イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP:第4話『想いはひとつ』感想

 三強相打つクラシック戦線、最後の一冠菊花賞
 栄冠の行方、輝きの果てを描き切るRTTP最終話である。
 大変に良かった。
 Aパートでトプロの迷いとそれを打ち払うオペラオーの輝き、アヤベの影に差し込む眩い光をしっかり書いて、Bパートは丸々レースとエピローグの余韻に。
 今まで描いてきたそれぞれの苦悩と輝き、躍動と疾駆を支える人たち全てを豊かに描ききり、エンドマークの先へと豊かに広がっていく、見事な最終話だった。
 99年三強戦線に的を絞り、ギャグ成分を控えめに濃厚なドラマを展開して走りきった四話は、話数以上の熱量と充実感を有していた。
 悲しき史実を祈りで越えていくウマ娘イズムも最後に輝き、しっかり話をまとめながらなお続いていくその先へと、見ているものを導いてくれるアニメでした。

 

 というわけで出走前、兎にも角にもトプロが眩しい!
 生まれ走ることが出来なかった星を、闇に身を沈め続けることで自分だけは見つめ続けるアヤベの宿命。
 これを切り裂き未来へと手を引く説得力は、人間なら当たり前に持つ迷いを振りちぎってただただ真っ直ぐに、諦めず生き続けることで生まれてくる。
 光の表現がとても印象的なアニメであるが、闇こそ己の居場所だと自分を閉じ込めているアヤベが、だからこそその輝きに惹かれてしまう眩しさの具現として、トプロをとにかくピカピカさせてたのは良い演出だった。
 それはその走りによって僕らを魅了する、競走馬という存在そのものの光でもあろう。

 とはいうもののトプロも無条件に輝いているわけではなく、散々迷って負けて泣いて、その上で誰かに背中を押されて真っ直ぐ顔を上げて、眩しい星になっていく。
 輝きの起爆剤となるテイエムオペラオーは、弱さに共鳴するのではなく必勝の未来を信じ切る背中で、トプロを曇りのない輝きへと戻していく。
 前代未聞の大覇道に裏打ちされて、オペラオーが見据えている眩い勝利への確信は、トプロに自分だけの道を見つけさせる導きとして、しっかり説得力を持つ。
 それは揺るがぬ自身の奥でどれだけ汗を流しているか、的確に描いておいたのが効いていると思う。

 僕はウマ娘のお耳が感情の表出帰還として、時にヘにょんとしおれる描写が大変好き(なので、トプロはよくお耳へにょへにょして可愛かった)が、オペラオーの耳は曲がらない。
 主演を務める最高の舞台で、常勝の覇王を演じ続ける責務を彼女は自分に任じている。
 その誇り高い姿勢が世界に輝きを増し、誰かが明日を生きるチカラになると強く信じている。
 実力と実績が伴わなければ妄言で終わるが、実際彼女はオペラオー劇場を実現してしまうわけで、その前駆でもあるクラシック戦線において、その精神は既に完成されている。
 ここにいたるまでの微かな身動ぎを第1話で見せてくれていたのが、このビッグマウスが空回りしない、大事なグリップになってるなぁ、などと思う。

 

 オペラオーの揺るがぬ姿勢は、トプロの迷いを消し飛ばし、彼女本来の道へと立ち返らせる。
 皆に愛されただ真っ直ぐに、己の道を駆け抜けていく。
 王道ウマ娘の眩い光は人が生きる力そのものであり、だからこそアヤベはそこから自分を引っ剥がして、死んだ妹のいる根の国に近い場所へ、孤独に痛ましく沈んでいこうとする。
 第1話においては振りほどかれた手のひらを、幾度も追いすがってつかみ取り、自分の方を向かせる、堂々の宣戦布告。
 ウマ娘が走るために生まれた動物である以上、己の存在証明を叩きつけて生き様を変えるためには、極限の勝負が必要になる。

 生きて走って心ときめかせる自分と、妹だけを見つめ哀しみに沈むべき自分。 
 アヤベは光と闇、生と死の間に立ち続けるわけだが、死人である妹は常に姉が生き続けること、思うまま走ってライバルと心通わすことを願っている。
 自分だけを見て勝利を献身的に捧げる、弔いの花のような生き方を望んでいる(望んでいると思いこむことで、孤独な献身を守ろうとする)のは生きてるはずのアヤベだ。
 生きてしまっている自分が唯一捧げられる贖罪としてアヤベは走るが、しかし優れた資質と闘志はその走りに生きるがゆえの脈動を与え、他人の心を揺るがす。
 トプロが負けてなおその走りに惹かれ、幾度も挑み次こそは勝ちたいと願う引力こそが、アヤベが今まさに生きていることの証だ。
 これをトプロは闇の中眩しく光る星として最終回、全力で叩きつけてくる。

 アヤベの拒絶と孤独はジレンマの産物であり、観るものを思わず魅了するほどに生き生きと走れるのに、そうするほどに妹に顔向けできないと、自分の可能性から自分を引き離した結果だ。
 アヤベはトプロを、今にも消えそうな妹への思いをかき消す強い光と捉えていたが、その眩しさは優れたウマ娘として、走る中生きる中輝いてしまう、自分自身からも発せられていたのだと思う。
 それは『生きたい』と願う生物当然の願望で、しかしそこに溺れてしまえば妹は本当に消えてしまう……と、アヤベはひとり思いこんでいる。
 傷や痛みに手を添え、健気なルームメイトが自分に捧げる祈りに気づいていながら、そういう優しさに素直になることを、己に許さない。
 この窮屈さから抜け出したいと思うからこそ、トプロが闇を切り裂いて自分に近づいてくる時その視界は揺れ、言いたいこと言って真っ直ぐ自分の道を進んでいく彼女が手を話しても、温もりの残る残影を握りしめたままなのだろう。

 

 迷いながらも人として全力で生き、走れる光のウマ娘と、影に身を置き自分だけに己を捧げながらも、誰よりも強く優しく生きたいと願っている闇のウマ娘
 太陽と月の双子が相うつ決戦の場は、クラシックレース三冠最終戦菊花賞である。
 ここは作画力の唸りどころ、どっしり時間を使ってゲートインまでのやり取り、堂々たる優駿肖像画、長丁場のレースで生まれうる駆け引き……絞り出される魂の全てが、力強く躍動していた。
 少女らしく小さく震え、ライバルの一言に心を整え、今堂々三強揃い踏み。
 軽口を交え、かけがえない共演者に全力を出させ堂々勝負しようとするオペラオーも、自分を影に沈めつつもトプロが横に並んだとき、闇を引きちぎって光の側に進んでいく(進んでいってしまう)アヤベも、大変良かった。
 アヤベさんは妹と一緒に死んでいる”べき”自己像で自分を縛っているわけだが、この義務感を本能が裏切って光に踏み出してしまう瞬間が結構あって、トプロが持つ引力の強さ、アヤベさんの生きたさが上手く絵になってるアニメだと思った。

 トプロは後半勝負をかける自分のスタイルを長距離でも譲らず、結果菊花賞は探り合いのスローペースで進んでいく。
 史実どおり馬群に沈んでいくアヤベであるが、そこで彼女は赤黒い闇を抜けて妹と出会い直し、死すべきものが正しく去っていった寂寥と、その闇を引き裂いて自分を導く星を観る。
 その極限に彼女を導いたのは、幾度破れても自分だけの王道を諦めなかったトプロの走りであり、激戦こそがウマ娘に自分と世界の真実を見せる。

 妹を思う時、アヤベを包囲する水は冥府の河であり、妹と二人きりでいれた時代の羊水でもあろう。
 ライバルたちの光は死に囚われ真実の自分を見れなかった、見ないことで消えていく妹を見ようとしたアヤベを、今走り生きている現実へと引っ張っていく。
 史実においては競走馬人生を絶たれたこの菊花賞、妹が運命をもって去っていくことでアヤベは、ウマ娘がフィクションだからこそ許される”もし”へ……終わりの先へ続いていく彼女だけの生へと、おそるおそる踏み出していく。

 その眩さは彼女が恐れていたように、妹を永遠に葬り忘れることとイコールなのだろうか?
 そうではないのだと、トプロが炸裂させる眩い走りが、そこに躍動するむき出しの命が、力強く告げているから、彼女は星に惹かれて戻ってきたのだと思う。
 走り生ききる中で、生まれることも走ることも出来なかったはずの妹の存在がけして消えないのだと、証明すること。
 アヤベの”もし”には、人が死を超えうる唯一の抵抗が宿ることになるし、トプロをあれだけ引き付けたこれまでの走りが、その奮戦の意味を既に証立てていると思う。
 人は生きてしまっている以上生きることしか出来ないし、ウマ娘にとって走ることは生きることだ。
 まだ光の方へと続いていく疾走の果てに、もう一度妹と逢うことも、必ずあるだろうと、僕は祈る。

 どれだけ自分を孤独に追い込んでも、死に近づけても、闇に染まりきらない輝きがアヤベの中にはあって、だからこそトプロは彼女を目標に走り続けた。
 この菊花賞、自分が知らぬ内発してきた光を、トプロがアヤベをようやく負かすことで、アヤベに届ける勝負だった……とも言えるか。
 そういう形でアヤベが確かに持っていた優しさを、真っ直ぐ抱きしめられる形で手渡してあげるまでのお話だったこと……激しくも優しい物語だったことが、このアニメで一番好きなところだ。

 というわけで、全霊でアンタの勝利と開放を祈り続けてきた麗しきルームメイトに、全霊で報いる時間がスタッフロールの後アヤベさんを待ってんだよッ!!
 四話という長くはない尺で、三強それぞれの生き様、走りに宿る強さを描ききった演出力が、結果カレンチャンのヒロイン力を高めすぎて『この子が報われねぇの嘘だろッ!!』と思わせたのは、ある意味不慮の事故というか。
 でもカレンチャンは一切の見返りを求めず、ただただアヤベさんがより善く生きられるよう祈っていたので、誰が彼女を鎖から解き放つかは、そこまで問題じゃないんだろうな。
 そういう意味では、トプロという主人公が史実の結果を引き寄せれる特権を最大限行使して、しっかり一つの物語を終えてくれたこと、史実を超えた結末へとアヤベさんを押し出してくれた事自体が、カレンチャンへの救いなのかもしれないね。

 

 というわけでRTTP全4話、大変楽しかったです。
 無駄を削ぎ落としつつも食い足り感じのない、むしろ濃厚なドラマとキャラクター性をたっぷりと味わい、三強の強さと迷いを様々に焼き付けながら、激しく駆け抜けてくれる作品でした。
 仕草の作画に豊かさと強さがあり、どういう感情がこのふるまいに込められているのか、分厚いメッセージ性を常時叩きつけてくる演出方針が、上手く物語を圧縮していたと思います。
 レースシーンにも力の入った演出が惜しみなく投入され、走る動物としてのウマ娘の迫力、そこから沸き上がる不定形の感動が、アニメーションからしっかりと伝わってきました。
 ”娘”だからこそ生まれる感情のぶつかり合いをドラマパートでしっかり作りつつ、”ウマ”の持つひたむきな動物性も大事に、作品を燃え上がらせる主燃料として使い切ってくれたのは、見ててアツくなれて良かったです。

 四話という尺の中に、これ以上ないほどの手応えを豊かに有し、見ているものを楽しませ奮い立たせてくれる、とても良いアニメでした。
 こういう描き方でアニメを作れると、ウマ娘というコンテンツが今後発展していく手筋も豊かに増えて、ここから先何が見れるか、期待も膨らみます。
 見事なフィナーレを走りきったこのアニメの、その先にまたあるだろうドラマを楽しみにしつつ。
 楽しかったです、ありがとう!!