イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第5話『僕らははぐれた』感想

 変人たちが織りなす凸凹青春絵巻。
 僕ヤバアニメ第5話である。

 グループ分けでワチャワチャしたり、恋バナを盗み聞いたり、雨宿りに体温と湿度上げたり、校外学習に心躍ったり。
 京ちゃんと山田が身を置いてる、結構忙しい中学ニ年生の日々をスケッチしつつ、ちょっとずつ変化していく心の距離感をそこに焼き付けていく回だった。
 ハタから見てりゃちっぽけな波風に、過剰にグラグラ揺れる思春期ハートを見守るのもまた楽しく、まったり良い味わいだったと思う。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第5話から引用

 グループ分けから二つほど寄り道を挟み、六人で漫画の現場に足を運んで帰ってくる今回、カメラは京ちゃんと山田の青春にクローズアップするだけでなく、彼らを取り巻く人々がそのうねりに巻き込まれる形で相互に繋がり、仲良くなっていく様子も描く。
 ここら辺、原作では連続していたグループ分け回と校外学習回を再構築し、間を置くことで変化が見えやすくなった再構築が、なかなか面白いところだけども。
 山田周辺に蠢く友達の友達、あるいはゲスい会話に耳をそばだててる程度の知り合いが、校内イベントを通じて、あるいは漫画という共通の話題で繋がりを得ていく。
 怪物を心の中に飼う思春期モンスター、市川京太郎が山田に恋することで自分と世界のあり方を見つけていくお話として、小さいながらもだからこそ大事な社会性を、特別な女の子以外とも掴み取っていく描写の積み重ねは、結構好きである。

 グループ分けという初期状態から、秋田書店行ってバキの生原稿に感動して距離が縮まって、親しげに話し軽口も飛んでくる結末に到るまで、京ちゃんは色々身悶えしつつも不器用な気遣いを振り回し、それが良いところにハマってなんとなく、いい関係が生まれていく。
 この潤滑油として”漫画”が持ってる強さを信じて秋田書店に見学に行かせる所、『のりお先生は本当に、マンガとチャンピオンが好きなんだな……』って感じで好き。
 テストの点数を偽ってでも『ここはバカグループ』という空気を作り、揉めそうなグループ分けを平らに均して、自分を山田のそばに置く身悶えは、『僕は心の病なんだ……だから他人や世界と上手くやっていいけないんだ……』という京ちゃんの思い込みが、考え過ぎ……とはいかないが、致命傷ではないことを示している。
 京ちゃんは自分を陰キャでぼっちのイカレ人間と思いたがっている(ことで、上手く世間に馴染めない自分を慰撫し保護している)けども、調子外れながら空気を読もう作ろうと頑張っているし、それはしっかり効果を出す。
 まぁ、やや自爆気味だけども。

 しかし市川が場をまとめるためについた嘘を、山田はしっかり解ってくれていて、彼の努力を無駄にしないように小声で『私(だけ)はわかっているよ』というサインを出す。
 ピュアすぎる京ちゃんは、折り畳み傘の暗号とおなじくその囁きの意味をうまく受け取れないけども、人格の根っこがいい子なので致命的な勘違いはしないし、自意識過剰の思い込みと律してる恋心は、ガッチリ山田のそれと共鳴もしている。
 幸せな結果オーライが京ちゃんのナイーブな青春を守ってくれているのは、このお話をラブコメとして楽しめる大事な足場だなと思う。
 郊外授業を通じて心のハードルが下がった小林さんが投げつけてきた軽口を、過剰に受け止めてガツガツ傷ついてしまうけど、それもまたどっか良いところに転がっていくのだろう。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第5話から引用

 そうやってお話に体重を預けられる主柱は、やっぱり京ちゃんと山田の心がどう触れ合い変化していくか、じっくり積み重ねる手付きにある。
 折り畳み傘がなくなったと嘘付いて、見つけられたら壊れてると嘘付いて、それでも京ちゃんのカッパを着てみたかった少女の心には、なにが眠っているのか。
 コマ割りの魔術で感じ取らせる原作に比べ、アニメはかなりダイレクトな補助線を引いてわかりやすくはなっているが、同時に過剰なモノローグに代表される京ちゃんの肥大化した自意識には、そういうミステリ難しすぎる様子もしっかり描いている。
 自分の考えだけがパンパンに詰め込まれ、ウェット&メッシーでフェティッシュな雨中の零距離戦闘に体温上がる主観的な世界の端っこで、確かに息をしている大事な誰か。
 分からないからこそ分かりたいそういう存在が、一体何を考えているのか。
 まだまだ幼い京ちゃんには、なかなか分からない……という話では、実はない気もしている。

 コミカルに味付けされ共感を呼ぶよう描かれつつも、京ちゃんが自分を『イカれたサイコ野郎だ、世界に馴染めなくてもしょうがないんだ』と考えるに至った無力感とか絶望とかは、人間捻じ曲げるに足りる大きな衝撃だ。
 それは自分のことも世界のこともよく分からず、分からないなりに突っ走ることしか出来ず、滑稽に切実に何も見えないまま暴走するしかない、獣たちの情景だ。
 それは自分以外の存在と根源的に繋がれず、だから自分のこともなかなか理解できない人間種が、だからこそ他人を鏡に求めることでしか何かを知り得ないという、認識の根っこに関わってると思う。


 好きになったから知りたいと思い、恋バナに耳をそばだてカッパを貸す。
 『開いて、入れる』という背徳感に興奮しながら、体温上げつつ財布をポケットに入れる/入れてもらう。
 憧れの生原稿に瞳をピカピカ輝かせ、その情熱と純粋に心の何処かが動く。
 自意識と性欲と恋心でパンパンになった視界からは見えない、山田の嘘と動揺を丁寧に切り取りながら、お話は中学ニ年生の狭くて熱い主観を主軸に、元気にゴロゴロ転がっていく。
 そのままならなさとか無様さ含めて、その狭さと熱さと見えなさこそが運命を前に進めていく強い力を生むわけで、京ちゃんの可愛い勘違いと山田の健気な嘘が何気ない情景の中、どしどし積み重なっていく手応えはやはり好きだ。
 自分が目ン玉キラキラさせてバキ大好きボーイやってる無防備も、それを山田に窃視されてまた一つ恋が前に転がってる事実にも、京ちゃんがまーったく気付いてない所がピュアで好きよ。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第5話から引用

 そしてその見えなさは、他人の実像を見落とさせて悪いイメージで塗りつぶしたり、うっかり連絡不足で二人を飯田橋に置き去りにしたりもする。
 これが一大事なのは彼らが、電車は日常的に利用しつつも土地勘のない場所に取り残されると対応がわからない年頃だからだ。
 京ちゃんは山田の大人っぽさに憧れているし、その山田はまだまだ子どもな不自由に泣きじゃくるし、色々出来ないことがたくさんある中学ニ年生の現状を、結構大事に転がしてる話だと思う。

 よく知らない同士グループになるのが不安だったり、やらされてる校外学習が身になるか信じられなかったり。
 蓋を開けてみればいい結果が手に入るのに、知らぬことばかりだから、心が不安定に揺れている。
 そういう小さな怪物たちの道が、結構明るく拓けていると示す回でもあったと思います。
 京ちゃんと山田のラブコメとだけ考えると、こういう横幅広い世代描写はあんまいらないのかもしれないけど、実際に飛び込んでみるまでの身構えとギクシャク、通り抜けた後生まれる新しい風が描かれてみると、二人が身を置いている場所の手応えがより生っぽく、気持ちよく伝わってもくる。
 そういう所が好きなお話だ。

 他人を勝手にジャッジして、自分にブレーキをかけることで嘲笑われるショックを軽減しようとする、先回りの卑劣さ。
 そういう怪物も心の奥底から湧き上がってくるけど、日常に潜む小さな冒険がちょっとずつ、新しいことを陰気で優しい少年に教えていってもくれるだろう。
 さて、見知らぬ駅に取り残された二人の奮戦はどんな輝きを生み出すのか。
 次回もとても楽しみです。