イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U149:第9話『あったかいと顔がほころぶもの、なに?』感想

 夏、ひまわりの季節。
 龍崎薫の天真が目を焼く、炎天下のティル・ナ・ノグ……U149アニメ第9話である。
 待ってましたの薫ちゃんメイン回であると同時に、大人と子供の間で窮屈そうにしている橘ありすにフォーカスする回でもあり、クズ大人の中でプロデューサーが孤軍奮闘を強いられている様子と合わせて、クライマックスに向けての事前準備という趣もあった。
 大人っぽいことに憧れ、それで自分を縛っている感じがあるありすが、『宿題おせーて!』としがみついてくる妹分に手を引かれ、重荷を下ろして楽しく過ごす。
 そんな幸せな流動を見守りつつ、自分に出来ること、するべき事をたった一人見つめてなかなか結果が出ないプロデューサーの頑張りが、頼もしくも切ない回だった。
 Pちゃんの働きかけがクリティカル出し過ぎないように加減することで、作品全体やキャラクター個人の進展を調整する作りだと思うんだが、彼が持ってるポテンシャル全部を発揮出来ない、させられない息苦しさと不自然が前に出るのは、あんま好みの食感ではねぇな、やっぱ……。

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第9話より引用

 好きがたくさんありすぎて、何を絵日記にかけばいいか悩む薫ちゃんが主役の今回。
 彼女は楽しいバカンスで課題を見つけて成長していくわけではなく、その長所は家庭や学校で既に種をまかれて芽を出している。
 『元気がいい』という抽象的な長所だけでなく、絵を描くのが好きだったりお料理を頑張ったり、何にでもなりうるし何にだってなれる子どもの強さを、未確定なまま全部背負っている感じもある。
 どんな自分を選ぶか、無限の可能性に笑顔のまま飛び込んでいける軽やかな最強っぷりを、薫ちゃんは自覚しないままぶん回して、どんどん幸せを増やしていく。
 それがピザを作ったり花火でHAPPYを書いたり、全部の好きを詰め込んだ花丸の絵日記を完成させるという、クラフト感覚に満ちた書かれ方をしているのは、統一感があって好きだ。
 『作る』というテーマからPちゃんが蚊帳の外ではないと示すように、薫ちゃんのピザにケチャップで花丸を付け加えて、苦手だったピーマン食べれた思い出を『作って』あげている所とか、かなり良い。

 『プロデューサーさん』から『せんせぇ』へと呼び名が変わる時、薫ちゃんが送った呼び名は、『作る』回になったこのエピソードで一番、心に響く創造物だ。
 自分を優しく見守って、楽しいことをどんどん教えてくれて、可能性を豊かに羽ばたかせてくれる、信頼できる存在。
 薫ちゃんが学校でどんな日々を送っているか、『先生』という存在がどう受け止められているか伝わる表現で、これを戸惑いつつ膝を曲げ両手でしっかり受け止めに行った『せんせぇ』は、子どもナメてなくて偉いなと思う。
 ありすの心を暗くする失敗を、いちごのデザートピザという大成功に代えれるだけの発想力と経験値が年下の薫ちゃんにはあって、お姉さん達に叱られるばっかりのチビだけが、彼女の在り方ではない。
 一瞬一瞬輝き方を変えている、生きた人間としての担当アイドル(であり、保護対象でもある存在)をちゃんと見届けているのは、プロデューサーのとても偉いところだ。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第9話より引用

 そういう生身のよぉ……変貌を遂げてる真っ最中の可能性の塊を前に、きったねぇアゴヒゲなでさすって怠惰と事なかれ主義でテキトーぶっこいてる連中に頭押さえつけられて、それでもめげずにガキども楽しい場所に連れて行ってるPちゃんは、マジで偉い。
 クソ以下の上層部と最高の第3芸能課という、分かりやすい対比は多分こっから先も崩れることなくお話の基本構造で、ゴミがゴミであるがゆえに生まれる(本来生まれなくても良い)試練と取っ組み合い、子どもらに『大人の事情』なるクソみてぇな寝言がはね飛ばないようにPちゃんだけが奮戦する様は、今後も書かれるのだろう。
 ぶっちゃけそれ見てても、第3芸能課もPちゃんもそこまで値段上がらないのであんま良い構図じゃないと僕は思うけども、そういう話なんだからまぁしょうがねぇ。

 信念もやる気もねぇクズをギャフンと言わせてサクセス掴んでも、自分はあんまりスカッとはしない嗜好なんで、今回道を整えたデビューライブはもうちょい別角度から、達成感を受け取れる書き方してくれると嬉しい……かなぁ。
 気合の入ったプレゼンをテキトーに受け流されるプロデューサーも、会社から『子ども扱い』受けてる立場で、それが自分一人ですむように足掻く中、ずーっと子どもら見ている様子が積み重なっていく。

 

 夏の暑さに参っているありす、パラソルの影に沈んで仲間に混じれないありすを、プロデューサーはしっかり見て水を差し出す。
 それは子供扱いでも、彼が言うようにアイドル扱いでもなくて、当然で正当な”人間扱い”なんだと思う。
 自分が受け持つアイドルたちが、人間として持っている可能性。
 その熱量を間近で感じればこそ、なにかしてあげたいと必死に働き、余計な傷を受けず喜びが増えるように、汗を流して必死に働く。

 そんな彼に加勢がなく、ダイレクトにアイドルたちを導く役割も許されないのは、僕的には見てて寂しい。
 ありすの手を引き、勉強得意で大人っぽいはずの彼女が何より苦手な”子どもであること”に連れ出す仕事は、その可能性を誰より豊かに咲かせている薫ちゃんの領分なのだ。
 それでも陽光を反射して輝く彼のアイドルを、Pちゃんはしっかり見ている。
 このまんま『聖域たる第3芸能課 VS クソ以下の世間』という構図に、こじんまりまとまってしまうのもアレかと思うが、動画配信を通じてネットに支持を広げつつある描写が、上手く中間層を作ってくれる……といいな。

 

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第9話より引用

 世知辛さや難しさは都会に一旦置いておくべく、Pちゃんせんせぇが作り上げた一夏の夢は大変に麗しく、天使たちを自由に遊ばせる。
 脳髄に直接アナンダミド流し込まれるような、圧倒的多幸感をズバズバ摂取することが出来て、第3芸能課バカンス回大変嬉しゅうございました……。
 みんなが幸せにしている様子と同じくらい、友達を大事に思いやっている様子がたくさん書かれていて、ますます仲良くますます幸せになって欲しいという気持ちを新たにした。
 このダイレクトな可愛さで脳みそブン殴れるのは、ただただシンプルに強い。

 最年少で手を引かれるばかりと思われていた薫ちゃんが、大人ぶったありすの手を引き料理を教え、大演説をぶちかまして未来に希望を繋ぐ展開は、気持ちのいい逆転だった。
 『宿題を教えてもらう側が、年上の手を引いたって良いんだ』という公平と自由が、薫ちゃんを主役に作品に宿ったのは凄く良くて、こういう気持ちのいい裏切りを今後も色んなところで見たいなぁ、と思う。
 恐れることなく新しい体験に飛び込み、仲間の手をひく積極性が彼女の持ち味で、頼れる薫先生としてピザ作りを指導したり、それでもピーマンはなかなか食べれなかったり、その多彩な輝きを教えてくれた。
 最初は子どもっぽくはしゃぎ倒す夏に当惑していたありすが、燃料切れるまでたっぷり楽しんで、そうさせてくれた年下の薫ちゃんにちゃんと感謝を伝える所も、普段ツンツンしてる橘さんの地金が解って、とても良かった。
 やっぱ主役に選ばれた子がどんな子なのか良く解って、濁りなし100%で好きになれる話が良いな、俺は。

 子どもらのサークルから一歩引いた所で、プロデューサーは彼が担当する宝石たちを見守っている。
 薫ちゃんと話す時、対等どころかより下の位置まで膝を曲げて目線を合わせるようになったのは、ずっと彼にしてほしかった仕草なので大変嬉しい。
 家庭や地域からは優しい(正当な、当然の)助力を得れている子どもたちだけど、仕事になると極端に味方が少なくなるので、今回Pちゃんが企画から準備監督、実行運営まで全部背負い込んで幸せな時間を手渡しに行ったのは、特別な頼もしさを生み出してくれる。
 それを肌で感じたから薫ちゃんは彼を”せんせぇ”と呼んで、手を引いて仲間の輪に加えようとしたのだろう。
 この唯一絶対の特別感は、誰も少女たちを見つけず手助けもしない孤立と背中合わせで、一回楽園の外側に目をやると寒々しくすらなるわけで、どうにかこの頑張りが報われて欲しいな、と思う。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第9話より引用

 最後にバスの最後尾、子どもたちの眩さを再確認して突然気合を入れるプロデューサーが唐突に思えるのは、彼のアイドルたちを認めない会社の……大人の事情が伝わらないよう、彼が奮戦した成果だ。
 一見戯けて見える行動に、真摯な優しさが滲んでいる描写はとても好きだけど、それはこんだけ素敵な子達が世間の……少なくともカスい一部を動かせていない証明でもあって、少し切なくもなる。
 思わず好きになり応援したくもなる子どもらの眩しさが、なかなか報われないもどかしさ。
 これを溜め込んで、デビューとライブでドバンと炸裂させる話作りになっていくだろうことは、花火で描いたHAPPYへの反響、課長からのメールからも推測がつく。

 炸裂に至る道程をどっしり描く、ややスローペースな作風なのだと自分的に飲み込めている部分と、『いや、そういうタメどうでもいいからガンガン善徳を連鎖させて、ガンガン前に進めよ……』と思う部分が、割り切れないまま両立している。
 アイドルたちの心根や可愛さ、力強さや可能性を描く筆致は強めの説得力を生み出してるのに、それでお話の都合がゴロリと転がってくれない頑なさ、もどかしさ、芯を捉えていないスカシ感を勝手に感じてしまって、想定/期待してるコースからズレてる違和感がどうしても残る。
 女の子たちを可愛く描く技量が高いからこそ生まれてるズレな気もするし、そういう話じゃないものに勝手に色々期待し失望している感じもあるね。
 ここら辺、ほぼアニメでしかデレマス知らない立ち位置が、見えるもの/見たいものに反射している結果……かなぁ。

 

 今回プロデューサーが子どもらの顔をよーく見つめて、体張って世間にはびこる嫌なものをせき止めて、荷物たくさん持って楽しいこと沢山手渡してくれたんで、彼への信頼と同情は分厚くなった。
 聖なる可能性に満ちた子どもの領分に、足を踏み入れなかだちとなる特権を唯一与えられた、この話唯一のプロデューサー。
 彼の優しさと奮戦が、彼が愛したアイドルたちの輝きが報われることを祈りながら、次回を待ちます。