イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U-149:第1話『鏡でも見ることができない自分の顔って、なに?』感想

 魔法のお城を新たに駆け上がる小さな勇者たちの物語、新たに開演! 
 デレマスアニメ8年ぶりの大復活……というには制作陣も物語の画角も大きく変わり、しかしどこか懐かしいおとぎ話の香りが随所に漂う、とても素敵な第1話でした。
 やっぱ世界の解像度が凄く高くて、でもどこか現実を越え夢に浮かされているような隠秘な雰囲気があって、モノが良く喋る感じはしっくり来る。
 自分を特別な誰かへと変えてくれる魔法を、誰かとの絆に、美しい世界の中に、そして何より自分の思いに見つけていく主体を、溌溂と幼い少女たちに切り替えて、ちょっと頼りないけど気合い充分なプロデューサーとともに、どんな物語が紡がれるのか。
 とてもワクワクする第1話でした。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第1話より引用

 というわけで、おそらく物語の中心に立つだろう橘ありすさんの生活へ丁寧に、時に異様なフェティシズムすら感じられる筆で潜っていく前半戦。
 タイトルにもあるように、とても満たされた生活の中に彼女は浮遊していて、自分がどんな存在であるのか、どんな存在になりたいのか、”顔”を確かめるのが難しい。
 大人びた12歳を包み育んだ”家”が現状どんな手触りなのか、その起床から食事、帰宅から入眠までどっしり追いかける筆は、十分愛されているはずなのに満たされない、”家”には彼女の顔を映す鏡がない現状を良く語る。
 ここらへんのバロックな手触りを視聴者に伝えるべく、時折凄く歪な画角がねじ込まれるの、お話が弛緩せずに良いスパイスだった。
 グロテスクですらある危うさが、生活レベルでも親子のふれあいでも、世間的に見れば恵まれている側の橘家で、ありすがどうつま先立ちしているかが良く見えた。

 釣り広告で堂々”アイドル”してるニュージェネを、そこにある”顔”を見上げる少女は、それが自分の輪郭ではないことを賢く自覚している。
 ではどんな”顔”がほしいのか……社会的な体面、精神的な内面が合わさった理想がどんな形なのかは、会長の道楽で始まったハズレ部署、第3芸能課の仲間たちと進んでいく中で見つけるしかない。
 『ありす』という自分だけの名前を頑なに拒否し(しかし年下の熱烈アプローチに拒みきれず、柔らかな名前で呼ぶことを既に許している)、大人っぽくてかっこいい苗字呼びにこだわる彼女の両足が、しっかり地面について自分を見つけるお話が、ここから進み出すのだと。
 それが狂おしい渇望や欠乏ではなく、暖かに満たされなお足りない、少しお姫様っぽい夢として動いていくのだという手触りを、橘ありすの日々を丁寧に追うカメラからは強く感じることが出来た。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第1話より引用

 橘ありす一人の内面と世界に深く切り込み、作品を支える足場を作った所で画角はグッと広がり、第三芸能下に集った九人がどう暮らしているのか、そこに新たに入ってきたプロデューサーと共に丁寧に削り出す。
 ”子ども”とひとくくりにしても9歳から12歳まで四歳差、そこには無限の発達段階が宿っておるわけで、そこら辺のグラデーションを初手からしっかり描いてくれたのは、大変良かった。
 なんとなく見つけている”顔”に拘って頑なな橘に、わしゃわしゃ寄ってきて愛でとろかす9歳組の幼さは、色々初手でやらかしたプロデューサーの居場所がそれでも、この第三文芸部なのだと伝えてくれる。
 薫ちゃんと仁奈ちゃんが舳先に立って、全てにワクワクし全てを肯定する頑是ない前向きさを背負ってくれるおかげで、そういうところから半分足を抜いて、世界と自分を客観的に見つめる背丈を手に入れつつある、お姉ちゃん達の”今”も映える構図だわな。

 幼いながらも一つの社会として、個性と思いが押し合いへし合いしながら既に駆動を始めている第3芸能課。
 赤城みりあさんが話題が途切れなんか変な空気が流れた所で、一瞬周囲を確認してから自発的に喋りだす様子をノーカットで描いている所とか、凄く生っぽくてよかった。
 薫ちゃん達がノーブレーキで突っ込めるところを、二歳年上の彼女は少し後ろからしっかり確認して、自分が飛び出すべきタイミングなのだと確かめてから、良いふれあいを生み出すべく踏み出す。
 この社会性、自分と他人の距離感を測る目の良さが、賢く優しい子どもがここでどう生きているのか良く伝えてくれる最高のサンプルで、このアニメが何書きたいのか、強く教えてくれた。
 9歳組が純情のニトロに背中を押されて、ど真っ直ぐにありすの防壁を突破したのを受けて、『そういう風に、心の赴くままに動くのはあまり良くないのでは?』とためらっていた佐々木千枝さんがおずおずと、しかし力強く”愛”へと踏み出していく様子なども、個性と人格が滲んでいい絵だったな。
 客観的に図れる年齢と、個別で見えづらい個性の交錯点にそれぞれの”らしさ”があって、それを画一的に切り刻んで殺すのではなく、一個一個弾んでいる彼女たちの”今”に向き合ってくれるのなら、アイドルの物語として子ども達のお話として、これほど嬉しく大事なものはない。
 前半顔のない橘ありすの不安定な背伸びを強く書いてたから、この第三文芸部が彼女が求める何かを育む苗床として、豊かで尊い暖かさに満ちてると肌で教えてくれたのも、安心できる描き方だった。

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第1話より引用

 最悪のファーストコンタクトから、新たに動き出す日々へと仲間の手を借りて進みだして、橘ありすは歌を歌う。
 小さくとも”アイドル”である証明を受け取ったプロデューサーはそこに光を見て、自分の中に確かにある燃え盛る熱意を言葉にして、担当するアイドルへと届けていく。
 バキバキに解像度高かった現実はこのあたりからファンタジックな色合いを強めて、まばゆい光が世界に満たされ始める。
 それは物理的な光量ではなく、”アイドル”というものが少女たちにとってもプロデューサーにとっても、自分たちが何者であるかを照らしてくれる一つの答えであり、輝く未来へと導いてくれる希望なのだと、告げる演出だ。
 アイドルに惹かれる理由を、成し遂げたい夢を口にする度世界は光に満ち、髪を風が揺らし、お互いの中に在る相手を信頼していい理由が、より顕になっていく。
 このアニメは”アイドル”のアニメなので、それは正しい演出だ。

 やる気十分な熱量とは裏腹に、押し付けられ見捨てられるように第3芸能課に流れ着いた、ちびっ子新人プロデューサー。
 このお話は彼もまた彼のアイドルと触れ合う中で、自分の顔を見つけていくお話なのだろう。
 前半において鏡の中、水槽の奥に不確かに揺れていたありすと同じく、時に不安定な画角で”大人”の表情は切り取られ、その橘がアイドルの卵としておねシン歌うことで、不定形ながら輝きに満ちた世界へと、彼は導かれていく。
 そんな風に、橘ありすが未だ不確かな”アイドル”へと突き進んでいく動きこそが、目の前に立つ誰かの顔を鮮明にし、そこに反射することで彼女の幼くも確かにそこにある自意識は、目鼻を得ていくのだろう。
 幼い少女たち(と、かつて幼かった時代の残滓を長く残す”大人”)に必要な、己が何者であるかを探り知っていく探索行。
 そこで大事なワクワクと、現実的な色合いで固く動かなかった現実が光の中に解け、水彩の艶やかさで踊りだす夢の一瞬は、合わせ鏡の中で無限の可能性を舞わせる橘ありすだけでなく、彼女とともに進んでいく少女たち、それを導き導かれるだろうプロデューサーにとっても、とても大事なものだ。
 だからこそ、出会いの初日はこの美しいファンタジーで締めくくられる。
 ”それ”に出会い、お互いの中に見つけたことが、ここからはじまる物語全ての基底材になっていくのなら、12話積み上がって描かれる夢のお城には、大きな期待を持っていいと思う。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第1話より引用

  アルコールに身体をほてらせつつ”大人”が歌うのも、新しい運命が動き出した最後に少女がまどろむのも同じ歌なのだと描くことで、凸凹上手く繋がらなかったように思えるこのファーストコンタクトが、奇妙な個性を反射しつつ確かに”運命”なのだと、上手くお話を締めくくりつつ。
  EDが、ヤバすぎる……。
 さんざん橘さんのツンツン大人びて自分を守ろうとする健気な背伸びを描かれた後、彼女が夢の国で見つめるものの色合いを、そこに仲間たちが待ってくれているありがたさを、眩く広がっていく可能性の輝きを、素晴らしい楽曲とともに教えてくれるEDの破壊力は、マジハンパねぇ。
 僕はデレアニの童話モチーフ本当に好きだったので、それを継承しつつ新たで力強い表現として、このEDにたどり着いて己を証明してみせたの、本当に凄いことだと思います。
 お城から星を掴んだ天使達が飛び立つ場面の、ふわーっと柔らかな浮遊感が脳髄をゴンゴン殴ってきて、『良いのか……このアニメに”幻想(ゆめ)”を見ても……』と、静かに拳を握りました。

 芝居の付け方、キャラの見せ方、世界の描き方。
 どこも緩みのない、リアルで張り詰めた意味論的空間を本編でしっかり編み上げたからこそ、それが緩んで色合いの違う夢が溢れ出すカタルシスは強かった。
 この景色が、頑なな大人っぽさこそ自分の顔なのだと思いこんで、そこからあふれる何か(と、そこに拘ればこそ保てる何か)を抑え込んでしまっているありすが、”アイドル”に見ている夢なのだと。
 本編の一部として、作品が追いかける不定形の答えとして、EDを活かし切る構成も大変良かったですね。

 

 というわけで、見るものの期待と裏腹な不安を全部受け止め吹っ飛ばす、とても良い第1話でした。
 子ども達がその内面に抱えている、複雑で美しく不安定な可能性が、どういう作品世界に踊っていくのか。
 繊細でやや神経質な筆致がそれを豊かに語って、キャラクターが身を置く現状、これから向かっていく未来を色鮮かに描き出していた。
 作中唯一の大人であるプロデューサーの描き方も、熱意と未熟をたっぷり抱え込んで悩める”子ども”の一人として、アイドルに隣り合い共に進んでいく期待感がありました。
 摩擦多めな出会いが眩しい光に転がっていくきっかけが”歌”なのも、これからアイドルの物語をやっていく上でなにが魔法を生み出すのか、レッスン漬けの日々でも真っ直ぐ見据えている感じで、とても良かった。
 ここから始まる第3芸能課、新たな伝説をどう、瑞々しく描いてくれるのか。
 次回も大変楽しみです。

 

・追記 でも、膝は曲げろ。見えないものを見ようとしろ。良きファンタジーには、それが必要だ。