イマワノキワ

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NieR:Automata Ver1.1a:第12話『flowers for m[A]chines』感想ツイートまとめ

 NieR:Automata Ver1.1a 第12話を見る。

 現実/未来での戦いに決着をつけるAパートと、電脳/過去での不穏な夢を描くBパートに分割された、一期最終回。
 遂にヨルハの眼帯を解き、その美しい瞳を顕にした2Bが命と愛の意味に目覚める決着の美しさと、急にジョージ声のヤバげ生命体がインタラプトかけてきて、何もかもヤバい月面の対比が、なかなか大変なことになっていた。
 機械で構成された体と心を持つアンドロイドだからこそ、描ける物質化され、迷宮化され、保存され接続される電子の魂。
 SFテイストに過激なスピリチュアリズムを宿した、本作らしい折り返しだったと思う。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第12話より引用

 2Bの優れたデザインを特徴づけてきたヨルハの眼帯は、魂を汚染するアダムの残滓に狂わされた9Sの一撃によって、遂に引っ剥がされる。
 盲目的な忠誠を投げ捨て、自らの手で9Sを絞め殺す悲痛は極めて"人間的"だ。
 そういう風に造られたプログラムであったとしても、特別な誰かを愛し失う苦しさがこの機械人形たちには確かにあるのだと、こちらに思わせてくる説得力が、戦いの果てにたどり着いた喪失と回復には確かにある。
 そして、それはどうやら決着ではないらしい。

 前回ラストに戦いの行方を決定づけた衛星砲は、ヨルハ司令の独断でぶっ放されたわけだが、彼女は神を求める謎めいた言葉を残して、一旦舞台から去った。
 機械生命体に干渉し、生まれた感情や変化にどうアンドロイドが反応するのか、観察を続けてきたとうそぶく赤い少女が、その神なのか?
 もはや観察の時間は終わったと、電子化された魂のメンテナンス…復活のための準備をする9Sに近づいてきた”それ”が、一体何を望んでいるのか。
 アダムを幾度目か殺し、死を乗り越える愛の奇跡を描いてキレイな決着…と納得するには、Bパートがとにかく不穏に過ぎる。
 ふーむ…全然分からんなッ!!

 

 漆黒の空間に囚われ、覚えておけない電子の夢…あるいは啓示を受けた時も、9Sの眼帯は外れている。
 魂の不滅を保証し、同時に大きなシステムに彼を縛り付けるバックアップ同期から外れた彼は、自分の生き方を誰かに決められない自由と、致命的に間違えて取り返しがつかない不自由を、同時に手に入れた。
 目を開けて何かを知ること、知恵の木の実をかじることは、ようやく顕になった2Bの美しいかんばせが示すように善への道でもあるし、無明の闇に自分の顔を移す9Sのように、何も保証されない不確かさに身を投げる…機械には出来ない”人間的”な道への一歩目なのかもしれない。

 ここまで幾度も描かれたように、アンドロイドにしろ機械生命体にしろ、電子化された精神と魂には物理的な干渉が可能で、プログラムはウィルスに汚染され支配され、消去されまた再生する。
 二度と取り返しがつかないからこそ価値がある…はずだったとに、バックアップを通じて幾度も蘇り、書き換えられ、新たに始め直すことが可能になっているヨルハの命のように、機械達の心には触れ得ざる不可侵領域がなく、一度何かが置きてしまえば二度と取り戻せない、不可逆性もない。
 それ故永遠に戦い続ける宿命も成立しているわけだが、汚染回避の名目でその輪廻から外れた9Sは、一回性の危うさと尊さを背負った…ように思える。

 第1話で示されたように、2Bたちが何度も死に蘇り、命の明滅で得た掛け替えない記憶をリセットしながら戦い続けれるのは、バンカーのシステムが無謬で無敵だからだ。
 しかし人間性の聖域であるはずの精神や魂まで、いくらでもかき乱し乗っ取ることが可能なプログラムでしかない機械の浅ましさをこうも重ねられると、バンカーだけがその危うさから例外的に守られているとは、到底思えなくなる。
 あの不気味な赤い少女が、ヨルハの永遠を成立させているバンカーの無謬を、踏みにじり書き換える不穏な未来を、思わず想像してしまう。
 神聖にして侵さざるべき神様なんて、人の死に絶えたこの世にいるのかね?
 そういう疑問も湧く。

 

 機械を人に変えうる愛を失ったがゆえに、狂い果て殺されたアダムの末路を見ても、タンパク質の人間を縛っていた業から、機械仕掛けの人形たちも自由だとは思えない。
 あるいはあの愛と狂気も、赤い少女が仕掛けた観察のためのランダムノイズの一部だったのかもしれないが、そういう大きなからくりがあったとしても、アダムが狂うほどに彼の弟を愛していた事実は、上書きされない…はずだ。
 そういう、ヒトの善き側面が何もかも狂ってしまうような世知辛い世界で、唯一眩しく瞬きうる真実に、2Bは眼帯を外し目を向けた。
 それは喜ばしい人間性の目覚めであり、陽炎のように虚ろに瞬く、"人間"の影を追いかけ続けて成立している世界の奴隷では、彼女がもういられなくなった証明にも思える。
 愛を知り、絆に助けられ、戦いに意味を求めるようになった2Bの成長を、多分バンカーは許容できないバグと考えるだろう。
 戦争のために均質化された道具であり続けることを、自分たちの存在意義とする大きなシステムにとって、一個一個個別の記憶と痛みは無価値で、システム全体を壊しうるウィルスになる。
 自分たちを生み出し、死を超えて戦いを繰り返させるあまりに巨大なシステムに、芽生えた自我を抱えて立ち向かい、勝って生き延びる未来を、僕は全く楽観できない。
 し、死にそ~~。

 

そもそも何のために戦っているのか、どうすれば戦いが終わるのか。
 状況の背景にある歴史と目的がさっぱり見えないこのお話、敵の大ボスぶっ倒しても全然終わんないのは納得ではある。
 2Bが最後に自問するように、アンドロイドと機械生命体、私たちと敵を区別する境目は、見つめるほどに曖昧になっていってしまうからなぁ…。
 むしろその虚無の境界線に気付かせないために、ヨルハの眼帯があった感じもある。
 目を塞いでいる間は、自分たちが裸で罪深い存在だと気づくことはなく、認識されないのであれば知恵も罪も存在などしない。

 しかし、戦いは2Bと9Sの目を開いた。
 視界の先には、不確かな荒野が広がっている。
 ”啓蒙”とは『くらきをひらく』を意味し、神の奴隷たる人間に自然の光を当てて利せいの自立を促すわけだが、神から切り離された一個人を主役とする近代の礎となったそれが、ともすれば知る不幸を生み出す行為なのではないかと、近代飛び超えて遠未来を舞台とするこのSFは、眼帯をフェティッシュに問いかけてきたように思う。
 見えぬ幸福と、見えてしまう不幸。
 どちらにしろ、もはや眼帯のない世界がどんな色か、2Bは知ってしまった。

 己が何物であり、世界はなぜ生きるに値するのか。
 それを知れば何にでも戦えるような真実を、二人は確かに掴んだわけだが、その”人間性”を許してくれる余裕は、あの狂った世界にはもう残っていない感じもある。
 この予感が正しいのか、間違っているのかは、意味深な啓示の奥に分け入り、ワケわからねぇ物語の深層へと踏み込んで、ようやく分かることなのだろう。
 そこら辺、明日からの二期でどんだけ描かれるのか。
 愛に目覚めたがゆえに狂ったアダムを殺した主役達が、眼帯を外して”敵”と同じに為った後、どんな戦いが待つのか。
 なかなか興味を掻き立てられる、一期最終話だった。
 次回も楽しみ。