イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ひろがるスカイ!プリキュア:第23話『砕けた夢と、よみがえる力 』感想

 流れる星が砕けた夢のカケラなら、集めてもう一度、闇を照らす光に。
 昨日よりも2cm、未来に近づいた私たちでいるための闘いを描く、ひろプリ第23話である。
 物語の開始時からヒーローとしての形をしっかり持っていたように思えるソラ・ハレワタールを、過酷な試練で一度解体し、ただの少女に戻した上でその核となる思いと絆を、再構築して英雄として再出発させる。
 物語の主役と主題をこの折り返し点で鮮明に描き直すエピソードであり、キュアスカイを再生させた仲間や家族……特に虹ヶ丘ましろの現在地が、しっかりと見える話数ともなりました。
 バッキバキに気合の入ったアクションを比較的抑えめの分量にして、ソラちゃんの迷いと痛みを、ヒーローらしくない人間の血をちゃんと掘り下げる書き方にしたのも、そんなあるがままの娘の苦境に寄り添う家族をしっかり描いたのも、大変良かったです。

 

 思い返すとソラちゃんは、最初からしっかりしている……ように描かれ、見ている側もそう受け取っていたように思う。
 目指すべき未来が鮮明で、そのための努力も(一種の狂気を孕みつつ)積み重ねて、まばゆい存在感と陰らない正義で、何者でもないましろちゃんを引っ張っていくヒーロー。
 ましろちゃんがふわふわ”女の子”らしく、確かな自己像も揺らがぬ自信もない、いかにもプリキュア主人公的なキャラクターとして造形され、名前のとおりこれから何かを描いていく純白だったのに対し、ソラちゃんは青い志が爽やかに燃え盛る、ヒーロー色に自分と世界を染め上げていくキャラに思えた。
 その第一印象は時折怒りや恐怖に揺らいだり、頑なな真っ直ぐさが危うく思えたりしたものの、基本的には信念を違えず正義を裏切らず、朗らかに笑いながら強く真っ直ぐ進んできた。

 そして前回第22話とこの第23話は、それがソラ・ハレワタールの全てではないのだよと、おそらくは当初の計画通り的確に告げてくる。
 邪悪で悲惨な悪意を叩きつけられ、今まで自分を支えてきたもの……その理想を叶えうるキュアスカイに変身出来る特別さを失ってしまったソラちゃんは、故郷へ帰って家族と過ごす。
 考えてみれば当たり前の話で、彼女にだって敬語では話さない距離感の身内はいて、それに見守られ愛されてなんとか、自分の足で異教に旅立つ所まで育ったのだ。
 夢を置き去りに諦めた娘の全部を、彼女の父と母は優しく見つめ、間違いなく姐に影響されてマントを羽織っている弟は、幼く厳しくなじる。
 それは残酷というより、かつてヒーローを志した頃の自分が鏡合わせ、ソラちゃん自身を糾弾している構図なのだと思う。(ここはひろプリチーム最年少のツバサ君が、感情を抑えきれず彼のヒーローに会いに行くのと重なっていて、今回は”年の差”というひろプリの特色を、最大限活かした物語が展開されていた。)

 優しい母が何も聞かず差し出してくれる暖かなシチューと、寡黙な父が視線と態度だけで示してくれる包容力に甘える形で、ソラちゃんは自分の心の傷を切開し、ようやく泣くことが出来る。
 その姿は彼女自身が独白するように”ヒーロー”らしくはないが、しかし年相応の子どもそのままの姿であり、またとても人間らしくもあった。
 正義執行の機械のように、常に正しさを見失わず弱さを見せず走り続けてきたソラちゃんは、その頑なな強さ故にましろちゃん最初の憧れとなり、かつて彼女が憧れた英雄へと、自分を近づけていった。
 張り詰めた糸は強いが切れやすく、バッタモンダーの苛烈な悪意はそれを引き裂く必然の一撃になって、ソラちゃんは頑なな強さを投げ捨てる。

 ソラちゃん自身はその強さだけが彼女を英雄たらしめると思っているけど、家族も、家族同然に過ごした仲間たちも強くて完璧なソラ・ハレワタールだけを見ているわけでは、もちろん無い。
 ヒーローになれるのか悩んで星を見上げて涙ぐんだり、ポンコツ異世界人として珍妙な態度で浮かれたり、エルちゃんの面倒を見て微笑んだり、一緒にパンだのピザだのシチューだのバクバク食ったり。
 当たり前に生活を共にして、当たり前に泣いて笑って、強さの奥に弱さが、弱さの先に強さがある、血の通った人間としてのソラちゃんが好きだから、その背中を見つめ隣に並んできた。
 戦えなければヒーローではない、強くなければ生きている意味がない。
 心のどこか、そう張り詰めることでなんとか理想に追いついてきた少女がその夢を砕かれた時、理想の鎧を剥がれた生身を預けれる場所があること、そこで優しさに沈み込むだけでなく、かつての自分と同じ眼で見つめてくる弟がいることが、とても良かった。

 

 スカイランドに帰ったソラ・ハレワタールと、虹ヶ丘ましろ達が信じるキュアスカイは、変身アイテムが失われたとしても繋がりを絶たれたわけではない。
 しかしソラちゃんはアイテム消失……に具象化された敗北と挫折を絶対視して、生身のソラ・ハレワタールである自分と、正義の理想たるキュアスカイの連続性が切れてしまったと認識/誤解する。
 厳しい現状から生まれる傷んだ主観だけが人間の全てであるのならば、ソラちゃんは二度とキュアスカイにはなれなかったのだろうけど、負けてしまったあなただけが全てではないと、ちっぽけな身の丈で必死に英雄になろうとした過去を知る家族と、その行き着いた果に未来の夢を見た少女が、外側からヒーローのアイデンティティを補充していく。
 『私が私である』という確固たる意志は、当然英雄が英雄であるための強力な足場なのだが、カバトンやバッタモンダーの暴力的エゴイズム(暴力によってしか支えられない孤独なエゴ)を見るだに、危ういものでもある。
 独善に閉じず世界と自分をあるがまま見るためには、誰かが見てくれる自分もまた……あるいはそれこそが自分なのだと受け入れ、砕け果てた自己像を眩く再生していく契機と受け取る強さこそが、必要になってくる。
 ここら辺、『お前は吠えすぎる負け犬だ』と指摘してきたアゲハさんに吠え声で返したバッタモンダーが、どんだけ心の窓を開けれていないのか、その防衛的閉鎖がどれだけ厄介で凶暴化を、同じエピソード内でひっそり描いてる部分でもあろう。

 バッタモンダーが叩きつけた残酷な現実に、砕けてしまったソラちゃんの英雄的自己像を『そんなことない!』と大声で否定してしまうのも、また暴力的な理想の押しつけで。
 自分をプリキュアにし、空を飛ばせてくれた英雄を奪われて傷つくツバサくんの、幼くも切実な吠え声をちゃんと轟かせたのと、そこにプリキュア最年長のあげはさんを隣り合わせて、愛しさが心を引き裂く刃にならないよう直接対面させなかったのは、いいバランスだったと思う。

 年ごとに、個人のパーソナリティごとに、それぞれ見えているものは違っていてる。
 世界の全てを見てなお人間には不可思議が残るのだと、賢く己を諌めているヨヨさんの視界と、身勝手で正統な『何で!?』に支配されて震えてるツバサくんの視界と、親友の辛さが何も出来ない惨めさを知っていればこそ解ってしまう同い年のましろちゃんと、そんな仲間を俯瞰で見れてしまうあげはさんの心も、全部違っていて全部に価値と尊厳があるはずだ。
 大事なものが何も見えなくなるほど、深く深く傷ついてしまったソラちゃんの心もまた個別の尊厳をもっていて、戦士としての使命がどうだ戦力がどうだ、人としての正しさ理想の眩しさがどうだは、人間が辛い目にあって流す赤い血の前では、二の次になってしまう(なってしかるべき)問題だろう。
 しかしその残酷な赤さに目を塞がれて、かつて大事に抱えこれから羽ばたいてきたかった夢を全部擲ってしまうのも、傷を深くする。
 何が正解で何を選ぶか、ヨヨさんが告げていたように人生の不可思議に正解はないけども、泣きじゃくる娘を前に『見てられない!』と身を乗り出す母も、それを諌めて何かが動き出す瞬間を辛抱強く待つ父も、弱く傷つきうる生身のソラ・ハレワタールと、理想を気高く体現し過酷な戦いに挑むキュアスカイ、両方を愛し信じていた。

 

 そういう人達に支えられ、夢への歩みが落ちるか飛ぶか、瀬戸際ギリギリで危うく揺れていたソラちゃんの心は、虹ヶ丘ましろの手紙で決定的な再生を果たす。
 ペンを変身アイテムとし、主役が追うべき将来の夢として童話作家を選んだこの物語は、ヒーローのお話であると同時に言葉のお話でもある。
 口に出しただけでは儚く消えていく思いを、メモ帳に書きとめ手紙に綴り、自分と誰かに届けていく。
 バッタモンダーが暴力的現実でもって儚く砕いたものが、実は何も失わず負けてもいないのだと思い出させるための、虹ヶ丘ましろが見ているソラ・ハレワタールを伝えるための、言葉という救命具。
 伝わりにくい真意を、一人の視界からは容易に消えてしまう理想を、お互いに交換する奇跡が言葉を持った人間には可能で、それを手放してしまえば獣の言葉で吠えるバッタモンダーのような、身勝手な怪物に落ちて行ってしまう。
 あのまばゆい手紙には、そういう明暗がインクとなって強く滲んでいたように思う。

 ソラちゃん自身が『こんなヒーローいない』と否定した、人間でしか無い自分がやってきたこと。
 その背中がかつての自分と同じように、何も出来ない惨めさに震えてうずくまるだけでなく、誰かを守り戦う強さを目指して駆け出す道標となっていた事実を、ましろちゃんの手紙は教えていく。
 キュアプリズムが硬く揺るがない正義の顔を作って、過酷な戦場に身を置き続ける場面をカット・インしながら、ソラ・ハレワタールがその思いを受取る時、英雄と弱者の立ち位置は逆転し、また入り混じっている。

 ソラ・ハレワタールは背中に庇った弱いものを、情けなくくだらない無価値な存在だと思っていたのか。
 自分の背中に光を見出し、それを追いかけて戦士となったキュアプリズムの背後に庇われている今の自分は……そんな風にかつて、シャララ隊長の背中に庇われていた自分は、何にもなり得ない惨めな存在なのか。
 ソラ・ハレワタールが走ってきた道が眩しいからこそ、覚悟を込めて言葉を綴りそれに支えられて行いを積み重ねてきたからこそ、今新たなヒーローが唇を真一文字に結んで、険しい戦いの中一言も弱音を吐かず、戦うことが出来ているのではないか。
 ましろちゃんが友達に綴った手紙にはそういう厳しさと優しさ、過去と現在、強さと弱さが色濃く入り混じっていて、否定を繰り返しつつもうっすら視界に入っていた……家族の柔らかな支えで見失わずにすんだ真実を、力強く蘇らせていく。

 弱く惨めで何も信じられず、貫けない自分。
 ヒーローではなくなってしまった自分はしかし、かつてヒーローを志し今なおヒーローになりたいと願っている自分と、確かに繋がっている。
 ましろちゃんの手紙は、砕かれ投げ捨てられかけたソラちゃんとキュアスカイの連続性に向けて、人間であり英雄でもある大事な友達に向けて、綴られ届いた。
 それは一人では自分を惨めで弱い存在だと思ってしまう、人間の孤独な本性に『そんなことない!』とプリキュアらしく吠えて、虹ヶ丘ましろがずっとソラ・ハレワタールとともに過ごして生まれた喜びと、キュアスカイがいたからキュアプリズムとして戦える強さを、ましろちゃんらしい穏やかさで雄弁に伝えていく。
 この言葉の強さが、無言で戦い続ける姿そのものでキュアスカイの志が健在であると、じっと証明し続けているキュアプリズムの立ち姿と同居しているのが、前回言葉と行いの間にある難しさを扱ったアニメらしくて、大変好きだ。
 言葉にしなければ届かないモノと、行いにならなければ意味をなさないモノ。
 その両方を大切に抱えて、プリキュアは幾度も蘇る。

 

 かくして復活を果たしたキュアスカイは、以前よりも強く激しく戦い抜き勝利する。
 あれだけ怯えていた現実は迸る青い志に道を譲って、シャララ隊長は死ぬことなく傷を癒や(Cure)され人間としての意識を取り戻す。
 ランボーグが暴力装置に蔑していた隊長の剣を、復活のスカイが地面に叩き落しその上を駆け抜けて、一撃を叩き込む殺陣が好きだ。
 何を以てプリキュアは戦い、何をせき止め取り戻すのかがアクションに良く滲んだ、凄く良い活劇だったと思う。

 バッタモンダーが死なずに戦いが終わったのは、その悪辣を考えるとちょっと意外でもあり、しかしこのお話が追い求めるものを考えると納得もした。
 『動いたら殺す』をプリキュア翻訳で告げる、キュアプリズムの”凄み”に戦士としての成長を感じたりもしたが、ネジ曲がりきった悪意を正面から打ち破られ、幾度も執着することで一方的なコミュニケーション(の剥奪)を図ろうとする過ちは、今回の戦いで少しは正されたのか?
 マトモな言葉が心に響かねぇ……どころか逆恨みして最悪の刃をぶっ刺してくるクズカス中のクズカスを相手取った時、確固たる意志を込めた暴力こそが唯一、相手に届くメッセージとして機能しうるのか。
 バッタモンダーをアンダーグ帝国の横槍でぶっ殺して退場させなかった以上、ここでスカイとプリズムが見せた力と意志が奴にどう刺さって、何が変わって何が変わらないかは、個人的には結構大事な気がする。
 っつてもまーひろプリ、結構ヘンテコな語り口でここまで転がしてきてるので、サラッと置き去りにして別の話進めていく可能性も全然高いんだけどね。
 カバトンのその後もずーっと待ってたりするので、悪をくじく正義がその力を振るった後、変化し得ないと思えた悪がどうなっていくかを、本編中の描写で見たい気持ちも、今回強くなった。

 

 という感じの、ヒーローガールの再生と再出発でした。
 ここまで完成度高めに話を牽引してきたソラちゃんが、家に帰ってただの少女である素顔を涙ににじませる裏で、その背中を追いかけてヒーローになったましろちゃんの勇姿と優しさが、砕けた夢を蘇らせていく。
 異世界から来た英雄志願と、何者でもない己を不安に抱えていた少女が出会い、共に過ごし、戦ったことの意味を見事に描ききる、素晴らしいエピソードでした。

 第15話では隊長を犠牲にすることでしか何かを守れなかった物語が、その本人を助け守ることで誰も犠牲にしない決着を迎える描き方が、シャララ隊長にあこがれて始まったソラちゃんの物語が一つの答えに辿り着き、それはこれからずっと探していく問いでもあるのだと描いていて、とても良かったです。
 ヒーローであることはたった一人の思いで完結するわけでも、当人が夢を砕かれて終わるわけでもなく、その言葉と行いが積み上げてきたものが誰かに届いて、戻ってくることで輝きを蘇らせる、永遠の循環なのだ。
 ツバサくんが激しく問うていた『プリキュアが一人ではない理由』を、ソラ・ハレワタールを諦めかけた当人に、過去のソラ・ハレワタールを育んだ家庭の温もりと、それに救われ歩みだした者からの手紙が届くことで語る。
 人間を絶望に追いやる孤独とは他者との繋がりだけではなく、過去の自分や未来の理想とのつながりが無くなってしまうことでも生まれ、それを思い出の中から取り出して手渡す誰かのかけがえなさと、蘇る心の強さがとても鮮烈に描かれていました。

 大変良かったです。

 次回からまた新たな物語が始まりますが、ここでソラちゃんが掴み直した夢はこれまで以上に熱く赤い血潮を、追うべきヒーロー像に宿してくれると思います。
 あまりに正しすぎ強すぎた彼女が、一度くじけて立ち上がることでそういう柔らかさを……虹ヶ丘ましろ的な強さを身に着けていけるのは、二人が出会って始まったこの物語が好きな自分としては、凄く嬉しいです。
 キュアプリズムが戦士として今、どれだけたくましく戦えるのかを今回色濃くかいたことが、ソラ・ハレワタール的な強さに彼女がどれだけ揺さぶられて自分を変えてきたのかも解って、そこも良かった。
 混じり合う青と白の旅路は、どこまでも続いていく。
 次回も大変楽しみです。

 

・追記 俺のハッピーベイビーよ、永遠なれ
 言うまでもなく、エルちゃんは今週も可愛く賢い最高赤子であった。
 復活のスカイを見守る時、キリッとした顔でピカピカを見上げてるお顔とかマジ良い。
 あと最後にヒーローガール再出発の仲間として、元気にお返事してたのも最高。
 今後もすくすくと育ってほしいが、次回パパンとママンが目覚めるってんならとっとと親元に戻し、これ以上我が子が人生の”初めて”を成し遂げる瞬間を見落とす悲しさから守ってあげて欲しいという気持ちも、相当に強い。
 お商売の都合から言ってエルちゃん退場はありえんし、ともすれば大人に育ってプリキュアチェンジも既定路線かも死んねぇけど、俺は赤子のどっしりした歩調で彼女だけの人生を歩いているエルちゃんをもっと見たいんで、できれば赤ん坊のまんまでオナシャス。

 

・追記 spectroscopy