イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想

 21年目の正式続編、”機動戦士ガンダムSEED FREEDOM”を見てきたので、感想を書きます。
 自分は前作・前前作はTVシリーズを最後まで見て、色んな歪さにゲンナリ来つつ見届けて、それなりに楽しんだ……くらいの温度感です。
 社会現象と呼べるほどの引力を持ち、数多の呪いを後世に残した作品が、長い時を経て劇場で紡いだ物語は……大変面白かったです!
  明らかにやりすぎている物量と熱量、加速しかしないテンポ感でガンガンに押し込み突っ走り、ファンサービス……という綺麗な言葉ではおっつかない、思い入れもやる気も何もかも過剰な盛り込み加減で、久々のコズミック・イラを楽しませてもらいました。
 想定以上にSEEDの全要素を拾い上げた同窓会映画であり、しかし『昔は良かった……』とノスタルジーに浸るどころか、自分たちがどんな呪いを生み出し、自分たちもそれに呪われてきたのかを正面から見据えた上で、語りきれていなかった部分に真正面から切り込む物語でした。

 『お前らもSEEDが大好きで大嫌いだろうが……俺たちのほうが好きだねッ!』と、煮詰まったファンの脳天に巨大な愛を振りかぶるような力強さで、MS戦もキャラの描写も最悪な世界の行く末も、やれるだけやり切ってくれるパワーに満ちていたのが、大変痛快でした。
 なんつーか……デカ盛りメインディッシュだけが延々続くコース料理みたいだった。
 箸休めとか口直しとか、そんなヌルいこと一切考えずにひたすら”SEED”で埋め尽くされていて、その力んだ本気を全身の毛穴で感じると、否応なく”SEED”が好きになってしまう。
 そういう迫力のある映画で、メッチャ良かったです。
 メインディッシュであるMS戦がド迫力のてんこ盛りなので、音響の良い劇場大画面で見るのが、気持ち良いと思います!

 

 

 というわけで、正直ぜーんぜん期待していなかったSEED映画を見てきた。
 一足先に見に行った周囲の温度が異常で、それはこのお話に呪われた人たちがどれだけ多く、そういう人たちに真摯に向き合った……というか造り手自身”SEED”に呪われ、何かが歪んでしまったからこそ長い時を経て、その呪縛を解かざるを得ない切実さが、至る所にあった証拠だと思う。
 自分はそういう呪いにはかかっていない(と思う)けど、この温度感は自分が 映画”シン・エヴァンゲリオン劇場版”感想 - イマワノキワ 見た時に似ていたので、作品というよりもその熱気と解脱を吸いに劇場に向かった。

 ……んだが、ナメてた横っ面を張り倒されるような過剰で本気な……というか本気が過剰な映画であり、僕がTVでSEED見てて感じた『こういう所がイヤなんだよなぁ……』つうところにしっかり向き合い、直すべき部分は直し、突っ走るべき部分は突っ走り、『ガンダムSEEDって……つまりこういうお話だったんですよね!?』と、鋼鉄の砲弾を投げつけてくるタイプの観客とのキャッチボールを、強引に迫ってくるような映画だった。
 戦争映画に騎士道ロマンス、洗脳NTRに不良の河原での殴り合い、そして何よりロボアニメ。
 色んなジャンルをハチャメチャに横断し、山盛りのキャラクターの”その後”を写しまくり、けして立ち止まることなく、ムードの切り替えに無駄な時間など使うこともなく、アクセルを踏み続けて”SEED”をやり続ける。
 自分たちが下世話であったこと、俗悪であったことをむしろ誇るかのように、グロい死に方するモブと女の柔肌、超かっこいいハッタリ効いたロボアクションと、すれ違い分かり合うデカ目の感情が乱舞する。
 とにかく息をつかせない、過剰にミッシリ”SEED”を詰めた展開が異様で独自な物語体験を生み出していて、色んな面白さが目白押しで脳髄を突っついてきて、シラフに戻って『やっぱ種はさぁ……』みたいな寝言をほざかせない、驚異的な迫力があった。
 映画としてもアニメとしても相当にハチャメチャなのだが、しかしその無茶苦茶さが間違いなく面白く、やる気満々のやり過ぎ感に翻弄されながらも『あ、これがSEEDかも。そして好きかも』と思わされていく体験は、なかなかに得難かった。
 総じて、変なアニメでメッチャ面白かったです。

 

 色々良いところがあるのだが、どう考えても二年分のTVシリーズより濃度も密度も高いMS戦闘シーンが、バキバキ暴れ倒していたのは”ガンダム”として非常に良かった。
 軍事的リアリティにそれなりにウィンクしつつも、なにより脳髄の一番原始的な部分がビンビン反応する、無条件にかっこいい絵面とスピード感、手数とアイデアに満ちたバトルが食いきれない速さで襲いかかってきて、大変面白かった。
 バトルの作りも薄暗く世知辛い市街戦、陰謀渦巻く地上戦、宇宙を舞台にした艦隊戦にスカッと爽快切り札乱発の最終決戦と、バリエーションに富んでいて大変良かった。
 半分……っていうか全部ギャグなんだがもうそれでいいと思えるような、タガをぶっちぎった最終決戦のど派手さが目につくが、キラ達がTVシリーズの戦いを終えてなお向き合ってる、出口のない戦いが犠牲にする市民の痛みがよく伝わる、冒頭の市街戦の暗さが特に良かったと思う。

 遠距離射撃と近接攻撃が高速で切り替わり、鋼鉄の巨人に山と積まれた武器を大盤振る舞いしながら闘う、シルエット・バトルの面白さが、リッチでスピーディな作画の力を借りてようやく、真の力を発揮した感じもあった。
 武器を変え相手を変え、おんなじことを繰り返さないので、飽きる暇なく加速してく闘争を見れるのは、とても良かったなぁ。
 一発で『オッス俺たち極悪最強騎士団! ロクでもないことたくさんするぜ!』と告げてくる、ブラックナイトの悪趣味なデザインとか、そんな連中に一回ボコされ、捲土重来の気合を載せてケレン満載の大暴れをする主役機とか、現行兵器の延長にはありえない、嘘っぱちの絵空事だからこその痛快さみたいのが、たっぷりあったのが凄かったです。
 ジャスティス必殺のどすこい頭突きとか、シンちゃんが遂に見せた真の分身殺法とか、FREEDOMラブラブサンダーブレークとか、明らかやり過ぎてるんだけど最高だったもんな……。

 

 MSバトルのカッコよさと同じくらい、キャッチーに当時の視聴者を(つうか僕を)惹きつけた露悪で俗悪な部分は、相当な自己批評を経て嫌な部分が抜けて、しかし要所要所でしっかり顔を出して、いいバランスで使いこなされていたと思う。
 ラクス様のムチムチパイロットスーツとか、何度も繰り返される洗脳NTR演出とか、核だのレクエイムだので爆裂グロ死するモブとか、オーブ軍を描く時に漂う『こうだったらいいな自衛隊』っぷりとか、20年経て出会ってみるとむしろ心地よく、SEEDらしい味わいが随所にあった。
 敵の黒騎士たちも『散々非道をやって、ド派手に散りたいと思います!』と額に刻印してある、キャラは立っているが奥行きを用意してない良い造形。
 そんな宣言通り全速力で分かりやすく駆け抜けてくれて、見事に散って……大変良かった。
 オッパイとか美少年とか、難しいこと横にぶん投げて脳髄が反応する美味しい要素を、恥ずかしげもなく全力でぶん回したからこそ面白かった自分たち。
 それをむしろ誇らしげに、堂々やり切っている姿は、ある種のプライドすら感じさせた。
 そういう軽薄で安い味わいを投げ捨ててしまったら、20年の時を経てSEEDを新たに語り直し、終わらせ、ちゃんと向き合ったからこそまだまだ続いていける物語にはならなかっただろう。
 だから、そこにも確かな面白さがあったのだと、堂々胸を張ったのは偉いと思う。

 『結局薄幸の姫君とナイーブな騎士のロマンスなんだからよー……舞台もギンギラに中世にしちまっていいんじゃねぇかな!』と、あきらかやり過ぎなロイヤルっぷりでファウンデーションを作り上げ、遺伝子強化された間男まで用意して、キラとラクスの揺れる恋を描きにいったのも、そういう”誇り高い俗悪”の線上にあると思う。
 悪びれることなくドレスに舞踏会、ゴージャスで装飾過剰で時代遅れな中世国家という装い自体が、ハイクオリティなMSバトルに負けないオモシロを誇っており、キャラの心が揺れる……比較的落ち着いてるはずの場面で、血圧下げずに突っ走れてもいた。
 悟った平和の神様みてぇな顔で、空から降りてきてMSダルマにするキラ様を、どうにか年相応のキラくんに戻し、いちばん大事なモンを問いかける今作。
 矛盾に満ちてロクでもない世界で、それでも生きていけるだけの理由を、キラくんの奥底から引っ張り出す映画だと思う。
 そのためにはなんか綺麗にまとまった風だったラクスとの恋が、ぜーんぜん魂のぶつかり合いを経ていない”ごっこ”だと暴き、セックスまで視野に入れた生っぽいすれ違いと略奪の果てに、『キラくんほんとは何がしたいんだ! 大きな声で言えッ!』『ラクスと勝利のメイク・ラブ!』と叫ばせる必要があった。
 そのために大変都合よく精神をヤバくさせてくる超人類を出して、めんどくせー言葉による揺さぶりとかウジウジダルい交流とかを蹴っ飛ばす。
 物語に必要なだけの動揺と敗北を、最短距離をワープする語り口でもって引っ張ってくる手際が、作品全体に漂う異様なグルーヴ感を加速させていた。
 枝葉を全て切り落とし、幹だけ積み上げてお話を編み上げるために、あえて選ばれた適当な粗雑さというか、それ故のパワフルで問答無用な勢い。
 それが随所で元気なのは、とても良かったと思います。
 

 『オメーは無敵のスーパーコーディネーター様でもなんでもねぇ……俺たちアコードに支配される劣等種なんだよ!』と、お嫁さん攫って泥ん中にぶん投げてくれるクズども。
 彼らが超スピーディーに話進めてくれるからこそ、キラくんも胸の奥に溜め込んでいたものを全部吐き出し、親友と殴り殴られ……つうか一方的にアスランにボコされ、弱い人間でしか無い自分を見つけることが出来た。
 ただの人間、ただの青年でしかない自分に立ち返って、なお叶えたい理想を描くのは、その理想が無条件に作品世界に認められ、主役補正もらって大暴れしていた(ように思えてしまう)DESTINY時代とは真逆であり、めちゃくちゃ親しみやすかった。
 愚かながらも命がけで未来を切り開こうとしてる戦場に、文字通り上から舞い降りて生き死にを操作する傲慢な不殺も、今回はやってる余裕がないくらい追い込まれて、オルフェとイングリッドは死んじゃうわけだしね。

 一人で何でも抱え込んでオーバーワーク気味になり、結果お嫁さんとのすれ違いを加速させていた前半も、激ヤバ洗脳操作で謀略の片棒担ぎ、フルボッコにされた挙げ句お嫁さん攫われる中盤も、見たいと思っていたのに見れなかった『人間、キラ・ヤマト』の血潮に満ちていた。
 その痛みと熱がいい感じに、ヒロインたるラクスに伸びて、同じく人間臭さのない女神様めいていた彼女を、魅力的な存在に変えていたと思う。
 『いや作りすぎだろ! 部活帰りの中学生の夕飯かよ!』って言いたくなるドカ飯作って待ってる所とか、お互いにすれ違いながらも毛布を掛け合う思いやりとか。
 ド直球に『二人はお互い、マジでぞっこん惚れです』で教えてくれるシーンの描き方も良かったし、過大な運命を背負わされてなお少女であるラクス・クラインの、可愛い所が元気な映画だった。
 オルフェにキッモいキッモい手籠め未遂ぶっこまれ、気迫と精錬で操を守った後に一筋流れる涙は、コンパス総帥ラクス・クラインであるために、英雄であるキラの伴侶であるために、必死にまとっていた鎧が引っ剥がされてなお、だからこそ気高い可憐さで大変良かったね。

 なにしろSEEDなのでロマンスとセックスの匂いは濃厚に漂うわけだが、キラとラクスがド真剣に愛のお話をやるので、視聴者釣るための刺激的な餌に堕ちていた過去作とちょっと違う、不思議な真摯さがあったと思う。
 全てが終わった後、裸で口づけあう恋人たちがあの後なにするかは明言せずとも解るところだが、そういう生身の成り行きに身を任せる……身を任せたいと心から願う身体性が彼らにもあり、生き延びて抱き合ったカップルにも、敗残に倒れていった恋人たちにもあるのだと、セックスを寿ぐお話になっていたのは、個人的な好みにハマる。
 安全圏で良いように糸を引く、卑怯な悪女の印象を(多分制作側の意図とは真逆に)持たれてしまったラクスが、リスク承知でキラを真実神にするインチキユニットをその身で届けた後。
 砲弾飛び交う戦場のど真ん中に突っ走っり、行われるエンゲージ。
 機械神誕生の超絶合体は、コックピット内に漂う露骨なセックスの暗喩と合わせて、使命と責務だけで立ってた少年と少女が自分の足と性器で、地面におっ立った瞬間だった。
 ロボとキャラの魅力でぶん回してきた作品の到達点として、かなり濃厚で良い味がした。
 可哀想なフレイやミーアが、エロスとタナトスないまぜに露悪な販促背負って踊らされていた、魂の溶け合わない性とのダンス。
 そこから、作品ごと二人が羽化した感じもあり、とても良かったと思う。

 思い返せばSEEDを通じて、キラくんはナイーブで優しい少年だった。
 シンに主役を明け渡したはずなのに、新主人公シンちゃんを横に退けて物語をハッキングしてしまったDESTINYにおいて見せた悟った顔は、先の物語で結論に到達し、大人になった……ってことになってる、自分とも生きる意味になるほど愛した人とも、向き合ってない男の仮面だったのだろう。
 それを引っ剥がして、必要とか利便とか全部ぶっ飛ばしてなお求める愛こそが、沢山の犠牲を生んだ戦いの中でキラ・ヤマトが掴み取った生の実感なのだと描く。
 そのためには、やっぱりニ回三回ボコボコにする必要があったわけだ。

 そこでスーパーコーディネーター様を過去のものにするアコードが暴れるのは解るんだが、アスランオメーは一体何だ! と内心ツッコんだ。
 アンタもそうだろうッ!
 しかしこれも、温度下げることなく突っ走る作風の洗練された粗雑の一つであり、キラくんがナイーブで弱っちい自分の本質を改めて問われたように、思い込んだら一直線、他人の意見を投げ飛ばし殴り飛ばすアスラン・ザラらしさを、最大限発揮して勢い付けた描写なんだと思う。
 シンちゃんがキラさん大好き認められたい子犬系男子の顔をしているのも、家族ぶっ殺され悲惨な戦争で好きになった人は死に、陰鬱さに呪われてきた時代が終わったからこその表情だ。
 悩み迷う役をキラとラクスに限定したことで、果たせなかったキャラクターとドラマの問い直しを行いつつも、停滞感のない作劇を可能にしてた……っていうには、アスラン・ザラに勢いがありすぎオモシロすぎる。
 『アイツ立ってるだけで面白いし、都合よく情報出す役もやらせようぜ! 『まぁアスランだし……』でだいたい飲める強度あるだろ!!』という見切りが制作者サイドにあったとしたら、それは大成功だと思う。
 負けブック口にねじ込み終わったら、ソッコーで真相開示されていくスピード感とかガバガバも良いところなんだが、そうして空いた風穴からビュービューいい風が入ってくんだから、この映画においてはそれで良かったんだろう。

 

 キラくんに思いの外ぶっ刺さっていた、デュランダル議長末期の呪いに悩まされつつ進むお話。
 一見真っ当な遺伝子差別システムを国是として取り入れたファウンデーションと対峙する中で、内面的な戦いは銃弾飛び交う実戦へと加熱していく。
 それは作中のキャラクターにとってだけでなく制作者サイドにとっても、ディスティニープランが克服するべき難題であり、映画一本使って『やっぱダメですわこれ!』と突きつけるテーマだと示していた。
 総集編山盛りで尺は圧迫されているのに、芯を食った描写が足りてなくて、ラスボスがほざく寝言と真正面から対峙し、乗り越えていく時間がなかったDESTINYを、真正面から浴びた観客にとっても同じだったと思う。
 つうか、僕はそう思いながら見終えたのね。

 遺伝子強者が社会的に優位な位置を取り続け、失敗する自由も革命の契機も踏み潰された管理社会は平等でも公平でもなく、特定の支配傾向を加速させるだけ。
 ケバいロリババァが地獄のバブみでまとめ上げている、ファウンデーションの醜悪さはそこらへんの間違えっぷりを、DESTINY延長戦でもあるこの映画に大変いい感じに刻み込んだ。
 さんざん好き勝手絶頂醜悪なエゴと理想を吠えた後、主役たちにちゃんと乗り越えさせ、新しい未来を見せてくれた。
 やっぱ乗り越えるべき敵と設定された相手はちゃんとその過ちを描き、全力で乗り越えていくべきであって、そういう場面を作る余裕がなかった結果、『ラスボスの言い分も正しくね?』となってしまったDESTINYの先へ、映画は進んでいく。
 このメタ的な事情を、キラくんにもちゃんと背負わせて話の真ん中に置いたのは、とてもいい設計だった。

 感情に流れず、定められた役目を果たすことを是としているはずのアコードは、むき出しの感情に大局的判断を誤り、勝てる勝負に負けていく。
 アウラがキラの挑発受け流して、オーブにレクイエムブチ込んでいりゃあ大勢は決まっていただろうし、オルフェがラクスに執着するのを止めて摂政としての役割を果たしきれば、勝利は掴めていたと思う。
 自分たちが掲げる理念を裏切って、未徹底なまま他人に押し付けるからこそ彼らは否定されるべき悪役であり、キラ達が乗り越えるべき壁にもなるわけだが、対するコンパス側がMS乗らないチート野郎どもが、過剰に役割を果たした結果不可能を可能にしていくのは、ちょっと面白かった。
 ハッキングのメイリン、新兵器開発のアルバート、操舵のノイマン
 どう考えても十回は死んでる大ピンチを痛快に乗り越え、最高の大逆転に必要な状況を作り上げてくれる連中こそが、コーディとナチュラルの垣根なく自分が成すべきことを成す理想の(あるいはお話の都合の)体現者であり、こういう部分でも主役が悪役を乗り越えているのは、奇妙ながらも確かな説得力を生んでいたと思う。
 『BC兵器対策くれーやっとけよ!』と思わずツッコむ、ダイナマイト破壊工作を成功に導いたメイリンのスーパーハッキングシーンに堂々『HACKING』って出る八方破れ、俺キライじゃないぜ……。

 

 そういう連中をボコボコにぶっ飛ばしても、コズミック・イラの終わりっぷりは解決されず、キラくん達はまだまだ続く戦いに身を投じていく。
 しかしロクでもなさを煮詰めたクズどもとドンパチドンパチ、ド派手に全力にやり合って未来を掴み取った結果、不完全燃焼な閉塞感はそんなになくて、愛と剣を握り少しでもより良い未来へ、若人たちは進んでいくと思えた。
 そういう、メチャクチャやってたはずなのに終わってみると妙に自分の手の届く、優しく親しく触れたくなるような手触りでもって、この映画は終わってくれた。
 つーか最初の悲惨な市街戦、引き起こしたブルーコスモス残党のクズは捕まえられていないしな……。

 絶望と希望が混在するこの終わり方は、わざわざ人間の最悪を悪趣味にぶち込み生まれた、コズミック・イラという世界に……それを作り出した自分たちに、膝を正して向き合った結果かなと僕は思った。
 そういうロクでもない場所に生きる存在を、描いてしまったある種の責任を描ききって果たすのであれば、全てが都合よく解決するハッピーエンドよりも、問題山積ながら戦う意味、生きる理由を掴み取って進む物語のほうが、より嘘がないと思う。
 そういうところにたどり着くスタミナみたいなものが、かつてのSEEDには足りなかった。(と、シリーズ二作見きった僕は、思うしかなかった)
 20年の時を置いて今回、語りきれない拙さやとり澄ました高尚さを、全部粗雑に蹴飛ばしてでも描くべきものを描く、泥まみれの本気がこの映画にはあった。
 運命に流されるだけのひ弱な少年でも、一気に神の座まで駆け上がった薄気味悪い救世主でもなく、愛する人の心と体と魂に、手を伸ばして掴み取る願いを総身に漲らせた、一人の人間。
 そんなキラ・ヤマトの到達点が、ハチャメチャで過剰で異様な熱とテンポを持ったこのお話に、しっかり刻まれているから、僕はこの映画を見終わって楽しかったんだと思う。
 そういう、ある種当たり前の物語をSEEDが語り切るまでに20年必要だった……てのは、このお話にしか無いチャーミングな歪みであり、20年かかってもやりきったんだから、めちゃくちゃ偉い。

 

 大変面白かったです。
 ぶっちゃけSEED見て『あー面白かった!』で終われるなんて、欠片も想像していなかったので、心地よい裏切りがある映画でした。
 そういうヒネた快楽をぶっ飛ばすように、映像としての面白さ、過剰な本気と力み、あらゆる局面にあふれているやりすぎ、自作を冷静に見つめ批評し是正する指先と、色んな強さがありました。
 『俺はSEEDが好きになりたかったし、今好きになったんだなぁ……』と、20年ぶり忘れ物を回収できて、とても嬉しかったです。
 ありがとう!