イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-:第6話『ひとみしりのハーモニー』感想

 愛すべき故郷を守るために、シャイなヨソモノ三人が遂に手を取り合う。
 どこかで知ってて全然違う、俺たちが見たことないGuilty Kissの物語がついに動き出す、幻日のヨハネ第6話である。

 都会に突っ立ってりゃあ何か特別なことが起こると、空っぽなまんま故郷に戻ってきて思い込みで悪態つき、臆病な自分を守ってるイヤーな女の子として自分の物語を始めたヨハネ
 職と夢を既に手に入れた幼馴染と、厳しくも優しい導きの獣に手を引かれて故郷を進んでみたら、色んなことが変わって出会いの中で何かが分かった。
 街の声を聞く耳にコンプレックスを抱き、ワーシマー島に閉じこもっていたマリちゃんと、別れの辛さに誰かの手を取るのを諦めていたリコちゃんを導く側になることで、ヌマズのそこに住まう人が出戻り少女に何を手渡せたのか、確認するような話運びとなった。
 ギルキス以外は既に人格仕上がってるお話にしたことで、未完成で未熟だからこそ自分を変えていけるダイナミズムを三人に絞り込んで、話が分かりやすくなったと思う。
 ぶっちゃけ手広くやろうとしすぎて散漫にもなっていたサンシャイン本編を思うと、ヨソモノ三人に変革の特権を限定したのは、結構いい手筋なんじゃないかと感じた。(ここら辺は、明確にルヴィちゃんに焦点合わせていた劇場版とも重なる筆致か)

 

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第6話より引用

 初手ヨハマリ抱擁で”仕上がってる”感を出しつつ始まる今回のお話、かつてチョロっと顔見世したリコちゃんをメインに据えて、その内面にグイグイ迫っていくエピソードである。

 初対面では『家族売れよ……』という激ヤバアプローチを跳ね除けることしか出来なかったヨハネだが、数話分の成長が生きて臆病な転校生の心をがっちり掴み、閉ざされた扉を一緒に開けていくことになる。
 あの時は他人の手を引くどころじゃなかったヨハネが、今回はリコちゃんが本当にやりたいことへと背中を押す立場になることで、ヌマヅが彼女に与えたものが見えて、そんな恩義ある場所を傷つける異変解決に、三人手を取って立ち向かってい行く流れにも上手く乗れる感じ。
 『こんなド田舎大っきらい!』つー態度だったヨハネが、幼馴染とデケー犬に支えられて自分の足で地元を回り、自分の目でその良さを見つける歩みを時間かけてやったので、ローカルだからこそ地に足付いたモチベーションで英雄になっていく展開が、結構食べやすい。
 アニメ美少女がワイワイファンタジックなことをやりつつ、ここら辺の手応えがいい意味で土臭いのは、結構好きだ。

 そんなヨハネの成長を見せるべく、リコちゃんは相当魂フラついたなヤバ女として描かれる。
 人間相手には人見知りなのに、謎めいた生物にはブレーキぶっ壊れた近づき方して、市庁舎の備品もぶっ壊しかける未熟な現状は、ヨハネがそうであったように成長するための余白でもある。
 王道友情アプローチで魔王城から引っ張り出され、持ち前の優しさの使い道を学びつつあるマリちゃんが、今回日の当たる場所でニコニコ歩いているように、リコちゃんもヨハネと一緒に進む中で、自分がどこに生きたいのか、何をしたいのか見定めながら、自分だけの強みを見つけていくのだと思う。
 この人見知り三人組がスクラム組んでヌマヅを救う話なのだという大枠が、六話目にしてようやく見えても来たが、歌に古代知識に動物学と、それぞれの得意分野が結構凸凹しているところが、チーム感あって結構好きだ。
 『違うからこそ、あなた達は強いのだ』っていう、当人たちが自覚してない強みをダイヤさんが既に把握していて、万全のサポート体制を整えている(つまりダイヤさんがそういう強みを既に理解してて、主役のサポートを必要としないまま完成している)のは、やっぱ面白い構図だ。
 幻日のダイヤさんはマジ頼りになる”大人”で、執務長官つう立場も活かして未塾DREAMERたちがいいところたどり着けるよう、八方手を尽くしてくれててありがたいね。

 ヌマヅに迫る危機は遠く忘れられた伝承にこそ解決策があって、日の当たる人間世界から遠く離れそれを継承してきた、マリちゃんの知恵が頼れる武器にもなる。
 街の誰も近づかなかったワーシマー島に、わざわざ飛び込んでチョロ魔王を射止めたヨハネあってこそ、危機を乗り越えられそうな希望も残った。
 しかしそういう実用はヨハネの考えの外にあって、ただただ自分に似ているシャイガールがもっと幸せになれるように、なけなしの勇気を絞り出して友だちになった結果、マリちゃんの願いは叶うし、街を救う秘策も希望を残す。
 ヨハネの魔法がいつでも、打算やエゴではなく真っ直ぐな願いに反応して発動してきたように、このお話は悩み多き青春時代からの突破口を、ピュアな利他意識と純粋な情熱で切り開いていく。
 この透明度高い、夢想的で理想的な転がし方は凄く”ラブライブ!”っぽくて、舞台が変わっても魂のどっかが繋がっている感覚は、こういう所から生まれるのかな、と思う。
 なのでうじうじリコちゃんの問題解決も、そういうピュアな光が担うことになる。

 

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第6話より引用

 ……っていう”正解”に至る前に、思う存分後ろ向きシャイガールのイヤーな部分ほじくり返しておかないとねっ!
 『私たち別に友達じゃないし……』みてーな、気合の足りない現実味を”ラブライブ!”から接種するのはなかなか新しい感覚だが、橋の欄干が強調する隔意の奥には何があるのか、少女たちはうっすら感じつつまだ答えを見つけていない。
 このヨソモノ三人組が、作中唯一変化と迷いを許された特別な存在として、バラバラなんだけどたしかになにか繋がっている、不確かで柔らかな感覚を共有している様子。
 これを描くために、モチーフの共有と再奏は結構強めにぶっ込まれている。

 例えば物別れに終わる対話の中で、街のため自分たちのため何かしたいけど何すればいいか解らない三人は、それぞれそのヒントになりそうなものに手を伸ばす。
 答えはとても近いところにあって、触れるほど本当は確かなのに、それに縋って一歩を踏み出して良いのかわからない。
 傷つきやすい自分を守るために思い込みで殻を作って、その外側にあるのは怖くて哀しいものなのだと思いこんで、誰かが手を引いてくれるまでそこから出れない似た者同士は、似通った仕草で街の声を聞く角を、魔法の宿った杖を、動物学者として探ったメモを、不安げに撫で擦る。
 その指先に宿った感情が似通っているからこそ、ヨハネはマリちゃんを島から連れ出し、リコの予防線を越えていけるのだ。

 このシンクロニシティは視線にも重なっていて、他人の心はわからないと嘆くヨハネと、聞こえない心の声に戸惑うマリちゃんは同じ月を見ている
 その特別さ故にマリちゃんを孤独にもした一族の証は、常人が聞けない音を拾い上げるけども、他人の全部を知れるわけではない。
 遠くから見守っているだけでは掴めない、本当に知りたいし守りたいモノがどんな形をしているのか、ワーシマー島≒自分の心から出るきっかけをヨハネに貰ったマリちゃんは、他人に手が届く距離まで実際に進み出ることで学んでいく。
 これはライラプスに見守られているヨハネも同じで、自室に閉じこもって他人を知ろうとしなかった時代から進み出て、想像より暖かったヌマヅの実相を知り、今同じく心のなかに逃げて身を守ろうとしているリコへ、勇気と愛を抱えて近づきつつある。
 しかしすぐさま答えが見えて、迷わず真っ直ぐ飛び込む主役気質は彼女たちにはなく、一回拒絶されて迷って考える、ウジウジウロウロした足取りも必要なのだ。

 ここら辺の内面への歩み寄りを描く時、ヨハネにしかその声を届けられないライラプスが雄弁になるのが、彼がどういう役割を背負ったキャラなのか分かりやすくなる感じで、とても良い。
 ヨハネが自室から外に出て、色んな人と語らう場面が増えるほどライラプスのセリフは減っていくのだが、それはヨハネがウジウジした自分語りを必要としなくなっている、成長の軌跡でもあろう。
 デケー犬の姿をしたライラプスは、意固地で臆病なヨハネがどこかで感じている”正しさ”の具現であり、本当はやりたいしやらなきゃいけないことを彼女に問いかけ、煽り、導くことで、なりたい自分へと近づけていく。
 ママさんがヨハネに課した夏休みの宿題を、甘ったれた妹が果たせるように、その物語が良い結末を迎えられるように導いてくれる、強く優しきガイドアニマルである。
 その出番が順当に減っているのは、ヨハネの成長と独立という意味合いでは喜ばしいし、すっかりライラプスくん大好き人間になってしまった立場としては、寂しく哀しい。
 もうちょい自分にしか聞けない優しい声の主と、穏やかに戯れる時間を続けておくれ……。

 

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第6話より引用

 というわけで再び橋の上、臆病なお別れを押しのけて友情ノーチェンジ、凸凹三人組結成! である。
 岸と岸をつなぐ境界線上を語らいの舞台にしたのは、お互いの心がつながる象徴的な意味合いもあるだろうけど、夕日の中上手く心に迫れなかった一回目の対話が、今度はリコの深い所に潜る変化を、より際立たせたかったからだと思う。
 あの時は縦方向の分断、夜が近づくオレンジ色の切迫感が強調されていたレイアウトは、ヌマヅらしい眩しさに包まれ開放的で、ヨハネとマリちゃんの歩み寄りが心の壁を崩した事を、上手く伝えてくる。
 第1話ではこういう場所に引っ張ってもらう側だったヨハネが、ここまでの物語を経て引っ張る側になっているのは結構感慨深く、しかもその起因となったハナマルちゃんからのアプローチが幼いヨハネ自身の歩み寄りから始まっていることを思うと、取り戻すべき自分に還りつつある手応えもある。
 成長する内いつの間にか取りこぼしてしまった、幼い時代の純粋な思い。
 これを思い出させてもらうことで、大きくなった背丈で新たに踏み出せるお話をこの三人はやっているので、幼年期の回想が随所で挟まるのは納得なんだよな。
 それは進むべき場所、還るべき場所を教える、大事なスケッチなのだ。

 別れが怖いから大事な人を作らず、誰かを好きになることから逃げ続けてきた。
 その臆病はヨハネやマリちゃんも同じで、だからこそリコちゃんが自分の内側にあるものに向き合う手助けが出来る。
 個性や資質はバラバラで、だからこそ良い影響を与えあえる友達が、根っこの部分で共有しているハーモニーが、グイグイ表に出てくる回でもある。
 動物にしか興味を持たないことで自分を守っているリコちゃんは、子どもと仲良くなってきたヨハネの視点を借りることで、異変がヌマヅに及ぼす悪影響をより広く実感も出来る。
 答えが見えない、あるいはそこから逃げてる今の自分には足りないものも、自分を愛してくれる誰かに助けられれば見つめることが出来て、そうやってもっと広く、もっと正しく世界と自分を見つめ直すことが出来る。
 そういうツギハギな視界で見つけた自分は、色んなものから臆病に目をそらしていた時よりなりたい自分に近くて、今よりずっと好きになれる自分だ。
 ここら辺は前回、橋の下の妄念からマリちゃんを引っ張り出してヨハネが見せた景色と同じで、過ちや思い込みがただただ正しくないだけじゃなく、震えながら自分を守るための外殻でもあると、優しく見守る描き方だ。
 その覆いを外さなきゃ世界と自分のあるべき形は見えないけど、それはとても怖いことなので、特別な助けが必要になる。
 ヨハネ自身色んな人に覆いを外してもらったからこそ、リコちゃんの特別として震える告白を受け止めて、しっかり魂を抱きしめる事もできるのだ。
 夕日での対話では、不安げに杖をさすっていた掌が、今度は眼の前にいるリコちゃんを間違いなく捕まえられているの、好きな描き方だ。
 このアニメ、何かをしようとして上手く行かない場面の上手く行かなさ、なんとか上手く行かないかなと善意をこねくり回している加減が繊細に切り取られてて、話自体はポップに停滞せず進むのに、タメるところはしっかりタメてる塩梅が良いよね。

 

 

画像は”幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR-”第6話より引用

 扉の前で怖がってうずくまっていたと、隠してきた内心を吐露する時の水彩画帳が、”Hey, dear my friends”に繋がっていって、同じ色合いの世界をマリやヨハネも生きてきたのだと示す演出が、凄く好きである。
 一人だと思い込み、そうして孤独に閉じこもることで傷つきやすい心を守ってきた人見知り達が、実は一人ではなかったのだと解るのは、同じように前に進めないままそれでも進みたいと、心のどこで願い誰かを待っていた、誰かの掌のおかげだ。
 ヨハネの願いが形を得るまで放送期間の半分、かなり独特のペースで話を進めているこの話だけども、だからこそ描けるものが沢山あって、このウォーターカラーの共鳴もその一つだと思う。
 歌が流れ出す前の現実では、感想の中にしかなかった色合いは出会いと友情を歌う曲の中で、もう子どもじゃない今に流れ出していく。
 出会って新しい自分に変わっていける今は、確かに怯えていたあの頃から地続きなのであって、一人思い込んで閉じこもっていた季節があるからこそ、三人手を取って扉を明け、同じモノを食べて一緒に笑顔にもなれるのだ。

 そうやって繋がるものが、リコが愛し愛されることから逃げてきたこれまでと決別し、自分をヨソモノと思い込むことで安全圏を確保する生き方から、動物知識を活かしてヌマヅの危機に立ち向かう未来へ、踏み出す道にも拓けている。
 リコの掌は新しい決意を育んだ自分の胸に向けられて、不安げに握りしめたヨハネの手をこんどはリコが取り、マリが背中を押して、歌で危機に立ち向かい、自分の耳で心の声を聞く夢へ、みんなで進み出していく。
 掌を鍵に思いや関係を描く演出が今回冴えていて、大変良かった。
 それは掴みたい何かを掴めず彷徨ったり、それを掴み取るための手がかりを探ったり、決定的な対話を通じて強く繋がったりする、感情と意思のメディアだ。

 そこから伝わるものを受け取って、自分を特別だと思いたかったのに裏切られ、一人何もないのだと思いこむことでどうにか自分を守ってきた少女は、ようやく特別になれるかもしれない自分を受け入れていく。
 マリちゃんの古代知識に支えられて、ヌマヅの救世主になれる自分、なりたいと思う自分にヨハネが向き合えたのは、ダメダメ少女としてスタートしてから六話、彼女たちの歩みを見守ってきた視聴者としては嬉しい限りだ。
 9人の群像劇としての色合いを薄め、迷えるヨハネの凸凹青春旅にフォーカスしてきた作風は賛否あると思うけど、自分としてはこんぐらい的を絞って話を作ってくれたほうが見応えあっていいかな、って感じ。
 ハナマルとライラプスに助けられて始まったヨハネの物語が、家の外に出て出会いを通じて変化していき、かつての自分に似た人見知りたちの手を引く立場になっていく一つ一つを、どっしり見られてよかったです。

 

 というわけで、運命の九人最後のピース、動物学者リコちゃんと向き合う回でした。
 沼津ではあんだけ犬に怯えていた彼女が、ヌマヅではアニマルクレイジーになっているのも”SUNSHINE in the MIRROR”らしい味付けだが、根っこの生きづらさとオモシロ人間っぷりは、やっぱ繋がってるなぁ。
 今回ヨハネに勇気をもらったことで、今後彼女の面白さと強さがヌマヅでもいきいき暴れてくれると、なかなか面白くなると思います。
 次回のAqours女子回も、大変楽しみです。