イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

蒼穹のファフナー THE BEYOND:第2話『楽園の子』感想

 人の心を知ろうとした怪物と、怪物と同化していく英雄のどちらが、果たして人間の証明を示しうるのか。
 三年後の衝撃が物語の幕開けをつける、ファフナー THE BEYOND第2話である。
 うーむ……この話数が実質的なスタートになるんだろうけど、相当スンゴイ球を投げつけられてしまったぞ!
 死者の姿を借りて作られる、世界の外側を知らないだけの平和。
 ソウシが三年間身を浸していた日常は、ファフナー無印第1話と鏡移しの構造を持っている。
 穏やかな永遠は突如破綻をきたし、残酷な真実が少年を襲い、旅立ちは激しすぎる痛みを伴って駆け出していく。
 あまりにも過酷すぎる戦いを経て大人になってしまった精神も、フェストゥムとの同化を繰り返した肉体も、人類最強のファフナー乗りとしての社会的立場も、瑞々しい心で理不尽な世界を走り抜けていく若人とは、もはやいえない真壁一騎
 彼はかつて島の平穏を壊し大事な人を奪った巨大な力そのものとして、ソウシの殺意を総身に浴びることになる。
 彼がぶち殺した乙姫によく似た少女と、そう成り果ててしまった真壁一騎の、どちらが一体人間らしいのか。
 不倶戴天のはずのフェストゥムと人間が、お互いを学ぼうとしてお互いの大事なものを傷つけ合う中で、三年間の偽りとはいえ”人間らしい”フェストゥムの子どもとして育まれたソウシは、新たな人生をどんな風に歩みだしていくのか。
 このBEYONDは、多分”蒼穹のファフナー”を問い直す物語なのだろう。

 

 ソウシは閉ざされた島に満ちる平和に飽き、その外側に何があるかを知りたがる。
 ラジオを通じて送信される『あなたは、そこにいますか』に一騎が『お前は、そこにいるのか』と問い直すことで、全ての崩壊が始まっていく。
 それは人間を真似たフェストゥムが必死に作った龍宮島のギズモであり、死んだはずの人たちの尊厳を蔑しながら、気持ちの悪い偽りの平和を弄んでいる。
 ……って、一方的に断罪しにくいのがまた難しい感じで。
 だってフロロちゃんが愛しく演じ、必死に守ろうとした当たり前の兄妹関係とか幸せな日常って、乙姫ちゃんがコアじゃなくてただの少女であったのなら、この世界がフェストゥム襲撃のない平和な場所だったなら、絶対欲しがったはずの夢でもあるでしょ。
 そういうものはどこにもないってことを、島の外側に引っ張り出され戦って戦って大人になった一騎は思い知っていて、その残酷な真実でもって、ソウシが優しく包まれていた冒涜の子宮から、彼を引っ張り出していく。
 それは非人間的なまでに荒々しく、冷たく真実だけを見据えた……凄くフェストゥム的な行動だ。

 人類最強の戦士として数多のフェストゥムを屠り、そのの痛みを思い知り同化していったことで、真壁一騎は黄金瞳の怪物に成り果ててしまった。
 その苛烈な真実主義は、奪われた皆城総士を取り戻すという使命感や愛に裏打ちされた人間的な行動で、でもそれは総士とは違う人生、違う精神を宿したソウシ個人を、観ての行いなのか。
 必死に苛烈に幼いソウシを自分≒人類の側に引き寄せようとするのは、正しさだけを振り回して優しさを置き去りにした、とても危うい行動に思えた。

 ならフロロの言う通り永遠の夢の中に微睡んでいれば良いのかと問われえれば、ソウシ自身が偽りの向う側にある真実を欲していたわけだし、そもそも壁一枚向こう側は地獄のような戦場が、何もない虚無が広がっている。
 夏祭りや兄妹の温もりや友達との語らいが……”人間らしさ”が保持されている偽龍宮島に満ちていたものだって、フェストゥム襲来以降島の人々が必死こいて、数多の犠牲を出しながらなんとか守ってきたものの、上澄みだけをコピーしたものだ。
 そんな借り物でしか人を理解できないのが、異質生命体であるフェストゥムの悲しさであり、でもそうしようとしたフロロたちの”心”もまた、気持ちの悪い怪物が人間のマネをしただけの、薄汚い夢なのか。
 遺骸すら残らぬ無残な死で、終わって良いものなのか。

 真壁一騎は、もうこの事に悩めない。
 フェストゥムの帰るべき場所は死であり、生を求める我ら人類と共存はできず……ならば半ばフェストゥムに成り果てている自分は、一体生きていていい存在なのか。
 そんな青臭い問いを置き去りに、正しさと殺戮の機械のようにこの話数の一騎は立ち回る。
 その過酷さを間違っていると、激情と殺意に身を任せて吠える若さが生まれ変わったソウシにはあり、その脈打つ心は間違いなく、人間を真似たフェストゥム達が育んだものだ。
 ソウシが今後、偽りの揺りかごから引っ張り出されてどういう物語を生きていくかは分からないけども、その足取りと行き着く果てこそが、人であろうとして人たりえなかった彼の妹の願いを背負って、新たな答えを暴いていくのだろう。
 それは覚悟ガンギマリの犠牲満載地獄絵図を、もはや当然としてしまった”ファフナー”を新たに問い直す歩みであり、『人間とはなにか』というとても普遍的なテーマを、烈しく切開する術式でもある。

 思い返せば一騎も今のソウシと同じ、永遠だと信じていた日常を叩き壊され、残酷極丸世界の真実にゆらぎ、燃え盛る殺意に突き動かされて、ここまでたどり着いてきた。
 そんな””ファフナー”の足取りと同じ場所から、人でありながらフェストゥムの子であるソウシにしか、綴れない物語が生まれていくのだと思う。
 ……偽龍宮島が死者の尊厳を蔑し、文化保全のために人類が挑んだ戦いを窃盗する声質を持つのなら、実際の龍宮島はもうなかったり、そこまで行かなくとも幾度目か、耐え難く傷ついていたりすんのかなぁ……。
 だとしたらアルヴィスの人々はEXODUSを経た故郷なきイグザイルであり、いつか約束の場所を取り戻すために非情な戦いに身を投じる、信念の戦士になるのか。
 そういう立場からすれば、偽龍宮島の平和は許されざる偽りのイスラエルであり、そこに囚われた約束の子どもを奪還するのに、容赦は一切ないだろう。
 そんな正当性を飲み込みつつも、あまりにも穏やかで幸せに思えた三年間がソウシにとっては圧倒的な人生の事実だったことも、容易に想像がつく。

 辛すぎる真実と、甘やかな嘘。
 自分と同じ人間が暴いた戦場と、怪物と過ごした優しい日常。
 どっちを本当と選ぶのか、あるいはその二分法自体を超えていくのかは、黒コートの不審者にさらわれたソウシが、これから決めていくことだ。
 そこに”ファフナー”を総括する物語の強烈さと、鏡写しになった懐かしき悲愴を感じつつ、ここから動き出す物語を楽しみに待つ。
 次回も大変楽しみだ。