かくして龍門を覆っていた戦雲は晴れ、未来は未だ霧の中。
レユニオン・ムーブメントと鉱石病をめぐる一つの戦いが終わり、新たな戦いが胎動を始める、アークナイツアニメ第12話である。
わりと淡々とした描写で状況が進み、龍門近衛局ビル奪還作戦の開始から終局までが描かれた。
ロドス最強戦力の一人、沸血のエリートオペレーター・ブレイズ参戦とか魔剣・赤霄抜刀とか色々あったが、軸は敵の白黒コンビにあった気がする。
鉱石病に蝕まれ、共に世界に抗議の牙を突き立てるべき同志を、家畜と呼んで死んでなお戦わせる。
ここまでも散々な悪行積んできたメフィスト、その悪役人生の絶頂ともいうべき舞台であるが、狂い切り間違いきったその所業は悍ましくも哀れだ。
こんだけのことやっておいて『アイツも犠牲者だから……』とはとても言えないが、しかしそれも事実の一側面ではあり、彼のあらゆる行いは世界に対するリベンジでもある。
それが正当か否かは横において、メフィスト的には『やられたことをやり返しているだけ』であり、そのシンプルな復讐原則が何をどれだけ狂わせるのか、生ける屍と化した配下たちが、赤霄に焼かれて『ありがとう』と死んでいく様が、良く語っていた。
不当にして悲惨な感染者差別に、人間当然の権利を武器を手に吠えるというレユニオンの理想を、共有しないまま最悪の憂さ晴らしに突き進む連中も、参加者の中には当然いる。
メフィストは最も過激化したその一人なのであって、世界に渦巻く疫病と政治と暴力(ロドスが挑むべき難題)が結晶化させた、哀しい忌み子だ。
何もかもを奪われた後の呆然と無防備な表情は、許されざる悪行と驕り高ぶりにも関わらず(あるいは、だからこそ)、悪魔の名を持つ少年がただの子どもであることを、良く語っている。
建前であり理想でもある感染者の連帯を、家畜使いであるメフィストは信じていない。
部下となった者と(例えば寡黙ながら有能なファウスト隊のような)確かな絆を作れず、モノのように使い潰して残骸を動かし、あらゆる存在の尊厳を踏みつける。
そんなことを繰り返しても、差別と理不尽に苛まれた魂は癒やされはしないし、心に空いた傷は幼いまま膿んで腐って終わっていく。
自分には力があるのだと、不条理に踏みつけられるだけの犠牲者ではないのだと、過剰な力を振り回し過去に復讐する行為に溺れていた彼が、”正義の味方”たちに道を阻まれた時の、愕然とした表情。
おもちゃを取り上げられた子どもそのものの顔は、『ざまぁみろ』と溜飲を下げるには、僕には少し悲しすぎた。
彼の職分が『ヒーラー』なの、良い最悪だよなぁ……。
レユニオンが建前通り、連帯と暴力によって感染者の権利を世に問い、生きるに足りる一人の人間であると参加者に教える集団であったのならば、メフィストの行いも未来も少しは変わっていただろう。
しかし再結合を名前に背負いつつ、レユニオンは各幹部ごとに分断された理想と行動をなんとかまとめ上げ、対話のない孤立が組織を蝕んでいる。
それは暴力による他者の排斥を全面肯定し、それが持つ毒への対抗手段を組織内に用意しなかった時点で、必然的な末路だったのかもしれない。
武器を持つ意味、殺す意味。
メフィストが一切迷うことなく敗残まで突っ走り、アーミヤがミーシャの遺骸を前に強制的に考えさせられたそれを、レユニオンは悩まず教えない。
『考えなくてもいいのだ』と、仮面の奥に個人の権利と義務を覆い隠して、狂騒で存在の不安をかき消してひた走れる所に、追い詰められた感染者を引き付ける魅力がある……のかもしれない。
しかしまあ、死病に侵され社会に追い立てられ、それでもなお人間であることを捨てられない者たちが選びうる対抗策が、そんなものだけだと諦めてしまうのも、また悲しいことだろう。
寡黙なるファウストは、メフィストの”家畜”ではなく唯一の友達で、自分の意志でもって彼の暴虐と狂気に付き合い、一緒に落ちていった。
虐げる側から虐げられる側へ、暴力の夢が醒めて引き戻されたメフィストは、現実を受け入れられずガキのように喚く。
そんな友達が、狂った魔法が解けてもなお続いてしまう現実の中で生きられるように、ファウストは戦場でやるべきことをやり遂げ、戦い続ける。
そんな”大人”な態度が、メフィストの暴走と破滅を止めるなんの助けにもなっていない……むしろ暴走を肯定し助長する結果になってしまっているのも、なんとも寂しい。
間違った場所に生まれ落ち、間違った行いに傷つけられて、それを跳ね除けるべく間違った道に進んで、今間違ったまま終わろうとしている二人の子どもの末路を、ゲームユーザーである僕は知っている。
そうでなくとも、ロクなことにゃならないのは既にお分かりだろう。
それをただ悪趣味に観察するのではなく、増上慢から失落まで、丁寧に追いかけてるアニメの描き方が、僕は結構好きである。
メフィストの戦いは誰かが用意したゲームの一部であり、ロドスと近衛局がウェイ長官にそう扱われたように、戦士たちは政治と権力を巡る盤面に貼られた駒だ。
厄介なのは、駒を操っているように見える側もまたより大きなゲーム……運命や宿命、業と呼ばれるものに操られて、不自由な盤面に貼られている事実だ。
暗い影の中にゲーム盤を置き、政治と暴力という遊戯に上から興じているように見えて、ウェイ長官もまた様々なものに縛られている。
この大地の誰一人、業から自由なものなどいない。
山ちゃんボイスが胡散臭さを加速させる、策士ウェイが妻であるフミヅキの前でだけ見せる、駒を操りきれない為政者……あるいは人間の顔。
それはメフィストを大きなゲームの駒に使った、描かれざるタルラの顔とも何処かで繋がって、皆が人間的な弱さや優しさを覆い隠したまま、残酷なゲームに興じている。
龍門という都市国家、あるいはレユニオンという組織。
人間が集まって生まれるものは人間の制御を離れ、怪物めいた貪欲さで大事なものを飲み込みながら、とどまることを知らず駆けていく。
英雄的に窮地を切り抜けたチェンたちも、その哀れな敵役として逃げ去ったファウストたちも、個人としての願いと組織が押し付けてくる目的の狭間で軋みながら、自分なりの決着を探している。
それは彼らに不自由な糸を貼り付けている、指し手たちも大して変わりがないのだ。
そして指し手が間違えれば盤面は混乱に陥り、人でしかない指導者は必ず間違える。
安楽も平穏も望むべくもない、不完全な者たちが不完全なまま興じる、人命と尊厳を賭けたゲーム。
龍門を襲った脅威は跳ね除けられて、何も変わらぬまま物語は続く。
近衛局ビルを瓦礫に変えた襲撃で、ウェイが盤面にあぶり出したかった反乱分子は、それでもなお龍門市民であると、厳しくも優しいチェンならば言うだろう。
そして彼女の義父は、そういう輩は市民でも人間でもないと、苛烈に宣言しうる……しなければならない立場にもある。
くすぶった炎が龍門の病巣を焼き払う様を、アニメはどう書くのか。
次回も楽しみだ。