イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

わんだふるぷりきゅあ!:第5話『つながるキズナ フレンドリータクト!』感想

 手に触れるその温もりが、私を信じる貴方を感じさせてくれる。
 このお話にとって”リード””ペット”とはどういうものかを、焦らぬ筆致で丁寧に描き出していく、新アイテム登場のわんぷり第5話である。
 大変良かった。

 NO戦闘YES抱擁なわんぷりは、どっしり腰を落として大事な思い出や眩しい今、そこから広がっていく未来を描けるのが良いところだと感じている。
 今回もアバンから回想山盛りのAパートへ、こむぎ達が生きている時間と空間がどんなテンポで進んでいるのか、しっかり感じられる描かれ方をしていて大変良かった。
 捨てられ傷ついた所から共に暮らし、既に関係を作ってある所からプリキュアになる犬飼姉妹の描かれ方は、ここまでのプリキュアとしてはかなり珍しい画角だと思う。
 だが、いろはちゃんが日々出会うもの、そこから思い出すものが豊かな色合いを宿しているのは、こむぎとの思い出がいっぱいだからこそだ。
 人間がコンパニオンアニマルに抱く思いが、一方通行ではなく相互に釣り合ったお互い様なのだと、言葉と掌で感じ繋がれる奇跡を描くこのお話において、いろはちゃんがどのようにしてこむぎと絆を深め、強い親愛を抱くに至ったかをちゃんと描いてくれるのは、とてもありがたい。

 捨てられた痛みに震えガルガルしたり、なかなかリードや散歩に馴染めなかったり、姉妹なりの経験と試みを経て今の二人があるわけで、そんな姉妹の個人的な歴史は、誰もが持ちうる普遍的な手応えがしっかりある、良い描かれ方をしていた。
 傍から見れば取るに足らない、ちっぽけな一個一個が何より大事な思い出であり、リードや掌で繋がりうる自分たちを形作ってくれている奇跡なのだと、プリキュア序盤戦故の贅沢な時間の使い方が、良く教えてくれた。
 いろはちゃんがこむぎと過ごした時間をどう思っているか、あえて一方から姉妹の時間を回想する形になっていたのが、それを言葉で確かめ手で繋がる瞬間の喜び……獣形の妹への思いが一方通行ではなく、釣り合いの取れた愛であると解る嬉しさを、しっかり繋げていた。

 

 じっくり時間を使うのはフレンドリータクト出現までの流れも同じで、前半いろはちゃんがこむぎに向ける気持ちの強さ、お散歩苦手な所から楽しく一緒に進める所まで来た蓄積を描けばこそ、永遠の別れが身近に迫るあの瞬間、語られずとも少女の胸中に何が訪れたかは鮮明に推察出来る。
 愛する人と別れる辛さ、命の危機も十分有り得るガルガル対策の実態が、ペンギンガルガルが局地を連れてくる、少し変化球な救済バトルにしっかり描かれる回だった。
 切った貼ったの分かりやすい興奮が描けない分、わんぷりのアクションは結構頭を使って構築しなければいけない難しいもんだと思うが、組対になった動物がエキゾチックな環境を連れてくることで、上手いことアクセントも生まれるかなと思う。
 助けたアニマルの力を借りて難局を乗り越えていく構図も、状況に応じてスーパーパワーを切り替えていく楽しさがあり、場が停滞するのを上手く避けれる期待感が膨らんだ。
 ここらへんは今後、回数重ねるほどに工夫が請われるポイントだと思うので、わんぷりらしい平和な優しさを保ちつつ、上手いこと演出して欲しいものだ。

 犬にとってのリードは信頼の証だが、では人間は何でそれを表すのか?
 犬が人になり、人が犬の言葉を聞くこのお話が出すべきアンサーが、今回は穏やかで豊かな日常描写と、ハードさを増したアクションの両面でしっかり出されていたと思う。
 もともとプリキュアにおいて『手を繋ぐ』という行為は極めて精神的・倫理的なものであり、各シリーズごとそれぞれの答えを力強く刻んできたものだが、わんぷりは”言葉”とならんで人の形を得たからこそ出来る営為と定義してきた。
 いろはちゃんは様々な人の声を聞きたい人であり、今まで聞けなかかったこむぎの気持ちを、人間の言葉で知れる奇跡に大きな価値を置いている。
 解ること、解かろうとすることに強い意志を持ち、物怖じせず積極的に話しかけ、耳を傾ける在り方は、初対面のポンちゃんとエマちゃんに、優しく語りかける仕草からも良く分かった。
 『コンパニオンアニマルと接する時は、飼い主にしっかり許可を取りましょう』つう、”ペット”を主題にするなら触っておきたいポイントが展開の中、自然に練り込まれていて良かったな、あのシーン。

 こむぎが人の形を得るのも、こちらにダイレクトに伝わる言葉で話すのも、当たり前の日常では生まれ得ない奇跡だ。
 そんな非日常の特別さ(それと裏腹の、氷海に堕ちかねない危険)を大事に描きつつも、これまで物言わぬこむぎに寄り添い、共に生きてきた日常があってこそ、そこに価値が宿るのだとする姿勢は、僕はかなり好きだ。
 二人をつなぐ信頼の証たるリードが、死の危険を乗り越え命を繋ぐ奇跡の証となり、新しい力になっていく。
 しっかり時間を使って描かれたタクト誕生の瞬間は、日常と非日常が背中合わせにお互いを輝かせる、とても”プリキュア”なシーンだった。
 バトルという激しく分かりやすい形をあえて選ばず、特別な魔法がどんな幸せと可能性を連れてくるのか、描くのはとても大変であるけど、是非今後も挑んでほしいと思える、とても良い新アイテム誕生であった。

 

 僕はこむぎがただただ率直に、自分の胸に湧き上がる衝動と感情を包み隠さず伝える様子に、毎週ビリビリ痺れておるわけだが。
 こむぎは犬の擬人化であると同時に、まだ感情や言葉の使い方をよく知らない……でも自分のものにしようと必死に頑張っている、幼い年頃の子どもの代表であるように思える。
 いろはちゃんがかなり冷静に周囲を観察し、自分の為すべきことを見つめた上で行動し言葉を使っている(それを示すのが、ポンちゃん達との場面だと思う)のに対し、こむぎは難しいことぜーんぜん考えず、ただただこむぎ好きお散歩好き、楽しい一杯生きるの楽しい! である。(それで良いし、それが良い)
 自分に迫った冷たい死も見えないくらい、狭くて幼い視界の中で、彼女は自分といろはをつなぎ救った奇跡が、信頼と愛の証なのだと真っ直ぐ言葉にする。
 同じことを感じながらも、いろはちゃんがこむぎの言葉を追いかける形でタクト=リード=掌の存在意義を語る形になったのが、二人の関係性や”知”の在り方の違いを示していて、とても面白かった。
 人の話を聞かないパッション重点なのは姉妹で同じなんだが、いろはちゃんはより静的で理性的で”人間的”、こむぎは動的で感情的で”動物的”に物事を見て、自分を動かす感じなんだな。

 人の形と言葉を得たことで、こむぎは自分が感じていることを、いろはや世界への愛をより分かりやすい形で伝えられるようになった。
 それはこむぎ生来の純粋さ……動物としての善さと並び立つ、彼女が”キュアワンダフル”になったからこその嬉しい奇跡だ。
 もちろん、言葉というメディアがなくともいろはちゃんは置き去りにされ傷ついたこむぎの気持ちを分かろうとし、手を差し伸べ、抱っこしてお散歩した。
 そういう非言語のコミュニケーションが生み出してきたものを、このお話はとても大事に抱きしめながら、犬が人になったからこそ、人が犬の言葉を知れたからこそ生まれていく、新たな関係や喜びを積み重ねていく。
 犬の姿でも、人になってくれても、こむぎは共に日々を過ごす存在としてとても大切なものであり、彼女だけに見えるもの、感じ取れるものがある。

 その眩しさに敬意を払って、幼く瑞々しいこむぎが切り開いていく楽しい日々を、そこに一緒に在る犬飼いろはを、大事に描いてくれるのが僕は嬉しい。
 こむぎといろはちゃん、見えてる世界はかなり違っているしその現れ方も思いの外真逆なんだが、それが断絶にならず、違うからこそ豊かで楽しい”貴方と一緒にいる世界”を描きにいっているの、異種同居プリキュアとしても、年齢差がある姉妹物語としても良いんだよなぁ……。
 ”姉”であるいろはちゃんが一方的にこむぎを教導するのではなくて、こむぎも感じていることを素直に言って(言えて)、それをいろはちゃんが聞き届けて心動かされるお互い様な間柄が、マジ風通し良くて好き。
 いろはちゃんが抜け出しつつある幼さは、ただ成長の途中経過として置き去りにされるべきものではなくて、こみぎが身を持って真っ直ぐ示してくれるように、本当に大事なものを新たに教えてくれる、かけがえのない契機でもある。
 そんな風に、愛されるべき”妹”を書いてくれるのが、俺は凄く嬉しいのだ。
 不慣れな氷原を相手取る時、先に攻略法を見つけるのがいろはちゃんであり、手を引かれて元気に自由に滑り方を身につけるのがこむぎ……なのだね。

 

 というわけで、犬飼姉妹がどんな歴史を経て仲良しなのか、唐突に現れた極寒に示す回でした。
 ガルガルがそれぞれの素体に応じて環境を書き換えて、色々変化のあるアクションが生み出せるのは、とても良いと思います。
 新アイテムがうさぎの聴覚を活かす感じだったのと合わせて、動物要素を活かしていく意思が感じられて、今後の発展に期待が持てました。

 信頼を預け、それに応える。
 犬飼姉妹の温かな関係が無条件で与えられたものではなく、いろはちゃんなりに覚悟を込めて選び取り、引き寄せたものだと描かれたことで、二人の絆もより強固に感じられました。
 そんな繋がりがあればこそ、わがまま放題の駄々っ子とも本気で向き合える! ……のか。
 来週描かれる姉妹ケンカの行く末が、どんな輝きで物語を照らしてくれるのか。
 とても楽しみです!