イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U-149:第2話『おでかけなのにただいまをするもの、なに?』感想

 はつらつと芽吹く若き輝きのサーガ、第3芸能課は天使たちのやどりぎ、U-149アニメ第二回はきぐるみアイドル市原仁奈ちゃんと、高齢宣材写真撮影回だ!
 いやー……みんな可愛かったねぇ(一回ぶり二度目)
 ぶっちゃけこのアニメの子共ら、発育段階としては”看板”よりニ、三才下だと思うわけですが、そんな幼い仁奈ちゃんなりの必死さで、精一杯世界を楽しみ愛されようとしている姿が、眩しく描かれていました。
 仲間たちもめっちゃ仁奈ちゃんを優しく見守り、共に楽しみ、あるいは既に目の前にある難しさに悩み、一緒に生きてくれるありがたさがその描線に満ちていた。
 ここに未熟ながらも活力十分なプロデューサーが加わり、なんだか良く解らねぇ美少女妖怪二名が乱入し、地域の方々も幼い魂の健やかな発育に手を差し伸べ、小さな勇者の眼前にそびえ立ったちっぽけな……しかし大切な悩みをエイコラショと乗り越えていく手応えが、凄く良かったです。
 同時に『ダメだろ……九歳の子どもにこんな事言わせて、こんな顔させちゃ……ご家族はどこで何やってんですか!』と、フィクションの埒を越えて叫びたくなる気持ちもあるが、ここら辺はまだ自分に冷水ぶっかけて落ち着いて見れる余裕が残ってる感じ。
 生身の児童が必死に生きている現場としてアニメの解像度を上げた結果、萌えキャラにうっかり貼っつけちゃった生々しい痛みが誤作動して、洒落になんなくなってる感じがちょっと面白い。
 それは僕が、このアニメが仁奈ちゃんの毎日を描く筆に共感して、彼女を孤独に捨て置けないくらい共鳴してる証拠なんだろうしね。
 でも市原家には一回、ガチ目の面談ぶっ込んだほうが良いと思うよ……仁奈ちゃんを愛しているだろうご両親のためにも。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第2話より引用

 というわけで激かわヒヨコちゃんが広い世界を飛び回る今回、”鳥”は重要なフェティッシュとして幾度も顔を出します。
 大事な大事なニワトリのかぶりものは仁奈ちゃんの手元を離れ、珍妙美少女に奪われ、最終的にプロデューサーに預ける形で、キグルミに愛を仮託することでしか寂しい自分を守れなかった女の子の、小さく大切な成長を示していく。
 この旅路を通してプロデューサーは仁奈ちゃんと第3芸能課の信頼を勝ち取り、共に進んでいくための絆が太くなるわけですが、その要所で”鳥”は大変印象的に描かれる。
 旅の最初の青い空に二羽の鳥がちょっと近づいて、旅路の真ん中で仲睦まじい三羽の水鳥(ありすが隣に寄り添うので、一羽増える。3歳差を反映して、二羽の子カルガモのうち一羽は少し大きく、もう一羽は小さい)が描かれ、旅を終えて虹色の夕景に同じ方向へと飛び立っていくという、”鳥”を軸にしたサーガはすごく詩的に、今回描かれた物語を象徴化しています。
 ”きぐるみ”という、戯画化され死んだ鳥を追いかけるこのエピソードで、物語のフレームの外側に確かに存在している生きた鳥を幾度か写していることが、少女たちの冒険もまた乾いて死んでる物語ではなく、今活き活きと動いている生きたお話なのだと感じられる力も、上手く宿ったかな?

 ニワトリのきぐるみはそれさえ身にまとっていれば、父母に愛されず寂しい(こんな事思わせちゃダメだよ本当に)仁奈ちゃんが望む愛を守れる、無敵の魔法です。
 しかしその奥にある生身の仁奈ちゃんをこそ第3芸能課の仲間も、地域の人達も、プロデューサーも、そして遠い父母も真実愛しているはずで、それはあくまでモノでしかない。
 これを仁奈ちゃんに分からせるためには一度奪う必要があるわけで、くにゃくにゃトンチキなムーブを自由にぶっこみつつ、成長に必要な剥奪を担当した一ノ瀬志希さんは、賢く優しい人だなと思いました。
 あそこで自分が怖い怪物になっても、仁奈ちゃんの心の奥底を引っ張り出し隣に立つ人が自分を愛してくれている事実を確認させなければならないのだと、立ち居振る舞いに見える。
 それのは志希さん自身も寂しい子共だった時代を知っていて、今偶然であった”妹”に自分が得れなかった魔法を手渡したいと願った結果なら、マジアツいと思うが……(血の繋がりや付き合いの長さを超えて、一瞬で魂の奥底に到達する”響き”の一瞬がマジで大好き人間)。
 なにしろデレマスは文脈が分厚すぎるので、実際そういうバックボーン込みで唐突イカレ女の優しすぎる手触りがねじ込まれてる可能性高いからな……分け入ると読解コストが暴騰しそうだから、あんまツッコまんけども。

 ニワトリは飛べない鳥ですが、”鳥”である以上翼で羽ばたく自由さを持っているわけで。
 仁奈ちゃんから志希さん、そして大事な”お仕事”の前にプロデューサーに預けられるキグルミは、その所有権/依存を手放せる自由度と、手放したからこそ高く飛べる軽やかさを、上手く宿しています。
 ”キグルミ”という仁奈ちゃんのキャラづけ上重要なフェティッシュが、モノらしく色んな人の間を行ったり来たりする描写が、市原仁奈がそこに縛られずもっと自由に、力強く愛されて良いのだと、作品全体でエールを送ってる感じがした。
 それを脱ぎ捨てても仁奈ちゃんは仁奈ちゃんだし、成長の証として脱ぎ捨てなければいけないものでもない。
 こうありたいと願う自分、”アイドル”として見て欲しい自分を自由に選べる翼を、このお話のプロデューサーは子ども達に手渡すことが出来ると、初の個別回でしっかり思えたのはとても良かったです。
 最後仁奈ちゃんに手渡しされる形でプロデューサーの膝が曲がり、子ども≒アイドルと同じ目線で世界を見れるようになった描写が、希望に満ち溢れて良い。
 そこがなによりも、仁愛のスタートラインだからよ……。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第2話より引用

 とは言うものの人間は空を飛べない不自由な動物であり、そんな生き物が何かを掴み取るためには手を使う。
 手のひらのフェティシズムも大変元気で、親愛や親しみやすさ、誰か/何かにしがみつかないと立っていられない弱さなどを内包して、豊かに画面を彩っていました。
 今回仁奈ちゃんは年相応の弱さや、父母不在の寂しさを貪欲に埋めようとする切実さを描かれるわけですが、同時に色んな人に愛され、また強く愛してもいて、その眩さが彼女につきまとう暗さを、前向きに飲み込める助けになっている。
 千枝ちゃんお姉さんに甘えて抱きつき、それこそを求めていたと抱きしめ返すあの一瞬の歓喜を早めに書いてくれればこそ、『大丈夫……全部が大丈夫なんだ……』と自分に言い聞かせつつ、仁奈ちゃんの人生大冒険を見守ることも出たわけで。
 マジであの抱擁に、人間に大事なもん全部あるからよ……愛し愛される事に嘘があっちゃいけねぇからよ……。

 手には色んな感情が宿っていて、仁奈ちゃんがひよこのキグルミをたたむ手付き一つでそれがどんな意味合いを持つのか、無言で語ったりもする。
 ここで少女の愛着と執着を丁寧に編み上げた結果、後に夕日の公園で炸裂する魂の叫びがストンと腹に落ちたりもするわけで、奇妙ながらも愛おしい放課後の冒険を楽しく描いているようで、バキバキに張り詰めた象徴演出が元気な作品だと思います。
 仁奈ちゃんの手のひらが、黄色い羽毛の鎧をどれだけ愛しく、誇らしく撫でるのかを見ているからこそ、それを手放して生身の拳を握りしめて、自分をその想いを叫ぶ瞬間が、本物なのだと胸にぶっ刺さるわけでね。
 こういう力みと震えは、人間が人間である以上見落としてはいけないわけですよ。

 んで手のひらは自分の震える魂だけでなく、その外側にいる人達とも触れ合える。
 地域の人や警察官、見ず知らずの女子高生など、事務所の外側の色んな人に仁奈ちゃんが積極的に触れて、触れ返してくれる情景がいーっぱい詰め込まれていたのは、大変良かったです。
 とにかく寂しい仁奈ちゃんがそれでも、だからこそ明るく振る舞う姿が知らず力強く、色んな人の心を引き付ける様子は、この後”アイドル”として頑張っていく中得られるだろう成功に、とても良い裏打ちを当てています。
 『こんないい子……売れなきゃ嘘だろーが!』って気持ちを、名前のない(しかし事務所の外に広がる世界の中で、確かに生きている)人々を審査員に早めにジャッジしているのは、なかなか良い手際です。
 今回のエピソードは市原仁奈がただただ市原仁奈であることで愛される事を、旅路の果てに確認するお話なので、縁もゆかりもない人たちが生身の仁奈ちゃんを愛してくれている描写は、物語の背骨としてすごく大事だと思う。
 ともすればあの狭くも美しい部屋に閉じこもった、身内の話に収まっちゃいそうな危うさもあるんだけけど、美術の強さ、テンポ良い演出に下支えされて、良い感じの風通しを生んでいると思います。
 それは仁奈ちゃんが思いの外軽やかな足取りで、今いる場所よりもっと広い世界へ羽ばたいていっても問題ない強さを、開けっぴろげな明るさを持っているのだと、教える手助けにもなる。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第2話より引用

 こういう”外”と触れ合う手付きに負けず劣らず、というか『これからお前らを愛で殴る……』という力こぶパンパンなパワフルさで、”中”の子たちがどんだけ仁奈ちゃんを愛し心配しているかも、分厚く分厚く積み重なっている。
 ほんと視線や仕草で思いを描く演出が丁寧かつ執拗で、第3芸能課の子らめっちゃ仁奈ちゃん見守り続けてる……心配し続けてる……。
 12歳お姉さんチームと年少組が結構カッチリ書き分けられてる構図なんですけど、距離感近いちびっ子はちびっ子なりに、世界や他人との適正距離を見つけつつある(からリップ塗ったり、アイドル以外の楽しさをしてったりする)子たちもその発育に相応しく、キグルミから漏れ出す仁奈ちゃんの寂しさを見つめ続けていました。
 小春ちゃんがお姉さんサークルからちょっとはみ出して、愛に素直な距離感で自然とグイグイ行ってるの、”12歳”という一枚看板で全員まとめるのではなく、それぞれ個性と人格に応じた振る舞いがあると考えてる感じがあって好きだね。

 プロデューサーよりも先んじてあの場所に集い、毎日楽しく暮らしつつ”アイドル”を目指している子たちは、仁奈ちゃんが明るく元気な態度の奥に秘めている寂しさを、肌で感じ取っていたと思う。
 他人事なその危うさをを、それでもどうにかしたいと思うからこそ視線には力がこもり、後を追いかけて思わず見守ってしまう。
 それは『子供だから』というより、『人間だから』な純粋なる善意だ(あるいは、そうであるべきだ)
 俺はそういうモンを浴びるのがいっとう好きなので、このアニメの主人公が仁奈ちゃんの間近に近寄ったことで、一緒に人生の旅をえっちらおっちら駆け抜けたことで、みんなが心配して解決できなかった震えを止めて、一緒に笑顔で新しい光に進み出せた展開は、むちゃくちゃ良かった。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第2話より引用

 自分のことを『情けね~!』と叫ぶ/叫んでしまう/叫べるプロデューサーは、OPのみりあちゃん大天使と同じようにニカッと、子どものように笑う。
 短軀を気にしている彼は頼りなく子どもっぽく、つまりは”人生経験”なるものがフジツボのように張り付いて、人間にとって大事なものがまっすぐ見れなくなっている存在から、自分を遠ざけれる可能性に満ちている、と言うことだ。
 アイドルちゃんたちがあらゆる瞬間で照射する、人が人たる光を彼もまた見つめ、背負い、豊かにしていけるということだ。

 同時に彼は9人からの大事なガキどもの人生背負い、会長の道楽で始まった島流し部署がどういう方向に進むのか、迫る世間の波風体でせき止めながら引っ張っていく、唯一の存在でもある。
 公園で遊ぶ仁奈ちゃんの事情を聞かされつつ、その眩さを見つめる視線は思いの外落ち着いていて、子どもと世界の架け橋になる(ならなければいけない)立場に必要な”強度”を、しっかり示していた。

 志希さんに露骨に誘導される形ではあったけども、子どもの心を知る正しき大人としてあの局面、絶対に言わなければいけない”正解”をしっかり言葉にし、キグルミを脱いだ生身の市原仁奈の瞳を輝かせることが、アイドルの仕事に必要な一歩を、力強く踏み出させる。
 その力強さに間近で寄り添って、ありすちゃんも高めな警戒度を緩めて、プロデューサーを少し信頼するようになる。
 第1話Aパートでじっくり示されていた、橘家の難しすぎる幸福を思い返すと、ここで家族との関係を仁奈ちゃんが吐露したこと、プロデューサーがそれを飾りのねぇ暑苦しい全霊で受け止めきったことは、今後大事な要になりそうだ。
 子どもと同じ笑い方が出来るからこそ、このプロデューサーには出来ることがある。
 少し離れたところから見守れるからこそ、このプロデューサーには出来ることがある。
 その2つをしっかり書いた上で、エピソードの主役である仁奈ちゃん、お話の真ん中に立つありすちゃんが彼の人間に体重を預けれるようになっていると教えてくれるのは、見ている側も素直に嬉しい。
 やっぱよぉ……主役の大人がかわいくて信じられるやつじゃねぇと、ガキどもが自分たちなり人生と取っ組み合うするお話飲み干すのは、結構難しいからよ……。

 

 

 というわけで大変明るく楽しく、萌え萌え美少女が己の人生に震えながら立っている様を教えてくれるエピソードでした。
 やっぱモノの活かし方がめっちゃ『デレアニ見とるわ=~~~~~~!!!』って感じで、脳髄の奥の方を高雄統子にぶん殴られた残響が一生消えないマンとしては、大変嬉しい。
 しかしただの模倣に終わらず、新たな表現に積極的に挑み、今ここで弾む自分たちの物語、そこで生きてる人々を大事に挑んでいる力強さも、たっぷりと浴びることが出来ました。
 花と詩のフェティシズムが現状抑えめかな、デレアニと比較すると。

 世界と少女たちを繋ぐ架け橋となる、宣材写真は無事撮影完了。
 その過程で育まれた愛と信頼を頼って、第3芸能課はみんなで前に進んでいく。
 その一歩一歩が、美しく輝く思い出となるように祈りながら、次回を楽しみに待ちます。
 いいアニメだね、これ。

 

 

・追記 ロリに絶望のトッピングはわかりやすく刺激的な味がするので濫用しがちだが、全部それで味付けするのは色々取りこぼすのでやめよう。