イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

呪術廻戦「渋谷事変」:第34話『昏乱』感想

 現人神の封印により、帳に覆われた盤面は一気に様相を変える。
 駒は異能と人命、ルールは欲望と使命。
 複雑怪奇に律動する殺戮のゲームが、渋谷を舞台に駆動を始める呪術アニメ、第34話である。

 そこに存在するだけで盤面を制圧してしまえる大駒、五条悟を封印したことによりその場から動けなくなった偽夏油。
 死してなお活躍するメカ丸の奮戦により、情報アドバンテージを失った呪霊陣営は欲望の赴くまま”ゲーム”へと走り、呪術師側は五条開放を目指して敵本丸へと進軍を開始する。
 たった一人で何もかも解決できてしまえる、卓越した”個”を否定することによって命がけの群像劇が動き出し、情報と理念を共有することで強くなる人間と、そのあり方を嘲笑う呪霊との対峙が鮮明になっていくのは、なかなか面白い変容である。
 頼れる先生がいなくなって、命がけの状況で自分が何者かを証明していく生徒たちへの試験が始まったとも言えるし、呪い呪われ死んでいく世界のロクでもない実相が、ようやく生のまんまガキどもにぶっかけられるようになったとも言える。
 ゲームゲームと喚いてみても、そこで死んでいくのは有名無名に関わらず人間の命そのものであり、すり潰されていく人生や感情が必ず、傷と呪いを生むだろう。
 その残酷さと臭気を、響き合う人間らしさの美醜をどう複雑に変化する盤面に、このアニメが刻んでいくのか。
 なかなか元気なスタートになった。

 

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第34話より引用

 見ている誰もが『いや、どうにもなんねぇだろ……ッ!』とツッコんだ、封印される先生からの信任を背中に受けて、虎杖くんは怪しい光に包まれた渋谷へと踊りだしていく。
 五条悟がそこにいることを前提に編まれた、単機による状況制圧は破綻し、現場の呪術師たちは情報共有もままならない中、勝利条件を制定しそのために必要な戦術を協調させなければいけない。
 コミュニケーションに本質的困難を抱えたまま、群体としてより優れたパフォーマンスを発揮し、凶悪極まる個体の集団を打破していくという構図は、蒸れる動物としての人間の資質と、そこから生まれた呪詛が対峙するのにふさわしい。
 五条悟封印の事実を知らせないまま、帳の向こう側で足踏みしている呪術師相手に先手先手で優勢を取っていくのが呪霊側の狙いだったのだろうが、最悪の事態になったからこそ発動したメカ丸の意趣返しが、その思惑をぶっ壊す。
 力と悪意で上回り、何も出来ないまま死に絶えたように思えた青年の遺志が、人間最後の切り札が封じられてなおなんとか、ゲームが成立する状況を整えていくのは、かすかな希望を感じれて良い。
 こういう『なんとかなるかも……』をたくさん生み出して、上から理不尽に(あるいは現実的に)踏み潰して痛みと呪いを生んでいく話運びが、この後たくさん用意されているわけだが、それは呪いに満ちた世界を必死に生き延び、志半ばに死んだり死ぬよりひどい目にあっていく人たち(夏油とかね)の気持ちに、見ている側をシンクロさせるいい物語装置だなと思う。
 そして呪術師が呪術師であるためには、延々繰り返すその理不尽に折れず曲がらず”人間”であり続ける必要があるわけで、そうさせるための縁は一体何なのかも、もはや生き神様には頼れないこの状況が、しっかり教えていくだろう。

 呪術師側が後手に回っているのは、呪いという圧倒的な脅威が世界に存在し、それが日常をひっくり返してありあまるという腐った現状を、表に出せない窮屈さが大きな理由だ。
 呪術師は報われない戦いを暗い影の中で延々繰り広げ、のんきに日々を感受する無能力者が垂れ流しにした呪いに心身を蝕まれながら、彼らを助けるために必死に戦う。
 その武庫の献身に疲れ果てて、呪いに満ちた新しい世界を夢見た青年がどう死んで、その死体を辱められているかも現在進行系で描かれているわけだが、夏油傑の堕天もまた、五条悟の卓越した性能を危険視し、政治的駆け引きの末単独投入させまんまと封印された、呪術界の腐った体制と繋がりがある。
 人間の弱さに寄り添い続け、ゲロ雑巾を飲み込み続けた夏油傑の奮闘を堂々称え、”人間らしい”正しさで報いてあげれる組織ならば、渋谷事変はもうちょいマシな変遷をたどり……あるいは事変自体、起きていなかったかもしれない。
 しかし状況がこうなっている以上、腐りきった世界は腐ったままそこにあり、当然のように志ある人達の献身を貪り、党利党略と旧弊の維持に勤しむカスどもが中枢に座って、ロクでもない状況は加速していく。
 教師・五条悟はその突破口を、頼れる仲間を教え育むことに求めてきたわけだが、教師人生半ばにして封印されてしまった。
 彼が夢見た志の種に救われ、導かれた子どもたちの未来が、死闘がどうなっていくかは、今後描かれるところである。
 まぁ、ロクなことにゃならないよ。
 バッタぶっ殺してたときは改造人間殺さない選り好みも出来てたけど、早速虎杖くんは元人間ぶっ殺す羽目になっとるからなぁ……。

 

 

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第34話より引用

 渋谷で激戦に身を投じる呪術師が、連帯という人間性の光を体現し、彼らをそこに追い込んだ呪術界が群れのまま腐っていく人間性の闇を体現するのならば、呪詛師も含めた呪霊はあくまで個である。
 漏瑚は呪霊という種族全体が、嘘まみれの人間に取って代わる未来を信じて凶暴な献身を捧げているが、宿儺復活よりも虎杖殺害を優先する真人や脹相と、その思いは響き合わない。
 五条悟という情報を処理するのに手間取り、本丸が渋谷駅地下に固定される状況の中で、怪物たちは己の欲望の赴くまま、あまり賢くない迎撃戦に打って出る。
 その徹底した身勝手こそが呪いの本質なのだと、何もかもをあざ笑いながら真人はうそぶき、あるいは欲望に嘘がつけないそのあり方こそが、彼が唯一本気になれるポイントなのかもしれない。
 漏瑚は宿儺の復活が己の悲願を叶えると信じてやまないが、真人のうそぶくように徹底したエゴの追求が呪霊の本分であるのなら、最も強力な呪霊たる両面宿儺が誰かの祈りに報いるというのは、甘すぎる観測でもあろう。
 賢く指向性のある呪いを振り回し、同種の連帯と燃える理念で戦いに赴く漏瑚は、どこか敵である呪術師と似ていて、不倶戴天の敵でもある。
 その呪霊らしからぬ生き様が、今後の戦いでどう燃えて誰を殺すかは、なかなかに楽しみだ。

 衆生守護の使命をなげうち、己の魂の欲するままに呪力を使うことにした呪詛師たちは、群体である以上果たさなければいけない社会性を捨て去った、むき出しの個だ。
 そのエゴイズムは呪霊に通じていて、同時に悲しいほどに人間でもあり続け、自分を地獄からすくい上げてくれた”お父さん”の死骸を、辱め続ける怪物に娘たちが向ける呪いの視線は、あまりにも人間的にすぎる。
 救うべき身内と殺すべき他人を線引し、そのことで集団としての力を高められるのも……というかそれこそが人間が人間である証だと思うが、思い返せば前回五条悟の処理装置めいた呪霊殺戮もまた、そういう線引がハッキリしているからこその強さだったのだろう。
 鏖殺するべき猿と、守るべき家族。
 それを分けることで理不尽極まる世界をどうにか生き延びる方針を打ち立てた夏油傑が、その悪行の中で確かに救っていた命は、血塗られたやり口に相応しくどうにも呪われていて、行先に救いは見えない。
 夏油傑がもはや夏油傑ではない時点で、彼のファミリーは分断されるしかなく、ここにもまた崩壊していく矛盾の群れ……人間の肖像が描かれていく。

 呪術師一派、数多配置された呪詛師と呪霊、夏油一派、特級呪霊。
 なにしろ参戦勢力が多く、それぞれの思惑も複雑怪奇なので、情勢が今後どう転がっていくかはわからない。
 七海からの期待に応えるべく、後輩たちの背中を力強く叩いた猪野さんの前向きさが、必ずしもこの状況の答えたり得ないってのは、伊地知さんがクソヤローにズボズボぶっ刺される場面見てればよく分かる。
 清く正しく、人のあるべき姿を守っているから最後は勝つ。
 そんなお題目がそもそも通用しない場所で、呪術師たちはずっと戦ってきた。
 この渋谷事変はなんとか日常を成り立たせているそういう題目が、敢然に無効化されて人間の時代が終わるか、薄皮一枚の平温を保てるかのせめぎあいでもある。
 なにしろ人間社会のありようを賭けた戦いなんだから、死ぬやつは死ぬだろう。
 その無情を緩めては、描けるべきものも描けない。
 残酷とグロテスクを玩弄するのではなく、そこにきらめく意思と祈りを、それもまた呪いに変わって行ってしまう非情を、しっかりアニメにしてくれると良いなと思う。
 そのためには『もしかしたらなんとかなるかも……』って期待感が大事で、そういうところもしっかり演出できててアニメは良いなぁ、と思う。
 ぜってー良い足取りで踏みにじるよぉ……(マゾヒスト特有の、非難に見せかけた期待)

 

 というわけで、大駒封じられてゲームのルールが大きく変わり、新たな局面が動き出す回でした。
 キャラクターも時系列も複雑に交錯しながら進む渋谷事変ですが、アニメは混乱が少なくなるよう、原作の猥雑な魅力を損なわないよう、見事なバランスで調理していて素晴らしいなぁ、と思います。
 ”ゲーム”という言葉を使い、ルールと状況を見えやすく整理することで、今起きていることが日本史最悪の都市テロであり、めちゃくちゃ人が死んで世の中めちゃくちゃになる大惨事なのだと、見てる側に思わせない麻酔処置も見事だよなぁ……。
 待ち構える惨劇に、希望の種を託された子どもたちの奮戦は抗いうるのか。
 まだまだ戦いは始まったばかり、次回も楽しみです。