イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

異修羅:第5話『海たるヒグアレと静かに歌うナスティーク』感想

 規格外の怪物たちが綺羅星のごとく瞬き、生み出す血濡れの星座。
 繋がれた絆と運命が戦場に綾錦を生み出す直前、最後に語られるニ体の修羅……その生き様。
 話の半分キャラ紹介!
 付いて来れるやつだけ付いて来い系最前線、バキバキに仕上がってるぜ!! な、異修羅アニメ第5話である。
 いやー……やっぱ超人強度ブチ抜けたド厨房共が、延々凄み見せつけては立ち去っていくだけで話の半分使うの、かーなりの冒険だってばよ。

 とは言うものの、俺は画面に溢れ出すグロテスクな血潮と悪趣味も、やり過ぎ感あふれる俺TUEEEEも、ケレン味満載で親切な状況説明とか薄い作りも肌にあっているので、楽しく見ているわけだが。
 今回深掘りされる修羅は、流されるまま殺人世界チャンピオンになったドリアードと、ショボクレた優しい親父様に取り憑いてる絶対殺戮権限所持者。
 黄都と新公国がそれぞれ、修羅という大駒を取り合って魔王亡き後の世界で覇権争いしている姿は、血みどろなんだけどもちょっと将棋めいたゲーム感があって面白い。
 どの陣営がどのコマを取るか、あるいは取らせないように番外で謀略張り巡らせるかが勝負の分かれ目っぽく、現状帰属陣営が見えないソウジロウとアルスをどっちが取るかで、勝負の趨勢も変わってきそうだ。
 イヤまぁ、この戦争の後に待ってるだろう勇者決定トーナメントを黄都でやる以上、メタ読みすれば勝敗はほぼほぼ見えているわけだが、こんだけ『全員最強、死ぬわけ無いッ!』とぶち上げた上でどう、見えてる結末に引っ張っていくか。
 そこら辺、剛腕(クルード)と繊細(テクニカル)をどういう配分で投げてハッタリ利かして情を染みさせ、見てるものを納得させてくるかが楽しみである。
 元々そういうきらいは強いんだが、このアニメは特に作品全体を俯瞰で見て、どういう技芸が効いているのか、要素要素の繋がりがどう生きているのかを腑分けしながら見ている感じがあるね。

 

 というわけで、新公国に集った修羅の一人、海たるヒグアレの過去話。
 攫われるまま従順に、出口のない殺し合いに身を投げて絶望的……というわけでもなく、決闘の中で殺戮の技芸を学び、それに合わせて自身の体を改造しながら無敗となっていった、奇怪な怪物。
 『やっぱ先週の楽しいエルフ村は、一瞬の幻だったな!』と思える血しぶき毒殺祭で、すっかりこの味に慣れた身としては安心すらした。
 植物種族らしい感情の薄さで、最悪な状況に流されつつもそこに適応しきり、殺しの技を研ぎ澄ましていく中で殺し殺されへのプライドが、人格のコアになっていく。
 真っ当な善人ではけしてないが、非常に修羅らしい人格が過去語りの中から血生臭く匂ってきて、杉田さんの芝居と合わせて大変良かった。
 何しろキャラ山盛り出てくるアニメなんでうっかりすると忘れるんだが、声優が強いので声で覚えれるのはありがたいよな~……血腥い世界観で実力者を演じるんで、好みのタイプの演技がモリモリ出てくるのも最高。

 普通の人間が追いすがりしがみつくことで生きていける、ピカピカな夢や希望は最初からどこにもなく、血の海に溺れながら『死にたくない』だけで誰よりも強くなり、そんな風に謙虚に人殺しやってきた日々が、異形の修羅を支えている。
 ヒアグレの在り方はここまで描かれてきた修羅達のなかで、自分的には一番しっくり来る暗さと明るさのバランスで、とても面白いキャラだと思う。
 血みどろ上等ぶってるのに明らか光が強すぎ、それが死相を浮かび上がらせてるレグネジィくんとかと比べると、イカレきった殺戮マシーンなのに……だからこそ最後の誇りが絡み合った蔦の中に確かにあって、『ああ、修羅だな……』という納得があった。
 ここから巻き起こる戦乱の中で、彼が生きるか死ぬかはさっぱり読めないが、殺し殺されの日々の中で薄く、心から微笑えた人でなしの矜持を、最後まで貫いて走り切って欲しいもんだ。

 

 とは言うものの、新公国は分が悪いかな~って思うポイントもあって。
 諜報戦で負けてんだよなぁ、明らかに。
 黄都二十九官が手ずから回収するほどの、戦略級の魔才であるキアを『おとぎ話』として諦めてる時点で、修羅獲得競争で遅れを取ってる感じがあり。
 これがラナの非才に由来するのか、匂わされてる内通者が彼女で、意識してキアの存在を『おとぎ話』にしたかで話も変わってくるんだが、どっちにしても盤面支配できるレベルの大駒を抑えられてるのには変わりがない。
 駒一個一個の凄みにクローズアップして、おそらくあえて煙幕かけているのだが、戦争という遊戯において重要なのは駒の指し方であって、駒の働きそれ自体ではない。
 平等に並ぶ戦力が並ぶ机上の戯れじゃないんだから、戦場にどんだけの駒を並べられるか……そもそもの盤面をどう作るかまで含めて、情報収集力と組織力が問われる戦いになっていくだろう。

 ここでリクルート担当のラナが黄都側だと、駒を揃える要を抑えられてる新公国は戦う前から負けており、というかこの戦い自体が黄都に”やらされてる”戦いな可能性は高い気がする。
 まだまだ材料が足らない中での勇み足な読みだが、個人レベルのチート合戦だけでは終わらない広範な”強さ”を描こうとしている(と、僕は感じてる)このお話、国家という怪物同士の戦いがどういうレベルで展開しているのか、色んな角度から書いてくる感じはするんだよなぁ……。
 その容赦の無さと底知れなさを描くための贄として、新公国自体が用意されてんじゃねぇかなぁ……みたいな印象。
 いやだってさぁ……こんだけ超ロクでもない世界、民を思って立ち上がる魔王自称者とか、たった二人生き残った異種族の家族を思いながら修羅る限界青年とか、死ぬしかない連中が新公国に集まりすぎッ!
 こういうメタ読みをどんくらい裏切って、どんくらい飲み込んで話が転がっていくか……次回陣営集結した後の転がし方が、大変楽しみです。

 

 んで、そういうロクでもなさがブンブン唸る、天使に取り憑かれた優しいおじさんのお話。
 あくまで修羅はナスティークの方であり、クゼおじさんは宿命の犠牲者というか、コントロールできない殺戮の鎖に、取り囲まれ擦れきった弱者というか。
 戦い方も、天使が敵をぶっ殺すまで本体が耐えきる生存特化だからなぁ……。
 規格外の修羅共に比べると、本体叩けば終わりそうな分脆さが見えるけど、ナスティークが持つ死の権能がどんだけ問答無用かで、強キャラっぷりが決まりそうだ。
 クゼおじさん以外には感知できない不可視の天使のぶっ殺し描写が、北斗神拳食らったモヒカンみたいだったね。
 ヒアグレの静かなる虐殺とはまた違った、コクのあるロクでもなさでグッド。

 クゼおじさん自体は孤児たちに見せていた、優しく暖かい顔が本性なんだろうけども、ナスティークは殺す相手を選んではくれないし、この修羅界で殺意は常に付きまとう。
 愛しているのに殺すしかない、剣を向き合ってるのに戦いたくない。
 そういう人間の機微と業を介さず、ただただ自動的にクゼを殺すものを殺す天使の祝福は、おじさんにとっては完全に呪いだ。
 しかしその呪いがあればこそ、暴力をひさいで政争の海を泳ぐ資格がギリギリ得られているわけで、この人も己を縛る鎖が多い人だなぁ……って感じ。
 修羅の強さは殺しへの躊躇いのなさ、殺意の強さと既に描かれているわけだが、それをトリガーにして絶対殺傷ブッ込んでくるナスティークは、面白いカウンターよね。
 思考することすらなく、相手を殺しうるオートマティックな修羅を相手取った時にどうなるかは、ちょっと楽しみ。

 コンビ打ちになりそうな、最凶死刑囚ゾンビっ子のヒニロの素性と人格がまだ見えないので、天使憑きと蜘蛛繰りの呉越同舟がどうなっていくかは、今後の戦争次第か。
 長いキャラ紹介が終わり、イカれたヤバ人間どもがそれぞれの粒立ちを教えてくれたわけだけど、物語において美味しいのは闘争にしろ対話にしろ、そういう各要素が混ざり合って化学反応起こした時。
 既にレグネジィくんとカーテちゃんとか、キアとエレアとか、ド厨房が単独でいい気になるだけで終わらず、誰かに想いを寄せたりすれ違ったりするからこその面白さは幾度か、アニメの中で描かれている。
 なのでこの二人も、血みどろの戦場の中でお互いの願いとか、譲れないものとか、そういうモノがカケラもない底なしの虚無とか、強キャラの殻の奥にあるモンをドバドバ出していってほしいもんだ。

 

 というわけで、決戦前夜最後の顔見世でした。
 並べてみるとどいつもこいつもロクデナシ、真っ当なやつはどこにもおらず、あるいは真っ当だからこそロクでもない未来しか見えない、なかなかいい激ヤバ人間勢ぞろいだと思います。
 フツーのアニメではありえないほど時間を使って、本筋が発火する前のキャラ紹介をどっしりやった選択が、一体どういう視聴感を生むのか。
 遂に戦争が始まり、チラ見せしてきた怪物たちの異能や人格、譲れぬ願いや歪みきった生き様がどう混じり合い、発火していくのか。
 次回、陣営集結。
 大変楽しみです。