烏は主を選ばない 第9話を見る。
砕けた砕けた玉塵が告げる真相が、桜色の檻から山烏を巣立たせる。
桜花宮の腐り果てた内臓が、でろりと表に出てきて未だ物語は続く、クライマックス開始の第9話である。
予想し期待していた以上のロクでもなさがオフィシャルに語られ、こっちの妄想が間違ってなかったことに安堵などしつつ、『これで終わりじゃないなら、さらなる真実はもっとロクでもないんだろうなぁ…』と震えている。
四家の権力闘争を代行するべく、婚姻儀礼の盤面に貼られた4つの駒。
抱えた秘密を明かしていなのは残り二つ…どっちが怪しいかって言われたら、まぁそりゃなぁ。
糖衣で包んだ毒薬、か…。
さて物語は白珠と浜木綿、二人の姫君の秘密を暴き盤面から下ろす。
容色の良い個体を養子縁組して盤面に送り込んだり、大罪人の娘を素性を隠して捨て駒にしたり、華やかな人間将棋はルール無用、何でもありのヴァーリトゥードである。
とはいえここら辺の生臭さは不意打ちというより、『桜花宮だけが、ロクでもない山内の美麗な聖域ではなかった』という納得に近い感覚で僕に届いた。
いやまぁ、そらー若宮と雪哉が取っ組み合っているものを事前に見ている立場だから、アニメにわかは疑ってかかるのが当然といいますか、ある意味親切な作りといいますか。
それにしても、実際描かれると想定よりロクデモナイな…。
白珠がこれまで見せていた氷の鉄面皮は、その実年相応に感じやすい柔らかな心を、覆い隠すための鎧。
それが身分差と過酷な運命に挟み込まれて壊れた以上、『駒であれ』と教え込まれた生き方は破綻するしか無い。
そもそも下層民を当然踏みつけにすることで成立している、”高貴なお方”をやり切るには優しすぎた感じもあり、そういう子に無理させた当然の帰結…てのは、現代的価値観から見下ろした外野の意見だよなぁ。
人非人な婚礼機構に巻き込まれ壊れちゃった白珠は、山内貴族のスタンダードからすれば、大いなる使命を全うできなかった惰弱、私心にうつつを抜かす恩知らず…って事になるのだろう。
この価値観自体が、浜木綿が指摘した桜色の檻以上の密室であり、山内は桜花宮という不自由な牢獄を内部に孕む、更に大きな地獄に感じる。
山内を俯瞰で見た時どういう場所なのか、そこと接する”外界”があるかないかは未だ描かれていないが、どっちにしても狭い世間の権力闘争以外に興味がない、風通しの悪い腐った場所と、現状見える。
白珠と一巳の悲しい恋も、根本にあるの庭に這いつくばる下層民と、そこに降りることのない貴族の差別構造なのだろう。
同じ濡羽の烏の間に、貴族と山烏、馬と身分差を造って、その高低差から権力と実利を引っ張り出すことで成立し、駆動する巨大な社会構造体。
羽の生えていない猿の歴史にも、洋の東西問わず山盛り存在し、いまも在る地獄の機械を、山内の貴族たちは当然視している。
それは同じように維持され、陰謀の人身御供を常に求め、関わった人がどんどん死んで当然なのに、その生臭さを香を焚きしめて誤魔化している、欺瞞の装置だ。
家と己の利益しか考えていない餓鬼が、『人を支配して当然でござい』って顔で御簾の奥、他人の生き血をすすっている。
釘宮さんの幼い演技が痛ましい白珠は、ただただその犠牲であり、優しい性根と噛み合わぬ残酷を必死に演じて破綻した、役者に向いていない役者であった。
彼女が囚われた獄は、望まぬ婚礼の外側にも広がっている…ように思う。
この不自由で不平等な構造それ自体を、改革する意思を若宮が持っているか否か……アニメの範囲でそれを明かすかは、まだまだ全然分からないが。
どっちにしても生身の人間の悲嘆を気にもせず、軋みながらも駆動する山内の権力構造には無理がある。
無理があるのに当然の支配装置として現状動いてて、過剰な装飾で儀礼を飾り、あらゆる華やぎで差別を構造化し、どんどん歪さが積み上がっていく。
この畜生の所業がいつかツケを払わされるのか…若宮と雪哉がツケを払わせる側なのか、見てみたい気持ちはあるなぁ…。
雪哉が身内と地元しか見ない、極めて山内的な価値観を無邪気に内面化してるの、結構怖いね…。
浜木綿は去り際に『女の幸せ』と言ったが、桜花宮に舞台を絞ることで成立している(おそらく原作小説由来の)視線誘導を外してみれば、追うべきなのは『人間の幸せ』なのだろう。
女たちを政治の駒にし、弄んだり壊したりしている権力の当事者…男たちもまた、雪谷の視点を借りて見せられたお話を見る限り、全然自由でも幸せそうでもない。
欺き殺し奪い罵る、修羅の悪逆こそが貴族の儀礼だと、誰もが思っている世界。
思わないやつから、最初に死んでいく世界。
そういう場所に囚われていると、気づかぬ無明が畜生を畜生に、修羅を修羅に、餓鬼を餓鬼にするのだろう。
今生六道、おしなべて山内にあり。
つくづく、浅ましい限りよな。
若宮の后選びをメインテーマに据えることで、華やかなる女の悲惨が表に立って、見えにくくなっているけど。
このお話は人化種族を主役に据えることで、男/女の境界線を包括する人間/動物の境界線を、どう超えるか(越えられないか)を一つのテーマに選んでいるように思う。(このジェンダーとヒューマニティーの交錯は過去作で言えば”BEASTAR”とかでも見事に活用されていた)
僕らの社会にある最も基本的な分断(の一つ)である性別ともう一つ、獣と人両方の性質を持ちながらどちらかを抑圧し、不可視化することで生まれる軋みと、それを前提にする権力と暴力の構造が、このお話においては『烏になる』事に結晶化している。
貴族の領分においては野蛮な禁忌である、八咫烏に転じて自由に空を飛ぶ行為は、若宮や雪哉、あるいは浜木綿の闊達な自由さを象徴する行為として、物理的空間だけでなく社会的階級も飛び越えていく。
馬を作るべく第三の足を切り取る、山内版宮刑ともいうべきおぞましい所業が、作中に実在することも浜木綿は語ってくれたが、そこで剥奪されるのは足という身体であり、人間に変身する能力であり、人の形を演じなければ成立しない”人間扱い”だ。
素裸で獣に変じることを貴族たちは、自分たちの起源を忘却し、それを下賤の所業と蔑すること…実際に身体刑として追放者に実行することで、自分たちの地位を維持している。
それは所詮烏でしか無い己たちの本分、そこに立ち返ればこそ見えてくる本当の愛や生きる喜びを、遠ざける行為ではないのか。
人間の形を取れる烏たちが、人の悪しきさかしさを権力の構造の中で芝居する中で、それに呪われてしまっているような印象を、次第に暴かれてくる社会の暗部からは感じる。
それは性別に関係なく烏たちを呪う、輝かしい人間性の呪詛だ。
…しょせん浅はかな獣、ピカピカ光るが黄金ではない虚栄にだけ目を向けて、真実眩しい人間の証明にはけして届くことがないという、極めて皮肉な視線が向いてる感じもあるな。
それは無論、八咫烏が擬態する”人間”に向けた、シニカルでソリッドな視線なんだけども。
自分たちが権力構造を独占するためなら、主上殺しも当たり前。
浜木綿が顕にした南家の悪辣は、山内の上部構造を担当する四家全部に伸びてる毒なのだろう。
これの犠牲になることで白珠は瑞々しい心を殺して人形を演じ、身分違いの恋と押し付けられた使命に引き裂かれて壊れた。
その犠牲として消えぬ罪を背負わされ、山に投げ捨てられていた浜木綿は陰謀の道具と拾い直され、颯爽と心地よい風を吹かして檻から出ていった。
若宮暗殺の使命が浜木綿の口から出た時、白珠様が『うそ…』って言ってたのかわいそ可愛かったな。
極悪お嬢様やるには、アンタ乙女すぎたんよ…!
同じく浜木綿は、卑賤な刺客やるには高潔すぎた。
舞台に似合わぬ人形たちが、桜色の檻から降りて、しかし腐った芝居はまだまだ続く。
なにしろイエと我が身に栄達と特権を約束する登殿、たかだか人間が壊れた程度、人倫が踏みにじられた程度で止まるわけにはいかない。
そうやってずっと駆動してきて、色んな人の親を残酷に噛み砕いてきた大きな装置が、今度は若宮の血を求めるようだ。
繰り返す修羅の輪廻を、超えるには血の代価がいる。
雪哉の出世も、なかなか気楽じゃないね。
…”真の金烏”っていう、オカルティックに選抜された統治の装置が実際の危機を突破するのに不可欠の逸材なのか、古ぼけた伝承が勝手に言ってるだけの空位なのかで、結構話も変わってくるな。
ノンキに血みどろ権力闘争やってられるのも、山内に大きな危機が訪れていないからこそで、”真の金烏”が人間様の序列や事情を無視してピョッコリ飛び出し、頭ごなしにトップに座る裏に、そういう存在でしか越えられないオカルティックなピンチが本当にあるのなら、思惑がどうあれ若宮中心の体制整えて迎え撃たなきゃいけんだろう。
姫たちが『桜花宮で行われる婚礼儀式』という檻を当然死していたように、貴族たちも『血みどろの権力闘争に勤しめる山内』という檻を、永遠に続くものと思って鬼畜の所業に勤しんでいるけど、果たしてその檻の外側には何が広がっていて、どんな風に揺るがされるのか。
その時”真の金烏”は何を果たすのか
残りの話数で描けるわけがないスケールのネタなんだが、桜花宮しか描かないことで作中人物に見えているものと、読者が受け取るものを精妙に制御している(だろう)レトリック構築の巧みさは、更にその外側に話が広がりそうな予感を確かに醸し出している。
山内全体のスケールでモノ見ることは、愚物どもがいちばん大事なものを蔑ろにしながら、人生賭けて勤しむ愚かな芝居の”外”に出るってことで、それって当然排除されるよね…って話でもある。
あらゆる社会システムは異物と逸脱者を積極的に製造し、排除することで初めて駆動するのだ。
人の心が解んない感じがある”真の金烏”も、その犠牲になっていく…のかなぁ?
ここら辺、意識して若宮の内面が見えないように編まれた描写で、巧妙に先読みしきれない感じに造られてもいるけど。
枯れ枝に花を咲かせ(アレも”真の金烏”の異能なのか?)、あさましき権力闘争の犠牲になった名もなき墓に備えていたのは、若宮の理解されにくい人間性が、狭い檻から出ている描写だと思う。
彼を風雲児として、腐りきった山内が改革されていくお話を期待している自分としては、『思いたい』んだろうけど。
惨劇の真相は、刺客が去ってもなお御簾の奥。
血なまぐさい襲撃が一つの真実を暴くと期待して、次回を楽しみに待つ。
さードンドンくっさいくっさい貴族制度の臓物を、かっさばいていくぞー!