イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第21話『魔法の世界』感想

 大地が隆起し、天蓋が砕け、激流が押し寄せる。
 長かった第一次試験も遂にフィナーレ、ド派手にやりつつ最後は拳! な、フリーレンアニメ第21話である。

 デンケン。
 兎にも角にも、それに尽きるエピソードであった。
 嫌味な金持ち魔術師という第一印象から、的を居て慎重な立ち回りで『おっ……!?』と思わせておいて、この直接対決でドバドバ溢れる凄みと可愛げ。
 緩急の付いた見せ方でがっちりファンを掴む、とても良いキャラ立てで凄く良かった。
 何かと地味になりがちだったシュティレ争奪戦も、最後の大盤振る舞いということでド派手な絵面が暴れまわり、特に結界破壊のエフェクトは凄く綺麗で壮大で、フリーレンの別格感が良く演出されていたと思う。

 魔法の世界では、イメージが全てを決める。
 出来ると思ったことはなんでも形になるし、思い込んでしまえば天地はひっくり返ってくれない。
 ここまでの地道な旅の中で作品の下地となっていた要素が、バトル強めな展開の中で独自のルールとして明言されたことで、お話が描きたいもの、伝えたいこともより鮮明になってく回でもあった。
 一生を賭けて追いかけていく理想の魔法、魔法の理想には常に、人の人たる理由が滲み、魔王亡き人間の世界ではそれは、殺戮や栄達の道具に成り果てている。
 そこら辺の世知辛い現状を横目でしっかり見つつも、話のメインに座るのは気持ちのいいロマンチスト、彼らに導かれる若獅子ばかりで、世の常道に背を向けて人の正道を突き進む偏屈者の、爽快な大バカっぷりを楽しませてくれる。

 そんな大馬鹿人間代表、いざとなったら拳で解決のデンケンおじい、待ってましたの晴れ舞台である。
 ここまでの嫌味はぜーんぶ前フリ、若者が試験で死ぬのは嫌だし一級資格は墓参りのパスポート、泥臭く勝負を諦めない根性と若者を導く頼もしさを併せ持った、好きにならざるを得ないナイスキャラであった。
 ここまでのお話で散々、フリーレンのチートっぷりは見せられてきたので負けても格は落ちないし、若者に甘い所とか、去っていった人との約束に縛られ大事にしてる所とか、魔法に現世の栄達より大きな夢を見ている所とか、蓋を開けてみると主役とよく似た生き方しているジジイである。
 魔王殺しの大英雄がなかなか浴びれない現世の泥も、積極的に引き受けて魂のアクセサリーにしてしまえるあたり、普通に年老いて普通に経験積んで普通にめちゃくちゃ強くなった、常人の魅力を最大限活かしている感じもある。
 圧倒的な存在に打ちのめされ、魔力が尽きたとしても、そこで終わりじゃない。
 実際歯を食いしばって陰謀渦巻く蛇の巣を生き延び、地位と名声と実力を掴み取った男だからこその頼もしさが、最後の最後に拳に宿るのも非常に良かった。

 今回のエピソードは、魔法はイマジネーションの技術だと明言する。
 叶うと心底信じられるのならあらゆる物事が形になり、諦めてしまえば何も成し遂げられない。
 そういうものだと皆が認識しているのに、世情の移り変わりにより魔族相手の地味な持久戦は廃れ、様々な殺しの工夫を施した対人魔術が、世の中のスタンダードになっている。
 そんな時流に押し流されても、フリーレンとフェルンの徹頭徹尾力勝負、魔族しか殺せない旧いやり方はインチキレベルで強く、小細工に走る現代魔術師たちを圧倒する。
 それはアホみたいに強いのがアホみたいに時間使って地道に鍛えた当然の結果であり、流行りに乗れない地味な魔法で何がしたいのか、何をしたくないのか、強くイメージできた結果だと思う。

 フリーレンは人殺しに魔法を使いたくないし、フェルンに人殺しをさせたくもない。
 あくまで共存も対話も不可能な人類の天敵、生きてても誰かの大事な人ぶっ殺して不幸撒き散らすことしかしない猛獣を殺し、人間の幸せを増やす技術として、魔法を使いたい。
 そういう人だからこそ、世の中にあふれる人殺しには全く役に立たず、各々の物語をその持ち場で必死に生き抜いた人たちが生活に役立てた、民間魔法を集めもするのだろう。
 自分の足でそれが伝わる場所に赴き、自分の働きの対価として受け取る。
 与えられるのでも奪うのでもなく、他人を知り己を理解する営みの一つとして、小さくて多種多様な幸せを集め、覚えておく。
 万巻の魔導書を読み解いたゼーリエとは、違った形で”歩く図書館”であるフリーレンが求める夢の形が、穏やかな旅路ではなく激しい戦いの中見えてくるエピソードでもある。

 

 魔王が倒され、人と人が魔法を使って争う時代が訪れ、たった100年でその在り方は変わってしまった。
 フリーレンがノンビリ世界を巡って下らない魔法を集めている間に、移り変わった世の習い。
 殺し上等、勝ち上がれば何でも願いが叶う一級試験はそんな時流の煮こごりに見えて、一次試験終盤で存在感を出してきた連中は皆、古臭いロマンに人生を捧げた、気持ちのいいバカばっかだった。
 ヴィアベルにしてもデンケンにしても、露悪の鎧で人生の荒波を防ぎつつ、固い殻の奥には柔らかくて熱い志があり、命を大事にする人間の当たり前が、擦り切れることなく残っている。
 『ワシは非情の宮廷魔術師、他人など道具に過ぎん!』みてーなオーラ出してたくせに、未熟な孫世代が大事でしょうがなくて、勝負の趨勢はそこでフリーレンに握られちゃうし、全てを捨て去った後の大勝負でも後ろに控えさせるし、『死ぬことぁ無いよ……』徹底しているの、デンケン好き好きポイントの一つだな……。

 不必要な死を避けるために、必要な殺しを全部やってきたヴィルベルもそうだけど、このデンケンの人命尊重主義はただの綺麗事ではなく、リスクの大きな生き方だと思う。
 周りの連中が軒並み、面白くもねぇ非情なリアリストになるしかない現実の中で、最後の一線を守るために必要なだけの悪を背負って、だからこそ自分の信じた善を……自分だけの魔法を守れる。
 片や傭兵として戦場で、片や魔道士として宮廷で、人間の醜さや闘いの無法をイヤってほどなすりつけられながら、人道を諦めることなく踏破し続けたベテランの足取りは、地面に足がついて重い。

 

 その延長線上に、一番人を殺した魔族である魔王を倒して、人間が人間と殺し合いできる余裕を引っ張ってきたフリーレンがいるわけで、終わってみると似た者同士が顔つき合わせた、第一次試験だった。
 世の中の殆どの人が平和を想像できない中で、唯一『魔王を倒す魔法』が可能だと信じぬいて勝ったフリーレンも、それが彼女に出来るのだと信じぬいたヒンメルも、歴史に残るだけの大魔法使いだったのだなぁ……。
 『思い信じる力が、その人だけの魔法』という作中のルールからすると、ヒンメルの魔法はフリーレンそのものであり、人生賭けて彼女を追い求め、肉体の死を越えて奇跡を届け続けているその残響は、壮大な儀式魔法でもあるんだろう。
 つくづく、ロマンだ。

 カンネ必勝の降雨環境を作るべく、不破の結界をぶち壊したフリーレンにしても、未熟なパーティーのアキレス腱になると知っててラオフェンを守り抜いたデンケンも、後の世を担う若い世代に甘い。
 というか、彼らに守り導く価値があるのだと、強く信じている。
 好んで苦労を背負いたがるこの気質が、強者に必要な器のデカさ、魔法を支える優しさとして共通しているのも、なかなかに面白い。
 フリーレンはカンネが勝てると信じたし、自分が不壊の結界を壊せると信じた。
 私たちは天地をひっくり返して、行きたい場所へ行けるのだと。
 それが楽観ではなく、希望を手繰り寄せるために必要な信念になっているから、魔法は結果で応えてくれる。
 『足手まといのガキは置いていけ』という世知辛い現実の知恵を越えて、甘っちょろい理想を貫けば奇跡を形にできる魔法をメインにしているこの話、世界法則からしてロマンティックである。
 ……魔族に殺されかけたエーレを背中で守り、試験会場でも背負って戦い抜いたヴィアベルも、足手まといのガキを置いていけない人間なんだな、そういえば。

 

 という感じの、死人モリモリ出しつつ選抜終了! Romanticが止まらない第一次試験フィナーレでした。
 ヴィアベルやデンケンの悪人面の奥に、永遠を生きれないからこそ俗世の塵に塗れてなお輝く、ロマンが熱く燃えていると解ってくるのはやっぱり凄く良かった。
 『こういうロマン主義が、魔王っ面で後ろに控えている師匠の師匠にもあるんじゃないかな……? だから古き善き魔術復活狙ってるの??』とか、想像の余地が伸びるのも良いなと思う。
 この話の悪人オーラ、マージで真心によって覆されがち。
 そういうの大好き。
 次回も楽しみ。