イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP:第3話『走る理由』感想

※お知らせ
 TwitterAPIの仕様変更に伴い、ツイートをまとめて掲載する形で感想を書くのが難しくなりました。
 今後”ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP”の感想は、ブログへの直書きへと移行させていただきます。

※本文
 錯綜する光と影の輪舞曲は、長く尾を引きながら決戦の菊花賞へ。
 ウマ娘RTTP、最終話に向けてずっしり重たく沈めてきた第3話である。
 第4話を『ナリタトップロードが勝つ話』にするべく、前回ラストの号泣を沖田トレーナー筆頭に様々な人との絆でしっかり解消すると同時に、孤独な闇の中にもがくアドマイヤベガの存在感が非常に重たい。
 既に常勝覇王として己を見つけているオペラオーの揺れない姿勢や、純粋な優しさを常時振りまくウララ&ライスで上手く空気を入れ替えつつ、走る理由を見失って見つけ直す少女と、それが枷になっている少女の明暗が、しっかり描かれた。
 ……アヤベさんよー、生き残ってしまった罪悪感に苦しむのは良いんだが、あんたのために祈り続けているカレンチャンの気持ちはどーなんだよッ!!(一番率直な感想)

 

 冒頭、勝利を喜び忘我してしまったことを悪夢にみるアヤベから物語は始まるが、何しろ彼女の妹は彼女の心の中にしかいないので、この重荷はなかなか外側に出ていかない。
 もし真実死せる妹を生き続けさせるために走るのであれば、それは生き残ってしまった贖いとして勝利を捧げることではなく、命を受け継いだ自分が全霊を込めた疾走の中、生まれてくる歓喜によって証明することが、前向きな帰結ではある。
 ウマ娘にとって走るとは忘我の喜びを与えてくれる無条件の存在意義で、しかしそうして生きたればこそ湧き上がってくるものを不当な報酬だと、アヤベは自分から遠ざけようとする。
 生きている自分が、今走りたい。
 そういう当然の答えが、自分の中にあることを認めない。

 これは自分の外側にあるものを過剰に引き受けていたトプロが、それを全部引っ剥がしてなお次に勝つためにまだ走る自分をトレーナーに教えられて、それが暗闇から抜け出す突破口になっているのと、興味深い……そして悲しい対比だ。
 トプロは自分を見守ってくれる沖田トレーナー、彼が渡りをつけ存在を思い出させた優しい人達を、海辺の水鏡にして自分が本当はどんなウマ娘であるか、ウマ娘とはどんな存在であるかを、見つめ直すことが出来る。
 しかしアヤベにとって他者とは妹しかおらず、しかし死者は空疎な自己の投影でしかない(ように、今のアヤベは生きてしまっている)から、彼女の望みを照らしてくれる他者はどこにもいない。

 この孤独な闇が彼女本来の姿ではなく、他人を思いやり見つめる優しさを拒絶の奥に秘めていることは、第1話でのトプロとの触れ合い、今回のカレンチャンとの夕焼けに、既に滲んでいる。
 アヤベはカレンチャンの手のひらを跳ね除け、自分の乱雑な手付きが溢れさせてしまったものに痛みを感じるほどに優しいので、一人で暗い闇に沈もうとする。
 このアニメは三強の話なので、カレンチャンはアヤベの尊厳をとにかく大事にして、祈って待ち続ける立ち位置にあるけども、もしこれがカレンチャン主役の話ならば、ドカドカ闇の奥に踏み込んで、手を引っ張って持ち前の強さと優しさを、走る喜びを彼女が蘇らせていたと思う。
 そうさせてあげても全く問題ない健気さが、第1話からずっとカレンチャンには漂っているので、彼女が救えないアヤベをトプロが救うだろう第4話、この子にも救いがあってほしい。

 

 孤独な自己反射の末に闇に沈んでいくアヤベに対し、トプロは敗北の事実にしっかり苦しみ、その実情を自分よりしっかり見てくれる起きたトレーナーの手を取って、自分らしい光の中に戻ってくる。
 第1話、第2話ではやや白々しい優等生加減で描かれてきた、彼女だけの個性。
 それがウマ娘の王道を真っすぐ進み、負けてなお見る人の心に希望を湧き上がらせる、不屈の眩さなのだと描く上で、しっかり迷わせ泣かせ笑わせたのはとても良かったと思う。
 京都新聞杯日本ダービーと同じ展開、同じ結果に終わったように外野からは思えるが、そこに第2話ラストの涙はなく、負けてなお次を見据える強さがある。
 それは一位以外は全員敗者になるレースに身を置き、勝つ苦しさと負ける辛さ両方を引き受けてなお走り続ける、競走馬という種族全体に人間が感じる、大きな魅力だ。

 ちびっ子ウマ娘と触れ合う中で、トプロは第1話に描かれた自分の原点へと立ち戻り、自然な笑顔で走る意味を掴み直していく。
 走り、勝たなければ”いけない”と自分を追い込み縛っていた息苦しさは、彼女より彼女をよく見よく知るトレーナーの助けを借りて、幼く純粋に走りを楽しむ気持ちと接することで解き放たれていく。

 

 走りたい。
 競走馬の本文を誰よりも強く宿し、それに導かれてただただ真っ直ぐ、王道のフォームで進み続ける姿勢が、沢山の人の声援を呼ぶ。
 応援は彼女が生きた後、走った後に生まれる軌跡であって、それに導かれて走る原因ではない。
 そんなふうに不自由に捻じれてしまっては、もはやナリタトップロードナリタトップロードではない。
 彼女が報いる””べき”だと追い詰められていた人々の思いは、トレーナーが強く優しく告げたように、彼女が彼女であるからこそ彼女を追いかけ、後押しするものだ。

 トプロは強く優しく正しい少女なので、自分が何に支えられ何を求めているか、とても広い視野で見つめることが出来る。
 そうして視界に入ったものが重荷となって、時にその足を縛ることもあるが、そういう枷は彼女とともに生きる誰かが外してくれる。
 そういうありがたい縁は、彼女がとにかく真っ直ぐに生きるからこそ、彼女を助けてもくれる。

 開かれた関係性を力に変える……変えられる契機を他人から受け取れるトプロに対し、アヤベは死せる妹との対話に閉じこもって、どんどん自分を狭い場所へと追い込んでいく。
 それは相手のある対話のようにみえて、彼女の罪悪感が無限に反響し続ける穴蔵でしかなく、孤独に重荷を背負い続けるからこそアヤベは勝ち続け、その代償が足にも食い込んでいく。
 この重たさを用意には救い難い闇として描いたのは、人が死んで忘れられていってしまう重たさに向き合った結果でもあるし、そういう理不尽な条理に追いつき追い越し、眩い未来へと引っ張っていけるウマ娘の可能性を、ラストレースに示す意味でも大事だと思う。
 『ぜってぇ救えないだろ……』と思わず感じてしまう深い断絶に、全力の走りで飛び込み孤独に取り込まれた魂に体当りして、救われべき人を正しく救っていく結末を熱く燃え上がらせるためには、もはや一人では闇から這い上がれない重たさをたっぷり描くのは必須ね。
 それにしたって重いけどね……マジどうにかしてくれトプロ、お前が頼りだ主人公。

 疾走と勝利に喜びを感じるアヤベにも、誰かに支えられて走りつつなによりも、自分が走り負けたくないと気づいたトプロと同じ魂が、確かにある。
 でもそれをアヤベは認めず、ウマ娘として生きている自分を否定することで、死んでしまった妹と近い場所に自分を置こうとする。
 それはとても苦しい生き方で、でも止めようとしないのは、自分が忘れ離れててしまえば妹は本当に死んでしまうのだと、思いこんでいるからだと思う。
 生きている実感が走りの中強くほとばしる存在が、自ら孤独な死に近づいていくのは摂理を逆さに歩く道程で、その無理がアヤベを蝕むから、彼女の足は壊れていくのだ。

 

 『思い込み』と書いたけども、死はあまりにも重たい真理だから、忘れれば死者は本当に消えてしまうというのは一つの事実だと思う。
 でもそうやって誰かのことを覚えているのが、たった一人だけだから辛いのではないか。
 妹の御霊を独占する後ろ向きな独占欲が、自己犠牲の快楽を加速させてはいないか。
 アヤベの苛烈主義には、そういう哀しみが強く滲む。

 なら誰かに預けてともに悲しみ、ともに走ることでしかアヤベの重荷を降ろさせ、妹の魂を真実活かし続ける道はないと思うけど、すっかり孤独に飲み込まれたアヤベはそういう正しさを、自分に許さない。
 ならば最も正しく眩しいウマ娘が、走りの中で自分の存在を、湧き上がる本能を思い出させ、死に魅入られた少女がしがみついて離さないその魂を、半分背負う資格が自分にあるのだと教えるしかない。
 トプロが菊花賞で勝つのは応援してくれるヒトに報いるからであり、己の中で燃える本能に向き合った結果であり、そうすることでしかもう、アヤベを闇から引っ張り出せないからだ。
 最終話に向けて、勝負にどういう意味がわかるかしっかり鮮明になってきたのは、とても良いと思う。
 自分の中の暗い部分に向き合い、涙をたっぷり絞り出してなお前を向く光こそが、このお話の主人公の本質であり武器なのだと、説得力のある展開で良かった。

 同時に救われるべきアヤベが手前勝手に暗い場所に沈んでいるのではなく、むしろあまりにも優しすぎるからこそ死を忘れず、死者のために走っているのだと、強く示したのも良い。
 その優しさは正しいけども、生きてしまっている以上隣で一緒にしんでいくのではなく、生き様の中で死者の御霊を新たに蘇らせる道しか、生者には許されていないと思う。
 そうしてる本人が、あんまりにも走るために生まれてきた優れたウマ娘で、何も背負わない純粋さで勝利を求めているのなら、なおさらなことだ。

 息荒く駆け抜け忘我の果てを目指す本能と喜びこそが、様々な思いと事情を抱えつつもそれに潰されず、何よりも早く、ウマ娘を走らせる。
 トプロとアヤベの明暗に照らされて、ウマ娘の”ウマ”の部分が強く脈動し始めたのが、僕は嬉しい。
 人間の形を取って社会に馴染み、言葉を通じて思いを通わせることが出来るヒトの部分も好きなけども、僕はウマが言葉も通じずただただ突っ走る、その勇姿だけで人間の心を動かしてしまう、ある種暴力的な部分こそが、僕は好きだから……。
 『ウマ娘は、”ウマ”だし”娘”だ』って欲張りな設定を、短い話数にギュッと濃縮して感じさせてくれるのは、やっぱ凄いし良いことだなと思います。

 

 罪悪感に否定し続けても、けして消えてくれないその律動を、アヤベが思い出す契機はもはや、走りの只中ににしかない。
 そこに飛び込んでいける資格は、皆が憧れ皆に輝く、誰よりもウマ娘らしいウマ娘にこそあるのだと、お話は示した。
 正しくあることに必ず付きまとう白々しさを、ウマ娘ナリタトップロードの特性としてしっかり見据えて、それを越えて彼女だけの真実はずっと陰りなく輝き続けるのだと、物語の中しっかり示してきた。
 そういう正しく強く、とても優しいものが、優しいからこそ死者を忘れず、死に近づいて囚われる少女を助けないなら、この世に救いなんぞありゃしねぇ。

 歴史に約束された結末へと物語を導きつつ、己だけが語りうる真実としてその勝利へと、力強く駆け抜けていく。
 4話でやり切るにはとても難しい結末へ、大きなうねりと納得を導くだけの滑走路はここまでの三話、見事に整えられたと思います。
 頂へ至る道をこの物語が、どう駆け上がっていくのか。
 そうして示された輝きが、僕の心をどう揺らしてくれるのか。
 次回も大変楽しみです。