イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴィンランド・サガ SEASON2:第24話『故郷』感想

 そうして迷い鳥は故郷へと帰り来て、新たな海原へと進んでいったのでした。
 放蕩息子の帰還を描く、長い物語のエピローグでもあるプロローグでもあるヴィンサガアニメSEASON2、万感の最終回である。
 人間の喜びにも悲しみにも、愚かさにも悲惨にも尊さにもどっしり腰を下ろして向き合ってきたアニメは、最後まで歩調を崩すことなく丁寧に、トルフィンが故郷へと戻ってくる様子を描いた。
 長い不在が変えたもの、時の潮にも揺るがされぬもの。
 人間の営みが美しき氷の島に反射して、しみじみと眩い。
 刻まれた傷を隠すでも誇るでもなく、ようやく戻ってきて新たに進み出す青年の顔を最後にしっかりと描いて、しっかりと終わる。
 一期第一話から六年、長い時間に相応しい感慨に満ちて、とても良い最終話でした。

 

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第24話より引用

 というわけで久方のアイスランドを舞台に物語は終わっていくわけだが、とにもかくにも風景が美しい。
 血みどろのイングランドとも、地味豊かなユトランドとも違う、アルベドの高い雪景色は人間がそこにいる暖かさを確かに含みつつ、とても峻厳で美麗だ。
 長いサーガを見届けさせてもらった視聴者としても、トルフィンと同じく久方の帰郷になるわけだが、すぐさま第1話でこの景色を見た時の衝撃、『ああ、良いアニメになるな……』という確信が胸に蘇ってきて、とても感慨深い。
 旅の始まりが旅の終わりと繋がり、この美しい場所からまた新しい物語へと漕ぎ出していくトルフィンのサーガが、圧倒的な美術に支えられ、物理的ですらある説得力をしっかり手に入れられていたのは、確かにこのアニメの美点だった。

 ここを舞台に演じられる放蕩息子の帰還は、シリアスな調子を維持して展開してきたアニメの味わいから少し変わって、人生の色んなことが洒落ですむ幸せに、ようやく主人公が戻ってきた実感を与えてくれる。
 数多の血と過ちにまみれ、それでもどの面下げても故郷に戻るのだと思えるようになった彼の、とても人間的で複雑な今。
 美しく雄大な情景描写は、それが思いの外シンプルに、理想に向かってただ走っていく歩みなのだと、認め声援を贈ってくれているようでもある。
 ここまでたどり着くまでに吹き荒れた嵐は、この後トルフィンが進み出す道にも待ち構えているだろうけど、しかし何が起こってもそここそが人生なのであり、理不尽や悲嘆を噛み締めてなお潰れない強さを、トルフィンは手に入れた。
 だからこそ様々な色合いの自然は美しく、彼と僕らの瞳に写り、それが世界が生きるに当たる場所なのだと告げる結末を、静かに支えてもいる。
 そういう、情景を通じた演出がとても冴えていたアニメの最終話に、とびきり優れた美術があるのは、大変幸せなことだ。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第24話より引用

 そんな雪と氷の島で演じられる家族劇は、戸惑いあり涙あり、時に切れ味鋭い笑いあり、なんとも色彩豊かで幸せだ。
 アイスランドという島がどういう社会形態で動いていて、人々はどういう暮らしを営んでいるのか、幼年期にはぐれて戻ってきたトルフィンが全く知らないのが、少しだけ悲愴で……しかしその悲しさは、これからの暮らしの中で取り戻せるものだ。
 彼は戻ってきた。
 父が戻れず、沢山の悲しい奴隷たちが死だけを救いに夢見てきた故郷へと、生きて戻ってくることが出来たのだ。
 だから母との再会に涙することも、友との再会を抱きしめることも、姉の鉄拳に一発KOされることも出来る。
 時を経て強くなったユルヴァが、トルフィンが当然償うべき疚しさを元気にコミカルに殴り飛ばしてくれることで、過剰に主人公を甘やかさない風通しがいい感じに生まれていて、『姉ちゃんいい仕事しとるな……』って感じ。
 トルフィンの苦悩と決断は(僕らが見届けたように)重いが、取り残された家族もまた同じ重さの苦しみを背負って、殴らなきゃ腹が収まらない思いがあって、それでもなお抱きしめられるのだと理解る。
 最後までそういう、それぞれの生を走る人たちを良く見た描写が元気だ。

 老いたる母との再会は、父の面影を不戦の戦士となった息子が連れてきた感慨に満ちて、強く心を揺さぶられる。
 手の演出を最後まで強く使って、戦士として奴隷として農夫として、様々な体験を積んだからこそ戻ってきたトルフィンの物語が、ヘルガの優しい掌に重なるシーンを分厚く見せていた。
 王たちの理不尽に家族を奪われ、故郷を追われたエイナルが、トルフィンの義兄弟として”母”を再び手に入れる場面も、彼らの苦難に満ちた歩みがどう実ったのか、しみじみ感じさせてくれてとても良かった。
 トルフィンの絶望を、自身それを奪われてなお生きる支えになっている”家族”で殴りつけ、彼を蘇らせたエイナルがここにたどり着くことで、ずっと求めていたものを暖かく手渡されるのは、とても嬉しい。
 戦地と農場で人間が生きて死ぬことの意味を、魂が引きちぎれるほどに思い知らされた青年たちは、アイスランドではとても穏やかな顔で笑っていて、確かに何かが終わって……だからこそ新しく始まる手応えを感じさせてくれる。
 そういう、繋がっていくサーガの筆致がこの最終話に元気なのは、分厚く紡いできたお話に嘘がなくて、とてもありがたい。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第24話より引用

 これだけの波乱万丈、故郷に収まるには当然の軋轢もあって、それに悩める豊かな贅沢を噛み締めながら、トルフィンはあくまで前を見据える。
 苦難と非情の極限をその身で生きたからこそ、実感の籠もった理想として語られる、遥かなるヴィンランド。
 それはかつて父が夢見、そのために生き抜いた理想であり、ひげを当たり髪を整えて新たに進み出す、ありえるべき未来でもある。
 生きる意味を見失い、ただのパーツの集合体になっていたトルフィンはこうして、過去と現在と未来が確かに繋がる場所を見つけ直して、新たに自分だけの物語を進んでいく。
 それは過去の再演ではなく、彼だけの仲間が隣に立ち、遥か彼方に埋もれたエピソードを優しく共有して、新しく紡がれる物語だ。
 1000年の昔に、塔に終わったはずの冒険譚は優れた語り手の喉を借りて、今生き生きと蘇っている。
 そういう物語は、終わったとしても終わらないのだ。

 主役が故郷へと帰還し、物語の始まりがその終わりと接合されるこの最終回、トルフィン自身がトルフィンのサーガを家族に語る場面があるのは、僕にはとても印象的だ。
 それはこのアニメを通じて僕らが見届けた、重苦しくも面白い物語を作中人物が語るという、入れ子の構造を持っている。
 復讐に取り憑かれ、あるいはそれが奪い去られた虚無の中にいる時、トルフィンは自分を語る物語を持っていなかった。
 傷だらけの自分を、それでもなお夢を持って進もうとする自分を客観視する視点を持ちえず、自分が何者であるかを誰かに告げることも出来なかった。
 戦場の血、土の汚れ、魂の慟哭、決意と不屈。
 ここまでの物語が描いた全てが、行動と言葉で己を語ることが出来る場所まで幼かったトルフィンをここまで連れてきて、物語の始まりの場所で語られるここまでの歩みは、一個人の独白以上のスケールを、確かに有している。

 物語るという行為は様々な境界線を混ぜ合わせ、定義し直し、世界の新たな形を誰かに伝える不思議な力を持っている。
 だからこそヴァイキングはサーガを語り、後世に伝えてきた。
 そういう人の豊かな営みを、一度は『生きていてよかったことは、一つもない』と告げた青年が、自分を主役に担えるようになった手応えが、夜を徹しての語らいには強くにじむ。
 それはただの述懐ではなく未来に続いていく物語で、まだまだ現役な老航海者を筆頭に沢山の仲間を連れて、ヴィンランドへの旅は続く。
 始まるためには、正しく戻ってこなければいけなかったのだ。

 お帰り、トルフィン。
 そしてここから進み出すあなたの旅路が、数多の苦難とそれよりも多い祝福に満ちていますように。

 

 

 というわけで、長い旅が終わった。
 少しの寂しさを感じつつ、うつむいたままでいるのがお話に対する嘘なのだと感じられるのは、このお話がまだまだ続くからだ。
 アニメという形で描かれるかどうか、漫画としてどう完結するかという現実的な視座は一旦横に置いて、48話付き合わせてもらった視聴者の実感としては、トルフィンの航海は続く。
 ここでようやく始まって、始めるためには長大なサーガが、どうしても必要だったのだ。
 そういう最終回になったのは、大変凄いことだと思う。

 人を愛し愛されることと、それを奪われて苦しむこと。
 人間の諸実相をずっしり重たい筆先で、一つ一つ作品ににじませていく筆致は常に誠実で、美麗だった。
 人間の業を濃く滲ませたヴァイキングたちが、愚かさと悲哀を宿して血みどろに駆け抜ける戦場も、土を耕す営みの辛さと輝きを色濃く切り取った農場も、実在する仮想として確かに、モニターの中にしっかりあった。
 その手応えと手触りを生み出すために、必要なクオリティを必死に絞り出し、何を描き何を演出するのかしっかり考えて、物語を積み上げる。
 そういう営みが、アニメーションの奥にしっかり感じられるお話だった。
 このアニメは手が持つ様々な表情を活かし、信じて演出されてきたけども、こうしてお話に一つの幕が下りてみると、作り手たちの手仕事をモニタ越し幻視できる仕上がりそれ自体が、『手のアニメ』だったな……という感慨もある。

 数年ぶりの再開となったSEASON2は、戦乱に明け暮れある種のスペクタクルがあったSEASON1よりも遥かに地味で、地道で、面白かった。
 デンマークの農場は、少年トルフィンが燃え盛る血潮のまま駆け抜けた場所から、遠く隔たれ、たしかに繋がっていた。
 精妙に描かれる農作業や生活が、トルフィンが戦士であった時代には縁遠かった生きる営為に満ちていて、だからこそ浮き彫りになる罪の重たさや、それでもなお前に進む決意を教えてくれた。
 奪われ、奪い取ってしまったものをどう取り戻すのか。
 後の英雄が答えを得るまでの、苦難と迷いに満ちた歩みを丁寧に掘り下げたからこそ、1000年を過ぎてなお開放されていない人間の業も、繰り返すからこそ乗り越えたい青雲の志も、土と血の匂いを宿して説得力があった。

 ここまでの歩みがあって、トルフィンは故郷に戻り、だからこそ新たに進み出していける。
 遥かなるヴィンランドへと続く航海を、アニメでぜひ見届けたい気持ちも強いですが、今は長き物語を見事に語り切ってくれたことに感謝し、ありがとうとお疲れ様をいいたいです。
 非常に良いアニメでした、面白かったです!!