赤い凶気の奥に潜むは、屈辱の記憶と燃え盛る憎悪。
むっつりシャルが己の歪な鏡を探る、シュガーアップル・フェアリーテイル第23話である。
最初に……人殺しだと疑ってすいませんでしたシャル・フェン・シャルさんッ!!!
ラファルのヤローがあんまりにもキチってるので、人間ぶっ殺さないと許してもらえないハードコアな状況だと思いこんでいました!
あいつの孤独と執着はこっちの想定以上に捻じくれていたので、シャルさんが信念貫くの許してもらえたの、正直意外でした!
シャルさんの手が血に汚れなかったことで、アンちゃんを抱きしめてのハッピーエンドに物語が突っ込んでいく障害がなくなったのは、とてもいいことだと思います。
いや実際、人殺ししてたら残り話数で解体できないしこり生まれてたからな……お話が用意した誘導に、気持ちよく乗っかってしまったぜ。
まーこういう風に揺らされ乗せられるのは、気持ちのいい体験なので好きだし、殺してないほうが当然良いので、良かった良かった。
そして『良かった!? なんにも良くねぇよ!』という現状を、ソリッドに掘り下げていく回でもある。
シャルが殺人に加担しなくても、ラファルの傷ついたエゴを癒やすために人間ぶっ殺されているのも、その道具として妖精が使い潰されているのも、否定し難い事実だからな……。
後にシャルの鋭い詰問で暴かれていく、王を名乗るに相応しくない身勝手でせせこましい歪んだ意識に気づくことなく、妖精たちは人間を襲って傷つき、不和の種を世界にばらまいている。
その無邪気は例えばミスリルの振る舞いを見て癒やされてきたこれまでの物語の、薄暗い影なのだろう。
砂糖細工が上流階級の贅沢品ではなく、傷ついた戦士の医療器具として求められていく描写と合わせて、アンちゃんがこれまで主役を張ってきたロマンス(あるいはサクセスストーリー)の裏側を、最後の最後で溝浚いするような展開で、大変良い。
それは確かに、この世界に存在してしまっている歪みだ。
世界がたいそうろくでもないことと、その中でアンちゃんが灯火であることは、矛盾せず併存する。
冷たく遠い影から暖かな光に近づいて、アンちゃんと触れ合って温もりを得る。
ルスルとシャル、二人の妖精が同じレイアウトと運動を繰り返すことで、アンちゃんがどういうキャラクターであるのか、終幕を前にもう一度確認させてくれる演出が良い。
アンちゃんは恋に浮かれ仕事に夢中な、世間知らずの無邪気な女の子……だったけども、クソみたいな業界の嵐にもまれ、悲惨な理不尽と自分なり戦い、キャリアを積み上げる中で見えてくる世界も変わってきた。
ラファルに拉致されて暴力に追い立てられ、手弱女ぶりが表に立ってはいるけども、物語が始まった時の夢だけしか持ってない、無力な女の子ではもうない。
同時にそんな女の子が唯一持っていた暖かな心は、変化しつつある世界の中でも一番大事な武器であり、善悪の区別がつかないルスルに甘い砂糖菓子を通じて『善いこと』を教え、同じく苦しい状況にある恋人に不屈の闘士を燃え上がらせる。
ルスルには与える立場で、シャルには自分の温もりを反射して貰う距離感なのは、付き合った時間の違いが感じられ面白い。
思い返せば、シャルも過酷な運命に傷つき、人間不信と孤独にあえいできた。
傲慢で凶悪なラファルは、アンちゃんと出会えなかったシャルの歪な鏡像であり、彼が今クールな瞳の奥熱く見据えているものは、アンちゃんだけが手渡し得たものだ。
共感、信念、勇気、あるいは愛。
どんだけ世界がクソでもそれだけは真実で、真実にしなければ世の中もっとクソになっていくものを、今のシャルは結構真っ直ぐに信じて、自分の鏡に立ち向かっている。
アンちゃんのような瑞々しい柔らかさはないけども、硬質な強さと美しさでもってラファルの本質を暴き、奴隷の境遇から脱していない同朋に思いを伝える。
あんだけ世の中拗ねていた皮肉屋が、そういう戦い方を出来るのはやはり、このオレンジの灯火を最初に手渡され、アンちゃんに支えられまた彼女を支えて、一緒に進んできたからだろう。
こういう暖かな連帯は交流の薄かった妖精たちにも広がり、望んで孤独になってもいるラファルからは縁遠い。
個人レベルで優しく正しく向き合えても、社会全体としてはクソみてーな奴隷制で成り立っている世界で、誰が殺し合って傷ついているのか。
そんな現実の中、甘くてキレイなだけの贅沢品に何が出来るかを、アンちゃんはこの冷たいお城で学んでいく。
繰り返しになるけど、銀砂糖細工が傷を癒やす実用品として、新たな意味を持つ場面が出てきたのはお話をまとめるにあたって、凄く大事な描写だなと思う。
妖精が魂を持つ命である以上、(ノアを巡る物語がそう示したように)銀砂糖菓子はかけがえない糧であり、具体的な癒やしの力を持つ……はずなんだが、それを必要とする妖精が奴隷階級なので、人間様の贅沢品として取り上げられてしまっている。
社会が抱えるいびつさと、アンちゃんが人生をかけて挑む芸術は確かに繋がっていて、だからこそ今アンちゃんにだけ出来ること、そこから生まれる確かな絆がある。
こういう形で、2クール作品のメインテーマになってきたものの意味と価値が照らし直されるのは、とてもいいことだ。
装飾品と医療品、対極にねじれた砂糖菓子の矛盾を、アンちゃんはシビアな現実に傷つけられながら自分に引き寄せ、できる限りのことを頑張っている。
そんなねじれを解決するべく、階級テロルに同朋を借り出しているラファルはしかし、自分がかつて傷つけられた構造と同化しているだけだ。
シャルが妖精たちに厳しくも正しく、そして優しく向き合えているのは、アンちゃんから受け取った温もりが彼の中燃えているからだが、ラファルが正すべき矛盾に飲み込まれ、新たな奴隷頭になりさがっているのは、人間の最悪を受け取った結果なのだろう。
そういうところから自力で抜け出せないから誰かと触れ合うことは大事で、そういう希望を銀砂糖菓子が紡ぎうることは、アンちゃんの作品が彼女自身を救う手助けになる展開からも受け取れる。
ラファルが望む銀砂糖菓子をアンちゃんが作れないのは、ヤツが振り回す赤い凶気がアンちゃんの理解を(当然)遠ざけ、驕った行いが親密さを跳ね除けているからだろう。
アンちゃんは自分が納得した”仕事”しか本意気でやれないパンクスなので、斬糸ブン回して強制ばっかしてくるゴミクズ人間になにか頼まれても、心を込めて砂糖菓子作れはしないのだ。
ここで恐怖や怒りを指先に込めて、呪いの砂糖菓子を作ることは出来ない所に、アン・ハルフォードの弱々しさ、優しさ、正しさがあると思うね。
アンちゃん、怖いの嫌いだもんなー……。
アンちゃんが背負いきれない恐怖や怒りを、正しく体現し剣と振るうのはシャルの役割である。
クライマックスが近づくにつれ、血縁的にも存在的にも自分にとても近いラファルと向き合い、シャルの存在感がグッと高まってきた。
アンちゃんのミューズとなって仕事を助け、彼女の善良さを己の願いと後追いしてきた印象が強かったけども、ここに来て彼だから出来る鋭さでもって、物語の真ん中に食い込んできたと思う。
奴隷解放を謳うラファルが、真実何を願い何を見落としているのか。
これを鋭く見抜き突き刺すのは、人間と世界のロクでもない部分に既に巻き込まれ、幾度も傷つきなお立ち上がってきた、戦士妖精にだけ可能な仕事だろう。
偽りの王権ブン回して誰も彼も(自分含め)不幸にしてるラファルと対峙することで、忘却されてきたロイヤルな出自、それ故果たすべき責務に向き合う形にもなってきて、いい具合に物語の忘れ物を回収している感じがある。
ラファルの行いを『王らしくない、間違っている』と指弾することは、シャルにとって正しいこと、王たるべき行いがどんなものであるかを、自動的に問いただす。
それが公平で優しく、だからこそ強い理想になっているのは、やっぱアンちゃんに人生救われ、ずーっと間近にい続けたからこそだよね。
人間から自由になって、新たに妖精に飼われることは、別に自由じゃない。
何も知らず無邪気だったルスルが、殺される可能性に目を向けた上でアンちゃんを助けようとシャルに真実を伝えた時、彼女は真実自由となった。
それはあの時アンちゃんが流した涙の意味を、ようやく知ることだ。
ルスルというサブヒロインがいることで、無垢な存在が何かを失うことで真実の自由を得る物語が上手く描かれて、お話の彫りが深くなった感じもある。
それは無垢な少女から現実に揉まれ、今一番ハードな状況にいるアンちゃんの物語を、役者を変えて再演してもいるのだろう。
無垢とは、何も知らず何も選ばないことではない。
シャルがアンちゃんに救われて、正しく優しく強い戦士としてラファルに今対峙できているのは、ロクでもない現実を知ってなおキレイなものを作ろうと、優しい自分であろうと踏みとどまってきた、傷だらけのイノセンスを見てきたからだ。
ルスルはそんなアンちゃんに砂糖菓子を手渡されて、己の無垢性を傷つけて決断と自由を得た。
その正しさを、血統主義と傲慢な孤独に縛られたラファルは、けして得ることが出来ない。
もう殴らねーとどこにも行けない所に、ラファルは自分で自分を追い込んでいるので、シャルが良い作画で剣術無双するのは必要な要素なんだろうなぁ……。
このアニメ、剣戟の演出が毎回冴えに冴えててめちゃくちゃカッコイイの、俺大好きなんよね。
そんな主役とヒロインの奮戦が、冷たい城を越えて人間の領域に届くのか。
ジョナスの再起が描かれたり、国家暴力介入の兆しが見えたり、小さい描写ながら先の展開を上手く導くシーンが挿入されてて、活かし方が楽しみだ。
ジョナスは初登場時のぶっちぎりクソカスからどん底に叩き落され、酒浸りのところから職人魂取り戻して、星を真っ直ぐる見上げる所まで来て……なかなかおもしろい歩き方したキャラだなと思う。
アンちゃんは作品の背骨として、理不尽に曲がらず折れず真っ直ぐ進める(進むしかない)立場にいたけど、こんだけクソな世界だと折れるのも普通で、そういう人間の弱さ、醜さをジョナスは体現してくれたように思う。
あとまー、何しろラファルのやってることは国家レベルのテロなんで、軍隊が動員されるのも当然ちゃー当然なんだけど。
フィラックス動乱とかノアの主家の顛末みても、この世界の軍事力ヌルさの欠片もなく何もかも叩き潰して権力を維持してくるので、妖精反乱軍皆殺しで決着しそうでこえーんだよな……。
妖精たちにも意志があり、だからこそ戦い傷つきもすると今回書かれた上で、『家畜に神などいない!』と全力で叩き潰されると、心の持っていくどころがない。
同時に同じ人間相手でも、反逆の気配匂わせた瞬間にあの殲滅っぷりだったことを思うと、奴隷相手にどんだけの容赦が期待できるか……。
まー上手い所にまとめて欲しいよ。
というわけで、アンちゃんの優しさとシャルの正しさが、赤い凶気の牙城を切り崩す回でした。
ラファルの血縁主義、他者の痛みへの共感のなさって、彼自身魂を捻じ曲げられたこの世界の奴隷制、苛烈な王権を、支えている地盤そのものなんだよな……。
犠牲者のはずなのに加害者になってしまう、哀れな愚かしさを凶行に滲ませつつ、それはそれとして好き勝手絶頂ぶっこいたツケはきっちり払ってもらう。
過酷極まる現実を知った上で、砂糖菓子職人アン・ハルフォードは何をその手で作り出すのか。
次回も大変楽しみです。
……ラファルが見つめたダイヤから兄弟が生まれなかったの、それでアイツの間違いが加速していったの、『作る人』が主役のお話だと考えると、適切で残酷な描写だな。