イマワノキワ

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ひろがるスカイ!プリキュア:第48話『守れヒーロー!みんなの街!』感想

 全てを奪われた痛みを、胸に宿る虚無を、母なる暗黒に捧げて全てを壊す。
 哀しき怪物と化したカイゼリンの侵略を受け、街を守る盾が砕けていく。
 スカイランドを舞台に、最終決戦の幕が上がるひろプリ第48話である。

 とても良かった。
 ここまでひろプリ見てきたからには、このお話が成してきた挑戦と成せなかった不備も自分なり解っているつもりだし、その両方を踏まえた上で、”良い”が大きく勝つ最終話二つ前だと思った。
 敵サイドの描写を極端に削り取り、エルちゃんが抱っこされるしか無い赤ん坊から、這いずり自分の足で立つまでの成長を、そんな歩みを通じて地球人とスカイランド人が一つ屋根の下、家族になっていくまでをメインで削り出してきた物語。
 戦いの決着をつけるこの最終局面、描かれてないから在るはずなのに実在感と説得力がない、空々しい戦いになっていくことを、正直危惧していた。(そんな末路を見届けるのが怖くて、話が決着するまで蓋を開けられなかったのは、つくづく僕の弱さである)
 そういう要素がないとは、当然言えないだろう。
 駆けつけた旧幹部との共闘、カイゼリンとの衝突……事前にもう少し補助線が引かれていれば、もっと熱く強く胸に響いただろうと思う部分は、当然あった。
 しかしここまでの物語でも要所要所で仕事をしてきた、ハッタリ効いた叙事詩的な描写がいい仕事をして、最後の決戦を物語全体を総括するキャンバスとして機能させるのに、十分な熱と俯瞰的視点のある回になっていたと思う。
 僕は50話も続くなら、自分たちが何を描いてきたのか堂々最後にまとめ上げ、告げてほしいと思う人なので、長い物語を駆け抜けてきた主役たちに己がどんな存在なのか、この物語が彼らに何を生み出したか、描き切るチャンスを用意してくれるのは嬉しい。
 今回で言えばツバサくんとあげはさんが、どんなヒーローになったのか、どんなヒーローであったのかを、やっぱ妙な生々しさの在る市街戦を通じて削り出していたのは、とても良かった。

 

 そんな激戦を導き出す火口となる、カイゼリン・アンダーグ。
 『傷口ではない……心が血を流しているのだ!』とか『力こそ我が名だ!』とか、やや大仰でスケール感のあるセリフで母なる暗黒に身を落として闘うさまは、恐ろしいというより悲しく痛ましかった。
 アンダーグ帝国の文字通り足場である暗いエネルギーから生まれ、その意思に良いようにそそのかされて憎悪を拡大し、国民に力至上主義を押し付ける傀儡になったカイゼリンは、愛ゆえに愛を忘れ、力ゆえに力に振り回されていく。
 暗い場所から生まれたものも、誰かが手渡す愛を命綱にして宿命をふりちぎり、生き方を変えることが出来ると、過去を描いた物語は既に告げているわけだが、プリキュアたちが名前のない怪物となってしまったカイゼリンをせき止め、街を守り、自分では見つけられない可能性を光で照らして見つけ直す戦いの中で、それは再話される。
 人は生まれ落ち、名前を与えられることで人になっていくわけで、無形の力を自分の名前に明け渡し、自分が生まれた場所に帰ろうとしたカイゼリンは、時を巻き戻し人である自分も捨てていこうとする。
 カイゼリン・アンダーグとして、父の意向に背いて平和を求めたことも、そのために震えを乗り越えて命を賭したことも、喪失と孤独と絶望に飲み込まれて消えていく。
 カイゼリンが少女から大人になり、誰かを信じようと思えた自分を投げ捨てて暴力の装置になっていく足取りは、エルちゃん(と、その小さき保護者達)がこの物語で歩んだ道とはさかしまであり、ヒーローを照らす歪んだ鏡としての悪役の機能を、見事に果たしているだろう。

 力=怪物となった少女が見失ってしまった、かつての自分の願い。
 これを照らし取り戻させることが、キュアプリズム最後の戦いになっていく構図は大変良かった。
 虹ケ丘ましろはそういう事が出来る少女としてずっと描かれてきたし、プリズムは光がもつ豊かな色合いを増幅し、際立たせ、秘められて見えていないものに明確な形を与える、虹色の夢だからだ。
 しかしそんな戦いに挑む前に、ましろさんはかつての失敗を思い出し、自分に奇跡が生み出せるか迷う。
 その等身大の戸惑いもまた、一年を通じて成長してきたましろさんの在り方であり、この最後の戦いでしっかり照らしてくれたのは良かった。
 不思議な力で時を渡り、当事者としてスカイランドとアンダーグ帝国の歴史、カイゼリンという名前の少女が何を求め何を成したかを、確かに見届けたましろさん。
 カイゼリン自身が愛ゆえに見失い、手放してしまった弱き者の願いを、キュアプリズムは弱いところからヒーローになったからこそ、自分の物語として受け止め、形作り、手渡す。
 そうやって、確かにあったはずなのに脆く壊れてしまう大事なものを、自分以外の誰かが自分よりも強く、優しく紡いで手渡し直してくれるという、柔らかな希望。
 それを体現できる少女として、説得力ある積み重ねが虹ヶ丘ましろにあってくれているのは、彼女を好きになった人間として嬉しいのだ。

 ましろさんは超常の戦いと隣り合わせな、彼女だけの人生の物語において、絵本を作ることを夢と定めた。
 それは形なく追いかけるものではなく、時に作り上げた夢をビリビリに引き裂かれるつらい思いをしながらも、地道に書き綴り、悩んで近づいていく、手応えのある生き様だ。
 仲間の信頼に支えられ、震えながらキュアプリズムが差し出した光は、カイゼリン・アンダーグという少女がどれだけ弱くて、それでも自分だけの強さを信じて生きて、確かに何かを守り得たという、一つの物語だ。
 個人の心のなかに留まっていないからこそ、分断を越えて皆に共有できる形になった優しい夢を、ましろさんは本人が投げ捨てても覚えていて、信じている。
 実際に手渡せる祈りとして、現実の中で”絵本”を選んだましろさんが、プリキュアの戦装束に身を包んで命をかける超常の戦場において、不定形の光を手渡す。
 その時、虹ヶ丘ましろとキュアプリズムは完全に重なっていて、特別な力は誰かを傷つけるためではなく、これからもずっと追いかけていく優しい夢を嘘にしないために、眩しく輝く。
 それが虹ヶ丘ましろに良く似た、キュアプリズムのようには生きられなかった女の子に名前を取り戻し、力だけが全てではないのだと証明する一撃になっていくのは、とても良かった。

 

 この決戦をやり切る為に、キュアバタフライとキュアウィングは街へと帰る。
 自分一人の力で空を飛びたいと、健気な野心に燃えて異世界に飛び込んだ少年がこの物語の中成し遂げた、誰かを守るための力。
 スカイランドを覆うバリアは名前のない怪物の叫びに砕かれ、町の人々は恐怖におののく。
 ここで立ち上がるのがプリキュアだけではなく、”青の護衛隊”にも美味しい見せ場がしっかり用意されていたのは、最後の最後で必要な描写をしっかり入れてくれた感じがあり、とても嬉しかった。
 ”ひろがる”とタイトルにある割には、実はあんま横幅広い旅はしてないこのプリキュアだが、スカイランドという異国に色んな人が住まい、それぞれの誇りと夢を持って生きている様子は、結構上手く書けていたと思う。
 過去編においても、怪物に蹂躙される街を守る名もなき戦士たちの奮戦を確かに切り取っていた筆が、今回は大事な仲間にしっかり伸びて、皆で戦っている感じを濃くしてくれたのは良かった。

 第15話で特に強いのだが、スカイランドが戦場になる場面には夢の国らしからぬ迫力があり、無辜の市民が的に書けられる、市街戦の怖さがしっかり描かれていた。
 防戦や避難を強く描く今回も、そんな色合いはしっかりとあるのだが、これがソラシド市だった場合、モニタの向こう側で起きている事象と重ねて、あまり冷静に受け止められなかったかな、とも思う。
 物語化された仮想として描かれるからこそ、クッション挟んでで食える描写というのは確かにあり、変身ヒーローである”プリキュア”自体が、そういう絵空事だからこその優しさと真剣さを、背負って続いているとも感じる。
 パリパリ割れるファンタジックなバリアに守られた、どこか遠い洗浄の景色にはしかし、確かに『嫌だな……』と思える生々しい痛みがあって、それは最終決戦に必要な真剣味としても、それをはみ出した現実の似姿としても、大事なものだったと感じる。
 そこに生々しい危うさがあるからこそ、ラスボスぶん殴るより大事なものがあると街に戻り、バリアを修復し人々を守る戦いに身を投じる、ウィングとバタフライの決断にも意味が出てくるのだ。

 

 ツバサくんは彼だけに出来るバリア修復に勤しみながら、自分が何を求めてここまで来て、ここから何を求めて進みたいかを語る。
 あんなに空飛ぶことを求めていたツバサくんが、一年かけて成し遂げた成長が飛翔に全然関係なく、他人を守るでっけー盾なのが、僕は好きだ。
 ウィングに返信した時、最初に夢見た輝きは既に叶ってしまって、でも彼を異世界に突き動かした熱は消えることなく、もっと大きく、もっと豊かなツバサを作り上げる所まで来た。
 あのバリアで街を守って、自分とは違う……でも同じく尊ぶべき夢を持った命を守ることこそが、ツバサくんが手に入れた夢の翼なのだろう。
 そういうでけースケールに、溌剌健気な少年の願いがたどり着いて、壊れかけても直せるだけのタフさがあって、自力で奇跡を引き寄せる強さとしぶとさが、確かにあるのだと示してくれたのが、僕には嬉しい。
 あのバリアがスカイランドすべてを覆うほど大きいのは、自分ひとりが翔ぶ夢に突き動かされてきた子どもが、自分の周りに広がり自分を支えてくれる全てを、包み込めるくらい大きな人間になって、大きな夢を見た証拠なんだと思う。
 市街戦描写に生っぽいヤバさがあればこそ、そんなツバサくんの大きな翼のありがたさと頼りがいが、一年の物語で作り上げたものが、真に迫って僕に届くのだ。

 そして聖あげはは、己の夢を語らない。
 バタフライに初めて変身した時からそうだけど、あげはさんは成人として自分の夢のど真ん中に既にいて、追い求めるべき願いを探す幼年期は終わっているのだと、常に描かれてきた。
 迷わず見据え、だからこそ強い。
 そういうバタフライの在り方を、迷えるましろちゃんにエールを送ったり、ウィングの窮地に颯爽登場したり、激戦の中静かに確かに描いてくれたのは、とても良かった。
 あげはさんだって一人の人間として、震えながら迷い苦しみながら戦っていることは、たとえば彼女が両親の離婚に苦しんだ過去を描く第28話で、既に語られている事実だ。

 完全無敵のヒーローなんかじゃなくて、間違えも戸惑いもする当たり前の人間で、だからこそ最強でいたいと保育士を目指したあげはさんは、子どもたちが自分の在り方に戸惑い、あるいは決意を込めて夢を探す場所で、少し後ろ側に立つ。
 自分自身がそんな、眩しい光の中に立つ時間を終えて、それでも……だからこそたどり着いた夢の真っ只中に恥じないような生き方を、ずっと続けていく。
 その証として、サポート&ディフェンスを担当するプリキュアの真骨頂をしっかりバリアに刻んで戦いきった今回、とても良かった。
 そうやって子供の未来に隣り合うこと、そこにこそ自分だけの物語を見出すことが、聖あげはの選んだ道なのだ。
 そこは(正直色々フラついた感じもある)このお話において、首尾一貫され徹底されてきた『初の成人プリキュア』の描き方だったと思う。

 

 というわけで、勇者と魔王、それぞれの生き様がまばゆく燃えるスカイランド市街戦でした。
 俺はデパプリでの”懲役”がめっちゃ重くて大事な仕事してて、監獄という社会機構にブチ込めばこそ罪人が生き方を改めていける可能性書いてる所が好きなんだが、今回の”疎開”にはその味わいを感じ取った。
 『ここしかないだろ!』というタイミングで敵幹部が駆けつけたけども、まーミノトンの『鍛えたら光った』発言にあぶり出されているように、色々急で描写は不足してて、しかしやってくれて嬉しい描写でもあった。
 ヒーローの鑑となる悪役の描写を削る奇策に出るなら、それを補うなんらかの物語装置はやっぱり必要で、それが十分用意されていたとはまぁ言えない、このひろプリ。
 それでも短い出番の中で、力至上主義の犠牲者が力の信奉者になっていく歪さとか、それを否定すればこそのヒロイズムとかは、ギリギリ描けてきた。
 終盤戦、門田とましろさんの描写を分厚く取ったことで、悪が迷いながらも己の生き方を乗り越えていく歩みを刻めたのも、『足りてないけど間に合った』感じに寄与してる……かなぁ?
 構成は横において、敵を描く筆自体は鮮烈で印象的だったことが、この最終決戦でプラスに働いている感じはある。
 カイゼリンの苦悩に共鳴しながら見れてるのも、過去連作の仕上がりが良かったからこそだしね。

 そんな悲運の皇女を、背中からぶっ刺した腐れシステム野郎。
 『匂わせてた純情も、全部ウソかよコノヤロー!』って気持ちでいっぱいであるが、カイゼリンが憎悪の化身になっちゃった騙し討ちの真相含め、色々喋ってまとめて欲しい。
 つーかスキアヘッドがアンダーグエナジーそのものだと、あの対話の出来なさ、話の通じなさも腑に落ちるんだよな……つくづく、変なアニメだ。
 次回も楽しみです!!