イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ウマ娘 プリティーダービー Season3:第13話『そしてあなたの……』感想

 かくして最後のレースを駆け抜けて、夢の先へと。
 G1七勝ウマ娘キタサンブラックのラストランを描く、ウマ娘アニメ三期最終話である。

 第11話で衰えと向き合う主人公に、第12話でそんな彼女を見つめる周囲の人々に、どっしりフォーカスを合わせた物語はそれら全てが集う”レース”それ自体をまるまる描いて終わっていく。
 引き際を見定め自分の手で幕を下ろす、今までアニメでは描かれたことのないウマ娘の在り方を削り出すのに、良い最終回だったと思う。
 レース前の情景にゆっくり時間を使えたのも、時代を作った名馬の強さを最後に証明する戦いも、お祭りウマ娘の本領発揮なウィニングライブも良かったが、二期彼女が初めてアニメの世界に降り立った出発点に立ち戻るように、未来の名馬たちが夢を抱えて集うオープンキャンパスで幕を閉じたのが、良いまとまりだった。
 一人の名馬が時代を駆け抜け、その足跡に憧れて走り出したものがまた、新たな伝説を作っていく。
 そういう、擬人化され二本の足で立って意思を表明する”ウマ娘”だからこその物語へと、心地よい風を生み出して終わっていったのは、トウカイテイオーに憧れて自分だけの道を駆けていった、キタちゃんらしいフィナーレだったのではないかと思う。

 

 じっくりと有馬ラストランに時間を使う形になったことで、出走前の最後の懐旧を凄く豊かに描けたのは、大変良かった。
 緊張に飲まれぬよう気合を入れる若駒、未だ己の道をひた走るライバル。
 隣り合うウマ娘たちとは違った感慨で、慣れ親しんだはずの全てを愛しく見つめ、寂しさを胸に詰め込んでいくキタサンブラックを、言葉少なく刻み込んでいく。
 あの場面が分厚かったことで、目の前の楽しさと苦しさにただ一生懸命だった若者がどこにたどり着いたのか、三期で描かれた物語が収まるべき場所を見つけた感じがあった。
 人生の絶頂を過ぎて下り道、確かに自分は足跡を刻んだのだと懐かしく、目の前の全てを抱きしめる。
 そういう成熟へと、ちんちくりんのちびっ子がたどり着いたのは感慨深かった。

 そして実際のレースにおいては、疾走る動物の本性をむき出しに、ただ勝ちたいと、誰よりも早く走りたいと、OPのリフレインを重ねながら獣の形相で突っ走っているのも、大変良かった。
 俺はウマ娘アニメの、理由なく全力疾走する少女たちの獣性に、荒々しく響き渡る足音の激しさに魅入られて好きになったので、それが最後に顔を出すのは良かった。
 出発前の老成した表情も、走り出した後の滾る血潮も両方嘘ではなく、全部まとめてキタサンブラックで、そんな複雑さを人生というレースをひた走る中で手に入れ体現したからこそ、皆が彼女に惹かれる。
 あるいはそんな理屈を蹴っ飛ばして、ただただ全力で走り抜けていくその熱と光が眩しいから、競走馬からは目が離せない。
 そういう、このアニメがテーマとして、主役として選んだものの本質が色濃く出る走りが最後に見れて良かった。

 

 そしてそのガムシャラで収まらず、最後の最後に己に向けられる声援に、他ならぬ自分の走りが生み出した”祭り”に、目を向けたからこそ影を踏ませない完全勝利で終わるのだと、描写を繋げたのも良かった。
 ファンが最後にセリフで告げたように、泥臭くガムシャラで身近なスターとして作中設定(それが”描写”として十分であったかは、僕は正直悩ましいとは思っている)された彼女は、常に自分に自身がなかったように思う。
 G1七勝の大記録を成し遂げ、歴史に冠たる堂々の名馬であることと、悩み苦労し一歩ずつ前に進む”凡人主人公”としてのキャラ立ては、どっちつかずのブレとなって、僕の中に煮えきらない印象を与えた。
 『いや、迷うほどもなくあなたは特別で、それはレースの結果が示しているでしょう』と、画面の向こう側に幾度か声をかけた。
 そういう外野の寝言は別のところで、脅威のスーパーホースにも当たり前の悩みと苦しさがあり……という話だったのかも知れないが。

 そんなキタちゃんが最後の最後、自分が確かに望んでいた興奮と笑顔を、祭の喧騒を生み出していたのだとターフの外側に見つけたことが、ピークアウトしたはずの彼女に力を与える。
 命がけの土壇場で、そういう脇目をふれる成熟がキタちゃんの中に生まれていたからこその描写だろうし、理由なく訪れる(からこそ普遍的な)衰えと終わりに、どっしり腰を落として向き合ったからこそ見えたものだとも感じた。
 ここらへんは物語全体の語り口……特に第10話以降のラストラップと重なって生まれる感慨で、作品が描いてきたものと最終戦主人公が勝ち切る理由が、いい感じにシンクロしていたかなと思う。
 ぶっちゃけ”お祭りウマ娘”という属性を印象づけるエピソードが薄かったので、キタちゃんが求める(彼女が主人公である以上、物語全体を牽引する)”祭り”とはどんなモノなのか、その輪郭もやや不鮮明であったけども、最後の最後に画竜に点睛が加わってくれた気がした。

 未だ執着マンマンなライバルたちを置き去りに、キタちゃんが心地よくラストランを駆けきって後ろを振り返らないのは、僕としては凄く良い。
 そういう残酷さを、アニメ三期のキタサンブラックはずっと持っていたと思うし、だからこそ爽やかに人生の苦境を駆けていく当事者性があったし、物語としても気持ちよく幕を引ける。
 去る者があり、未だ駆けるものがあり、その足跡を追って生まれる新たな物語がある。
 『衰え終わっていくウマ娘』という、一期も二期も扱わなかった要素を話しの真ん中に入れた三期が、扱いの難しい物語的爆弾を自分たちなり、据えるべきところに据えてなんとか走りきった手応えを、勝って歌って終わる最後に感じることが出来た。

 まー明らか関係性と感情が一番ぶっといダイヤちゃんがラストラン、宿敵として立ちはだからないのは残念であるけども、史実がそうなんだからしゃーないわな。
 ここら辺二期は『トウカイテイオーメジロマックイーンのために走った』という、”娘”になったからこそつける大嘘を圧倒的な物語的うねりでねじ込むことで、必然を生み出してトップスピードでぶっちぎったわけだが、そういうフィクションの宙返りを封じて、三期は進んできた気がする。
 それは運命と出会い勝ち進んで、衰えて終わっていく人間の(あるいは生物)の当たり前に、あえて挑んだ三期全体のムードを壊さぬよう、選び取った道だったのかなと、最終話を迎えて思った。
 しかしまぁ、あんだけウマ娘キタサンブラックの人生のデカい位置を占めてたトウカイテイオーが、ドラマ上そこまで猛烈な仕事しないままだったのは意外というか、肩透かしというか、三期らしいというか……。

 

 

 というわけで、ウマ娘アニメ第三期が終わった。
 実在の名馬たちのレースを元に、”娘”となることで可愛らしい容姿と、自分を語る言葉と、それで繋がる互いの想いを追加して、或る意味伝奇的な発想でもって競馬史を語りなおす物語。
 アニメに軸足を置くオタクとして、サービスインもしていない頃に怪アニメとしてナメた見方をして、グイッととその”本気”に引っ張り込まれた一期。
 二人の主人公激動の運命と燃え盛る感情のうねりを、熱すぎるほど熱く焦がして突っ走った二期。
 コンテンツが軌道に乗って天を掴む原動力になるほどに、成功したシリーズの続きだからこそ難しい部分が、このアニメにはあったように感じる。

 アニメファン、アプリユーザー、競馬マニア。
 幅広く様々な人に愛されているからこそ、色んなものに目配せをしてウィンクを返し、未だ描かれていない物語を探して挑み、極めて難しい舵取りを求められる苦しさを、勝手に感じ取ってもいた。
 自分はアニメでだけ”ウマ娘”と触れ合うファンなので、自分以外の観客席に放たれたサービスの意味を真実受け取りきれず、大型コンテンツと付き合う難しさを幾度か思い知ったりもしたが、しかしそんな状況下でもどう走るのか、諦めなかった作品だと思う。

 

 ウマを娘に変える嘘っぱちだからこそ可能な、故障や事故すら乗り越えて永遠の明日へと駆けていく、盛大なファンタジー
 名馬たちのヴァルハラたるトレセン学園にはついぞ入り込まなかった、衰えと終わりをお話の真ん中に据えた話運びには、賛否あると思う。
 自分もその舵取りには結構戸惑い、途中視聴が停滞したりもしたわけだが、しかし二期から続いたダイヤちゃんとの関係性を眩しく燃やしきった九話以降の、落ち着いて地道な語り口はゆっくり、このお話がどこに収まっていくのかを教えてくれた。

 超越的な夢の星が遠く眩しく永遠に瞬く様ではなく、地べたで泥に塗れながら活きて衰えて終わっていく当たり前の存在が、それでもなお決着の先へと駆けていく姿を刻む。
 それを描き切るには色々と半端だったり、不自由だったり、やりきれていないモノが在ると僕は思っているけども、しかし一期でも二期でも描かれなかったそんなテーマと、自分たちも泥臭く取っ組み合ったこのアニメは、良いアニメだなと思えた。
 無論それは僕の勝手な思い込みであり、全然別の物語が描かれていたのかも知れない。(ここらへんを真実受け取り切るには、”ウマ娘”への知識もコミットメントも情熱も全然足りていないので、あんまいいアニメ視聴者じゃなかったなと今更ながらに思ったりもする)
 しかしフィクション特有の燃え盛る熱量でもってドラマを高いところに打ち上げた過去作とは、違う場所に進もうとした意思と、それを描こうと自分なりもがいた足跡には、たしかに感じ入るものがあった。
 そういう勝手な思い入れをファンが受け取れるのは、それこそ最終話までのキタちゃんが作中作り上げたモノをモニタの向こう側に手渡してくれた感じもあって、悪くない読後感である。

 

 『こういうお話になるのかな、なって欲しいな』という期待や願望、あるいは勝手な思い込みが実を結ばず、波長を合わせるのが大変な作品では、正直あった。
 しかしそうやって、お話が描いているもの、描こうとしているものとチューニングを合わせるのがどこか楽しくなるようなチャーミングさが、確かにあった。
 そういう可愛げこそが、”ウマ娘”最大の魅力だと思っている自分としては、最後までそういう強さをキャラにも、彼女たちが作り上げるドラマにも宿してくれて、とても良かったです。

 ウマ娘のアニメはジャングルポケットを主役とした劇場版へと続いていきますが、三期の長きにわたりTVシリーズを続けてくれたありがたさ、それぞれの面白さとテーマに向き合って作り上げられた物語に、今は感謝を。
 面白かったです、ありがとう!