サブタイからしてもう激ヤバ、不気味なるサスペンスは加速を続け遂に極点へ!
殺されかけ犠牲を生み、それでもなお双子が求めるハッピーエンドとは何か。
復讐と殺意のその先へ、笑ってる場合じゃねぇけど笑っちゃう人生の悲喜全部ツッコミ系アニメ、全力疾走の第9話である。
薄らぼんやりとした罪にそれでも確かな罰を求めている瑛二とか、そんな我が子を守るために狂気と殺戮に身を投げた怜子とか、血の繋がりも愛もない美しい人形だった華怜とか、一条家の闇が凄い勢いで吹き出し、双子を一気に飲み込もうとしたところで来たぜ年増の守護天使、我らがみっちゃん再登場!
すげーバイタリティで真相を探り当て、孤立無援の双子を助けるために死地に戻ってきた彼女が犠牲となって、双子は母を失った時と同じむき出しの野生に立たされる。
そこでもう一度二人きり、何もかも忘れて唯生きる道を賢く選ぼうとしたダリに対し、ミギは”園山一人”として村で手に入れたものを諦めない道を突き出す。
二人がバラバラの存在だからこそ生まれる殴り合いと、本当に求めるもののぶつけ合いは、幸せなハッピーエンドを取り戻すために二人を村に戻すこととなり、しかし血みどろの包丁もまた嘘ではない。
漆黒の狂気と母性を抱え込んだ怜子に対し、双子はどんな戦いを挑むのか。
鮮烈に最終局面が幕を開ける、怒涛の展開となった。
色んなことが起こっているが、実行犯である瑛二が幼く心身不確かな状態で反抗をしていたこと、それでも自分を無実だとは考えず罪の精算を求めていることを、一番最初に確認しておきたい。
嘘っぱちの初恋でも、打算に満ちたハニートラップでも、愛した少女が愛した人を体を張って守り、幸せになって欲しいという心が瑛二の中には確かにある。
そうして自分を犠牲にすることでしか、不確かな罪を贖う手段が見えないのは、他人を犠牲にしてでも我が子の罪を覆い隠そうとする、怜子の怪物的母性の影響ともいえる。
半ば事故で生み出してしまった悲劇に、幼いなり責任を取ろうとしている瑛二の正しさを怜子は認めず、何もかも覆い隠し殺して嘘で塗り固めている。
死の危険を犯してミギを庇ったのは、命がけの善行が母なる暗黒に対して唯一取れる、あの少年の反抗期だからだ。
瑛二幼き日の犯行を正当に裁いてもらうためには、一体あの日何があったのか真実を暴く必要があり、母の復讐はここで、犯人の心残りを正しく解消する行為と繋がってくる。
園山夫婦が双子に分け与えてきた愛情は、間違いや失敗も全部共有して一緒に乗り越えていく、完璧ではないからこそ温かいものだったが、完璧に呪われている怜子は我が子の過ちも認めはしない。
むしろそれを塗り固めるために、他人の血を使うことを厭わない、強圧的で支配的な母親だ。
ここら辺の関係が見えてくると、瑛二がおねしょしたり嘔吐してたりする子ども帰りな描写が重たい痛ましさで全く笑えなくなっても来るが、まぁ元々笑えねぇ話でもあるからな……。
そこにカチカチフランスパンだのふぐりの集合だの叩きつけて、強引に笑わせてくるのが作風でもあるのだが。
絶体絶命のピンチを華怜に救われ、幼く見えた彼女が失われた本当の家族への静かな復讐を企む、人形の家の反逆者であることが判ったりもした。
怜子を蝕む”完璧”なる呪詛は、子盗みまでやってのけているわけだが、秋山くん曰く『ひどく息苦しい』オリゴン村において、子を成せない体であることには大きなプレッシャーがあり、その苦しさを共有するべき夫は家政婦(双子の母)と不倫してガキ作ってるわけで、狂うべくして狂った感じもある。
それでも間違いなく人殺しはやりすぎだが、同じく子のない立場だった園山夫妻がどんだけ歪まず、お馬鹿に完璧じゃない家庭を養子と作れたかを思うと、なかなかにやりきれないものがある。
まぁそれにしたって、真相バレてからのぶっ飛ばし方は明らかにやり過ぎであり、朴璐美の芸達者が最大速度まで一気にアクセル踏んでくれてて、大変良かったです。
怜子は我が子と我が”完璧”を守るために、双子を殺して証拠隠滅を図る。
ここでまさかのみっちゃん再登場、中年ボディに正義をみなぎらせての獅子奮迅に、思わず目頭も熱くなる。
母を殺されて以来、正しい裁きも優しい手助けもほとんど得られなかった双子の社会不信、大人不信は根深いわけだが、みっちゃんはそんな世界が捨てたもんじゃねぇと、身をもって証明したのでマジで偉い。
体張りすぎてぶっ殺されるハメにもなるわけだが、双子が母の復讐に呪われず、当たり前の幸せを諦めず、ただ獣のように生き延びるのではなく人として正しいことをするために村に戻ったことで、彼女の死を無駄にしない道も拓けたと感じた。
自分を守るために傷ついた瑛二の気持ちを知り、みっちゃんという第二の犠牲を目の当たりにした今、母の死の真相を暴くことはもう、ただの復讐を意味しない。
覆い隠されているものを暴き、真実に基づいて正しい報いを与えることは、不当に押さえつけられ犠牲になっているものを、開放することと繋がっている。
ミステリの根本原理である、『真相開示を通じた秩序回復』を双子がなすための足場づくりが、彼らの世界観再生と同時並走で整っているのは、大変ドラマチックで良い感じだ。
村に戻って怜子と対決するのは、もうみっちゃんの弔い合戦になっちまったからなぁ……退くわけにはいかんよ。
と、そういう正しい道に進む前に、必死に逃げて迷い道、狐のお宿に足を止めて、兄弟初の大喧嘩を演じる必要もある。
捧げられる大福やいなり寿司をバクバク食って、降りしきる雨に乾きを凌いで、母が死んだ直後のように生きていく道にダリは戻ろうとするわけだが、そこを経て”園山一人”としてもう生きてしまっているミギは、二人だけで幼い日には戻れない。
この村で、養父母のもとで知ってしまった幸せが、大事にしなきゃいけない価値が、ミギには既にたくさんあるのだ。
ダリはそれら全てと引き換えにしなければ、幼い自分たちが母の復讐を成し遂げられないと冷静に考え≒冷たく諦めている部分があるが、おバカなミギは欲深で、欲しいと思ったものは全部手に入れる、ガキっぽい道に戻ろうとする。
それが園山夫妻が彼に初めて手渡したプレゼント……自分の足でどこにだっていける自転車なのに、やはり泣いてしまった。
瑛二を暗く縛り付ける怜子の母性と、自由な移動手段を一番最初に手渡した夫妻の生き方は、やっぱこのお話の明暗両極を司ってる感じだなぁ……。
ダリが用水路の底に、不要だと投げ捨ててしまうその自由の象徴を、ミギは追いかけて飛ぶ。
いらないと切り捨てることで、二人きりたった一つの願いを求めて突っ走ってきた狭く強く脆い生き方から決別する。
というか既に決別していて、捨てられないものが沢山あって、それを諦めれないから双子は引き裂かれて殴り合い、また”ふたり”に戻っていくのだ。
あのどー見ても神戸のど田舎な風景で、冷酷な復讐者であるダリが投げ捨てたものこそが大事なのだと、おバカで欲張りな弟は一歩も引かずに吠え続ける。
それはお母さんを裏切ることと=ではないし、色んな人を苦しめる不正義と対決して真実を暴くことも、それが決着した後に皆で幸せにチェリーパイを食べるのも、届かない夢ではない。
子どもが子どこらしくどこまでも勝手な夢を見て良いし、どこまでも自由に進んでいっていいと教えてくれた養父母の……新しいお父さんとお母さんの願いは、殴られたって水に沈められたって、諦められるものじゃないのだ。
一心同体の運命共同体として、完全なシンクロを見せていた”ふたり”が殴り合う姿は、破綻ではなく再生のために必要な一歩だ。
どれだけ悲惨な境遇の中心を重ねていても、それぞれバラバラの心と体を持っていて、バラバラの好みがあって、バラバラの願いがあって……でも、本当に大事なものは重なっている。
そうもう一度信じるために二人は殴り合わなければいけなかったし、ミギはダリに負けるわけにはいかなかった。
自分がこの村で手に入れた沢山のものを、諦めなくても正義も真実も成し遂げられるのだと、正しい高望みを貫かなければ、大事な兄はただ生き延びるだけの獣になってしまう。
自分たちに正しい行いを施して犠牲になったみっちゃんも、友だちになった秋山くんも、新しいパパとママも、なんで投げ捨てなきゃいけないんだ。
なんでそこに、大事な兄弟がいちゃいけないんだ。
ガキっぽい意固地を一歩も引くことなく、大人びたダリの判断におそらく初めて面と向かって歯向かったミギの血は、愛ゆえの怒りに熱い。
その熱が彼個人の心臓から湧き上がると同時に、ド下らねぇ村の生活の中で色んな人とふれあい、語り合って生まれたものであることが、俺には嬉しかった。
そしてその熱は、ダリの氷を溶かしていく。
悲惨な終りを迎えた母に報いるために、幼い心を過剰な賢さで凍りつかせ、おバカな弟を助けて生き延びるために、選び取った強さ。
それが跳ね除けてしまったものに、もう一度諦めず手を伸ばしてもいいんだと、ミギが本気で伝えてくれたことで、ダリはその生き方を変えていく。
世界にたった一人しか、共に生きられるものはもういない。
そう思い詰めることで厳しすぎる世界を生き延びてきたダリが、”園山秘鳥”としてミギが見つけたものを分け与えられる権利が当然あり、バカな弟と同じように欲張りで、幸せに意地汚く生きていいのだと、己に許す。
過酷な経験に傷ついてきた少年が、そうやって顔を上げて目の前の光に飛び込んでくれたのが、俺は今回一番良かったことだと思う。
そうさせる強さをミギが自分の中から振り絞って、殴ってでも兄貴に伝えて、一緒に生きるんだと納得させたことが。
双子は瑛二を母性の鎖から解き放つためとか、正しい裁きを行うとか、そういう対外的な事はあんまり考えず、ただただチェリーパイをもう一度、今度はみんなで誰も欠けることなく食べるために、村に戻っていく。
その身勝手で個人的で、だからこそ嘘なく熱を宿す行いが、色んな人を解き放ったり、あるいは不当に隠されていた真実を暴き、正当な裁きを連れてくる。
罪の贖いを求める人間当然の心理を、我が子可愛さ……あるいは『我が子がいる私の完璧さ可愛さ』故に押しつぶし、沢山の犠牲を生んできた怜子の罪は、ドス黒く深い闇として蠢いている。
それは子どもを盗み、真実を捻じ曲げ、人を殺す凶悪な存在だ。
その正体を知り、犠牲の熱い血を頬に浴びて……だからこそ双子は、もう一度自転車で村に帰ることを選んだ。
どこにでもいける自由を、笑って許して手渡してくれた人たちと、もう一度笑い合うために。
そういうことが大事なんだと、園山夫妻と秋山くんとみっちゃんはミギに教えていたし、教えられたことを拳に込めて、ミギはダリに伝えられた。
だから二人は、命がけで村に帰る。
そうしなければ、掴めないハッピーエンドがあるからだ。
俺は作品の登場人物が、物語の都合にそう定められているからではなく、作中そう生きた彼らなりの人生の帰結として、自分の物語を選び取る瞬間が好きだ。
だから今回のエピソードは、本当に良かった。
視聴者と同じく、双子も怜子の本物サイコ殺人鬼っぷりに本気でビビっていて、それでもなお恐怖と臆病を噛み殺して、下らなくかけがえのない思い出と絆のために、逃げるのではなく進むのを選ぶのが、凄く良かった。
欲張りでおバカなガキと、そんなバカが本当に大事な賢い子どもが選んだ道が、強さと優しさに満ちていますように。
次回も楽しみです。