イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! It's MyGO!!!!!:第7話『今日のライブが終わっても』感想

 迷って、戸惑って、光と影の交わる場所で、たどり着いた私たちの今を歌う。
 名前のないロックバンドが動き出す過程を、定点カメラとBGMカットでドキュメンタリー調に削り出し、情念のカリスマが己を叫ぶ瞬間を鮮烈に描く、MyGO!!!!!アニメ第5話である。
 ライブが始まる前の当惑と緊張、上手く動き出さないステージ、運命の女の強い視線に灯る魂の火、炸裂する音楽。
 それが長崎そよの仮面を引っ剥がし、情念の修羅をむき出しにする暴力性も含めて、一気に駆け抜ける見事なライブだった。
 上手い下手を横に置いて、今を必死に爪弾くこと。
 アマチュアバンドで一番面白い部分にしっかりクローズアップし、ここまで6話の舞台裏を見守ってきたMyGOが何者かになる決定的瞬間の全てを、アニメを通じて体験させる。
 楽曲の強さ、パフォーマンスの整い方にもたれかからず、むしろ出来てない所や一つになれない違和感も引っくるめた、人生と青春全部盛りの砂かぶりとしてライブを切り取る。
 折返し話数に必要なクライマックスという、定型的な描き方を遥かに超えた、凸凹青春バンドMyGO!!!!!の”今”を叩きつける証明書として、大変優れた回でした。
 噛み合わなさも下手くそも、全部ひっくるめで動き出した一曲目で繋がって温まって、満を持しての”春日影”がその鮮烈故に祥子の心を砕き、その痛みがそよの仮面を引っ剥がす連鎖にも納得の、咆えたけるエモーションの連鎖。
 この先に待つ景色に少女たちがどうたどり着いていくのか、先が見えないからこその高鳴りしか聞こえない、素晴らしい第7話でした。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 PAとの音声チェック、出番を待つ楽屋での顔色、ステージに上ってからのグダグダドタバタ。
 この段階ではまだ名前すらないバンドの初ライブは、BGMを切り捨てた生活音の中、キャラクターを追いかけない固定アングルを多く使いながら進行していく。
 それは徹底して一人称で描いた第3話とは真逆の、客観的視点でMyGO!!!!! の今を射抜いていく視座だ。
 ここまでたっぷりと描いてきたキャラクターそれぞれの意思や性格、願いや痛みを据え付けたカメラに焼き付けながら、五人はそれぞれバラバラのまま演奏の準備をし、まったくスマートにはやりきれない。
 水を飲みすぎてトイレに駆け込む愛音も、野良猫のように気ままに弾いたり食ったり逃げたりする楽奈も、チューニングすらやってない温度感で”今”のバンドに向き合ってるそよも。
 言葉少なく萎縮する燈も、苛立ちつつそんな燈をずっと気にかけている立希も、たどり着いた本番を前にどう生きているのかを、じっくりと描かれていく。
 ド派手な見せ場だけを見せたいなら不必要な、バンドがバンドとして生活していく全体を、やや引いたカメラでまるごと切り取る視点。
 それはこれから始まるライブ……というかこのワチャワチャな準備期間含めたMyGO!!!!!の全部を、僕らに届けてくれる。

 感情が高ぶり思わず声を荒らげて、燈を萎縮させてしまう立希が、その本意を伝えようと自分の隣に……でも間近ではなく少し距離を取った間合いに、ぽんぽんと呼び込む場面が愛しかった。
 みんなの優しいまとめ役に見えて、のちのMCで示されるように至極テキトーに目の前の”今”を蔑ろにしているそよが描かれるからこそ、嫌な思い出に縛られかけてる燈の隣りに座って、ちょっとでもいい”今”を一緒に掴もうと手を差し出す立希の誠実は、より際立つ。
 お菓子抱えて帰ってきた愛音が、スルッと滑り込む至近距離には、色々抱え込み考えすぎる(のは愛音も実は一緒なんだけども、感情貨物の処理がナチュラルに上手い)立希はまだ近づけないけども、ここで自分が燈を信じ、一緒に進む”今”に心震えているのだと、不器用に真っ直ぐ伝えられたのはとてもいいと思う。
 燈と愛音の距離が運命に導かれスムーズに繋がるのに対し、立希と燈の間合いはどこかぎこちなく、同じ画角に二人で納まる余裕もないまま、間にはペットボトルが立ちふさがる。
 しかしかつて愛音が燈に差し出し、後にステージで燈が差し出しなおす”水”の意味合いを思うと、不器用で真っ直ぐな友だち二人を清水が見守っていることは、けしてネガティブな意味だけを持つ絵面ではないと思う。
 愛音が無遠慮に押し出してくれることで、燈と立希の不器用な距離もググッと縮まっているし、ノリのあわね~横入り野郎がいてくれればこそ、色んなものが動き変わっていく意味を、立希も無意識に理解して隣り合ってるのだ。
 こういう魂ぶつかり稽古から逃げて逃げて、後ろ向きに闇の中携帯電話ばっか見てた結果が、新生”春日影”の流れに乗っかれないまま、いちばん大事なものがそれで砕かれてブチギレる長崎そよなので……。
 でもまー、あの爆裂もようやく自分のハラワタ見せて、全部掻き出してそっから始め直すためには、必要な儀式だよなー……。

 前半の”Documents of MyGO!!!!!”はとにかく情報量が多く、会話も多重トラックであえて整理せず生っぽい垂れ流しだし、各キャラの行動は千々に乱れてまとまらない。
 その乱雑さが彼女たちが今を生きるライブとしてのザラついた質感をしっかり伝え、またここまで6話濃厚に理解らされてきた『そのキャラらしさ』を拾い集める楽しさもあって、今ここで差し込む意味のある演出だったと思う。
 バンドメンバーよりRiNG組のほうが野良猫楽奈ちゃんの扱いに慣れていたり、自分のことでいっぱいいっぱいなそよ以外が先輩に挨拶行かなかったり、なんだかんだこの外面がバンドの空中分解を助けていたり、色々見どころがあった。
 あんだけ『私ギターボーカル! それ以外やんない!』とかほざいてた愛音が、ド下手な自分と向き合ってシコシコ練習した結果『歌いながら弾くとかゼッテー無理!』となってるの、泥臭くも喜ばしい成長描写で最高だった。
 そういうことは、自分の身一つで”今”に飛び込まなきゃ分からんことで、そうすることだけが挫折に飲み込まれた過去を上塗りしてくれる。
 そういう場所に、千早愛音は立ってんだなって分かった。
 あ、楽奈ちゃん様がどんだけ自由気ままな場所に立ってるかも良く分かりました。
 可愛くないと絶対許されないかんねそういう生き方!(可愛いので許されてしまうこと含めて、大変生っぽい)

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 弾くこと、生きることに猶予などなく本番はあっという間にやってきて、心が整わない愛音は出だしを拾い損ねる。
 ここでテキトーに場をつなぐそよのMCがあくまでテキトーな外向きでしかなく、バンドメンバーの緊張をケアして新たに進み出す決定機は燈が差し出すのが、二人が見据えているものの差が見えて面白い。
 愛音の接触を利用して自分に都合のいい未来を引き寄せようとする(そして想像以上の人間力で、その思惑を上回られ裏切られる)そよの生き方は、不器用人間たちが上手く泳げない世間ってのを、適当かつ適切に乗り切る社会性と繋がっている。
 そういう存在がいなければこのバンドは生まれても繋がってもいないわけで、愛音はそういうそよの嘘っぱちの外面が、生み出してくれる価値にかなり敏感だ。
 ここら辺の視力がいい女が、挫折を嘘で塗り固めるべく他人を便利に利用せんと意気込んでいた事自体が間違いで、燈に魂の言葉を手渡されて生来の気骨が戻った今、愛音が自分を取り戻すきっかけは、友達の声援を聞いたことだ。
 マージであの羽女モブたち、ずーっと誠実で正しい生き方しかしてなくて、ネトネト感情に捕らわれて同じところをらせん状にグルグルしてる主役とは、大違いな存在よね。

 そよが『ふーん、緊張してるな……』と心の底を冷やしながら見つめている、ペットボトルの手渡し。
 それは愛音が自分に差し出してくれたものを渡し返す行為であり、かつて祥子が自分を抱きしめてくれたから掴めたものを、震えながら突き出す決意でもある。
 燈がなりたい”人間”は、怯えて震えている誰かを見逃さずに手助けしてくれる存在であり、ただコレクションしていた絆創膏を誰かの傷のために実用できる人なのだ。
 ”なりたい”と黙って願っているだけでなく、”なる”と心に決めてノートを置き、精一杯の優しさを差し出す。
 そしてそういう場面の意味を飲み下せないまま、賢いツラで客観してしまえる/してしまう/するのが長崎そよの現状でもある。
 お前の願いが叶わないのは、傷まみれで震えている同志に心を寄せず、どっか遠いところで自分を守りながら運命を動かしてるからだよ……ダイレクトでいけダイレクトで!

 愛音が観客席の誰かを見つけて立ち上がるように、燈もまた祥子無言の眼光に背中を押され、光の中へと飛び込んでいく。
 第1話、愛音の存在が燈の心に飛び込んだカラオケ屋の場面を、相手を変えて再演するような演出が最高にいい。
 CRYCHICが崩壊してなお、燈にとって祥子は圧倒的に特別な存在で、下向きのまま声も出なかった自分をもう一度引っ張り上げてくれる……歌わせてくれる神様だ。
 その憧れが胸に燃え続けているから、凄まじく複雑な感情に震えながらそれでも、必死に戦おうとステージに立ってる友達のために、声にならないエールを送った祥子の、当たり前の痛みになかなか気づけない。
 祥子ちゃんは凄いな、好きだな嬉しいな。
 そういうビカビカな光を心に湧き上がらせて、燈は歌うべき場所へ自分を解き放っていくけども、では送り出して影の中取り残された祥子の震えは、誰が受け止めるのか。
 それがステージの上と外側で炸裂するお話でもあるから、ここの眩しさは祈りであると同時に呪いでもあると、僕には思えた。

 しかし祥子がそう願った(願うことにした)とおり、その視線で燈は自分を取り戻し歌い上げていく。
 最初は緊張に固く握りしめ、自分を守る姿勢だった拳を緩め、バンドと自分が爪弾く音楽に乗っかって開放されていく中で、ボーカルとしての姿勢が整っていく。
 自意識と格闘する段階を飛び越えて、誰かと自分と仲間のためにPerformanceする余力……というか、ガムシャラな本気を手に入れていく。
 祥子に見られている、見守られ見届けられている自分を確認することで、余計な鎖を引きちぎってただただ自分で……”人間”であるような高みへと、高松燈は身体的仕草を通じて己を引っ張り上げていくのだ。
 前を向き、背筋を伸ばし、腹の底から引っ張り上げた叫びが気道を駆け上がって音になるための、歌って戦うためのファイトスタイル。
 自分たちが奏でる音楽それ自体が、音楽以外の何かに囚われていた魂を開放し、ただただ”今”の只中に開放していく瞬間の、一つ一つの仕草。
 ここにこだわった描写があることで、このステージが少女たちに何を与え、何を奪っているかは観ている側に鮮明だ。
 バンドが非常にフィジカルな現象であるということを、強く意識した描き方が汗まみれ元気なのは、大変嬉しい。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 紆余曲折ありつつも、一曲自分たちらしい演奏をやりきった喜びに、愛音も緊張を放り投げて満面の笑顔だ。
 燈の感受性は一曲に宿る熱量をこの場の誰よりも敏感に感じ取り、ノートには書いていない魂からの叫びを、訥々と、また高らかに奏で始める。
 そうやって溢れ出す音楽が、なかなか言葉にならない自分の気持ちそのものだと感じているから、立希は燈が自分の言葉で喋ってくれるのが最高に好きで、その隣で自分がドラムを叩けていることに笑う。
 立希ちゃんが燈大好きガールであるのと同じくらい、ロックンロールを唯一の自己表現として見定めている音楽野郎なことが、僕は好きだ。

 ライブだからこそ力強く動き出す、予定表にはない突然の衝動。
 これに乗っかるのが一番うまいのが楽奈ちゃんで、一番下手くそなのがそよなのは、大変納得である。
 楽奈ちゃんはギター演奏技術以上に、ライブの現場に満ちている波を感じ取って乗っかる能力、それを自分のPerformanceで増幅させる能力に長けていて、五人の誰よりもライブセンスがある。
 だから燈が高ぶった感情を言葉にする時、それが最高に客席に刺さる伴奏を自然と始めれるし、そういうおもしれー事を引き起こすメンバーを気に入ってもいる。
 ごにゃごにゃ溜め込んだ感情が楽譜をなぞる中で一つに重なって、観客席を薙ぎ払う爆発になるために必要な音がなんなのか、直感できるセンスと見えた答えにためらわず飛び込む勇気が、楽奈ちゃんにはあるのだ。
 楽奈ちゃんがお膳立てした”流れ”に遅ればせながら、なんとか乗っかって最高のロック体験に飛び込んでいく愛音の表情も、ここに至るまでの迷いと頑張りを見ているだけに最高に良い。

 楽奈ちゃんにとって喜びの源泉である予定調和のぶっ壊しは、流れていく時を殺して永遠を取り戻したそよにとっては呪いでしかなく、他の連中が喜んでいる燈魂の開放にも、驚いた表情を見せる。
 それは”私たちの曲”が眼前で新たに作り直され、過ぎ去った時間はもはや絶対に戻らないのだと突きつけられた瞬間の祥子に、よく似た人間の顔だ。
 ロックンロールを主題としたこの物語は否応なく、光に満ちた音楽の真ん中に、人が生きてライブする”今”にツッコんでいく。
 しかしその止めがたい勢いは時に暴力的で、立ち止まって壊れてしまった願いを抱きしめたいと祈り、そのために策謀もめぐらす足踏み野郎どもの横っ面を、絶叫を込めて張り飛ばしていく。

 ちょっと待って、そんなの

聞いてない望んでない。
 そんな呻きを置き去りに突き動かされた鼓動は加速を続けて、その真中を突っ走る快楽は止めようがなくて、”今”は残酷に過去を振りちぎっていく。
 あるいはその事実を知っていればこそ、そよは運命に抗いたかったのかもしれない。
 そよが抱え込んだ条理に反する大望に比べて、彼女の支配力が全然足りていなくて、青春ロックンロール野郎どもが好き勝手絶頂突っ走るの止めれてないの、凄くいいサイズ感だと思う。
 どんだけ黒幕ぶってみても高校一年生、閉じた手のひらから他人の思惑はスルスル滑り落ち、運命なんぞ縛り付けれもしないまんま、それでも血が滲むほどにかつて魂を焼いた眩しさを求めている。
 長崎そよ……お前もロックンロールになれッ!!

 んで、そういう加速する青春のお手本はすごーく身近なところにあって、情念系カリスマとしての燈の資質が、”春日影”に雪崩込んでいく語りには宿っている。
 そういう場所に怯えていた燈を過去と今、ニ度引っ張り上げたのは間違いなく祥子であり、自分が差し出した武器で自分がぶっ刺される形にもなった。
 その運命を甘んじて受け入れるほどの度量は、高松燈を救ってくれた神様にはなくて、まるで人間みたいな表情で自分が動かしてしまった””今”に、思いっきりぶん殴られる。
 立希ちゃんは愛するロックンローラーが自分らしさを咆えてくれて絶頂寸前だけど、暗い観客席でその隣にいない自分を思い知らされる祥子は、耐え難いよなぁこの一瞬。
 普段上手く外に出せない分ガッツリ溜め込んでいる燈の思いが、ロックを武器に溢れ出す瞬間を見せることで、彼女を真ん中に置くMyGOが大ガールズバンド時代に宣戦布告する資格を、しっかり書いてくれたのも良い。
 立希ちゃんがすっかり痺れている、嘘偽りなく己を叫べる燈の資質は、彼女以外の誰かにも確かに届いて、ずっと聞いてほしかった願いをみんなの歌にしていく。
 その旅立ちを誰よりも望んで、一番最初に燈に歌を手渡した当人が、壊れ果てた過去の残骸に取り残され、”今”に羽ばたいていく彼女の光を遠く、見送るしかない。
 その翼は間違いなく、豊川祥子が紡いだのだ。

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 熱と衝動に押し流されるまま、演奏されていく名もなきバンドの”春日影”。
 かつて胸を貫き今も激しく疼く思いを歌声に乗せ、ボーカリストとして覚醒していく燈の声は、扉を突き抜けて広い場所へ届いていく。
 新たな観客を引き付ける音に耐えきれず逆行する形で、祥子は涙ながら逃げる。
 CRYCHICの……私たちの……CRYCHICだった私たちの曲が”今”に塗りつぶされ、しかもそれが否定し難い輝きを眩しくはなって、大好きな親友が痛みを乗り越えて新たに動き直す熱量。
 それをずっと望んでいたはずなのに、今燈の隣には自分がいなくて、自分がいなくても燈はあの歌を歌えてしまっていて、でも今燈が歌えているのは自分がいたからで。
 混線し混濁する歌にかき乱されて、グチャグチャに跳ね回る感情に耐えかねて、祥子はRiNGの階段をずり落ちるように駆け下りる。
 嘘偽りのない”今”の炸裂、新世代ボーカリストの鮮烈な覚醒、ロックンロールの真髄。
 喜ばしい可能性で満ちた初ライブは、そこから取り残され夢と愛に呪われた”人間”にとっては、あまりに残酷な凶器だ。
 並べてみると燈は未来の方向へと己の歌を咆えて、祥子は壊された思い出の方向へと全力で駆け出してる、背中合わせの鏡合わせなんだなぁ……。

 ベースを握った共犯者として、豊川祥子殺人事件に加担してしまった事実を今更ながら確認して、長崎そよもまた壊れる。
 他メンバーがステージの上あふれかえる熱と波に魂を委ねる中、そよは当惑した表情で祥子の涙と逃走を見てしまい、それでもなおベースを手放せない。
 感情炸裂させた祥子の隣に立ちつつ追えなかった睦と同じく、自分らしさの壁をぶっ壊せないまま、あるいは同じ痛みが解るからこそ、野放図に突っ走ることは出来ないロックンロール迷子達。
 楽奈ちゃんが同じ立場だったら、ギター叩きつけてステージから去っていただろう状況で、なお演奏を壊さないようにベースを握り続けてしまうそよの、物分りの良い外面が悲しく……愛おしい。
 その取り繕った嘘っぱちが、他でもない長崎そよの心臓だからだ。

 ここで燈の眼中に祥子がいないのは、第3話で描かれた主観の牢獄、その真中を占めている神様からの卒業証書として、薄情で切実でとても良かった。
 過去とか思い出とか、そんなもんもう見ている場合じゃないのだ。
 ”今”に踏み出すために豊川祥子の強い視線が、壊れてなお輝く記憶と愛が必要だったのは間違いないけど、動き出してしまった音楽はそういうものを、全部置き去りにしていく。
 そういうガムシャラな速度があればこそロックはロック足り得るし、”今”に全霊を注げる……注ぐしかない燈の一心不乱は、見ているものの心を確かに震わせる。
 隣に立つ仲間たちも、燈から溢れ出す熱の当事者であることに震えて、ライブを心底楽しみ没頭していく。
 長崎そよ以外は。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 やりきった、燃やし尽くした、歌い上げた。
 たった二曲の青春に自分の全部をぶつける、圧倒的な快楽に思わず浮かぶ笑みと、バックステージの抱擁。
 野良猫が感情の爆心地からとっとといなくなる中で、長崎そよはこの”春日影”が殺してしまったものを見届けて、顔を上げられない。
 その残酷に気づかぬまま、愛音が燈のノートがステージに置き去りだよと告げてあげる場面、最高なんだよなぁ……。
 緊張やええかっこしいを演奏が引っ剥がして、生の千早愛音が出てくる時、こういう事を見落とさないナチュラルな優しさ、視野の広さ、ケア力の高さが表に出てくる。
 燈はずーっと誰かに優しく出来る人間になりたいと願い続けているので、挫折に呪われ他人を踏み台にしようとしてたときですら、愛音が溢れさせたこういうニンの良さに惹かれ、すがりついた。
 そういう愛音の良さを邪魔する余計な荷物を、燈がマイク握って叫ぶ歌がぶっ飛ばして、MyGO!!!!!やってる千早愛音が一番良い千早愛音なの、マジでいいと思う。
 そんなピンクの横入り野郎に気を許したくはないが、血を沸騰させた本物のステージに嘘はつけず、不器用な語彙で『最高!』と抱き合う立希ちゃんも……またLOVE……。

 っていう感慨が強いほどに、一人ブチギレ金剛な長崎そよの本気もビンビン響くってもんよ!
 いやー……待ってたねこの瞬間を。
 訳知り顔の分厚い化粧で本音を覆い、自分の都合のいい未来をいいように手繰り寄せようとして果たせず、ひどく不自由に『良い人』してた今までのそよより、その修羅の顔が何より綺麗だ。
 素晴らしいライブ演出に乗っかって、燈たちが進みだした”今”の熱を強く感じれるからこそ、それがぶっ壊した思い出と傷、踏み出せない枷の重さが良く分かる。
 『テメーもいつまでも過去に呪われてねぇで、前向け前!』とロックンロール正論でそよを殴るのは、停滞の内側にあるとても柔らかく嘘がない思いをこれほど鮮明に描かれてしまうと、まぁ無理だ。
 そよはそよで、大事にしたいものがある。
 それは果たして、バンドの仲間たちが生み出し飛び込んだ”今”と相容れないものなのか。
 そよを縛り付け抱きしめる思い出が、あったればこそこのステージがあるのだと、燈は正しく認識している。
でもその正しい時の流れに、乗っかれないのだって”人間”だろーが!!
 こうして咆えられた強すぎる思いを受け止めて、新しくも懐かしい私たちの歌にしていけるかが、MyGO!!!!!の真価を問うんだろーが!
 まぁ、そういう感じである。
 やっぱ暗い屋上で一人きり、携帯電話に閉じ込めた過去を見つめ続けているより、そうせざるを得なかった熱を鬼の形相で吐き出し叩きつけて、何かをぶっ壊してそこから始めるほうが良いよ。
 おめでとう長崎そよ。
 CRYCHICの葬式でありMyGO!!!!!の生誕祭であるライブは、まだまだ始まったばかりだぜ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! It's MyGO!!!!!”第7話より引用

 そんな情感の爆風を背中に受けて、自分が生み出し自分を殺した英雄の再誕から逃げて逃げて逃げたその先で、豊川祥子が見上げるものとはッ!
 徹頭徹尾ライブハウスの中で展開した話数が、その外側に”解放”されるのではなく””逃亡”すること。
 後に仮面被ってバンドやることになる女への接触が、もぎ取られた誰かの代理でしかないこと。
 何もかもが後ろ向きに全力疾走しまくってて、最高にいい。
 『抱いてよ……メチャクチャにしてよ!!!』とか言い出すの(言ってない)、あの”春日影”でどんだけ祥子の魂が引き裂かれてたのか、そうやって傷つき血を流す”人間”なのかが如実に伝わって、最高に良かった。
 初華ちゃんもさぁ……なんかピンとこないアイドル活動唯一の潤いみたいな顔で、さきちゃんコールを待ちわびてんじゃないよッ!!!
 こんだけ強い矢印が初華から祥子に延びてるってことは、まなからの線がsumimi内部で完結共有されてねぇってことで、ここにも地獄めいた感情混線があるってワケよ!

 いやー、どこもかしこも大騒ぎ、問題山積初ライブでした。
 アフロ目当てで箱入って、なんか素人臭い立ち上がりからボーカル覚醒激情のMC最高の二曲目と、観客目線でまとめるとメチャクチャドラマティックなデビューなんだよな……。
 しかしそういう外からの評価を横に置いて、炸裂したロックンロールは亡霊たちを傷つけ、思いは連鎖していく。
 迷って間違え、縋って叫んで。
 ツルンとお綺麗な充実なんぞどこ吹く風、私たちの”今”はいつでもガタガタです!!
 そういうアニメですよと、あまりに力強く教えてくれる最高の折返しでした。
 こっからの後半戦、まーたドすげぇモンが間違いなく見れるので、マジ楽しみです。

 

 

 追記 勇者の投げた槍は、勇者に当たるべし(ク・ホリンを殺したドルイドの呪言)

 こんだけすげぇライブをやっちゃうと、サブタイのとおり『今日のライブが終わっても』バンドやるしかねぇんだけども、これを今日のライブを最後にCRYCHICを再生させるつもりだったそよが言ってるのが、まー皮肉というか必然というか。
 誰も逃れられない”今”に逆らって、壊れたものにしがみついて蘇らせる無茶を叶えるには、長崎そよはあまりに”人間”で。
 そんな叶わない夢が祥子の涙で完全にぶっ壊されて、そらーブチギレもするわけだが、しかしどんだけ咆えても音楽は鳴り始めてしまったのだ。
 そのスタートを刻んだのは、まちがいなくそよが整えた外面と野望で、どんだけ望んでいなくてもそよは名前もないバンドの一人、青春迷子の一人なのだ。
 『今日のライブが終わっても』、人生は続くしロックンロールは鳴り止まない。
 止まってくれない時間の中で、過去にしがみついてきた自分を暴いたそよはどこに流れていくのか。
 そんな迷子を前にして、誰が手を伸ばして抱きしめるのか。
 MyGO!!!!! 面白すぎ。

 

 

 追記 『震えさせてくれるならさ、敵とか味方とか関係ないと思わない?』 日本橋ヨヲコG戦場ヘヴンズドア”第10話

 あんだけ好き勝手絶頂ぶっこいてた楽奈ちゃんが、どんだけのパフォーマーか実際の演奏で確かめる話数でもあったと思うが、楽奈ちゃんはあんだけ自由に振る舞いつつ前には出過ぎない。
 かつて愛音が甘く夢見たように、バンドの真ん中に立って目立ちまくることよりも、ライブが面白くなること、自分のギターがその一部になることを何より望んでいる。
 楽奈ちゃんの自由さは義務や責任からの逃散であると同時に、過去やら承認欲求からからの自由でもあって、とにかく最高と思える一瞬のために全霊を注げる、ロックンローラーに不可欠の資質を既に備えている。
 ”今”ステージに求められているものを感覚できるセンスがずば抜けているので、弾くべきタイミングでピックを握って”春日影”に進み出ることが出来たし、そういう流れを感じ取る嗅覚は今後、MyGO!!!!!がデカくなっていく中で重要にもなるだろう。
 そしてそうやって自分を満たしてくれるおもしれー音楽は、”みんな”じゃなきゃ出来ないんだと野良猫が学んだ時、名前のないバンドにようやく名前がつくのだろう。
 それは誰にも懐かず縛られないように見える楽奈ちゃんが、自分をつなぎとめてくれる何かを手に入れる瞬間に、多分なる。
 見届けた時、多分凄く心が動くだろうなと期待している。