イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-:第2話『わたしのおしごと』感想

 夢破れ出戻ったクソ田舎で、ぷわぷわ少女は自分だけの輝きを見つけられるのか!?
 純正幻想譚というには絵面が土っぽく、現実的というには手応えが柔らかい、なかなか不思議な歯応えのローカルファンタジーヨハネの社会見学な第2話である。
 浅慮と人見知りと内弁慶を美少女の形に固め、小林愛香の声を付けて作られた我らが主人公が、自分なりに”仕事”というものの第一歩を踏み出すエピソードとなった。
 ライラプスくん抜きだとスルッと他人の一番柔らかい部分を土足で踏んでしまう、かなりヤバい幼さを自分でも扱いかねつつ、色んな人の手助けでちったぁ良い所に、顔を向けるまでの足取りが良い。
 どっしり腰を落とし正ヒロインの構えを取るハナマルちゃんだけでなく、どっかで見たことあるヌマズの少女たちと邂逅したり、人生リスタートした若人をそれとなく手助けする地域の暖かさを感じたり、このアニメ独特のコクが二話にして、いい塩梅に出てきた。
 非常に繊細な目配せの芝居が表現の根っこを支えて、ヨハネのお調子乗りで思慮が浅い所、そんな自分に凹む感受性と素直になれなさ、それを引っ剥がした奥にあるみずみずしい感性も、大変いい感じに描かれている。
 ……最高EDから続いたヌマズ暗黒ファンタジーと、そこに颯爽と現れたトンチキ三姉妹がどこに転がっていくかは未知数だが、ヨハネの人生歩き直し物語のスタンダードを、しっかり教えてくれる第2話でした。

 

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第2話より引用

 というわけで前回、切り株のステージで夢を輝かす魔法を唱えたヨハネは、都合のいい奇跡が何度も訪れるという甘っちょろい考えに支配され、テキトーに占い師を始めることにする。
 ヨハネは意識して素直に好きになれる人物として書いてない感じがあり、現実見れねぇまま結果だけを求め、フワフワした夢だけ追いかけて当然結果が伴わない、結構普遍的な”若さ”を背負っている印象。
 これを地面に縫い留める杭を、素敵なド田舎ヌマズでの日々を通じて見つけていくってのが、このお話の主柱のひとつなのだろう。
 ダメダメなところから一個ずつ学び、自分を変えていく話なんで、変わる前はそらまーダメダメだわな。
 自己評価が低いくせに果たしたい未来はビカビカ輝いてなきゃダメで、そのくせそこに至る具体的な歩みも光の中に何が欲しいのかも見えていないので、子どもらの訪問でせっかく開きかけた未来への扉も、臨んでいる奇跡じゃないと自分で閉ざしてしまう。
 それは惨めな原状を部屋の外で思い知らされるのがイヤで、殻の中自分を守る防衛策でもあるのだろう。

 ここを突破できるパワーは現状ハナマルちゃんにしかないため、世話焼き幼馴染はクズカスの手を取って、外の世界に引っ張り出してくれる。
 後に起きる大事な衝突を思うと、ヨハネに正解を教えてしまうライラプスが隣りにいるとやりにくいので、彼は部屋に留まる形になる。
 母不在のヌマズで、ダメダメなヨハネの複雑な気持ちに寄り添い、必要なだけ悪い部分を否定し、良い部分を伸ばす仕事はあのでっけー犬担当だからな……。
 ヨハネライラプスの間に、家族愛とも魂の半身への信頼とも取れる、スゲー分厚い関係性が既に構築されていることで、その外側に出てそこでしか得られない疑問と答えを回収していく、人生のクエストが事故なく回っていく。
 でっけー犬が生み出してくれるホーム感あってこそ、この不安定な激ヤバ少女がドッタンバッタン、ヌマズを走り回ることが出来るのだ。

 家の中での高望みと、外に出たときの臆病。
 ヨハネの二面性は中二病コメディというより、なかなか上手く自分を育てられなかった子どもに普遍的なもので、その手触りが好きだ。
 彼女が家の外側と触れ合う時、ライラプスなりハナマルちゃんなりシシノシン(でっけー犬に続いてでっけーブタまで出てきて、マジで最高)なり、必ず一枚壁を立てているのが、その幼さを強調している。
 不定形のでっかい何かを勝手に求めている割に、それと直面して対価を求められたり、現実を直視して傷つくのに怯えて、逃げ隠れしながら生きてしまう。
 しかしそんな怖さの先に何があるのか、一応見届けようとする好奇心は確かにあって、それはまだ名前をつけられない未来への期待、きっと何者かであるだろう自分への願いが、背中を押しているのだと思う。
 旅館で接客業をそつなくこなすチカにしても、行政局で激務に励むダイヤさんにしても、笑顔でパンを売るハナマルちゃんにしても、ヨハネが衝立の奥ひっそり見つめる少女たちは、既に自分たちの”仕事”を、”仕事”をする自分を見つけている。
 ここで少女が追うべき答えが既に(ある程度)出ているのは、九人それぞれが迷いながら共に答えを探して走ったAqoursの物語と大きな違いで、こういうところも”SUNSHINE in the MIRROR-”なんだろうな、と思う。

 

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第2話より引用

 そして特大級に間違える特権をもらったヨハネは、一発縁切りクラスの爆弾を悪気なく投げ込む。
 必死こいて仕事してる人の財布覗き込んで『ショッボイ稼ぎやのう……一日作りたくもねぇ笑顔貼り付けてコレかいなッ!!』とかほざいたら、絶縁通り越して殴り合いだと思うけど、ここは異世界ヌマズでありヨハネは見た目より遥かにバブちゃんなので……あとハナマルちゃんがぶっちぎりに”人間”だったので、お互い致命傷にならずにすんだ。
 人間が生きて稼ぐことの意味を肌身に感じてない立場からすりゃ、『あんだけ売ってこれだけ?』になるだろうが、ヨハネの歌に勇気をもらって以来地道に地元で一歩一歩、パンこねて焼いて売ってを繰り返してきたマルちゃんにとって、財布の小銭は命金である。
 その重さが解ってないでこういう言葉口にできてしまうのが今のヨハネであるし、これをどうにかするのが今後の物語……てのは、ライラプスが隣にいないからこそ大間違えぶっ込む流れを見ていても理解る。
 あの守護獣が隣りにいると、現場で優しい嫌味突っついて道を正しちゃうからな……ここは宿題を持ち帰る所なのだ。

 ヨハネの口から飛び出した抜身のナイフはハナマルちゃんを深く傷つけるけど、彼女はその悲しさと衝撃をなんとか飲み込んで、笑ったまま別れていく。
 そこにはただ土足で踏んじゃいけない誇りを蹴り飛ばされた辛さだけでなく、それを大好きな幼馴染が言ったこと、言ってしまうヨハネであることの寂しさが、国混じっているように思う。
 ヨハネがヌマズから去って都会でグダグダやっている間、マルちゃん(と、他のAqoursメンバー)は地元でシコシコ自分のやるべきことを見つけて、毎日地道に他人と触れ合って、労働の代価として、あるいは思いが行き合った報酬として、額に汗してお金を稼いできた。
 今のヨハネには、そこに滲んでいる喜びも苦労も解っていない。
 その断絶を残酷で無邪気な一言は否応なく意識させて、それでも笑って友達でいたい気持ちをなんとか取り繕って、覆いきれずとても複雑な表情で、マルちゃんは夕日の中に去っていく。
 大人な態度であるし、大人になりきれない生の心が、色濃く滲んででもいる。

 覆水盆に返らず、口から出したクソは元に戻せないわけだが、ヨハネも自分が突き刺した言葉が大事な人にどういう顔させたか、見えないほど盲目ではない。
 そしてそういう顔をさせてしまったら、どうしたら良いか理解るほど賢くもない。
 ライラプスが当てこするように、自分を幸せにしてくれるはずのどこかに逃げるのを”なんとなく”拒みながら、ヨハネは自分をどこに運んでいけばいいのか、ベッドの中で迷い続ける。
 でもそれは、ずっとヌマズではないどこか、自分ではない特別な誰かを求め続けてきた時の、逃げ道としての”なんとなく”ではなくて、やるべきことが見えているのにそこにたどり着く方法が解らず、でも諦められない時の”なんとなく”だ。
 意地、と言い換えても良いかもしれない。
 マルちゃんにああいう言葉を投げてしまう自分、投げつけてああいう顔をしたままの幼馴染では、どうしてもダメなのだという、理由のない直感と執着。
 それにしがみつくことは理屈抜きにして正しく、幼いヨハネがちょっとずつ自分を引っ張り上げていくための、大事な足がかりになる。
 そういうモノが自分の中にあると、ラベルはつけられないなり認識する契機はやっぱライラプスとの対話で、デケー犬が物語で果たしている役割の大きさを、毎回毎シーン思い知っている。

 

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第2話より引用

 そういう存在の大きさを、ヨハネなり思い知る契機がヌマズの外からやってきもする。
 ダメダメ占いぶん投げてくるテキトー少女より、デッケー犬のほうが都会モンの動物学者の興味を引くの、今のヨハネが客観的にどういう存在か、地縁がないリコ相手だからこそ際立って、結構残酷な構図だと思う。
 ぶっちゃけ、地面に足付けて生きる代わりに夢だけ見てるガキンチョは、地域社会の中でなんらか優位な”仕事”を果たせる強さってのは、当然もってない。
 ヌマズの人たちが優しく、今のヨハネが達成可能な”仕事”を回してお駄賃くれるのに対し、その外から来たばかりのリコはかなりシビアで現実的な判断をして、彼女よりライラプスに興奮する。
 一瞬あぶく銭の夢を見つつ、ライラプスの顔をじっと見つめることでヨハネは自分の気持ちを再確認し、その誘惑を断ち切る。
 形も支えもない成功への誘惑よりも、隣りにいる相棒を大事にできる自分に、ヨハネはちゃんと進み得たのだ。
 迷い間違えかけつつも、ライラプスを間近に置かれた心の鏡としてより正しい、より本当の自分に近い道を選んでいく描写は第1話から頻発していて、トンチキほんわかした第一印象に比べ、視線や表情で細やかに心のやり取りを描ける筆の強さがあるから、埋め込める表現だと思う。
 ここら辺の細やかさはまさにラブライブの面目躍如で、奇っ怪な異世界ヌマズを舞台にしつつも続いてる”血”を感じる。

 占い師としての初顧客獲得は上手く行かないながら、自分が何を望み何を大事にしたいか、微かに掴んだ流れを引き継いで、ヨハネはようやく、ヌマズを自分の足で走っていく。
 そこで果たされるのは望んでいたまばゆい成功などではなく、誰にでも出来る小さな”仕事”であるけども、ライラプスとともに勤しむ内、やってみたら楽しいという実感を得ていく。
 『かくあるべき、ならなければならない』と思い込んでいる自分を、みすぼらしい現実は常に追い抜いていくけど、でもそこには空想では得られない生身の実感があって、そこに一緒にいてくれる誰かの体温がある。

 それは”これっぽっち”の金でパン屋を毎日毎日続けてきたハナマルちゃんが、辛さや寂しさやそれ以上の喜びを噛み締めながら、日々を過ごす糧にしているものだ。
 ライラプス抜きで家の外に出て、ぐるっと回り道する形で、ヨハネは自分が背負ってしまった宿題の答えを、なんとか掴み取っていく。
そんな少女の人生学習に、ニコニコ笑いながら付き合ってくれるヌマズの人たちあったけぇ……って話なでもあるわな。。
 この地元衆の協力、もしかしたら行政局訪問を受けたダイヤさんが裏で声かけた可能性あるかもで、激務こなしつつこういう細かい目配りしているヌマズの彼女は、激重感情抱えこんでピリピリしてた沼津の黒澤ダイヤとは、やっぱ鏡合わせな印象ね。

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第2話より引用

 というわけで自分が泥ぶっかけたモノの値段がようやくわかったヨハネは、それでも尻込みする自意識を守護獣に押されて、ずっとちゃんと向き合いたかった幼馴染に正面から感謝を伝える。
 ライラプスが偉いのは、皮肉や当てこすりなんかも駆使しつつ、なかなか自分の気持ちが見えないお年頃なヨハネの本当を心の奥から引っ張り出して、しっかり聞いていることだ。
 彼に促されて言葉になったもの、あるいは行動に繋がった心は、不鮮明な輪郭をよりハッキリさせて、心地よい体験としてヨハネの中に蓄積されていく。
 そのありがたさを率直に受け止め、感謝を言葉にできる強さはまだまだヨハネに定着していないけども、途切れ途切れながら確かに今の彼女にもあるのだと、ちゃんと書き続けているのは良い。
 不器用で幼いヨハネを、”いい子”にしないまま好きになれるので。

 エピソードが始まった時点では、なんかキラキラしてないと跳ね除け怖がって扉を閉めていた”仕事”に、実際飛び込んでみると思いの外楽しいと感じれたように。
 ハナマルから貰ったパンに、ちゃんと自分でお金を払いたいと思っていたように。
 傷つけてしまったのだとあの時解っておきながら、ちゃんと向き合うことが出来なかった過ちを、自分の言葉で取り戻すための勇気を、ライラプスは思春期の意固地な心から引っ張り出して、背中を押してくれる。
 必要性だけ言えば無用な”仕事”を自分に回して、金銭のやり取りを経て受け入れる姿勢を見せてくれたヌマズの心意気に、ヨハネがちょっと気付いてる感じなのも良い。
 そういう感受性が高いからこそ当たり前の傷が深手になって、なかなか進み出せない足踏みに囚われてもいるんだろうけど、デケー犬と最高の幼馴染とあったけぇ土地に支えられて、ヨハネにしかない善さを武器に変えられるようになって欲しいと、俺ァ思うよ。


 ちょっと近寄れば、手を取ったり抱き合ったり出来る距離なのに、ヨハネは手のひらでメガホンを作って声を大きくしないと届かない遠さで、ハナマルと向き合う。
 この距離にどうしても踏み出せないのがヨハネの現在位置で、そこからでも届けたい思いがあるのだと、一話かけて思えるようになったのもまた、彼女の”今”だ。
 マルちゃんはそんな彼女の愛しい不器用に、今度は心から微笑みながら声を返す。
 頑是ないやり取りが夕日にあまりに美しくて、『今後もこういうものを追いかけ続けるアニメになるなら……最高じゃないっすか……』ってなった。
 マージでヨハマルつえーわ。
 マルがすげーいい子なんだけども、微細な心の震えがちゃんとあった上で自分よりまだ幼いヨハネをどうにか守り導いて、ヌマヅで一緒に生きていけるよう”人間”頑張ってくれてる眩しさが、瞳を熱く焼く。

 松ぼっくりとかお菓子とか、走り回って稼いだお金とか、それを届けてくれた人とか犬とか。
 色んなモノに支えられてヨハネはちょっとずつ、自分を知っていく。
 何をしたいか、高望みで現実感がなかったものが、時には間違えた痛みだけが教える答えに切り裂かれて、確かな輪郭を得ていく。
 その一個一個を、そんなありきたりで特別な歩みを叶えてくれるヌマズと一緒に大事にしながら、このお話は進むのだ。
 学校という場所、アイドルという立場、Aqoursという集団を全部外してなお、”ラブライブ! サンシャイン!!”が描き描こうとしたものが、キャラとドラマと舞台の根っこにやっぱあると感じられる、魅力的な異世界鏡像を確かめられて、とっても良かったです。


 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第2話より引用

 ……で終わればキレイだったんだけども、わりーなこのお話元々は公野櫻子ブランドなんだわッ!!
 あんだけダイヤさんに禁止されてたのに、ウキウキで夜道に彷徨いい出てヤベー鹿にとっ捕まり、『助けてラブライブ!』と叫ぶ声に応える一人の影……誰が呼んだか、怪傑ミリオンダラー!
 昼間はあんだけ堂に入った看板娘っぷりで安定していたのに、夜の帳が落ちた途端珍妙コスチュームに身を包んでキャッツアイごっこたぁ……この狂いっぷりを待っていたぜ!
 暗黒の気で現住生物の頭がおかしくなるのは、一応リアル沼津では起こり得ないファンタジック事件なので、どんだけ本腰入れて話に取り込んでくるのか、結構楽しみなポイントでもあります。
 暖かな街で描かれる青春さんぽ道ストーリーから、ファンタジックアクション超大作へキツめのヘアピンを曲がった幻日のヨハネ、一体どこに行き着くのか。
 次回も大変楽しみです。