イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第2話『めいの推しごと』感想

 夜に流され新しい場所へたどり着くための仲間と、ぶつかり合いながら出会う旅へ。
 ママー! また花音さんが自分に惹かれた女の人生捻じ曲げてるーッ!! な、ヨルクラ第2話である。
 大変良かった。

 

 過去と現在が交錯し、夜光性の眩さが渋谷を染めたまひる主観の第一話とは、ちょっと違った角度から新たな出会いを描くエピソードである。
 前髪ぱっつん激ヤバお嬢様かとおもわれためいちゃんと、ぶつかったり近づいたりを繰り返しながら花音さんが自分がかつてファンに告げたことを思い出し、『解釈違い』と跳ね除けた憧れをもう一度抱きしめることで、木村ちゃんも彼女の偶像が持つ2つの名前を受け入れられる。
 まひるを傍観者の立場に置くことで、彼女のアーティスティックな才覚があの渋谷の夜を生み出していたことも再確認できて、そんな彼女には出来ない楽曲作成のエキスパートとして、新たな仲間が加わる頼もしさもある。
 頑なに反発し合っていた”山ノ内花音”と”橘ののか”、”木村ちゃん”と”高梨・キム・アヌーク・めい”が、お互いを溶媒として認め合っていく喜ばしさも眩しくて、大変面白いエピソードだった。
 やっぱ複数の名前、複数のアイデンティティが生み出す反発を融和させながら、真実の自分を配信アート活動から汲み上げていく感じの話になりそうだ……今っぽいね。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 というわけで、携帯電話に残した”橘ののか”へのあこがれを消し去って、全てを殺した鉄面皮に戻りかけていためいちゃんが、金髪の”山ノ内花音”と知らねー新しい女と友だちになっている自分を、新たな待ち受け画面にして微笑めるようになるまでの物語である。
 冒頭と結末が携帯電話というメディアを通じて響き合い、めいちゃんの変化を鮮明にしている構図だが、シケきった絶望から希望に満ちたほほ笑みへと、暗い過去から新たな未来へと踏み出す彼女の顔を照らす時、携帯電話は鏡の役目も果たしている。
 これは花音さんにも向けられている視線で、自分の姿をコピーすることでクソみたいな現実に立ち向かう強さを得た、一番のファンと向き合い直すことで、彼女はアイドル時代の自分と少しだけ和解できる。

 自分も音楽も、ファンを一人にしない。
 そう誓っていたはずなのに、眼の前の強火オタクに解釈違いを叩きつけられ、頑なにアイドル時代をはねのける自分は果たして、いつか見た夢を大事にできているのか。
 日本とドイツ、二つのルーツがミックスされた己の名前を素直に告げられなかった”木村ちゃん”の事を思い出すことで、花音さんもまた確かに”橘ののか”だった自分との、アイドルとしての過去の繋がりを再獲得して、今より笑える未来へと進み出していく。
 まぁそういう、名前とアイデンティティを巡るとても普通……とは言えない、良い感じのエキセントリックがスパイシーに香りつつも、普遍的な思春期を描くお話である。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 つーわけで、二人で一つの青春有機体”JELEE”として、世界に声を上げる事を選んだっまひると花音。
 叫ばずにはいられない巨大な質量を霊に宿す花音が、一回挫折し足を止めかけたまひるを引っ張る形……と思いきや、パッションが迸りすぎてぶっちゃけバカな花音のふらつく足元を、まひるが落ち着いて支える感じの重心バランスがまず描かれる。
 前回無敵の女神っぷりを見せていた花音さんの、浅はかでおバカな部分がドンドン出てくることで、そういう部分を飾らない対等な距離感でJELEEが向き合っていると解るのは、なんか良かった。
 人生揺さぶる特別なアートの創造主として、敬意と憧れをお互いに抱きつつも、バーでのバイトという極めて泥臭い現実領域で重なり合うことで、気のおけない友達としてのいい間合いが構築されている様子が、大変グッドだ。
 めいちゃんを仲間に加え、楽曲配信で世界を相手取っていく戦いが進んでいく中でこの距離感も変化していくと思うが、量産型として世界に埋没し全部諦めようとしていた時代より、まひるが楽しそうなのは凄く良いなぁ、と思う。

 この暖かな距離感を足場に、今回は花音さんが自分の鏡と向き合うターンである。
 なのでまひるは衝突のちょっと外側、当事者から少し遠い距離で見守るポジションに立ち続ける。
 前回の主役を押しのけて話の真ん中に座るのは、姫カットの激ヤバオタク、高梨・キム・アヌーク・めいである。
 初手むき出しの十万円、札びらで貧乏アーティストをぶん殴って自分色に染めようとするヤバっぷりで強烈なデビューを飾った彼女は、窓枠の中央分離帯を大きく飛び超えて手を差し出し、花音はそれをはねのける。
 先週印象的だった夜の渋谷とは少し違った、現実的で陰が濃い色合い。
  それは花音とめいが共有する過去からの残響であり、過去にしがみつくファンと過去を否定するアーティストとのすれ違いが、生み出す不協和音の色でもある。
 この濃厚な感情領域に、既に花音の金髪な現在に救われ呪われてしまったまひるは入っていけない……

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 というわけでも、実はない。
 荷物の取り違いを通じて、花音がヤバオタクの内側に何があるのかを電車内で確認する隣に、まひるは相棒らしくちゃんと座る。
 絵画に才能を持つまひるが直感できない、自分たちと響き合う音の良さを歌い手である花音はすぐさま感覚し、一度跳ね除けためいちゃんとしっかり向き合う必要性を感じ取る。
 着座と直立、聴覚と視覚に捻れていた距離はイヤホンを共有することで混ざり合って、JELEEはお互いが感じ取っているものをしっかり共有して、一緒に向き合うべき場所へと進んでいくことになる。
 のがした魚の大きさを嘆く情けなさや、対峙するべき課題を見つめるキリッとした横顔。
 人間としてアーティストとして、色んな顔を見せる山ノ内花音の全部を、まひるはしっかり見届けれる距離にいる。
 それは思い出の芳香をスーハークンカクンカ、バキバキにトリップしながら包まれるめいちゃんにはなかなか、見れない距離だ。
 つうかマジでやべぇなこのアマ……。

 花音-めいで通じ合いぶつかる、あこがれと才能の導火線。
 これが未だ表舞台に立たないキウイちゃんにおいても、幼馴染であり”海月ヨル”最古のファンでもある関係性を通じて、来週あたり発火しそうではある。
 まひる自身が信じきれなかった才能を、信じ手を引いて眩しい光の中へと誘い出した花音ちゃんの特別さは、多分キウイちゃんも届かぬながらずっと手渡してきたもので、しかしそれではまひるは動き出せなかった。
 自分を夜に連れ出す眩しい悪魔の、特別さを背負えなかった”大事な友だち”として、キウイちゃんが親切の奥に相当質量デカい感情隠している様子……それにまひるが気づいていない気配も、元アイドルとヤバオタクの衝突の陰でジワジワ積まれている。
 ここがドカンとぶっ飛ぶと、まひるを間に挟んで2つの才能が感情の爆心地で大怪獣バトルしてくれそうで、今からメチャクチャ期待してる。
 ぜってー自分だけが支えてきた才能が嬉しそうに語る、自分の知らない新しい女にメラってるでしょキウイちゃん……そういうの理解っちゃう。(期待混じりの妄念)

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 そこら辺の爆裂は先の話として、音楽という自分の領域を通すことでやべー元ファンと向き合う必要性を感じ取った花音は、やべーお嬢様の手に渡った自分の持ち物を取り戻し、相手の持ち物を返……そうとするが、ここではまだ上手くいかない。
 お互いに譲れないものが何なのか、自分たちを繋ぎうるものが何なのか、見つけても思い出してもいないこの段階において、境界線を越えた交流はあくまで押し付け奪い譲らないものでしかなく、二人の衝突は物別れに終わる。
 青いアウターをグイと掴んで引き渡さないめいちゃんも、知らず彼女のアイデンティティを汚してしまう花音も、お互い何かにしがみついて自由に泳ぐことが出来ないままだ。
 この不自由さを描くことで、前回まひるを新しい場所へと導いた花音が彼女自身何かに縛られ、なかなか己を解き放てない等身大の人間であることが見えてくる。
 そんな難しくかっこいい花音のこだわりと強さを、まひるは部外者の距離からちゃんと見上げ見届けていて、『無様な強張りも含めてありのままの己を見てくれる誰かが、隣りにいてくれるのは良いことだな……』と思わされる。

 めいちゃんのヤバさが目立つので、彼女が勝手な解釈ぶん回して推しを傷つける加害者にも見える構図なのだが、そこにはそうやって何かにしがみつかなければ、形を真似なければ崩れてしまう少女の脆さが、確かにある。
 お互いの顔を見ず、自分の顔を見せず、頑なにギリギリ今の自分を守ろうとする切実さが、目を隠した肖像には宿っている。
 『今の私は”山ノ内花音”だ!』と、己の在り方に固執する花音さんの強さは、かつて”橘ののか”だった黒髪のアイドルに救いを見出した少女と、そんな彼女に約束してしまった自分自身を、蔑ろにしていないか。
 そんな冷静な問いかけが、学生証を汚す食べかすで象徴的に描かれているのは、似た者同士の傷追い人がだからこそすれ違い、お互いを大事にできていない現状を鮮明に描き直す。
 この無理解の描写があればこそ、”山ノ内花音”にしがみつく少女が”橘ののか”だった自分を少し許して、自分が差し出してしまった救いの責任を取りにヤバオタクの内側に進み出す一歩が、暖かな手応えを生んでもいく。
 こうやって一個一個、間違えたり強がったりすれ違ったりしながら、それでも笑える温度感でこの物語は青春を描いていくのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 この決別から、物語はめいちゃんの回想へと迂回し、激ヤバオタクの秘めたる歴史へと切り込んでいく。
 前回現実の渋谷とオーバーラップする形で描かれたのとは、また違う幻惑の少ない表現であるが、このスタンダードさがめいちゃんの持ち味であり、あるいは前回の眩暈こそがアーティストとしての”海月ヨル”の特質……ということだろうか。
 ここら辺はJELEEとして実際どういう作品を皆で作り、世の中に吠え声突き立てていくかで答え合わせされていくと思うが、回想の中のめいちゃんはナチュラルな栗色の髪をして、イカれたハイテンションはどこへやら、世界は大変に暗い。
 かっちりした直線が窮屈にせり出す世界は、やらされてるだけのピアノしかすがるものはなく、自分の名前も髪も、ドイツと日本のミックスであるアイデンティティも肯定的に突き出せない憂鬱を、重たく反射している。

 その薄暗さから抜け出す出会いが、偶然足を運んだチェキ会にはある。
 陰口叩かれた生来の名前ではなく、”木村ちゃん”という量産型日本人の偽名で繋がった、あまりにも眩い光。
 ありのままの自分を認め、愛し、求めてくれるアイドルと出会ってしまった少女は、大好きを携帯電話の待受と黒く染めなおした髪に刻むことで、憂鬱な世界をなんとか生きていく力を得ていく。
 先週まひるが”山ノ内花音”に出会うことで歪まされた人生のレールを、”木村ちゃん”は”橘ののか”に出会うことで捻じ曲げられてしまって、その歪さは世間がどう言おうと、過酷な世界で生き延びるための光になっていく。

 かつてサンフラワー……太陽の花たる向日葵だった/そうあり続けることが出来なかった”橘ののか”が、たしかに生み出してしまった奇跡。
 嘘ばかりの孤独な世界の中で、確かにファンと響き合った暖かな手触りと、交わした約束。
 それが今の”山ノ内花音”を否定する呪いだと頑なに遠ざけ、見えなくなっていたものがジクジク、傷ついためいちゃんの心から溢れていく。
 『女一人の人生、狂わしちまったのなら責任ってのがあるよなぁ!』と、心のツボを抉られて花音さんに思わず詰め寄りたくなってしまったが、そういう奇跡の対価をきっちり払う正しさを、失っていないのも花音さんの良いところである。
 皆、あの女に狂わされていくッ!(最高of最高)
 ……相性悪くて喧嘩ばかりだった元メンが、太陽になりきれなかった女に向ける感情もネトネト重たいんだろうなー。
 VSサンフラワードールズ編にも、期待大だぜ!

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 それは先の話として(二度目)、『諦めたはずの過去に涙を滲ませる女の暗い世界を、輝く光でぶち破ってくれよ花音さん!』というこっちの期待に、完全に燦然と応える存在質量バカデカ女の眩さよ……。
 『やべー女だなゲラゲラ』と嘲笑う対象だったはずの、めいちゃんであり木村ちゃんでもある女の子がどんだけ切実に”橘ののか”を求め、当人が投げ捨てた輝きを唯一の支えにして暗い世界を生きてきたのか、知ってしまってはこっちにゃ、救済を希うしかねーわけよ!
 これは壁面に封じられた夜のクラゲを愛で蘇らせて、”海月ヨル”を復活させた先週の花音さんと重なる動きであり、同時にどんだけ最悪な状況になっても”橘ののか”を信じ愛し続けてきた、もう一人の”橘ののか”あっての眩しさでもある。
 花音さんが投げ捨てることでしか生き延びられなかった、嘘っぱちの偶像が確かに手渡してきた救いと約束の形を、めいちゃんが背負ってくれていたからこそ今、それを裏切らない自分を取り戻すことが出来る。
 アイドルとファンが思いの外お互い様で、アイドルやめた今だからこそ同じフレームの中一つに重なって進み出すことが出来る可能性へと、ラノマニノフを伴奏に物語が駆けていく。

 花音さんは札束で自分を蔑ろにされても、”山ノ内花音”を解釈違いと否定されても、耳に飛び込むめいちゃんの音楽に魂を揺すぶられ、思い出した約束に背中を向けない。
 頑なな強さを確かに持ちつつ、柔軟に過去へと立ち返り新たに生まれ直す強さと眩しさが未だ生きているから、めいちゃんはかつて自分を救った黒髪のメサイアが、金髪になって名前を変えても輝いている事実を認められる。
 そうして貰うことで、花音さんも自分が置き去りにしてきたかつての輝きを、孤独な夜を過ごす全ての人のための音楽を、新たに思い出すことも出来る。
 そういう共鳴が境界線を飛び超えて、新しい関係と可能性を生み出していくのは、やっぱ良いなと思う。

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第2話より引用

 愛の証を握りしめ、かつて自信なく居場所を明け渡した悪意を前に戦う時、世界は少しだけ明るい。
 ラノマニノフだけがあった防音室に、不似合いなアイドルグッズを祭り上げるほどに、自分がここにいて良いのだと思える幸せの実感はまして行った。
 自分を好きになってくれた人に、孤独を遠ざける音楽を手渡すことで、”橘ののか”は確かに奇跡を生んできた。
 それを否定するばっかではなく、新たに光の方へと進みだそうとしている”山ノ内花音”に繋がる大事な存在として抱きしめ直す一歩目として、かつての”橘ののか”と同じ形をしているめいちゃんの存在は、音楽担当がJELEEに加わった以上の意味を持っているように思う。
 『誰かが見つけ手を差し伸べてくれるからこそ、自分が見捨てていた自分の可能性と向き合い抱きしめられる』という構造は、前回まひるが花音さんに掬い上げられたときと同じで、今回はめいちゃんと花音さん、鏡合わせに抱きしめ合う形なんだな。

 めいちゃんが一曲見事に弾ききって、大好きなののたんに突っ走っていく時、お嬢様らしからぬ無様で活き活きした歩みをしているのが、僕はすごく好きだ。
 先週まひるが悪魔に抱きしめられた時もそうだけど、人間の人生が動き出すときにはそういう力みと歪さが必ずあって、ともすればブサイクな真実の瞬間を、このお話はとても大事に切り取っていると思う。
 俺は張り詰めた心の鎧を固くすることで、なんとか闇の中生き延びてきた人が赤子のように思いをぶつける瞬間が大好きなので、木村ちゃんがののたんに飛び込んでいった瞬間には相当食らってしまった……。
 ドタバタテンポの良い奇人コメディを描きつつ、素直に『良かったね……頑張ってね……』と思える青春絵巻をパワフルにぶん回せているのは、このお話の強みだなー。

 かつての自分に似ためいちゃんを、幾度かの衝突と拒絶を経て抱きしめられた花音さんは、かつて約束を交わしたファンに重ねて、アイドルとしての自分を抱きしめられたのだと思う。
 まだまだ黒髪だった自分を抱きしめ切るには足りないけども、”木村ちゃん”を鏡として自分の大事なものを思い出した今回は、その才能と人格で色んな女を救い狂わせている、花音さん自身が救われるための、大事な一歩なのだろう。
 憧れ救われるファンとアイドルの一方通行ではなく、新しい友達として傍観者(あるいは”見届けるもの”)だったまひるもまじえて、新たな一歩を刻んでいく。
 そんな関係もまた、喜ばしく力強いものだと思えるお話でした。
 まひるが無茶苦茶素直に、結構拗れていた木村ちゃんとののたんの現在地を祝福して、力まず一緒に進んでいく姿勢見せてくれているの、俺は好きだ。
 この軟体クラゲっ子の掴みどころのなさが、固くなれば傷も増える青春の激浪を泳いでいくための、大事な強さになっていくんだろうなぁ……。

 

 

 というわけで、ヤバくて面白くて可愛い”三人目”の善さを、原液120%でドバドバ味あわせてくれる回でした。
 アイドル時代の花音に、重すぎる感情持ってるヤバ女だからこそ削り出せる、鏡合わせの貴方と私、過去と未来。
 ミックスルーツを排除する、面白くもねぇ学校の空気から抜け出して、”高梨・キム・アヌーク・めい”であり”木村ちゃん”でもある自分を肯定できた、めいちゃんを祝福したくなる回でした。

 ラノマニノフの演奏が良い感じに楽曲担当の強さを語って、JELEEの未来がドンドン開けていく手応えも十分。
 境界線を飛び越えながら夜を泳ぐクラゲたちが、一体どこまで這い上がっていくのか。
 次回も大変楽しみです。
 ……そこかしこに核爆発級の女女地雷が埋め込まれているので、どこが炸裂しても最高大惨事なんだよなぁ……。