァッシュが、本来夢と希望を信じるクソガキだったウルフウッドに助けられ、あるいはニ度の惨劇に耐えられないメリルに助力され、ようやく掴んだ奇跡。
 第3話でジェネオラロックの惨劇を、第5話で幼き怪物の悲劇を、凄い強さで叩きつけたからこそ、運命に一泡吹かせる反撃の狼煙が、気持ちよく吠えるエピソードとなりました。

 正直ここまでモネヴ効いてくると思ってなかったなぁ……。
 ウルフウッドが人体改造少年兵の悲哀を帯びた結果、救えなかったヴァッシュと諦めて殺してしまったウルフウッド、両方の生き様が衝突し離れもう一度ぶつかり合う結節点として、あの子の存在が本当にデカい。
 あの悲惨な終わりでも生き方を諦めなかったことで、ヴァッシュは今回もう一人の少年兵が家族や故郷を叩き潰される未来を変え、『俺は処刑人、ずっと一人で世の中こんなもん』と諦めていた男が、人間が人間で居続けるために必要な光を取り戻せた。
 そういう場所にこそ、お人好しな人間災害の強さはあるのだと、ちゃんと思い出させてくれました。

 第3話ではプラントである自分と向き合いきれなかったヴァッシュが、自身の怪物性を直視することで切り開いた道。
 その始原たる星の記憶が、次回どう描かれていくのか。
 最終幕開幕に相応しい重たく熱い質感を、楽しみに待ちたいと思います。