イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

TRIGUN STAMPEDE:第9話『Millions Knives』感想

 星を切り裂く幾万の憎悪は、一体いつ血を啜ったのか。
 『俺たちのサディズムはラスボスだって容赦しないぜ!』という、人間ナイヴズ等身大の血しぶきがあふれかえるTRIGUN STAMPEDE第9話である。
 ジュライシティあらため”儒来”での最終決戦を前に、ホームの今とかザジたんの思惑なんかが明かされつつ、正反対の道に進みだした双子の決着やいかに……という状況。
 人とワムズとプラントと、三種の知的生命体がお互いの喉笛に刃を突きつけあってる状況で、誰も殺さない道を選び続けているヴァッシュの強さが、ようやく表に出てきた感じ。
 こっから最終決戦をどう転がして、激戦に何を刻んでいくか次第でお話の全体像も仕上がっていくと思うが、結構色んなものが描ききれんじゃないかな、という期待感はしっかりある。
 あと超越者でありながら幼さもあり、妖しく美麗で底が知れないTARAKOザジがあんまりに極上で、一生聴いていたくなる。
 この人をまる子役に閉じ込めちゃったの、マジ勿体ないよな~……色んなアニメで色んな役もっとやって欲しいよ~”NOIR”のアルテナとかさ~~。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第9話から引用

 前回ヴァッシュの起源を優しく抉ったカメラは、今回仇敵ナイヴズの顔を丁寧に描いていく。
 兄弟二人で引いてた時は、スタンダードな並びだった鍵盤は白黒反転し、あの時はお互いの音を聞けた耳はもはや、たった一人美しい狂気を聞き届けている。
 人間の手を借りなければ生きていけないプラントと、プラントにすがらなければ生き延びられない人間の、中間に立つ独立型プラント。
 ヴァッシュは誰も殺さない人間の守護者であること、死にかけたプラントを癒やす技師であることを選び、ナイヴズは憎悪の刃で同族が生きる道を切り開く修羅になった。
 プラント至上主義者であるナイヴズが、ヴァッシュのようにプラントへの共鳴治療を行えず、常に暴力的解決策で他人を傷つけ、他人から奪い去る宿命にあるのは、”百万の刃”というその名とともに、ずいぶん残酷だと思う。

 せせら笑いながらプラントの終わりから繁栄を搾り取る人間に対し、ナイヴズはその悲鳴だけを聞き届けようとする。
 遠間から指先一つで命を奪える無関心と、自分の骨肉から削り出した刃で手ずから殺すのと、どっちが”人間らしい”のか。
 壊して、殺して、奪い去る以外の手段を持たないもう一人の人間災害がもっている、危うさと不器用さと愚かさと、焼き付くような執着が赤い滅びの中で強く際立っていく。
 第3話では圧倒的な破壊の権化として、フードの下に人間的な表情と声を殺していたナイヴズだけども、決着が近い今回、150年前にはまだあった若さと未熟さをにじませながら、凶行の根源が一体どこにあるかを、カメラは容赦なく抉っていく。
 ジェネオラ・ロックの虐殺では異能による間接的殺戮に勤しんでいたナイヴズが、今回はぶっ殺す相手に直接刃を突き立て、返り血を浴びながら道を選んでいるのが、とても痛ましい。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第9話から引用

 自分と同じく”殺す側”になれと押し付けた拳銃は、結局ルイーダ(第二のレム、母なるもの、人間)を選んだヴァッシュによって自分に突き付けられ、双子の道は分かれていく。
 濃厚すぎる執着は、世界でたった二人の独立型プラントとして選ばれ、あるいは孤立したがゆえの愛が生み出していて、逆にそこら辺の感情質量を人間らしい真っ当さで制御できているヴァッシュが、ちょっと特殊なのかもしれない。
 自分を選んでくれないヴァッシュをそれでも愛し、すがり、拒絶されて強く傷つくナイヴズの表情は、このアニメ特有の濃厚なサディズムが見事に彫刻した、一つの芸術品といえる。
 こういう”人間らしい”感情を150年発酵させて、お兄ちゃんは超絶殺戮を敢行する現人神として、今でも弟を追いかけてるんだね……。
 いやビックリするぐらいはた迷惑だな、ちったぁ生きててよかったと思わせてやれ、家族なら……。

 ナイヴズの刃は人を殺す以外に使えない……と思いきや、プラントの異能を暴走させかけた弟の腕を切り裂き、惨劇を未然に防ぐ外科手術のメスとしても、この時機能している。
 ヴァッシュが銃を握って強い視線で選んだ”殺さない側”の生き方だってナイヴズには開けているのであり、それを唯一引き出せる可能性は、やっぱりヴァッシュにこそあるのだ。
 でも結局はプラントのために”殺す側”に進んでいって、神の独善に染まりきって悪趣味な地獄をプレゼントしているのだから、より良い方向へと運命が転がるには、この星はあんまり生きるのに厳しすぎるのかもしれない。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第9話から引用

 かくして遠い夢から覚めて、150年目の我が家である。
 っしゃブラド&ルイーダ生存ッ!!
 不死なる聖者と同じ時の刻みは歩めずとも、科学の力と家族としての愛を支えに隣り合うことが出来る存在が、ヴァッシュにいてくれると解るのは大変ありがたい。
 ここまで、ずーっと孤独で辛い、良いことなんてなんにもない歩みばっかりしとったからなあ……。
 STAMPEDEだと体だけでっかいやさぐれショタなウルフウッドへ、ヴァッシュの”強さ”と一番長く付き合ってきたブラドが包み込むように諭している様子も、孤児である彼が失われた”父”を、ここで見つけれた感じがあって良い。
 マージでこの話背丈だけ強制的に引き伸ばされたガキンチョばっかり出てくるので、そいつらに『お前は間違ってない』と告げれる立場のキャラが出てきたのは、決着が近いんだなー、って感じよね。
 そして敵サイドには外見ロリで邪悪な成熟を果たしたキャラ多めなの、いい塩梅にイヤーな対比よね。

 今までナイヴズのヤンデレ追撃で酷い目にしかあってこなかった、白黒切り分けず殺さないことを選ぶヴァッシュ主義だけども、ホームの超科学は砂嵐の外で渦巻くこの星の当たり前をはねのける、穏やかな強さを宿している。
 それが青い花として表現されているのは、このアニメらしい繊細な表現だと思う。
 すぐさま腹がふくれるわけでも、敵を殺せるわけでもないけど、大地を満たし豊かさをいつか連れてくるモノ。
 そういうモノを皆殺しにして星に旅立った挙げ句、プラント使い捨てのカスっぷりを逆撃されてこの世の地獄に流れ着いた人間が、生存に必死にしがみつく果て。
 ルイーダとメリル達が穏やかに話していた未来を、異貌なる蟲の王が冷ややかに問いただす。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第9話から引用

 というわけで、ザジたんの封印された歴史お勉強タイム!
 『人間 VS プラント VS ワムズ』という構図をここでまとめたことで、惑星を食いつぶしてなお生きる業から逃げられない宿命と、声もなく殺された地球環境の継承者として、ザジが人間を品定めする視線が重さを増してくる。
 異質ながら知性も命もあるはずのプラントを、道具として使い潰さなければ生存できない人間の罪が、ナイヴズを狂わせた。
 プラントが維持してくれる環境あればこそ人間は生きられるが、その生は他人の声を聞かず、他人事に命を食いつぶして自分が生きる”当たり前”と、切り離すことが出来ない。
 そこに疑問を抱かず自分の道にしている、今のノーマンズランド・スタンダードを体現する存在として、多分ロベルトがこの儒来に……つうかSTAMPEDEに存在している。

 生きるためには、しかたがないんだ。
 ナイヴズのツメに切り裂かれた男がほざいた末期のセリフを、この星に生きるすべての人が呟き、その身勝手な愚かさを全部許すために、ヴァッシュは誰も殺さない道を探る。
 兄弟相食む因縁の渦を、どこか遠くから見透かしながら、ザジは種全体の岐路をどう進んでいくべきか、嘲笑いながら冷たく見据えている。
 冷えた感情と知性の熱が同居する、異物としての少年がギラギラ魅力的に描かれてるのは、やっぱ良い。

 プラント信仰の聖地となった第三都市で、暴かれる真実、決着する運命とは何か。
 次回も大変楽しみです。