イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

TRIGUN STAMPEDE:第10話『人間』感想

 決着に向け加速していく、それぞれの運命……TRIGUN STAMPEDE第10話である。
 ずいぶん迫力のあるサブタイトルだが、前回ザジくんが問い今回答えが出ない『人間』の価値を、人でなしと普通の人たちを通じて削り出していくようなエピソードである。
 STAMPEDEのヴァッシュはケレンを削ったその作風に合わせて、ナイーヴで幼く無力に描かれ続けたと思うが、残り話数も少なくなったこのタイミングでようやく、灰色の割り切れなさに延々しがみつき、自分の生きざまを譲らなかった傷だらけの強さが表に出てきた。
 それを目のあたりにすることで『世の中こんなモンだ』と諦め拗ねていた(そうすることでしか、自分を守れなかった)ウルフウッドにその靭やかさが染みてきて、人生の道行が変わっても行く。
 世間知らずのお嬢様だったメリルも、あんまりに普通の『人間』として生きて死んだロベルトおじさん血染めのデリンジャーを受け取って、過酷なるノーマンズ・ランドでどう『人間』であるかを選んでいく。
 やっぱSTAMPEDEは子どもが子どもであることを許されない過酷さの中で、強制的に人殺しの大人にされてしまった者たちの話、それでもなお子どもっぽい理想を手放さないために何をするかというアニメなのだと思う。
 エレンディラの描き方も、その一環……かなぁ?

 

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第10話から引用

 今回はヴァッシュ&ウルフウッドチームと、メリル&ロベルトチームがそれぞれ合流することなく、惑星一不夜城・儒來を駆けずり回って道を探していくエピソードだ。
 ブツクサ文句をたれつつ、ウルフウッドは案内人としてヴァッシュの側にいることで、処刑屋家業では見れなかった”何か”と出会っていく。
 それはずっと描かれることがなかったゴーグルの奥の瞳であり、聖人が流す赤い血であり、刻まれた傷跡である。
 銃口と意思を突きつけ、ナイヴズのプラント優位主義と決別した過去が描かれたヴァッシュを切り取るカメラは、過酷な現実に揉まれてなお未来を睨みつける視線を強く描いていて、ようやく当代随一の麗しきサディズム、その矛先をすこし緩めた感じがある。
 ……いやどーかな、ナイヴズと直面した時の追い込まれた表情とか、まだまだギンギンのギンだったしな……。

 この惑星でプラントの命すすりながら、それでも生きてる色んな人達。
 ヴァッシュやウルフウッドもその一人で、大事なものを守るために闘い、それをズタズタに引き裂かれながらなお進んでいる。
 ずっと無個性だった”モブ”が抱え込んだ悲劇と、痛ましい叫びが主役を貫く様子が今回描かれたのは、そういう『人間』がそれぞれの顔を持って生きてしまっている事実を、もう一回刻みつけるためだったように思う。
 そういう人をこそヴァッシュは助けたいし、そういう普通の人だからこそ理想だけでは生きて行けず、ちっぽけな激情を銃弾に乗せて他人の血を絞る。
 ノーマンズ・ランドは、そういう惑星だ。
 この『人間』の普通さを画面に置くために、ロベルト・デニーロは飲んだくれ文句垂れそれでも逃げ出さず、超人たちが人類の命運を左右する特別な現場に立ち続けた……ような気がする。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第10話から引用

 そんなロベルトがたった二発の奇跡をもぎ取る中、ドクターは『人間』が持つ業を煮こごりにしてぶつけてくる。
 過酷すぎる星に人が生き延びるために、人を超えた人をその手で生み出す。
 そのために搾り取られた血で研究室は真っ赤で、しかも現在進行系で罪は加速していて、大変にゲッソリである。
 どうせ子どもに夢を見させる余裕もないこの世の果て、『生きる意味』ってヤツを与えてやったんだから感謝して欲しい。
 そんな言い分の最終形として、少女娼婦のようにケバいエレンディラが無邪気に暴れまわって、可愛いアピールをさんざんした後ロベルトおじさんを殺す。
 いやー……正直どう受身取ったもんか、難しい描写だなぁ……。

 人類の未来のためドクターが積み上げた醜悪を、この星に生きる当たり前の『人間』代表……であるけど、殺して奪うのには躊躇いがあるロベルトは侮蔑する。
 ここまでして生きたくないと、弱者を切り貼りして輝かしい未来を探すエリートを拒む。
 その庶民感覚は”可哀想”なエレンディラを受け入れる余裕がなく、メリルの無自覚な貴族主義は子どものまま天使になった彼女を激怒させていく。

 ”可哀想”。

 残酷な言葉だし、なにもかもが良くない方向に絡まって墜ちていくこの星で唯一すがれる、闇の中の希望でもあると思う。
 ロベルトがドクターに見せた嫌悪と同じように、メリルの”可哀想”は『人間』として当たり前の素直な感情……って所なんだろうし、だからこそ最新型の少年兵として、凶暴な幼さを振り回すエレンディラの急所に刺さる。

 プラントでも人間でもなく、生みの親に”失敗作”と断じられ、それでもなお生きてしまっている生まれながらの凶器。
 モネヴやリヴィオやニコラス……ヴァッシュやナイヴズも含めて”可哀想”な男の子たちに銃を握らせて、他人を殺すしか道がないどん詰まりに追い込んで進んでいるこの物語が、最後の少年兵(だろう)彼女を救いうるのか。
 人間一匹殺したわりにはあんまり萌え萌えで、後悔も断罪もないこの無邪気な怪物を、『人間』は受け止めきれるのか。
 怪物と拒絶しても、”可哀想”と哀れんでも、人が死ぬだけで解決にはならなかった。
 じゃあ、どうするのか?

 真っ直ぐな正しさで殴りつけて潰せば、全部解決するというには、濃すぎる化粧が涙でぐちゃぐちゃになったような”大人”のカリカチュアは、あまりに悼ましすぎる。
 ずっと外見は大人、中身は子どもの殺人者をいろんな形で削り出してきたこのお話が、最後の最後で外見も子どものまんまなエレンディラを、かなりエグい角度で突き付けてきたのは凄いな、と思う。
 『よーっし、思いつく限りの悲惨なガキを詰め込んで、命の選択を強要される最悪さをガンガン煮立たせるぞッ! 大丈夫コレも”トライガン”だッ!!』という、制作サイドの力こぶがどこに振り下ろされるかって意味でも、エレンディラの末路は気になるポイントだ。
 ……先輩少年兵みーんな最悪になってったんで、最後の一人くらいは『人間』らしい道を用意してくれてると胃に優しい、かな。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第10話から引用

 出会って、別れて、また出会って。
 人の旅路、これまでの物語を圧縮するように高速で場面は転換し、ミリィは銃を取る。
 ヴァッシュがナイヴズに手渡された銃を兄弟に向けることを選んで、今のヴァッシュに育ったように、メリルもロベルトおじさんに手渡されたデリンジャーをどう使い、どこへ向かうかを自分で選んで、子ども時代を終えていく。
 メリルの自罰は背負い込みすぎ……ってわけではなく、奪い合いに身を投げることなく生きれてしまう特別な自分を自覚することなく、世間知らずなお嬢様でいた結果エレンディラを激発させたのは、間違いないと思う。
 それを思い知らせる贄としてロベルトおじさんが死んだ……とも僕は思っていなくて、そのあっけない死に方は運が悪いだけで簡単に死ぬ、この星の当たり前を上手く描いてたとも思う。

 いや、死んで欲しかったわけではなく死んでよかったとも思ってなく、普通の『人間』代表だからこそこのSTAMPEDEを生き延びて、ブツクサ文句言いながら少しだけ良くなった物語を歩いていって、欲しかったんだけども。
 でもまぁ、そういう人も死ぬのだ。
 泣きじゃくって顔を上げたメリルは、そういう『人間』の事実を噛み締めた表情をしている。
 彼女もまた、一匹の少年兵だったのだろう。

 ウルフウッドとヴァッシュの旅も、終着点であるナイヴズの御前にたどり着いて終わる。
 『人間』の本性、惑星の現実を思い知らせて自分と同じ道を選ばせる試みは、むしろその終端に近づくにつれてヴァッシュの靭やかな強さと、選ばないからこそ見えるかすかな光を強めた感じがある。
 ウルフウッドもそれを間近に浴びて、諦観を余儀なくされていた子ども時代から巣立っていくのか。
 故郷に安全を保証する、悪魔の契約書。
 魂を殺し屋稼業に売り飛ばして手に入れた紙切れ一枚は、背負った十字架には釣り合わない。
 形式上、もうニコラスがパニッシャーである理由は終わっていて……つまり本質としてウルフウッドの物語は、ここからこそ動き直すのだ。
 誰かに用意された終わりにたどり着いても見つからなかった答えを、紙切れ一枚じゃ納得できない終わりを掴むために、ウルフウッドは初めて自分の意志で銃を取り、戦場に飛び込んでいくのだろう。
 そうさせるのは間違いなく、シャイな笑顔が印象的な甘ちゃん天使の影響だ。
 ズブズブに柔らかいガキの心を、スレた外装で必死に守ってきたSTAMPEDEウルフウッドと、ヴァッシュ兄ちゃんの関係性はかなり好きなんだよなぁ……。

 そして質問を質問で返されたドクターも、下ろせない十字架を思う。
 人類の未来のため、傲慢な神を演じ続けている彼にもまた、理性の怪物となる起源があった。
 それはナイヴズが憎悪の刃に成り果てるのと同じ罪(SINS)だろうし、ここが最後に暴かれて兄弟決着の火蓋が切って落とされる……のだろう。
 ”少年兵”と同じくらい”罪悪感”はSTAMPEDEの大事なモチーフで、こんな重たい荷物メインに乗せたからずっしり重たい質感になったのだろうと、残り話数も少ないこのタイミングで感じたりもする。
 狂わなければ正気でいられないほどに、過酷で重たい罪の十字架。
 それは殺しによって加速されて、深く深く『人間』に突き刺さる。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第10話から引用

 それがプラントという種にも、この星で心を持つ全ての存在に共通であることを、ナイヴズの刃は語る。
 世界でたった二人、超越存在の処女懐胎で産み落とされた独立型プラント。
 魔王にも救世主にもなれるからこそ、”可哀想”な同類を救うべく殺しの道を選んで、手渡した銃は自分に向けられて、ナイヴズは寂しいのだろう。
 たった二人の兄弟と、二人きりでいられた時代へ戻る。
 ヴァッシュが自分をつなげる蜘蛛の糸を断ち切る姿には、そんな寂しさが宿るように思う。

 プラントの胎の中で、我らがいかな苦難を受け止めてきたかを知れ。
 知ってくれ、兄弟。
 そんな、凶暴で悲痛な祈りが引き裂いた、普通の『人間』の瞳がどんな色なのか、今回ちゃんと書きに行ったのは偉いなと思う。

 その起源が何処にあるのか、何処で何もかもが決定的に歪んだかを、写真の少女は語るだろう。
 人を守るのは十字架を下ろすためか、それとも愛ゆえか。
 ウルフウッドに見せた聖痕が何処から滲み出したかを、ヴァッシュもまた問いただし、向き合わなければいけない。
 STAMPEDEらしい重たく湿った最終決戦になりそうだが、だからこそいいな、と僕は思う。
 次回も楽しみです。

 

 

 

・追記 ”今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう” 創世記4:11-12

 釘に十字架に罪の兄弟の対峙と、最終決戦を前にモチーフ一切隠さない感じになってきたのは、肌がビリビリしてなかなか良い感じだ。
 荒野と救世主、幼子と罪の話として『トライガン』を書き直す試みが正解だったのか否かは、やっぱ最後まで見届けないと答えなんぞ出ないと思うけど、底流として原作に確かに流れていた”弱さ”への視点で新しい話を紡ごうとあがいてきた道のりが、終極を前に結晶化している手応えは、俺はかなり好きだ。