イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U-149:第3話『海に沈んでもぬれないもの、なに?』感想

 幼き翼で飛び立てアイドル! U149第3話は赤城みりあメインの配信騒動回。
 いやー……難しい回だったな。
 描かれているものが難解、ということはなく、みりあちゃん個人の資質と強さをドタバタの中で削り出していく良い個別回だったけども、その描かれ方をどう自分的に受け止めるか、姿勢の作り方に結構難儀した。
 こういう角度で”子どもとアイドル”触るの、個人的にかなり危うい印象を受けてしまったわけだが、これが赤城みりあというキャラクターへの信頼ゆえに起こったことなのか、それとも作品全体のスタンスなのか。
 第3話という話数では判別しきれないのも、難しさに拍車をかける。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第3話より引用

 お話はまだまだ売れてる実感が遠い第3芸能課のためにPが一計を案じ、しゅがみん☆TVのゲストとして露出を試みたらあれよあれよと状況が転がって……という展開。
 自分を戒めるように『期待して叶わなかったら、辛いのは自分たち』と気を引き締めるありすが、大人びて寂しい。
 夢だけ信じていれば子どもらしいってわけでもないが、痛みへの予防接種として早めに諦観を身に着けてしまっているのならば、それは橘ありすらしさを捕まえる前に捨て去る態度だろう。
 子供らしさを全面に押し出す作風の中で、どこかぎこちなく大人びているありすの警戒をどう切り崩して、なりたい自分を見つけさせるか。
 そこが話数を貫通して話を立たせる、一つの柱になりそうである。

 そこに辿り着く前の、一つの小さな騒動であり成功でもある、今回の配信。
 とにかく佐藤心に強めの負荷を背負わせて、道化役として偶然とお調子でヤバい状況がギリギリ洒落になるラインの上を転がるよう、展開するエピソードだった。
 僕はゲームでの彼女を知らんけども、今回の書かれ方はかなり物語の奴隷って感覚を受けたし、正直疎な鬼好意を持つのは難しい。
 でもまぁ、ドタバタハチャメチャな空気のなか試練が訪れ、みりあちゃんが持ち前の凄みで突破して、アイドルに必要な危機対応能力、ヤバい状況を味方につける瞬発力を示して『赤城さんは凄いなぁ』と思わせる話を引き込むには、そういう仕事が必要になるのは解る。
 そんな役回りを頑張ってくれたな、くらいの感覚だ。

 心が大人としての節度を投げ捨てヤバい方向に舵を切り出す、キッカケになった三万赤スパ。
 第3芸能課を立ち上げたのが誰で、現状の露出が社内に限られていることを考えると、まーガチで”会長”なんだと思う。
 ここらへんの事情を一瞬で計算した上で、危ういバランスを乗りこなしてみりあ達がジャンプアップするための足場として、チャンスを作った……て考えるのは、ちょっと佐藤びいきが過ぎるかなとは思う。
 とすれば、むき出しの悪意が児童にモデレーターなしでぶっかかる土壇場に、Pを扉の外に追い出してみりあを立たせてるわけで、まぁ当然説教もされるよな。

 みりあちゃんが自分の幼さ、純粋さをも活かして場を丸く収め、天真爛漫に味方を増やす強さをもっていたから、それは”失敗”にならずにすんだ。
 でもあの場にいたのが赤城みりあでなかった時、悪意を前に立ちすくんでしまう当たり前の子どもだった時に、感じる痛みは計り知れない。
 ブースの外で掲げられる声援に勇気をもらいつつも、後にこっそり告げられるように『すっごく怖かった』みりあちゃんは、見事に彼女が信じる”アイドル”のあるべき姿を演じきって、味方を増やした。
  それは笑顔の仮面で武装した見事な奮戦で、そうなってしまった事自体が避けるべき大失敗だったのではないかと、僕は思う。

 ここら辺の危機意識をPはある程度共有してくれているみたいで、そこはありがたい。
 しかし悪運と心の悪ノリで現場から締め出され、アンコントローラブルな状況に担当アイドル/預かってる子どもを置いちゃった事実は、お話がそういう流れに転がっていった強制力を考えても、なかなかに険しい。
 そういう計算不能な厄介事が吹き出してくるのが”アイドル”の現場だとして、子ども個人の資質や強さに全部を預けて、切り抜けるのを見守るのがプロデューサーの、大人の仕事なのか。
 ここら辺はアイドルの当事者性と、Pとの二人三脚加減にも関わってくるので、なかなか難しい。
 超有能Pがなんもかんも先回りし、完璧に子ども達にあるべき仕事を回し充足した生活を用意するお話、安心できるけど面白くはない……かもしれないしな。

 後の飛躍に繋がる……かもしれない仕事を引っ張ってきたのは、プロデューサーの確かな尽力だろう。
 完璧ではない身の上で、必死にあがいて彼もまた成長していく話だっていう構図も飲めている……つもりだ。
 その上で騒動の発端があんまりに偶然だよりで、収束が赤城みりあという少女個人に頼り過ぎで、プロデューサーが手を触れれる場所、事件を通じてみりあちゃんがなにか新しい自分を見つける余地が、あまりになかったように思う。
 みりあちゃんが才能に溢れ凄いアイドルだってのは伝わる回なんだが、前回仁奈ちゃんが迷いながら見つけた新しい発見は、それじゃあ完成度が高い彼女には得られないのか。
 そんな余計ごとも、ちょっと考えてしまう。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第3話より引用

 みりあちゃんに『怖かったけど、頑張った』と言わせてしまったことは、僕の感覚だと『赤城さんは凄いなぁ』で総括してほしくない結構シンドい重荷で、この体験を経てPちゃんが今後どう自分を扱っていくか、目が離せない感じであるけども。
 あきらかに撫でられ待ちだったみりあちゃんの頭を撫でなかったのは、個人的には好感だった。
 子供の願いに鈍感なだけかもしれないが、『ガキなら頭撫でておけばいいだろう』というナメた態度はもってないから、彼は頭を撫でなかった。
 それは一緒に仕事をしていく仲間としても、意志と尊厳がある一人間としても、彼のアイドルたちに向き合う時結構大事な姿勢だと思う。
 そういう気持ちがあるなら、あんな危うい所に子どもを最初から立たせるというツッコミは、多分Pちゃんではなくこういう話を選んだ側に、投げかけるべきなんだとも思う。
 だから、僕にとってこの話は難しい。

 結果として天才・赤城みりあが震えを噛み殺して状況を見事に乗りこなしてくれたおかげで、第3芸能課は少しの飛躍を果たした。
 『山あり谷あり嵐あり、こういう日々を一緒に乗り越えて大きくなっていくんだ!』とまとめるには、個人技に頼りすぎた勝利であり、システムと哲学に欠けていたように思う。
 だって怖いでしょ、こういう偶然にグラグラ揺らされ悪意に晒される場所に、子どもら預けてるの。

 そういう怖さこそ芸事の必需品なのだと、一か八かのギャンブル抜きで成功できる甘い場所ではないと、シビアに冷たく掘り下げていく話では無いんだと思うし、結果として意図せず滲んでしまった味わいだとは感じた。
 だが、だからこそ今後、同じ匂いが別の子に……赤城みりあほど上手く、恐怖に即応できる才能がない子に襲いかかる可能性はある。
 その時、Pちゃんと物語がどういう対応をするのか。
 そういうヤバさがもう顔を出さない可能性も含めて、今後見守っていくことになりそうだ。
 次回も楽しみですね。