イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

終末トレインどこへいく?:第3話『ショートでハッピーイージーに 』感想ツイートまとめ

 湿り気を宿した暗闇の中で、絶望は菌糸を伸ばす。

 終末トレインどこへいく? 第3話を見る。
 故郷吾野を飛び出しての、初の停車駅・東吾野
 終わった世界を太く短く死んでいくために、キノコに支配される道を選んだ住人が、終末トレイン一行を取り込もうと足掻くコメディ・ホラーである。
 ”マタンゴ”と”ミスト”と”サクラメント”を福圓さんの怪演でかき混ぜ、少女頑張り物語で和えたような独自の食感が、このお話らしくて大変良かった。
 初手でこんだけロクでもないと、旅路の先に待ち構える他の駅も大概な匂いがプンプンするが、まー何かを求める旅ってのは大概そんなもんだ!
 晶ちゃんが頑張ってて良かったです。

 

 前回描かれたトレイン・アクションを通じて、一行それぞれがどんな子なのか、見ている側にも少しは種が巻かれている。
 賢さと臆病さを併せ持つ晶ちゃんが、能天気な他メンバーが無防備にキノコに侵食される中、一人自我を保って危機と向き合う役になるのは、納得の配役である。
 この終末世界においては、疑り深いからこそ生き延びられる瞬間が確かにあり、弱さと慎重さを重ね合わせた晶ちゃんの資質は、運命共同体が初手で終わる危機を乗り越える、決定的な切り札になっていく。

 東吾野を支配する、死に至る病への効き目の短い処方箋。
 コミカルなキノコ要素で薄く糊塗されているが、要は自殺主義のドゥームズデイ・カルトだ。
 ワイワイ騒がしく明るいJKノリに助けられて、あんま直面せずに住んでいるが、7G世界の終わりっぷりはマジでシャレになっていなくて、そらー太く短く気持ちよく死んでいく道を選ぶ人たちも、当然いる。
 苗床がバッタバッタと枯死しても気にしない、世代を重ね生に執着する”人間らしさ”を放棄することに成功した東吾野の人たちは、旅人を自分たちと同じ絶望に染め上げて、光の下でしぶとく繁茂するゴーヤイズムに恐怖する。
 眩しい太陽の光の元、邪魔になるくらい元気に育つ苦くて栄養満点の野菜は、それを特産とする吾野に育った子ども達が、湿った快楽主義的自殺願望をはねのける武器にもなっていく。
 ……結構故郷の土に根付いた、植物のトーテミズムな話だな、面白い。
 終わった世界を黄色い列車で切り裂いて、わざわざ遥かなる池袋まで足を伸ばす理由。
 前回撫子ちゃんが穏やかに問うてきたクエリーを、東吾野の絶望マタンゴ達はより恐ろしく、直接的侵食を伴って投げつけてくる。

 

 これに答え、終末トレインを結末まで引っ張っていく特権は主人公にこそあるわけだが、静留はミストサウナで寄生されて、安楽な絶望に飲まれかけてしまう。
 成り行きでも、ぶつかり合っても、自分とは違う警戒心を持った誰かがいてくれるからこそ、旅は隣駅で終わらずまだまだ続いていける。
 晶ちゃん主役の大冒険は、そんな運命共同体のルールを改めて描くキャンバスにもなっていた。
 東吾野に蔓延する刹那主義は、静留の中にも確かにある。
 だから菌糸は少女の頭に根づき、旅を終わらせかけていく。
 そこから這い上がって、”進む”と主人公が決めるためには一見心地よい終わりを否定する誰かに、どこへ行きたいかを問いかけてもらう必要がある。
 自分一人ではとても簡単に見失ってしまうものを、問いかけ直して新たに思い出す手助けをしてくれるから、友達というものは得難いのだろう。
 静留の旅立ちが孤独なものにならなかったのは、ノリと勢いに任せた偶然であるけど、レール越しのモールス信号含めて色んな人がその旅に関わり、助けてくれるのは幸運な運命といえる。
 というか、ソロだとすぐ死ぬわこの世界。

 晶ちゃんは東吾野の霧に一人抵抗し、その真実を暴いていくエピソードの主役であるけど、回想シーンはあくまで主役とヒロインのために用意される。
 なぜ、旅の果てまで進んでいきたいのか。
 これを補強するように葉香との思い出が描かれ、ありきたりで幸せな約束がまだ残っているから、終わった世界でなお絶望に飲まれず、ゴーヤのようにタフに生きていく決断を主役は選んでいける。
 架線無しで進んでいく不思議な列車の推進力は、やはり心と絆の力であり、そういう精神性第一主義のファンタジックな描写が、コミカルな寓話という独自の表情を与えている気がする。
 心が飲まれたら旅が終わるし、それをせき止めるのは友情なのだ。

 終わった世界で生き続ける理由を、東吾野の人たちは見つけられなかった。
 ならキノコが脳髄に直接伝えてくれる快楽に溺れたまま、死に飛び込む道を選ぶのは道理だ。
 そんな彼らに取り込まれかけ跳ね除けることで、『友達にもう一度会いたい』という、実に大した事ない願いがゴーヤとキノコを隔てている現状が鮮明になってくれる。

 

 この終わった世界において、停止と死の誘惑は、可愛い見た目で誤解するほど、少女たちから遠くない。
 なにしろ世界が終わっているのだから、ちっぽけな人間が人間のまま生き、狂気に飲まれず人であり続けることはとても難しいのだ。
 その難業にかじりつく足場は、一体どこにあるのか。
 故郷を旅立ってしまった以上、その問いかけは静留だけでなく、終末トレインの仲間全員に伸びていくだろう。
 ここら辺、今回主役を張った晶ちゃんにとって未だ明確ではなく、ブルブル震えながら何故電車に乗り続けるかは、こっから先のお話で見えてくる部分なのだと思う。
 ツンツンしつつもめっちゃ玲実に甘えているので、彼女との関係性に死と狂気を越えていく光があるのかな~…って感じだが、さてはてどうなるか。

 

 コミカルに狂って終わった世界と、そこでのシニカルな命がけが終末少女達の青春を問う、良い画材になる手応えはここまでの物語で、しっかり得ることが出来た。
 たった四人と一匹、死に飲み込まれず生き延びる。
 それが最初の印象よりかなり厳しい旅であり、だからこそ彼女たちが彼女たちである意味、人間が人間である証明を照らしてくれそうなヤバさとワクワクが、良く感じられるエピソードでした。
 物言わぬポチさんが可愛くも頼もしく、要所要所で晶ちゃんの冒険を助けてくれていたのも良かったなぁ…ポチさんデカくて可愛いから好きだぁ。

 ゴーヤブン回して心地よい終局を拒絶した静留たちの、先が見えない旅は続く。
 ローカルな手触り満点の美術に、狂って終わった世界の不思議と不気味が満ちている面白さを、東吾野に堪能しつつ、この先の物語を待つ。
 ゲラゲラ笑った後『…全然ヤバいじゃん』と真顔になるこの感じ、かなり好きだな…。

 

 

 ・追記 キノコの毒に飲み込まれてもなお、脳髄の中に微かに残ったものへ、東雲晶はお礼を言った。
 ヤベー度合いがずいぶん濃い女将さんが、それでも無償で手渡してくれた食料に晶ちゃんが最後お礼を言ってたの、凄く好きだ。
 キノコ人間になって、食って腹減って食わなきゃ死んでいく人間の定めから開放された彼らにとって、インスタントラーメンは遠くに置き去りにした人間性の残滓であり、もう取り戻せず無用な正気だ。
 自分たちと同じ絶望に取り込むまでの擬態だったとしても、その遺産を晶ちゃんたちに手渡してくれた温かさを、何事にも素直になれない少女はたしかに受け取って、頭を下げた。
 それは人間の形をした死にゆくキノコへの礼儀と同時に、終わりきった世界でもそうやって”人間”でいられる自分へ、礼を尽くした行為だと思う。
 あの子はそういう事をする子なのだと、今回の冒険で理解ったのは凄く良かったです。