遂にその正体を顕にした闇の力、ダークヘッド。
囚われたカイゼリンを追ってアンダーグ帝国へ向かったプリキュア達に、最後の試練が立ちふさがる!
行くぞ最終決戦、祝☠主役プリキュア闇落ちフォーム! な、ひろプリ第49話である。
つーわけでツノツノハゲが本性見せて、真相ベラベラ喋った挙げ句お姫様を攫っていったので、悪魔城の奥底へと特攻ブッ込む最終回一個前。
露骨にプリズムとスカイを二人っきりにさせるべく、道半ばに脱落していく仲間たちのお膳立てにはちょっと笑ってしまったが、気合の入ったバトル作画、最後の最後にド直球にテーマにアンサー返す展開、ともにとても良かったと思う。
僕は第44話・第45話がしっかり刺さった視聴者であり、カイゼリンを救うべきヒロイン、対話し手を繋ぐべき友人として描く最終決戦の筆には結構ノレていて、『可哀想だから、早く助けてあげてね!』って気持ちにむっちゃなっていた。
なのでスカイが『涙を拭うのに、理由はいらない』と踏み出した時も、そんなスカイが愛ゆえに求めた力に飲まれて突っ込んでくるのを、ただただ信じる強さでせき止めたプリズムの勇姿にも、大満足の最終決戦であった。
腹ぶち抜かれても結構しぶとく頑張っていたカイゼリンが、『お前に向けた愛は嘘っぱちだ』と告げられた時に真実絶望するの、大変健気で良かったし、『悪いことたくさんしたし、人生を支えてくれた哲学間違ってたからこっから大変だけど、頑張って学ぶぞ!』ってなってたカイザーも、死んだのが惜しい人だったね……。
ここら編の共感を土足でグリグリ踏みにじってくれないと、対話不能なクズカスが光に溶けて蒸発するスカっと感も薄くなるので、ダークヘッドに蹂躙された人たちの描き方は良かったと思う。
スカイは第42話で、スピアヘッドと対話することを自分の課題と見据えていた。
今回アンダーグエナジーに乗っ取られ、愛ゆえに力を求めるカイゼリンと同じ立場になったことを、相手のことをわかろうとする対話の一部というのは、やっぱ苦しいとは思う。
そもそも闇から生まれた力そのものたるダークヘッドは、カイゼリンと違って今の自分を疑問に思ったり、生き方を変えて未来を掴んだりしない/出来ない巨大なシステムであり、スキアヘッド時代とにかく何でも決めつけて、対話に応じなかったのが後出しで納得も行く。
徹頭徹尾闇でしかない自分しか、世界を測る参考例がないし、他人を自分に取り入れて見える世界を広げようとする意思も余裕もないので、全ての判断基準が空疎で変わりようがない自分になっていく。
そこで自己完結せず、他人を押しのけて自分の存在を確かなものにしたい欲望だけは確かにあることを、憑依した後のハイテンションが良く語っていた。
カイゼリンや幹部連が、プリキュアに負けた/解かろうとして貰えたことで今の自分をなげうち、変わっていく強さを得れたのに対して、ダークヘッドは負けを認められないがゆえに変われない、強さの業を体現する存在……だったかなぁ。
こういう怪物は確かに地上を跋扈していて、人間の皮を被って色んな場所で大暴れしているわけだが、そういう存在とすら意思疎通を可能にし、利害を調整しなければいけないのもまた、現実であろう。
ここの複雑さを彫り込んでいくと、どんだけ尺があっても足りない部分があり、特にひろプリはヒーローの歪んだ鏡たる敵役に尺を使わなかったシリーズなので、ダークヘッドとの対話可能性を広げていく余裕は、まぁなかったと思う。
敵対存在との対話可能性はあくまでカイゼリンに寄せて、プリズムを救うために力を求め飲まれていくスカイが、愛を歪められて力の器に変えられていくカイゼリンの痛みを、身にしみて解る体験をするというのが、ダークスカイ爆誕の大きな仕事だったかな。
人が(ダークヘッドがそうであるような)空っぽの器ではなく、傷つくからこそ変わってもいける柔らかな可能性に満ちた存在であることを、ましろさんは”物語”と形容した。
絵本作家を生き様と選んだ彼女らしい言語選択だが、『力こそ全て』という生来刻まれた闇の物語を、ダークヘッドは光に消え去るまで捨てされなかった。
それを捨て去ってなお生きていけることは、溢れる光が癒しになったカイゼリンが示しているけども、変われないやつはどうやっても変われないという業の描写は……まぁ半分ぐらい尺の都合なんだが、自分的には良いシビアさだったかなと思う。
そこを飲み込めるのは、変われる強さを一年この物語が描き続けてきて、最後の戦いでしっかり示してくれたからだろう。
『俺は変われない』を『人は、世界は変われない』に拡大して、あたかも真理であるかのように押し付けてくる(押し付けないと、自我を保てない)ダークヘッドの生き様が、毒であるはずの光で命を繋ぎ、亡父の遺志を継いでアンダーグ帝国の在り方を変えていくだろうカイゼリンの生存で否定される形になったのは、最後の最後でいいまとめだった。
キュアスカイのヒロイズムを可視化するアイコンだった、肩に揺れるマント。
それがダークスカイになると黒い翼となり、美しさと危うさが同居するキメラのような外見になるのは、ヴィジュアル的な説得力が強くあった。
立ちふさがるものを殴り飛ばしてでも、大事なものを守る強さはずーっとソラ・ハレワタールを支えてきたが、その頑なさが棘となって彼女自身を刺したり、あるいは鎧の奥の脆さを顕にしたり、完全無敵のヒーロなんかじゃ、全然なかった。
ダークヘッドが突きつける『力こそ全て』という虚しい物語は、ソラちゃん(あるいは”プリキュア”)にも確かにあって、手に入れてしまった力は制御を離れて、最も愛するものを打ち砕くただの拳になっていく。
ここでソラちゃんが闇の力を制御しきれないのも、力と虚無を巡るシビアな視点が効いてる描写で、個人的にグッと来た。
どれだけ正しい意思に導かれているようでいても、孤独な力は暴力となり、名前も顔もないただの拳として、愛する人をこそ殴りつけていってしまう。
しかしそれが自分を打つことはないと、心の底から信じて真っ直ぐに立つ強さを鏡にすれば、その拳で何を掴みたかったのか、思い出すことは出来る。
破邪顕正の浄玻璃の鏡たる、キュアプリズムの強さを『戦わないこと』に定めた決着は、虹ヶ丘ましろがたどり着いたヒロイズムの描写として、大変に良かった。
ましろちゃんはグジグジ悩んでいた自分の手を取り、背中を見せて引っ張り、一緒に高い空に飛び出してくれたソラちゃんを愛している。
迫りくる拳にも恐れない、あなたがいたからヒーローになれた自分の姿を見せれば、彼女の英雄は必ず闇を乗り越え正義を為すのだと、いっぺんの疑いもなく信じている。
胸に満ちたその温もりと眩しさが、真っ白な純真が、ダークヘッドを打ち破る最強の力になるのだ。
それが”愛”だと言葉にすれば野暮になると、サブタイトルの答え合わせを視聴者にやらせる所が、僕はとても好きだ。
登場時からある程度完成していた(だからこそ脆かった)ソラちゃんに対し、ましろちゃんはごくごく普通に自分に自身がない、等身大の中学生として、己の物語を始めた。
戦いに怯え、譲れないものを見つけ、震えながらも手を伸ばして戦えるのは、あるべきヒーローの姿を常に見続けてきたからだ。
自分とは真逆の、快活で真っ直ぐで揺るがない異世界から来た女の子に憧れたから、虹ヶ丘ましろは超常の英雄として戦い続けれたし、絵本作家という地に足がついた夢を見つけれもした。
ダークヘッドが他者を認めず、孤独に自己完結しているのに対し、ましろちゃんは自分と違うソラちゃんを違うからこそ愛し、その強さと気高さを自分の中に取り入れて、どんどん逞しくなっていった。
あなたがいるから、あなたを愛するから、なりたい自分にもっと近づける。
そういう形で、虹ヶ丘ましろの物語は広がっていったのだ。
この望ましき拡大が一方通行な搾取ではなく、ソラちゃん側もめっちゃましろさんLOVEで、ましろさんの良い所をすーぐ見つけて褒め称え、真似して自分に取り込んで変化していった。
ソラちゃんは人のいいところを見つける名人で、最終決戦でもカイゼリンの本質と自分がなすべきことを、最速最短で見つける鋭さがあった。
思いの外、知的なプリキュアなのだ。
そんな彼女の賢さは、他人の上に立って偉ぶるためではなく、傷ついて泣いてる人の痛みがどこにあるのかとか、『私なんて……』と目を伏せる女の子の良い所をたくさん言うとか、そういう生きた知恵として描かれてきた。
ソラ・ハレワタールの生き方において、強いことと優しいこと、賢いことと正しいことは常に繋がっていて、そんな世界観や自己像にもっと近づくために、ましろさんの眩しさに憧れ、手を伸ばしても来た。
そういう二人だからこそ、闇に飲まれてなお傷つけず勝ち切るには”二人”であることが必要だったし、プリズムの眩さとスカイの強さ、両方があって初めて、ダークヘッドの独善を乗り越えられたのだ。
立派なソラちゃんでも愛を人質に取られれば道を間違えるし、隻翼の猛獣に落ちていく。
アンダーグ帝国を生み出し、支配する巨大なルールとぶつかるこの最終決戦、プリキュアが闘うべきものの業と理不尽を、真っ直ぐ書いたのはとても良かった。
それよりなお良いのは、そんな圧倒的で無条件に思える力に打ち勝つ唯一の手段が、”ふたり”でいることだと力強く吠えたことだ。
前回カイゼリンの心を照らしたように、プリズムの強さは最後まで本人が見失いつつある輝きを信じ、それを照らして虹を生み出すところにある。
そうしてくれる優しい誰かがいるから、強さは見失いかけていた夢を取り戻して、未来へ繋がっていける。
だから、隣りにいる誰かの手を取って、優しく抱きしめてあげて欲しい。
闇の力に飲まれ、名前のない拳に成りかけていたソラちゃんが、その掌で新しいともだちの手を取ってお話が幕を閉じていくのは、凄く”プリキュア”らしい未来への希望を感じた。
綺麗事でも、絵空事でも、おとぎ話でも。
最後に愛と夢が勝つハッピーエンドが、やっぱり俺は大好きだ。
というわけで、良い最終決戦でした。
『主役キュア、本放送中に初の闇落ち!』つう飛び道具を活かし、作品が一年追い求めてきたヒロイズムの答え、力で力を抑え込む矛盾の先にあるものに、ちゃんとたどり着けたと思います。
ダークヘッドの救えなさ、変わらなさが、力というものの業の深さにもなっていたし、そこに膝折って”現実”飲むより、堂々自分たちが積み上げてきた答えを信じて勝っていく展開が、物語の最後に相応しかったです。
愛こそ最強……虹ヶ丘ましろがなんで強いのか、最後に書いてくれたのも嬉しかったな。
というわけで後は、空気読めてねーデカい蛇をぶっ倒して、それぞれの進むべき道へ羽ばたくのみッ!
色々凸凹歪だった、挑戦的で面白いプリキュアも残り一話です。
一話早く自分の気持ちをいっておくと、俺はこのアニメが好きだし、好きで良かったです。
次回も楽しみ!