イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第9話『断頭台のアウラ』感想

 新たな世代の英雄たちが、織りなす激戦。
 限界作画力ぶっちぎりバトル、フリーレンアニメ第9話である。

 いやー……さーすがに凄かったね。
 ここまでヒンメルが愛し託した世界の静かな美しさを、丁寧に丁寧に編み上げてきた描画力が、ド派手なバトルに全力投入されるとこういう感じになるってのを、常時気合い入りまくりの超作画でたっぷり感じることが出来た。
 このアニメ、『アニメの基本的なところがとにかく強い』っていう、それこそフリーレンの強さみたいな作りをしているので、フェルンの放つ光線や砕かれる瓦礫、天秤に注がれる流体といった『動きながら変化するもの』の表現がとにかく良くて、Animateの気持ちよさを脊髄に直接流し込まれてる感じがある。
 この根本的な気持ちよさが、フリーレンとフェルン、アイゼンとシュタルクが修行の中積み上げてきた常識外の強さを裏打ちして、時を超えて受け継がれるもの、魔族が百回死んでも学び取れないものがどういう力を宿すのか、ドラマに説得力を与えていたのが良かった。
 急にバトルアニメになってガッツンガッツン動きまくったわけだが、ここまでの長く静かな展開をその舵取りが裏切っているわけではなく、フリーレンの静かな旅路が描いてきた意味と価値を軒並みぶち壊しにする、外道を祓って平穏を護る戦いってこれだけの激しさを宿すのだという、メリハリの付いた納得もあった。
 こんだけ血が流れ真の強さが求められるのなら、穏やかな旅に不思議な覚悟がどこか張り詰めていたのも納得だし、それがあればこそフェルンも高位魔族を基礎スペックで圧倒する実力を蓄えられた。
 圧倒的なクオリティで大胆に作風を書き換えたからこそ、ここまでの物語が新たな意味を宿してくる、とても良い勝負球でした。

 

 つーわけでほぼ全編バトル、アウラVSフリーレンを来週に残し、弟子世代が実力を見せつけるエピソードである。
 強敵と血みどろにガチるのは今回が初めてなわけだが、新米冒険者に見えて先代勇者に鬼の特訓を受けてきた若人は、街を脅かす強敵をしっかり討ち果たす。
 非人間的な魔族の在り方に飲まれるのではなく、それを弱さと限界と捉えて真正面から乗り越えていくのが、どんだけ血を流しても苦戦はしてない独特の味わいになっていて、とても面白かった。
 戦いのロジックに関しては色々積み上げていく作品なんだが、その根底を人間讃歌が支えているお話でもあって、フェルンたちが強いのは彼らが優れた人であればこそだ。
 他人への感謝と敬意を忘れず、敵の実力を侮らず、あるべき自分を出会いの中で柔軟に変えていける。
 固定した在り方にしがみついて死んでいく魔族には持ち得ない、世界をよく見て自分を改めていける可能性を描く上で、フリーレンの庇護なく勝ちきる二人の勇姿は、とても良い証左だったと思う。

 リュグナーはフリーレン以外を眼中に入れず、『こうあるべき』という固定観念に自分も他人も閉じ込める。
 フェルンの”速さ”を見抜けなかったこと、必殺のタイミングで自分のプライドを優先したことが仇となって、彼は勝てる勝負に負けていく。
 逆に言うと魔族という存在は、ただ勝って生き残る無様で人間的な道を選べず、『こうあるべき』という精神性を圧倒的な(そして孤独な)暴力で現実に成立させていく存在なのかもしれない。
 (こう考えると寝起きで即座に状況を把握し、即席で自分をアップデートしたクヴァールは優秀な魔族だったな……)

 フリーレンにしろアイゼンにしろ、若者が『こうあるべき』と思い込んでしまったものをガチンとぶち壊して、その先にもっと広い世界が、より善い自分がありえる事実を、修行の中で見せている。
 勝負の決定打となったフェルンの”速さ”、あるいはシュタルクの”打たれ強さ”は、両方とも師匠との回想の中で『それこそがお前の強さだよ』と教えてもらっていた要素だ。
 自分では気づけない何かを、誰かに教えてもらうことの意味は、例えば物語の起因となったヒンメルとフリーレンの旅と別れに色濃く描かれていたが、このバトルにおいても出会いと学びこそが、勝負の行方を決定づけている。
 鉱物のように固定された在り方に縛られるのではなく、生死を繰り返す生物として揺れ動く変化の中に身を置き、意味ある価値を学び取る。
 それこそが、魔族と人間を別ける鍵だ。

 

 死に別れてなお続く旅の意味をアウラが理解できていないことは、フリーレンとの対話から簡単に分かる。
 かつての戦いで死者の骸をぶっ散らばしていたフリーレンは、ヒンメルに怒られたことで死者を呪いから解き放つ魔法を鍛え上げ、この再戦で使いこなす。
 ヒンメルとの触れ合いがフリーレンを確かに変え、ずーっとロクでもない死者蹂躙を続けているアウラから、昔なじみを奪還できる自分を作ったのだ。
 それは戦闘法の変化以上に、死者を悼みその蹂躙に怒りを燃やす、凄く”人間らしい”精神が不変のはずのエルフに芽生えたという、心と生き方の変化を体現している。
 錆びてもう動かない鎧を撫でるフリーレンの手付きも、まーたすンゴイクオリティでアニメになっていたけども、表情を描かずともそこにどんな弔意と憤怒が宿っているのか、僕らにはもう慮る事ができる。
 弟子と同じく表情が変わりにくいフリーレンが、魔族に対して抱く絶大な殺意。
 作品全体を貫通する静謐な空気が、激戦の中で無情な緊張感をまとってきている流れが、上手く大魔術師を突き動かすものを可視化している。
 フリーレンは、魔族が人間をナメ続けていることに我慢ならないのだ。

 この静かな怒りは弟子にも継承されていて、フェルンは表情一つ変えずに圧倒的な速度で攻撃を続け、的確に敵の弱点をえぐる。
 リュグナーがリーニエの死に動揺して致命打を貰うのに対し、血みどろのシュタルクを隣においても同様せず、殺戮兵器の冷たさで宿敵を追い込んでいく。
 しかしそれは心が冷たいからではなく、下らない旅の中で若い戦士の実力と心根を知り、暖かな信頼が確かにそこに生まれているからだ。
 自死を覚悟するほどの惨劇に故郷を焼かれ、静かな怒りをずっと魔族に懐き続けているからだ。
 穏やかな旅の中ではチャーミングな個性だったフェルンの無表情が、生き死にの現場においてはある種の怖さと頼もしさを宿すのは、キャラと物語の多面性が生き生き削り出される感じで、とても良い。
 白く無慈悲な月を背負い、死の裁きを容赦なく外道に下すフェルンの姿は、先週最高のヒキを魅せた師匠の在り方と良く似ていて、継がれるものの意味をしっかり教えてもくれる。
 事前にた~っぷり可愛すぎる日常の顔を描いていたことで、あのフェルンがここまで冷たく戦の機械になれる意外性と怖さ、そこに確かに光る死の色の美しさが映えるの、良い構成だなぁと思う。

 フェルンが不動の冷たさで戦いを泳いでいくのに対し、シュタルクは血みどろに動き回り泥に塗れ、弱音を吐きながらも怪物的な実力で相手をねじ伏せる。
 強敵の技芸を盗み取って戦うリーニエが、武器を変える度に戦速も強度も変わるマルチウェポンっぷりが最高にAnimateされていたの素晴らしかったが、その洗練された軽薄は弱虫戦士を砕けない。
 喧嘩別れしつつ確かに心に刻まれた、一撃の重さと不屈の精神。
 アイゼンから引き継いだもので、アイゼンの技芸を形だけ盗んだ相手を一撃で屠って、若き戦士は己の実力を証明する。
 並走する二つのバトルが射撃と近接、不動と俊敏、圧倒と苦戦に上手く色分けされて、メリハリ付きながらお互いを照らし合っている構図なの、フェルンとシュタルクのニコイチ感が強まって好きなんだよなぁ……。
 バカでかい斧の一撃をノーガードの脇腹で受けて『偽物は軽い』で済ますの、明らか人間やめてる強さなんだが、勇者の名を引き継ぐ新世代ってのは、そういう強さを備えているものなんだろう。
 シュタルクの立ち位置って、普通なら『弱いやつが窮地に死力を振り絞って勝つ』になりそうなんだけど、『元々異常に強いが、それを自分が信じきれていないので弱いように見えてる』ってのが、このお話らしい独特さで好きだ。
 アイゼンの残影ばっかり見て、目の前の戦士の力量も測れなかった舐めプ野郎が一撃粉砕される気持ちよさも合わせて、若武者の対魔族戦初陣として、とても良かったです。

 

 

 という感じの、弟子世代スーパーバトルでした。
 何度も言うけど凄かった。
 その凄いクオリティが独り歩きするのではなく、ここまでの物語で描いてきたものと化学反応して、新たな意味や魅力が随所に弾ける仕上がりになっていたのが、一番凄い。
 俺は質のブン回し方、クオリティで何を殴るつもりなのか自覚してるアニメが、やっぱ好きだ。

 そしてこの激戦を前奏にして、フリーレン師匠の実力が遂に明かされる!
 領主のオッサンのワッショイでもって、成層圏まで株が上がったアウラがどんだけドブに叩き落されるのか、次週必見であります。
 とっても楽しみ。