イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

星屑テレパス:第9話『惑星グラビティ』感想

 勝てば全てが手にはいるのならば、負けたら何もかもが終わり果てるのか。
 砕け散った夢の残骸から身を起こし、足下を観て新たに進み出す。
 本当に欲しいものはもう、自分の手の中にあったのだと叫んだ先で、もう一度光に出会う。
 そこから始まる青春ストーリー、主人公チーム大惨敗からの再起動を描く星屑テレパス第9話である。

 大変良かった。
 場面緘黙症の少女がテレパシーで何でも理解ってくれる宇宙人と出会い、抱きしめられて居場所を見つけていく。
 序盤のきらきらポワポワバブバブな空気を一新した、人間関係毒ガス発生装置・雷門瞬。
 彼女が持ち込んだザラついたリアリティが、歪な関係性のまま勝負に挑んで負けるべくして負けた夏の決戦を経て、行き着くべき場所に座礁するまでの暗さ、重たさ、痛さ。
 そういう事件がなければ暴かれない真実に向き合って、足を止めた少女の前に現れるロケット菩薩の導きと、消えてしまった光を呼び戻す叫び。
 明るく気軽で素敵な救いだと描かれ続けてきた明内ユウが、実は誰かに呼ばれなければ存在できない儚い存在なのではないかと思い直させる再会……そこから瞬き直す青春の輝きまで、一話で一気に走り切る勝負回となった。
 いかにもきららな青春送りそうなふんわり美少女たちが、思いの外色々生きづらさを抱えた欠陥人間であると暴き直して、それでもなおキラキラな夢が自分たちを繋ぎ、居場所になっていた。
 地面に落ちてなお譲れない夢がそこにはあり、諦められないならもう一度始めなければいけないと思い知って、さて四個の星はどうお互いの引力圏にくっつき直し、お互いの輝きを見つめるのか。
 大変いい感じに、変人たちが凸凹イカれたまんまどうにか青春していく、きらら作品のコア(だと自分が感じているもの)を美麗な陰影が削り出していく展開となった。
 こういう濃さと深さを待っていたので、”星屑テレパス”終盤戦、好みの方向に舵切ってくれて凄く良いです。

 

 

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第9話より引用

 学校の広告塔として、他分野の知見とも協力しながら立派な結果を出し、仲間とも息を合わせてルールの中で理論値を叩き出す、秋月彗の明るい眩しさ。
 そのヴィヴィッドな色彩と、緊張でガッチガチになってる海果の青ざめた表情、カケラも大丈夫じゃないけど大丈夫なのだと、崩れていく足元を見ないふりする嘘の魔法は、このアニメらしい対比を冒頭から入れ込む。
 この時海果はユウと出会う前の、孤独で灰色な宇宙に戻っていて、つまり友達とキラキラな日々を過ごし、歪さを正せないまま仲良く同好会している程度では、海果を支配する根本は消えてくれない、ということだ。
 土壇場での大勝負で……だからこそ戻ってきてしまう、小乃星海果という少女が生きることの根本的な難しさ。
 灰色の世界で声を上げれず、でも誰かにわかって欲しいと望み続け、自分の外側に答えを見上げた視線がどれだけ不安定だったかを、彼女は登りきれないガラスの階段として幻視する。
 危うい高望みがそのまま、飛びすぎたロケットを見上げる同好会の視線とベクトルを重ねて、瞬が一方的に主導するスタイルの限界点を、それを許してしまった三人の未熟を、鮮烈に描く。
 敗北がアッサリしているのは、歪んだ関係性が生み出した当然の帰結としても、過剰な重さを引きずりすぎないで次に移るストレスコントロールとしても、『結果が重要なのではない』と瞬の迷妄にカウンターを当てる意味でも、とても大事だったと思う。

 

 大事ではないはずのものにしがみついて、結果が出なかったから何もかもが終わりなのだと思いこんで、瞬は夕日の中で遥乃を傷つけていく。
 あの調理室のやり取りで仕込んだ爆弾が、適切に爆発した形だけども、ここで『みんなに優しいオマエは、私じゃなくても良かったんだろ?』と言えてしまう瞬の尖りっぷり、未熟な残酷さは、物語にとって必要なことだと思う。
 鷹揚な優しさで何もかもを包み込み、しかしその実誰かが何かをしてくれるのを待っている……灯らない灯台の明かりを自分では点けない遥乃が、未だ言葉にできていないもの。
 それを瞬の過酷過ぎる態度は暴いているし、遥乃が持っている天使めいた無責任は、その暴力性がなければ暴かれない課題だ。
 『違う』と遥乃が言うのならば(言うべきだし、言わなければいけないけども)、遥乃は海果やユウが自分に都合のいい何かを手渡してくれるのを待つのではなく、自分の中から何かを引っ張り出して、魂の血が滴るそれを瞬に突きつける必要がある。
 自分が傷つけた女もまた、自分と同じく譲れない思いを同好会に抱いていて、唯一絶対の居場所と思い詰める強さと危うさを、持っていたのだと思い知らせる必要がある。
 瞬の張り詰めた独善をぶっ壊し、本当は何が欲しかったのか分からせるためには、もうそういう場所へ踏み込むしかない必然性が、二人の間には生まれてきている。

 このピリピリ重たい緊張感は、仲良しロケット物語には似つかわしくないだろうけど、自分たちが居場所と選び取り夢と定めたモノを本気で追いかけていくお話には、必要な痛みだ。
 不確かな憧れと未熟な優しさから始まった、どこか嘘っぽい関係性であったとしても、灰色の宇宙で救いを求めていた女の子が発したメッセージは、同じく歪な誰かに届いて引き寄せた。
 そうして始まってしまった物語は、この予選で地面に落ちて何もかも砕けて終わったのだと、瞬と海果は思い詰めるが、しかし何も終わっていない。
 始まってすらいない。
 自分の至らなさは目が行き過ぎ世界を灰色に染めて(染め直して)しまっている海果が、しかし彼女を好きな友達にとっては眩しい光であること。
 その眩しさを導きと見込んで、だからこそ勝利を思い詰めて他人も自分も傷つけている瞬の必死さが、ぽわぽわお気楽に思える他の仲間と実は同じであること。
 気づかないままこの敗残にたどり着いてしまった少女たちは、自分たちの夢と愛と安らぎが本当はどうあるべきか考えることもなく、しかし考えなきゃ一歩も進めず戻れもしないところへと、自分たちを打ち上げた。
 ならもう一度、自分たちがどこから来てどこへ行きたいのか、どこへ行きたいのか、ロケットの行く先を定め直す必要がある。

 

 夕日の中で行き先がフラつくのは海果も同じで、極度の緊張の中記憶すら定かではない敗北を経て、自分には何も出来なかったのだと、結局灰色の宇宙で一人きりなのだと、自分をふりだしに戻してしまう。
 己を蔑む言葉は、彼女が自分を見つけてくれたこと、記憶もない不確かさでそれでも一緒に宇宙を目指すのだと抱きしめてくれたことを、何よりの救いとしてきた少女を深く傷つける。
 おでこぱしーという異能で自分を理解してくれる、いつでも明るく眩しい少女……海果にとっての、特別な星。
 その特別さに報いる結果を出せなかったから、責任感と惨めさで深く傷ついて、海果は涙を流してユウに背中を向ける。
 しかし逆行は、青春ロケットが行くべき道ではない。
 約束の証として何より強く瞬くはずの星が、涙とともに輝きを失っていく。

 次回以降に”保留”される形になった瞬と遥乃の関係に対し、ユウと海果の衝突はこの後迷走を経て足元を見つめ直し、真実何が欲しいのかを海果が(もう一度)叫ぶことで繋がりなおす。
 想いの出力を上手くコントロールできない、極めて不器用な少女たちがだからこそお互いを求めた、出会いと癒やしの物語。
 それはこの敗北で無惨に砕け終わってしまったように、海果と瞬には思える。
 そしてその絶望が、彼女たちを好きな……彼女たちが好きな少女たちを傷つけていく。
 そうして悲しみが伝播していく様子を、様々な色合いの光と影を心理の照射として活用し続けているこのアニメは、抜けるような夏の青空の下、あるいはオレンジの夕日の中で鮮烈に演出する。
 傷つけ合い離れていく瞬間にすら、世界には眩い光が確かに満ちていて、真っ暗な暗闇ではない。
 その照明設定自体が、何かを求めたからこそ傷ついていく少女たちの未来を、優しく信じる語り手のスタンスを語っているようで、僕はとても好きだ。

 こうあるはずと見上げた理想に裏切られ、何もかも無駄だったと傷つき、そう叫ぶことで大事な人を傷つける。
 それはきらら作品がそうだと思い込まれている”優しい世界”にはあってはならない異物であり、しかしそこで青春してる当事者には確かに存在している、人生の必須イベントだ。
 そういう未熟が、無明が、身勝手な思い込みと踏み込めない弱さが確かにあって、それでもなお生きにくい私たちが共に生きたいと思えたから、彼女たちはロケットを打ち上げた。
 それが上手く行かないまま地面やお互いにぶつかっても、何度でも見上げた夢に挑めるのだと、高く高く規格外の出力でぶっ飛んでいく海果たちのロケットは告げている。
 その真っ直ぐな力強さを、彗が『好きだ』と……何も間違ってはいないし、その勢いのまま突き進んで良いのだと肯定してくれたのは、作中の少女たちにとっても、見ている僕にとってもありがたいことだ。
 星の瞬きが消え去るほど傷つけられて、傷つけたことにまた傷ついて、少女たちは夕日に離れていく。
 しかしそこからもう一度、自分たちがどう繋がり何を始めたのか、それがまだ続いているのだと理解する物語が始まっていく。

 

 後に卓越したバランス感覚と人格で、傷ついた少女がどこに進み直すべきかを示す彗のロケットが、競技の定めたルール内で最高得点を叩き出すのに対して、瞬のロケットは点火に失敗し、あるいは過剰に飛びすぎて負ける。
 学校という社会の中、あるいはその先に繋がっている就職や未来設計まで見据えて、自分が大好きなロケットづくりを上手く他の星と繋げれている彗の人間的完成度に比べると、敗北が顕にしたロケット同好会の不安定さは、危うく痛い。
 なんとなくうまく行きそうだったキラキラな仲良し同好会が、当然の敗北に着地して暴かれたものはしかし、負けたから生まれたわけではない。
 それぞれの生きづらさと渇望として、それぞれの中に既にあったものが、着地の爆風で引っ剥がされただけだ。
 瞬をキレさせた遥乃の優しさも、自分だけが傷ついている顔で友達を傷つける瞬のヤバさも、一つの現実として確かにそこにあって、人間社会という宇宙の中、行き先を定められず彷徨っている。
 それをどうにか定めて、自分たちが誰と一緒にどこに行きたいかを見つけていく物語として、今後の”星屑テレパス”は再出発していく。
 あるいは最初からこのお話は、それを見つけるためのコミュニケーションの物語であった。

 だから瞬一人が設計と製造を握り込み、みんなのロケットを作れなかったこの挑戦が敗北に終わるのは、必然であり必要な運びだと思う。
 無惨に結果を出せずに終わった現実が、弾き飛ばした綺麗な夢の奥、ドロドロと渦を巻いているお互いのエゴと弱さ。
 暴かれたそれと正面から対峙し、出来ないのなら誰かの言葉に支えてもらって、もう一度自分であること、私たちであることに向き合い直す。
 灰色の孤独に怯え、挑む怖さに傷ついてなお、譲れない何かがそこに在るのだと、もう一度進路を定める。
 その一進一退こそが青春であり、繋がれない”私”がそれでも”私たち”であるために、遠くの星にメッセージを飛ばす意味なのだと、作品の核心へと旅する足取り。
 それに真摯に向き合うほど、影は深くなりそれを照らす光も強くなるだろう。
 そういう姿勢がしっかりと感じられる、ロケット同好会夕日の敗戦だった。
 凄く良かった。

 

 

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第9話より引用

 物語は夕日の内破で終わらず、烈日の中海果が再起を果たすところまで描く。
 憧れるに足りる実力と社会性を予選で果たした彗が、ここで海果が何を求め生み出してきたのか気づかせる星になるのは、大変納得の行く展開である。
 まーここで最初からユウに遭わせると、ユウを海果の完璧な理解者≒母という立場から追い出して彼女個人の弱さと影に踏み込むチャンスが潰れるし、海果が主体性を持って何かを求める強さが削がれるしで、キッカケはユウ以外が担当するべき場面だ。
 乗り越えるべきライバルで他校の先輩というポジションも、レギュラーだと圧倒的人間力を発揮して『全部こいつでいいんじゃないか……』と思われそうな彗をありがたいイレギュラーに落ち着かせていて、いい塩梅だと思う。
 予選敗退で暴かれ直した海果の生きづらさは、相当シリアスで重たいものなわけで、当人よりも道理がわかった人間分厚いキャラが手助けしないと、どうにも抜け出せない状況ではあるしね。
 夢の宇宙旅行の失敗し、薄暗い私室に閉じこもって季節を忘れかけていた海果に、買い物って口実与えて”外”へと連れ出した妹ちゃんの人徳も、ひっそり眩しくて良い。

 愛と幸運と決意に導かれて、なんとか上手く行ってきた海果の旅路は予選敗退という結果を受けて、何も出来ない現実という地べたに叩き落された。
 そこに彗が手を差し伸べてきたのは、彼女が人格に優れた優しい人だからであると同時に、『ロケットが好き』という海果の叫びを受け取り、喜ばしく感じた当事者の一人として、墜落していく彼女を助けたかったからだ。
 そうされるだけの輝きを、結果としては墜落に終わった海果の旅は確かに果たしてきたのであり、憧れの高みばかり見つめてきたからこそ一度の墜落が痛い海果自身が、気づいていない価値を彗との語らいは思い出させていく。
 ここで同志でありライバルでも在る海果の何に惹かれたのか、あんま器用に伝えられない……でも必死に、どれだけロケットが好きでロケットを好きになってくれた海果が好き香伝えようとする、彗が僕は好きだ。

 

 木陰に寄り添って、自分が負かせたロケットがどれだけ力強く、美しく飛んでいたのか伝えられることで、海果は自分の足元に何が埋まっているのかを思い出す。
 灰色の宇宙に一人きりは嫌だと、声を上げ迷子の宇宙人を抱きしめて宇宙を約束したここまでの物語が、確かに何かを成し遂げてきた実感を捕まえ直す。
 その足下の手応えこそが欲しかった居場所でもあり、自分は何も出来なかったなんてことはなかったのだと、海果は一人では思えない。
 妹ちゃんの小さな真心に導かれ部屋の外に出て、縁あって知り合ったあこがれの人に邂逅し、傷ついて視野が狭まっている自分に寄り添い思いを聞いてもらって、初めて暗がりに光が届く。
 見えていなかったもの、でも確かにそこに在るものに目が行く。

 人間そんなふうに、何かを見落とし見つけ直して生きていくのだという普遍的な足取りが、凄く美麗な描線で真夏に眩しく描かれているのも好きだし、そういう得難い手助けを差し出してくれる彗が、とても頼もしく温かい存在として描かれているのも好きだ。
 自分も仲間と夢中になっている、『ロケットを適切に飛ばす』という本気の遊び。
 その先に待っている豊かな未来含めて、彗はロケットが好きな自分を迷わない。
 ロケットが好きである自分、そこになりたい自己像の達成を見出している自分を懸命に海果に手渡すことで、海果が無価値と放おり投げてしまった思いも過去も、確かに自分に届いていたのだと告げようとする。
 その働きかけが海果の心に届くに従って、高い憧れ、遠くて立派な人だった彗は膝を曲げて海果の凹みっぷりと視線を合わせる位置へ降りてきて、重力に惹かれて落下したこの場所こそが、自分の原点であり到達点なのだと理解していく。
 高く高く、届かないと絶望したはずの高みにいる人が、自分と同じ場所に足を付けて空を見上げていること、隣に立っていることを実感する。
 それは彗が引っ張り上げてくれた特別な場所であると同時に、海果自身が進み出して、ここまで歩いてきた”私の居場所”でも在るのだ。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第9話より引用

 そしてそこは、”私たちの居場所”でもある。
 天ばかり見上げて何もかも終わりだと、墜落に怯えていた海果は後ろを振り返り、自分の足跡が仲間の足場にもなっていた現実を見つめ直す。
 自分が声を上げ、不確かな夢に向かって進み出していたことは、結構大したことだったのだと自分を肯定し直す。
 それは灰色の私室に閉じこもって、一人きりに戻っていたら得られなかったヴィジョンだ。
 彗が自分の『好き』を、その中に海果の失敗した今が確かに含まれているのだと、手を取り肩を抱いて間近に教えてくれたからこそ、海果の宇宙に色が戻ってくる。
 自分がすでに一人ではなかったこと、今放り出そうとしているものがどれだけの宝物だったのかを思い出す。
 それは人間が生きていく上で、とても大事な再発見だ。

 邂逅と対話を終えて、何かが出来る、好きになれる自分を見つけ直した海果は、自転車でペットボトル抱えて去っていく彗をもう見上げない。
 夢が砕けて何もかもが終わったと、思ったあの敗北の時ガラスの階段の彼方に見上げていた人は、まだまだ遠い憧れだけどもとても身近に、同じ地面を踏んで必死に走っているのだ。
 そういうことが解ったから海果と彗は同じ高さで肩を並べて、それぞれの人生に進み出すことが出来る。
 自分がいる場所はかつて進みだそうと決意し、何も出来ないなりに何かしようとあがいてあがいて、泥臭く踏み固めたから高く飛べそうな足場なのだと、優しい人に教えてもらった。
 なら立ち止まっていることなど出来ないから、海果は自分の足でもう一度、自分というロケットを未来へ進めていく。
 その決意と足取りには、大きな意味がある。
 なければならない。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第9話より引用

 海果は手放してしまった一番大事なものを取り戻すべく灯台に向かい、何もなくなってしまった虚無に直面する。
 自分を無価値だと見限ること、友達が光を見出してくれた約束を投げ捨てることで何がなくなるのか、携帯電話のライトを頼りに探っていく旅は、彗との対話を経ていなければ耐えられない、過酷な現実の手触りである。
 自分が掴んでいたものの意味を見据えず、傷ついた痛みに耐えかねて手放してしまうことで何が失われ得るのか、灯台の孤独……それを埋めようと必死に探す海果の奮戦は良く教える。
 それが果たしてもう取り返しのつかないものなのか、あの日交わした約束は砕けて散ったのか、確かめるすべはないかもしれない。
 しかし海果は今一番欲しい物、自分を抱きしめてくれた居場所の温もりを取り戻すために走りまわざるを得ないし、己の真実の願いを叫ばざるを得ない。
 そういう体熱の高い、嘘のない思いをむき出しにするためにも、厳しい挫折の暗さは必要なのだろう。

 思いこそが光なのだと、告げるように微かに沈黙した灯台が海果の叫びに応えて、ユウは魔法のようにふらりと現れる。
 海果がユウへの思いを新たに思い出し、それを叫ばなかったら記憶喪失の宇宙人は、そのまま消えてしまったかのような、儚い出現。
 それは主人公の分かりにくいコミュニケーションを全部受け止め、明るく元気に前向きに生きているように思えた宇宙人が、誰かに観測され求められなければそこに存在できない、とても脆い存在であると示すようだ。
 僕は海果がユウに一方的に受け止められるここまでの関係性を(海果自身が変えたいと涙し、報いたいと願っているように)問題視してきたが、挫折と再起を通じて海果が自分が始めた物語の意味、心からの叫びが既に誰かに届いていた事実をここで受け止めることで、ようやくユウを救済者ではなく受苦者……コミュニケーション障害者に都合のいいとして”ママ”ではなく、彼女固有の迷いと痛みを抱えた”人間”として描く足場が整ったと感じた。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第9話より引用

 

 思い返してみれば記憶もなく異星にさまようユウは相当に心細い存在で、同じく孤独に迷っていた海果が自分を見つけてくれたこと、抱きしめてくれたこと、未来を約束してくれたことは、彼女を導く眩い星だった。
 海果からは唯一絶対の光に思えるユウが、その実暗く孤独な宇宙に彷徨っており、だから誰よりも光を求めている様子は、既に幾度か描かれている。
 その心細さは、自分が誰かの導きになれているのだという実感がない海果には見えないもので、『抱きしめられる海果-抱きしめるユウ』という固定された関係性に、体重を預けてなんとか立って、二人はここまで進んだ。
 しかし彗との対話を通じて、自分が積み上げてきた物語には意味があったのだと、己の存在が誰かの輝きたり得ているのだと教えてもらって、海果は垂直ではなく水平の人間関係へと目を開ける準備を、今回整えた。
 抱きしめられることは抱きしめることであり、導きを求めて伸ばした手が誰かの迷いを掴み取ることが、確かにある。
 その実感を込めて、ユウを見つけ直した闇の中のかすかな光は、とても暖かに心強く描かれている。

 海果はあの夕日の中でユウを突き放した後、自分が何を見つけ直したかを言葉で伝える。
 おでこぱしーで理解ってもらうのではなく、人間が人間と繋がるための不確かなメディアを不器用なり使って、自分の言葉で思いを伝えようとする奮戦は、かつて自分を慰めようとしたユウを、突き放した時見た夢に届いている。
 自分の思いを、自分の言葉でしっかり伝えられる自分。
 それこそが海果というロケットを望む未来へ送り届けるエンジンであり、誘導装置であり、通信機でもある。
 自分が自分の始めた物語を諦め、そこにまくりこまれたユウの夢も無価値だと投げ捨ててしまったことへの謝罪を、海果は光として差し出す。
 ずっと見上げていた願いは足元にこそあって、友情と青春の地面にはみんなが立っていることを、そうさせたのは主人公である自分であると、今見えている世界を共有する。
 宇宙人の異能がなくても、そういうヴィジョンを共に出来る機能が人間にはあって、対話という行為が持っている可塑性と再生力は、一度壊れたように思えるものを取り戻せる。
 消えてしまいそうだった海果のキラキラを取り戻し、それを誰よりも止めている少女に手渡すことも出来る。

 

 迷いと発見の果てに海果が差し出したコミュニケーションが、ユウに故郷の歌を思い出させるのは大変良かった。
 海果が自分の足場を見つめたからこそ、彗がその価値に導いてくれたからこそ、堕ちていたいほど高く跳ぶことを望み挑んだからこそ、一人でいるのは嫌だと叫んで手を伸ばしたからこそ、今の海果には欲しい物が解る。
 解っているのだと、伝えることが出来る。
 そうして叫んで抱きしめたことが、失われたユウの記憶……異星の歌という美しいコミュニケーションを思い出させる。
 それは友情イベントを最高に彩る特別なEDなだけではなく、なんにも持ってないけど(あるいは、持ってないからこそ)明るく笑う異邦人の心に、大事な何かが戻ってくる恢復の現れだ。
 海果の迷いと決意は、キラキラを受け取れなければ消えてしまうユウを繋ぎ止め、新しい歌を思い出させた。
 そういう風に、与えられてばかりだった誰かに何かを手渡し返す可能性が、海果には宿っている。
 それは出会いの時特別な約束を、既にユウに手渡しているし、これからもかけがえない光を色んな人に、海果自身に取り戻していくだろう。

 

 その一歩目として、ユウとの再会と再出発までちゃんと書かれたの、大変良かったです。
 何もかも終わりだと諦めてしまった瞬と、そんな瞬を天使の優しさでは繋ぎ止められなかった遥乃の歩みは今後描かれるわけですが、相当に重たく硬質な難しさを表に出してきた二人を、抱きとめ引っ張って十分な人間としての強さを、美しい輝きをこの話の主人公は持っている。
 そう信じられる場面までちゃんとやってくれて、大変良かった。
 この期待と信頼があれば、次回からのリスタートが墜落以前の朗らかな笑いを取り戻すだけで終わらず、少女たちをもっと強くて優しい存在にして行ってくれると、楽しく待てる。
 そういう心持ちを作品から受け取るのは、僕はとても大切でありがたいことだと思います。

 この手応えはどう考えても手ひどく間違え失敗するしかない道を進んで、その通り高みを見過ぎて墜落して、暗く沈んで諦めかけた海果の心を、丁寧に掘り下げたからこそ得られるもので。
 キラキラ眩しい光だけでなく、それが照らす闇を……そこに一人沈みたくないから誰かの中に光を見出す心と、しっかり向き合って話を進めてくれている手応えを終盤戦に差し掛かるこのタイミング、強く感じられて大変良かったです。

 憧れと挫折、希望と痛み。
 あまりに色々あるけど、だからこそお互いを求め繋がる瑞々しい心の旅路は、はたして星図を描くのか。
 次回以降の青春リスタート、大変楽しみです。
 良いアニメだな、マジ。