イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第15話『厄介事の匂い』感想

 世界の果てにある天国を目指す、四人の旅路は基本まったり、時折命がけ。
 僧侶ザインがパーティーメンバーになるためのさらなる一歩を踏み出す戦いと、面影を追って貴族を装う路銀稼ぎにシュタルクが何かを学ぶ、冒険者たちの日常がゆったり描かれる、フリーレンアニメ第15話である。

 そろそろ第1クールもおしまいというタイミングだが、一切焦った様子を見せずまったり歩行の旅、長命種がリーダーを務めるPTらしい時間間隔で物語は転がる。
 一晩の付け焼き刃のために一ヶ月の逗留と特訓を使う、旅路それ自体が目的でもある穏やかな足取りを、心地よく思えるのは……やっぱりここまでの物語が、そうやって時間を丁寧に噛み砕くことでどんな味がするのか、幾重にも積み重ねてくれたおかげだろう。
 眠りの呪いを撒き散らす怪物退治を通じて、良く分かんねぇエルフをそれでも信じることを学んだザインにしても、故郷から遠く離れた街で嘘っぱちの息子を演じることで、もはや取り戻せない喪失のカケラを胸に刻んだシュタルクにしても、無駄な回り道に思える歩みこそが、かけがえないものを手渡してくれる。
 ”厄介事の匂い”を嗅ぎつけて、呪われた人々を置き去りに合理的に進もうとしたフリーレンも、結局は足を止めて魔物を退治し、村に平穏を取り戻す。
 それは人にとっては遥か昔、エルフにとっては瞬きのような思い出の中で、厄介事に首を突っ込み他人のために戦った男の面影が、フリーレンのまぶたに焼き付いた結果だ。
 誰もが面影に呪われながら、それが幸せに繋がるように小さくもがいて、日々を生き旅路を進んでいる。
 そういう、作品が時と生と旅に向ける目線をまた一つ、ゆったり削り出すエピソードとなった。

 

 というわけで第1エピソードは呪いの植物狩り、中途採用の神官オジサン一人舞台である。
 旧勇者パーティーとも縁深く、子供のようであり賢者のようでもあるフリーレンに育てられ面倒見て、みっちり共に過ごしてきた若人二人とは、ちと距離感が違うザインの違和感を、真っ直ぐ削り出すお話である。
 靴に迷い込んだ小石のような、これから長く一緒に進むならちゃんと向き合った方がいい違和感を、神の加護を受けた神官だけが動ける対呪術戦で描く構図が、クレバーで好きだ。
 無敵の英雄であるフリーレンにも出来ないことはあるし、ということは仲間に頼って初めて乗り越えられる苦難も、またある。
 ザインは旅の道連れとして、そこに手を差し伸べられる強い存在なのだが、くすぶっていた過去と擦り切れた人生が、あんまり自信を与えてはくれない。
 しかし否応なく戦いも起こる村の外の旅で、自分にしか出来ない何かに踏み出すことで己を見つけ、過去託された言葉を思い出しながらエイヤと運命に擲つことで、ちょっとだけ自分を信じられるようになる。
 そしてその自信は、けして完全に理解することが出来ない他者をそれでも信じる足場となり、より大きな難行……例えば魔王を倒して人間の世界に平和をもたらすとか……を可能にする。

 他ならぬフリーレンによって魔王退治が為った世界を、天国目指して旅する新パーティーは、旧パーティーに比べて対外的なプレッシャーが薄い。
 命を賭しても為さねばならない使命に引っ張られていたにしては、ヒンメル一行の旅は間が抜けてお気楽で、命がけの戦いの中で真実お互いを知っていく、生きた手応えに満ちている。
 アイゼンが旅の宝として、10年分の日常にみっしり詰まったくだらんガラクタを愛しく撫でているのが、僕はとても好きだ。
 大事なことは『魔王を倒した』という、世界すべてが認める結果にではなくたった四人必死に旅をし、一緒に生きたからこそそこにあった、飯食ったり馬鹿話したりの過程にこそある。
 そう思えるようになって、ドワーフらしい合理主義から自分をはみ出させたからこそ、現役の戦士でなくなってもアイゼンは幸せそうだ。

 その下らない宝物は、平穏な日常だけではなく命がけの戦いの中でも……あるいはそこだからこそ手に入ったのだろうなと、ザインの戦いは思わせてくれる。
 仲間が呪いに倒れ、自分が突破口を拓くしかない状況でそれでも、得体のしれない魔法使いを信じ切ることでしか、道は開けない。
 極限的な状況だからこそ見えるもの、思い出せるものが確かにあって、村を出たからこそ学べるものが身を焼く危機として身近に迫って、ようやく一個、昨日までの自分から踏み出せる。
 そういう変化や成長の難しさ、面白さがある、余計な寄り道であった。
 こういう手応えが各エピソードにしっかりあって、”下らない”思い出をたしかに紡ぎながら旅が進んでいく手応えが、作品が描こうとしているテーマ、各キャラクターが歩むべきドラマとしっかり重なっているのは、このお話のいいところだ。

 

 

 ここら辺の視座がBパートではシュタルクに向かい、父と故郷の面影を残した街で”子”を演じる中で、かつて見捨てられた己を、もう帰ることが出来ない故郷を、少年戦士は新たに取り戻していく。
 何しろ鈍感なバカなので、シュタルクは傷もなく気楽に生きていると思ってしまいがちだけど、村も兄貴も見捨て何も出来ないまま逃げ出したと思い込んだ傷は深く、おまけにアイゼン師匠ともつまんねー仲違いで離れてしまって、浮遊する自己をどこに結びつけたものか、寄る辺のない青年である。
 その哀れさに溺れず、日々鈍感なバカとして元気に生きている所がシュタルクは偉いのであるが、時折足を止めて自分の傷を、見返すべき時もある。
 隻眼の領主はそういう機会を、影武者の依頼という形でシュタルクに手渡しつつ、自分自身息子を戦に捧げてしまった悲しみをケアし、今を生きている次男に剣を教える未来へと進んでいく。
 もうちょいイヤなヤツとして領主を描いても良い座組だと思うのだが、残った片目で彼は世界と自分をよく見ていて、シュタルクの悲しみも自分の後悔も、冷静に眺めつつ思いきれない。
 それでも遠く縁の繋がった”息子”と、嘘っぱちとわかった奇妙なふれあいを重ねる中で自分が何を喪ったのか、手元には何が残っているのか、一個ずつ拾い集めていく。
 その極めて人間的な仕草がシュタルクにも伸びて、バカが相当シリアスな己の半生を鑑みて、笑いながらまた旅立てる宿り木となって、仕事を終えて新たに巣立っていく。
 嘘っぱち親子の一瞬の交わりが、癒せない傷を優しく照らして、とても素敵だった。

 伯爵は自分の喪失を埋めるべく、シュタルクに旅を止め真実”息子”になる道を提示する。
 しかしそれはアイゼンに沢山の土産話を手渡す、過程こそが目的であるような天国の旅を裏切る結末になるので、シュタルクはほほえみながらそれを断る。
 かけがえないからこそ、失われた傷がけして埋まらない辛さを鉄面皮に隠した”親父”を、嘘っぱちの演技の中で間近に見つめていたからこそ、幻の親子関係で傷を舐め合うのは違うと、バカなりに思ったのだろう。
 シュタルクに限った話ではないがこのお話の連中はどこか間が抜けていて、だらしなくチャーミングで……つまり人間らしい。
 完璧な正しさをどっかから借り受けて上から垂れ流すのではなく、下らんことばかりに満ちた人生という旅の中、それでも掴んだ自分なりの答えを、泥まみれの手で突き出す瞬間があって、その手応えが嘘っぱちなのに確かにそこに居るという、心地よい実感を生む。
 シュタルクなり、”親父”の気の迷いを受け止め晴らす姿にもそういう手応えがあって、誠実で優しくて、少しだけ寂しくてとても良かった。

 あとさぁ……本来嘘っぱち仕事には必要ないドレスをガッツリ仕立て、新曲描き下ろして最高作画でフェルンと踊らせたの、素晴らしかった。
 埃だらけの旅路ではなかなか見えてこない、良く整った若人の美しい輝きがダンスホールに満ちて、なかなか言葉にし難い感慨が立地な作画にしっかり宿っていた。
 こんだけロマンティックな空気をまといつつ、当人同士は家族も同然、気兼ねなく過ごしている……ように見えて、フェルンはぷにぷに柔らかい純情を旅の仲間に抱いてる気配もあり、この二人をつなぐ関係性の美味しさを、改めて思い知る名場面であった。
 華やかで瑞々しい若人の姿は、そこに本来いるはずだったのに死んでしまった”息子”の影を微かにまとっていて、美しいけど少し寂しいのが、また良かったな。
 仕事を終えて路銀を稼げば、一炊の夢と消えてしまう美しい幻は、しかし確かにシュタルクとフェルンの可能性を照らしていて、”親父”にとってはどうしても見たかった夢でもある。
 ここら辺の複雑さを、大上段からシンプルにぶった切っちゃうのではなく、落ち着いて豊かな筆でどっしり描くのが、やっぱり好きだわ。

 

 というわけで下らないことも尊いことも、入り混じりながら刻まれていく旅の記録でした。
 戦いも嘘も、一つ一つがかけがえのない真実としてそれぞれの中に積み重なりながら、間抜けな失敗も気に食わないすれ違いも確かに、そこにある日々。
 その手触りが、とても心地よいものだと思い出せるエピソードでした。
 AB両パートで主役に成らないフリーレン様が、たっぷりボケエルフっぷりを見せつけてとっても可愛かったの、ホント最高。
 フリーレンおばばが最高可愛いの、ホントシンプルに強い武器だよなー、このアニメ……。

 天国を目指して続く旅の、次なる逗留地では何が描かれるのか。
 次回も楽しみです。