イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U-149:第8話『綺麗になるためにはくもの、なに?』感想

 夢に向かって少しずつ、輝く場所に近づいていく小さな星達の物語。
 第8話は控えめお裁縫少女佐々木千枝ちゃんが、プロの現場で勇気と笑顔を学ぶ回である。
 第1話でも冴えた腕前を見せていた、片岡史旭の繊細なコンテ・演出に支えられる形で、彼女が何に思い悩み、何を願う人なのか、成長物語の背骨となる部分がしっかり描かれていた。
 憧れの大人となる桐生つかさの描き方も、社長でアイドルで女子高生という過積載なキャラ付けを見事に使い切り、無敵でも完璧でもないけどそれを目指して背筋を伸ばす、誇り高い生き様がしっかりと刻み込まれていた。
 彼女がプライドある生き方をしてくれることで、それに後押しされて一歩を踏み出す千枝ちゃんの歩みにも説得力が宿り、お互い震えながらも誰かを笑顔にするために”アイドル”やる意味が、喜ばしく形になっていく。
 自分たちがテーマに選んだものが、何故優れているのかを鮮明に描くのは創作において相当大事だと思うし、これをキャラクターとドラマに合わせて個性豊かに削り出すことがエピソードと作品の魅力にもなる。
 最高の距離感とタイミングで助け舟を出したプロデューサーの描き方と合わせて、全体的に良く整った、叙情豊かなお話だったと思います。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 最初に全体像を俯瞰してしまうと、今回はアバンで裁縫できなかった仁奈ちゃんの尻尾を、佐々木千枝が自信を持ってEDで繕えるようになるまでの物語だ。
 失敗するかもしれない、それで大事な友達を傷つけてしまうと思い悩んで一歩を踏み出せなかった千枝ちゃんは、友に手を惹かれプロデューサーに勇気づけられ、憧れのお姉さんと肩を並べて挑んだ仕事を通じて、自分に何が出来るのか、何がしたいのかを学んでいく。
 結果伏せられ曇っていた視線は真っ直ぐ未来を見据え、心からの笑顔を浮かべられる自分を掴み取っていく。
 このポジティブな結末が心に染みるのは、佐々木千枝には何が出来ないのか、何が課題で克服するための力はどこに宿っているのか、しっかり示す絵筆に支えられている。

 彼女にどんな強さと弱さがあるか……それが裏腹に張り付いて、”佐々木千枝”というキャラクターを産んでいるかはアバンでしっかりと示され、今回の主役がしっかり挨拶してくれる所からお話がスタートする。
 ちびっこギャング達が好き勝手絶頂に遊び倒す(最高)中、千枝ちゃんは目立たぬ片付けを丁寧にやって、皆が気持ちよく過ごせる下地を整えている。
 前に出るより裏方、手を使って誰か(あるいは何か)をケアする行為に適正と興味があり、それは傷つきやすい自分を守るためのセルフ・ケアでもある。
 この場では一番お姉ちゃんな小春ちゃんが、傷心の仁奈ちゃんを抱きしめている場面は最高中の最高であり、第3芸能課に育まれた小さな優しさが少女の一歩を後押しする展開は、こういう何気ない情景を燃料に暖かく燃える。
 千枝ちゃんも大事な友達が傷ついたらそれを繕いたいのに、小春ちゃんのようにダイレクトに手を差し伸べるのには、二の足を踏んでしまう。

 この逡巡を踏破し、鏡に写ったなりたい自分へ実像を近づける勇気と実績を、佐々木千枝はアバンとEDに挟まれた本編で獲得していく。
 ドレスを誰かのために用意するだけではなく、自分が身にまとって輝き、笑顔を広げたい。
 そういう夢を真っ直ぐ見るための姿勢は、実は傷ついた誰か(あるいは何か)をケアするために対象をよく見る視線と重なっていて、誰かのために頑張れる千枝ちゃんは、自分のためにも頑張れる千枝ちゃんになっていく。
 そうやって生まれる自己肯定と自己実現は、アクシデントと震えがつきものの”仕事”をしっかり描けばこそ、硬い芯が一本入っていく。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 今回はとにかく手がよく喋る回であり、裁縫という手仕事をキャラクター性の柱にしている千枝ちゃんメイン回として、適切なフェティッシュ選択だと感じる。
 少女の手は何かをつかもうとしては中空にさまよい、誰かの手に惹かれる形で前に突き出されて、憧れを掴んでいく。
 何事も控えめ気弱、後押しされなきゃ前に進めない弱虫なのかと思いきや、千枝ちゃんの手のひらは傷ついたり困っている人を前にした時、自発的に力強く前に進む。
 その手のひらは何よりもまず、震えや傷をケアするためにあって、みりあちゃんにお水を差し出す時に躊躇いはない。
 困っている誰かのためには進んで手を伸ばせる自分が、色んなことに怯えて手が伸びない自分と共存している事実を知ることが、今回佐々木千枝が進む冒険の主題だ。

 それは第3芸能課の子どもたちみなの美質でもあって、千枝ちゃんが控えめで素敵な子だとたっぷり知っているみりあちゃんと小春ちゃんは、友達が運命のステージに進み出せるようしっかり手を伸ばす。
 第3話で圧倒的な”才”を見せつけた赤城みりあ、第7話で独特の世界観と目指すべきアイドル像を描いた古賀小春と、すでに自分の物語を終えて頼もしい彼女たちが、千枝ちゃんが小さなシンデレラになっていくための素敵な妖精として、心地よい存在感を見せていたのも、今回良かった。
 手と同じくらい眼……正確に言うと眼の不在が今回の演出では重要視されていて、千枝ちゃんは未来を見据え意志を示す瞳を、とにかく書かれない。
 何に怯えているのかすら不鮮明な、顔の上半分を大胆に切り飛ばすレイアウトが多発して、少女の不安を強調してくる。

 自分を見つめることが難しい少女のかわりに、佐々木千枝の良さを見つけてくれる他人/大人代表が桐生つかさであり、彼女への憧れに導かれる形でエピソードは前へ前へ進んでいく。
 アバンでひっそり描かれた、目立たぬ場所でも丁寧にモノやヒトをケアできる強さをJK社長は的確に見抜いて、仕事仲間にしっかり信頼を置く。
 何かと大人のどす黒い部分が強調されがちなこのお話、失敗はするけども頼りがいはあり、自分が果たすべき責任と他人の善さをしっかり見つめて、背筋を伸ばして進んでいく桐生つかさは、大変透明度の高い”いい大人”だった。
 やっぱさぁ……絵に書いたようなゴミクズ大人の暗さで、ピュアな子供の光を際立たせる対比の作りより、両方ビッカビカに輝かせて相乗効果で眩しい作りのほうが俺ァ飲みやすいな。

 視線を伏せ、鏡面に怯えがちな自我を反射させる佐々木千枝の未来を、幾重にも塞ぐ縦のレイアウトを一気に開放するのは、いつでも自信満々……であることを、沢山の人を背負った己の責務であると正しく認識している”アイドル”である。
 レイアウトと動きの意図を汲みやすい、暗喩と象徴に満ちた画面作りが鮮明だったのも、今回のエピソードを飲み込みやすい大きな理由だと思う。
 千枝ちゃんは進み出したいのに足が止まってしまうアンビバレントに、尻尾を繕えなかったアバンからずっと縛られていて、それが仲間に手を引かれて挑んだこの仕事で、目指すべきロールモデルに出会うことで開放されていく。
 閉ざされたものを開き、豊かに花開いていく変化のカタルシスは、同時に封じられていた真の自分に出会い直す再生のカタルシスでもあって、千枝ちゃんは今回前に進むと同時に、後ろに下がってなりたい自分を取り戻すのだ。
 その導きになるのが、”いい大人”である桐生つかさとプロデューサーである。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 思わぬアクシデントにより衣装は傷つき、誰かの手によるケアが必要な状況になる。
 つかさは自分が引き起こしてしまった事態に震えつつも、子どもらと部下が自分を見つめている状況に対して一発頬を貼り、頼れる自分を演じることを決める。
 パワフルに突き出された拳にバンプを返すのでなく、そっと両手で包んで震えを自分で確かめるのが、佐々木千枝らしいおしとやかさだ。
 おずおずと、慎重に丁寧に両の手で何かを受け取り、手を当ててぬくもりを伝える。
 この仕草は佐々木千枝を象徴する動作として幾度も顔を出し、彼女の根本が何かを受け取り手渡す”手仕事”にあることを強調していく。
 瞳を伏せがちな彼女は視覚ではなく触覚によって、無敵に見える大人のお姉さんも自分と同じように震え、自分とは違ってそれでも前に出る勇気を絞り出し、”大人”を演じているのだという事実を、自分に引き寄せていく。

 しかしその手応えは彼女を前に押し出す決定打にはなりきらず、暗い柱の陰で立つすくむことになる。
 ここで隣には座れず、具体的で決定的なアドバイスを言葉に出せないのが、この作品のプロデューサーの間合いなんだと、第8話にして得心もした。
 今回の”仕事”が成果がなかなか出ない焦りを背景とし、サクセスを積み重ねて舞い込む課題がどんどん変質していくカタルシスよりも、じっくり同じ地平で各キャラクターの課題を彫り込んでいく姿勢を重視して描かれてるのと合わせて、今更ながらU-149のアニメのサイズ感を、自分の中に納得した感じもある。
 ホップ、ステップ、ジャンプで第3芸能課全体がグイグイ前に進んでいく気持ちよさよりも、一歩ずつ九人の歩みを横に並べて、最後に初ステージで総まとめする構造……なんだろうなぁ。

 

 クリティカルな言葉を見つけられない(作品の歩調に合わせて、そういう覚醒を許されてない)プロデューサーは、不格好なうさぎをハンカチで作って、なんとか勇気を手渡そうとする。
 『ここで光と陰の境界線を越えられない、越えさせてもらえないのがU-149のプロデューサーなんだな……』と、ドラマ自体とはそこまで関係ない発見があったシーンでもある。
 このアプローチが、千枝ちゃんが得意とする”裁縫”に通じている所が、テーマとモチーフの統一性を感じられて好きだ。
 何かを繕い、何かを生み出す手の力は千枝ちゃんだけの専有品ではなく、誰もが生み出せる豊かな可能性であり優しさだ。

 それを受け取った時、千枝ちゃんはニカッと彼女らしくない、お行儀が良くない笑い方をする。
 それがらしさの檻をようやくぶっ壊した……ぶっ壊す手助けを、なにかとフラフラキャラがブレて安定を許されてないプロデューサーが出来た感じがあって、僕はすごく好きである。
 彼は子供の目線に膝を曲げて、少女が影から出れる助けを差し出し、立ち上がった子どもに背丈を追い抜かれる。
 それがこの物語でも彼の”仕事”であって、光の方へと進み出していくのはあくまでアイドルの自発性起因だ。
 それでも彼の不格好なアプローチがあってこそ、今回千枝ちゃんはなりたい自分へと進み出し、誰かの傷に手を触れて繕い、笑顔を広げる”アイドル”になれる。
 その確かな手応えが、見ていて気持ちのいい感慨を生むのだろう。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 千枝ちゃんはようやく真っ直ぐ顔を上げて、裁縫という自分の強みを誰かのために差し出し、破綻しそうな状況を作ろう未来に手を伸ばしていく。
 この決断をみりあちゃんと小春ちゃんが確認して嬉しそうに笑い合うのも、怯えを乗り越えて踏み出す勇姿をつかさが見届けているのも、大変最高である。
 やっぱなー……クズカスどもが全然ケアしなくても、第3芸能課自体は優しさと愛に満ちたこの世の楽土で、そこに住んでる子たちはとにかくお互いを思い合い、見つめ手を差し伸べ楽しく明るく暮らしている様子を見るのが、このアニメでいっとう嬉しいかもしれん。
 こういう優しく強い子どもたちに、向き合えるだけの義をこの世界の大人ども持ってんのかッ! と叫びたくもなっちゃうけど、まぁ桐生社長みたいな人もいてくれるし、プロデューサーちゃんも今回頑張ってくれたし、『ロリだけが世界の救いだよ~~』みたいな限界感想は、まだ引っ込めておこう。

 手のモチーフの連鎖は遂に千枝ちゃんが針を握って傷を縫う場面に結実して、それで終わらない。
 自分の震えを受け止めてくれた千枝ちゃんに報いるように、つかさが千枝ちゃんの頭を撫でる場面は真心の連鎖が感じられ素晴らしかったし、鏡の中にある夢(それは自分の手で補修し、飾り、生み出した実像でもある)に伸ばした手のひらが、おずおずと力強く千枝ちゃん自身の手のひらによって追い抜かれていく場面の詩情は圧倒的だ。

 シンデレラをモチーフにする以上鏡はエピソード単位に収まらず、U-149アニメ(あるいは文脈内部で否応なく呼応する、遠い昔のデレアニ)全体の強力なフェティッシュだ。
 手を触れられない虚ろでありながら、そこにしかあるべき自分が映らない反射板であり、そこでならどんな夢も叶う魔法の道具。
 そのあやふやで不確かな境目に自分と”アイドル”を照らしながら、千枝ちゃんは今回の物語に背中を押されて、輝く未来に手を伸ばす。
 鏡の中では届かなかった小さな手を、実際の生身が追い抜いてドレスに触れ、ステージが始まる。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 

 今回のエピソードの特別な手応えには様々な理由があるけども、千枝ちゃんの勇気が何を生み出すか、演者側にも観客側にもしっかりリアクションが書かれていて、第3芸能課の”アイドル”がファンを……特に同年代、特別な共感で結ばれていく子ども達を切り取っているのは大きいと思う。
 本番を前にして千枝ちゃんはやっぱり震えながら立ちすくみ、性根というものはなかなかに変わってはくれない。
 ステージの光と闇の前、横に並び立つ特権をプロデューサーは有していて、彼が言葉をかければこそ、千枝ちゃんは前に進み出ることが出来る。
 同時に彼は少女たち最初のファンでもあって、バックステージから観客席に回り込み、手製の兎でエールを贈ることも出来る。

 そして仲間たちの手のひらが、千枝ちゃんが進みたい場所を示す輝く羅針盤となって、ようやく舞台が光に満ちる。
 同ポジを活かして変化を強調する演出も今回元気だが、緊張と恐怖に震えている時の薄暗さから、華やかなドレスも眩しい仲間に勇気づけられ顔を上げた後の眩しさは、千枝ちゃんが顔を上げて見れるようになったものを、上手く浮かび上がらせる。
 暗くて怖くて遠いステージと観客が、お姉ちゃん達が手を伸ばしてくれた後は眩しく近づいてくるという、距離の演出も絶妙である。

 デザイナーとしても凄腕を見せつけていた小春ちゃん、小悪魔笑顔が最The高なみりあちゃんが今、こうして素敵なドレスに身を包めているのは、千枝ちゃんがその手のひらで針を掴み、傷を繕ったからだ。
 そういうホスピタリティに満ちて控えめな、裏方志願の自分がいてくれることで、表舞台に立っても傷つかない紫の戦闘服を、佐々木千枝は手にできる。
 鏡の中と外に分裂していると諦めていた、臆病な実像と夢色の虚像はこうして一つにまとまって、少女の瞳に星が宿る。
 ずっと伏されていた瞳は、確かな夢を見据えて隠されることはもう無い。
 綺麗や……今の千枝はんお花に飾られて、ほんまに綺麗や……。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第8話より引用

 華やかな舞台を成功裏に終え、荒い息を達成感と歓喜にととのえていく舞台裏。
 エピソードで確立したつかさのキャラ性を使い切る形で、子どもと大人がしっかり向かい合い、視線と言葉をかわしていく。
 桐生つかさは仕事仲間に敬意を払う人格の持ち主なので、膝をしっかり曲げて千枝ちゃんと目線を通すし、誘いを断られ一人の”アイドル”として憧れを背負う時、背筋を伸ばしてその視野差を、追いかけていくべき遠さを演じ直す。
 とても特別で優しく強い手のひらを持っているのに自分を信じきれない女の子に向き合う時、そうして遠くにいてあげることこそが責務なのだと、解っているからこその高みである。

 ここでつかさが千枝ちゃんより高いポジションを許されるのに対し、プロデューサーは自分の側に近寄ってもらって、立ち上がった彼女より低い立ち位置にあり続けるのが、この物語における彼の仕事なのだろう。
 暗い場所、低い場所に居続けることでアイドルの……あるいは子どもの特異性を強調するのはこのお話の基本姿勢であるけども、その位置関係を崩すことなく、彼に何が出来るのかをしっかり示した今回の話運びは良かった。
 これはつかさが”アイドル=主役≠あくまで裏方、非主役、プロデューサー”だからこそ出来ること(その集大成が、千枝ちゃんが追いかけるべき星としての威容を取り戻す場面になる)を、しっかりやってくれたからこそ際立つ要素かとも思う。
 こういう感じで話の各パーツが連動し、有機的に有意義に大きな物語を動かしてくれると、見ている側としても手応えと満足感を味わうことも出来る。
 すでに一回危機を乗り越え、”アイドル”として戦える自信を手に入れてるみりあちゃん、小春ちゃんの成長スケッチとしても凄く良くて、強く優しく頼もしい彼女たちがいっぱい見れたのも、最高に良かったな。
 ほわほわしたまんま、相当にお姉さんぶってた今回の小春ちゃんマジでいいからな……。

 

 という感じの、裁縫少女のファーストステップでした。
 メッセージ性の強い画面構成、差異と反復を的確に生かした演出が全体をうまく引き締め、控えめ少女が誰かに手を惹かれ、誰かに手を伸ばして夢を掴んでいく過程を、しっかりと描いてくれました。
 大変良かったです。

 U--149というアニメを腹に収めるために必要な、『このアニメ、こんぐらい』というサイズ感も自分の中で納得することが出来て、色んな意味で実りの多いエピソードだったと思います。
 これで8話、残りはありすと薫ちゃんだけども、橘さんは大トリ担当になるだろうから次は薫ちゃんか……。
 笑顔満点ひまわり少女に、どんな試練と成長が待っているのか。
 次回も大変楽しみです。