イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガールズバンドクライ:第10話『ワンダーフォーゲル』感想ツイートまとめ

 ハローもグッバイもサンキューも、言わなくなって。
 ガールズバンドクライ、第10話を見る。

 有名事務所所属、フェス参加、勝負の新曲作成。
 クライマックスに向けて外堀が埋まる中、ロックモンスターが仲間たちの後押しで故郷へ戻り、身を隠していた築地から見るべきものを見届けて、帰るべき場所へ歌を携え戻って来るまでの物語である。
 井芹仁菜と家族の物語として大変良かったが、そこに”トゲアリトゲナシ”のロックがどう生まれていくのか、これまでトゲ出すしか知らなかった仁菜の音楽がトゲナシになるまでを刻むことで、楽曲作成のエピソードとして大変良かった。
 ロックンロールは、壊すだけの音楽じゃない。

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 

 暗い影の中仁菜の頭をぶったトゲが、朝日の中眩しい場所へと踏み出すときには、愛を持って切り取られている。
 まとめて言うとまぁそういうエピソードであり、今回は川崎ぐらしで形のない怒りの正体、それを包みこんでくれる愛のありかを学んだ仁菜が、ようやく敵と味方を故郷に判別するまでのお話である。
 無明の怒りに押し流されている間は、家族の顔は見えなし自分を傷つけるトゲにも気付けない。
 しかし危うい暗がりと思えるものの中に確かに愛はあって、言ってほしかった『いってらっしゃい』を受け取る前既に、トゲは切り取られている。
 それは仁菜自身から生えている、警戒と自衛のトゲだ。

 トゲ生やすことで自分を殺す影から這い出し、なんとか生き延び川崎まで流れ着いた仁菜にとって、トゲを取る経験は常に怖い。
 優しくなること、誰かを許すこと、受け入れることは、致死性の毒が自分にこれ以上流れ込まないために生やした防壁を開け放って、死ぬかもしれない危うさに身を投げることと同じだ。
 しかしそうしなければ桃香さんは物わかりの良い嘘に逃げ込んでしまう状況で、仁菜は自分を抱きしめてくれた人を強く抱きしめ返すことを選び、学んだ。
 今回の帰郷と和解、暗い場所だと思いこんでいたものに目を凝らす仕草には、ここまでの物語が深く深く根を張っている。
 そこが、凄く良かった。

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 川崎から熊本へ、仁菜が旅立つまでのグダグダを今回はやや引いたカメラが、丁寧に追いかける。
 生粋のロック野郎に見えて傷つきやすい仁菜は、何かに隠れて自分を守る体勢で、川崎まで追いかけてきた家族と正対しない(出来ない)。
 色々複雑なものが絡まって、真っ直ぐ向き合えない態度を『逃げてる』と断言してくれる仲間と、クルクル逃げ回りながら結局真っ直ぐ向き合ったことで、仁菜は行くべき場所へと進んでいく。
 視線を塞ぐ障壁が見えなくしているものを、ルパや桃香さんが指摘してくれることで、仁菜はようやっと熊本へと進み出して…危うい点字ブロックの上に一人立ちすくむ。

 諏訪では『ウザい』と適切に中断させた自分語りを、今このチケットを受け取らせるのに必要だと判断して、ルパは仁菜に差し出す。
 当たり前のようでいて当たり前でない何かが、あっという間に崩れて戻らなくなる経験は仁菜もしている。
 しているからこそ帰郷をためらうわけだが、しかしまだ生きて話ができるならその贅沢にかじりついたほうが良いと、もうそれが出来ないルパは微笑みながら告げる。
 家族愛という果実は少し苦いだろうが、得難い滋養があることを、微笑みの奥に餓えを隠す獣は優しく教えてくれる。
 底が見えないからこその凄みがルパにはあって、いい年上キャラだなぁと思う。

 人生経験の下駄を履いて、ちょっと上から物事が見れる年上の強みは、桃香さんも地下駐車場の仁菜ビンタで取り戻している。
 仁菜自身が直視できない、愛憎絡まった問題の核心をズバリ指摘して、そこに飛び込むまで寄ってくんなと突き放す。
 他人に言われたら即ギレしてるだろう、解ったような言葉がマジ核心ついてると仁菜も思えるから、その言葉に煽られて旅立つことが出来る。
 あの第8話を経て、仁菜と桃香さんの関係がどういう繋がり方をしているのか、このやり取りで確認できたのは嬉しい。
 二人の衝突と変化が俺は好きだし、バンドの音楽性の根っこはここが支えていると思うので…。

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 我が家に戻ってきたというのに他人行儀に、仁菜はシャッターの向こうの自分を隠し、薄暗い闇をおっかなびっくり覗き込んでいる。
 この怯えた距離感が父なる存在、あるいは傷ついた過去と繋がっていることを、家出娘の帰還を描くレイアウトは良く語る。
 直接顔を合わせれば尋常ではいられない、煮え立った温度の中で、父はすりガラスの向こう側に顔を隠し、仁菜は路面電車の向こう席に、傷ついた自分自身を見る。
 しかし仁菜がちゃんと見ようとしない/見れる状況にない暗い場所から、父は自発的に身を乗り出し、娘の顔を見て共に進んでいく。

 10話分の新世紀ロックンロール神話を浴びせられたことで、僕らはすっかり井芹仁菜スキスキ人間に改造されてしまった。
 なので仁菜の頑なさに肩入れしてすりガラス越しの会話を見てしまうわけだが、仁菜の若く狭い見解だけが世界のすべてじゃないことも、このアニメは幾度か描いている。
 何も間違いじゃなく、何もかもが間違っている青春の迸りが、仁菜を主役とするこの物語に与えた異様な加速度が、今回は落ち着いた画面構成の多用、そこから結晶化する詩情によって、かなり抑えられている感じがある。
 そのアダージョが、井芹仁菜が自分と世界を、家族との繋がりを客観視する助けにもなっていく。

 すりガラス越しの不器用な対話、顔の見えない苛立ちは『まーそうなるよね…』って感じだったが、だからこそ宗男がそっから出てきて、娘に顔を見せた瞬間には『おっ』ってなった。
 自分を守ってくれなかったお父さんを憎み、遠ざけ、しかしもう一度繋がりたい気持ちを殺しきれず、壁で自分を守りながらビクビク見つめる、仁菜の現在地。
 子どもが動けないなら大人が歩み寄る以外、それを適正距離に縮めていく手立てはないわけで、そんな一歩を宗男側から切り出してくれたあたりで、クソ親父への認識がじんわり変化しだす。
 危ない点字ブロックの上に立ちすくむ仁菜が、安全圏へ進み出すためには、手を引いて貰う必要があるのだ。

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 ふてくされた顔でむっつり、手を繋ぐでもなし父の後を追う時、仁菜は常に暗い影の中にいる。
 自分一人ではあまりに痛くて怖くて、怒りに満ちて正気じゃいられない、血みどろの闘争の現場。
 そこに引っ張っていってくれる父のありがたみを、無論闇の中にいる仁菜は真っ直ぐ見れないわけだが、しかし再燃する憤怒が傷口を開き、仁菜が自分の中の真実を改めて見つめる助けになっていく。
 もう終わったこととポストに投げ捨てた絶縁状は、そうそう簡単に親子の縁を終わらせてはくれず、謝罪文一つで何もかもが丸く収まるとは、仁菜も宗男も思っちゃあいない。

 宗男はあの時娘と一緒に戦えなかった自分を悔い、改めなければ前に進めない所…彼なりの点字ブロックの上に立っている。
 その現状を娘とともに見るために学校に来て、手渡されたのはロックじゃなさすぎるナァナァだ。
 『それは飲めない』が親子の共通見解であることを、うつむいた闇の中から確認出来る場所へ、仁菜は渋々ながら進みだしたし、宗男は不器用に娘を連れ出した。
 何も解ってもらえない影は、確かにこの世にある。
 しかし今隣りにいる存在が、本当にそうなのかはもう一度、ちゃんと目を凝らして確認したほうが良い。
 出来るだけの親しさも、そこには確かにあるのだから。

 仁菜が熊本で光と闇の間に立つ中、川崎で待つ仲間たちもまたその淡いで迷いを抱えている。
 送り出したは良いものの、戻ってくるかの保証もない不安定な場所で、少女たちは互いの思いを吐露し、あるいは言わぬまま抱きしめてもらう。
 常時腕組みツンデレ自己防衛、何もかも素直になれない智ちゃんが実は一番、仁菜が戻ってくれることを求めて不安なの、前回高まった好感がゲージ振り切る描写で良かったな…。
 『その不安につけ込むっ!』という悪百合ムーヴを亜音速でぶっこむルパ、そらー女にモテるわ。
 同居人ズの密接な距離感に対し、顔は見えるが抱き合わない桃香さんとすばるちゃんの間合いも、クールであったかくて良い。

 

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 父の気持ちが解らないと、自分が理解った学校訪問から戻り、仁菜は幼さが残る私室で姉の膝枕を拒む。
 第7話ではそこに身をあずけることで、グラグラ揺れる心に懐かしい安定を得ていた仁菜だが、ロック川崎魂のぶつかり稽古を経て、ちったぁ自分の背中を支えられる強さを得ている。
 かつては話せなかった自分の心を、無防備に曝け出しても傷つけられることはないのだと、愛する人の気持ちに応える勇気も、川崎で育てた。
 それが実際、大人びた遠くに逃げようとしてた桃香さんの顔面引っつかめた事実が、仁菜の心のなかダイヤモンドに結晶化して、暗い闇に光を伸ばしている。

 姉に甘えるばっかりじゃダメな自分の現在地、あるいは川崎での出来事が変えた自分を客観視出来る距離感は、己の過去へも向いている。
 自分を『犠牲者』と呼んだ父の言葉に、極めて複雑な表情で仁菜は言葉を飲み込んだが、それは自分なりの戦いを認めてくれない父への苛立ちと、傷ついていた自分をちゃんと見てくれていることへの信頼が、ないまぜに絡み合った心なのだろう。
 そういうモノを飲み干して、仁菜はこの部屋で殺されかけていた自分を見つめ直し、落ちてんだから飛んでんだか解らない跳躍へと、身を投げている自分の今を姉に語る。
 それがあったから、暗い闇の中で死なずに済んだ。
 そういうものに、身を投げている。

 二人の子ども部屋で姉と語らう時、仁菜を覆い隠すモノはどこにもなくて、その無防備と率直…もしかすると冷静が、姉に本当のことを伝える。
 魂が、あるいは命が消えかかる暗い場所から妹が這いずりだしてきて、また逢えた嬉しさと切なさに一雫涙を流して、姉は仁菜と同じ食卓を囲み、家族の味である辛子れんこんカレーを一緒にかっこむ。
 別に同じ食卓につかなくても、遠く離れても。
 同じモノを食べて、かつては感じられなかった辛さを感じ取って、腹を満たして前に進む。
 そういう場所に自分がいること…戻ってきたことを、仁菜は学び取り姉は教え直す。
 そう出来る繋がりと温もりは、確かにこの家にまだあるのだ。

 10話という話数を重ねてこのエピソードが来るのは、顔の見えない影にぶっ殺されかかった仁菜の傷が、ロックンロール療法でバックリ開いたまま生き残るすべを見つけ、知らねー誰かに甘やかされてバンドとなり、誰かの涙を受け止められる自分になるまで、そんだけ必要だったことを教える。
 魂を殺されかけるってのはそんだけの一大事だし、自分の気持も世界の在り方もさっぱり理解らねぇまま、ロックンロールを振り回す怪物だった(現在進行系で”である”)仁菜を描いたからこそ、今回ようやく…まぁ色々迷いながらであるけども、父と共に手を繋がず歩き、姉の膝枕を借りず己を語り、食卓を囲まず同じ物を食う間合いへたどり着けた。

 抱き合うことだけが絆の確認法だった古い時代が、救いになってくれなかった痛みの季節を越えて、ズタズタになった心の上にそれでも、新たな距離感で真心を書く。
 そういう井芹家特有の再生が今回は丁寧に積み上げられていて、仁菜の視界は光の方へと開けていく。
 そうして空いた目で見てみると、親父もお袋もねーちゃんもみんな、仁菜が傷ついたことでメチャクチャ傷ついていた。
 不器用ながら生き方を変え、巣立っていったひな鳥が戻ってきた時抱きとめられるよう、ぶっ壊れてしまった”家”を繕い直して、どうにかやり直そうとしてくれていた。
 そういう事が、仁菜が川崎から熊本へ進む一歩一歩に刻まれていく。

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 家族に告げずに家を出ようとした時、父はやはり不可視の壁の向こう側にいる。
 しかし帰省初日に背中を向けていた心の在処へ、仁菜は自分から耳をそばだててその音を聞く。
 自分を地獄から引っ張り上げて、空へ高く打ち上げた音楽に足を止められて、父の言葉を待つ。
 そう思えるまでに必要な準備を、宗男は手を繋がぬまま仁菜に手渡して、今旅立ちの朝に身を乗り出し、娘と向き合う。
 学校訪問時は宗男が光の側、仁菜が闇の側だった位置関係が、反転しているのが大変興味深い。
 それは不器用で頑なな親父が、必死こいて切り開いたからこそたどり着く地平……娘に見せてあげられる光だ。

 今回井芹家は自分たちをバラバラにした衝撃と腰を落として向き合い、近すぎず遠すぎない適正距離を探り当てることで、お互いの顔を改めて見れるようになる。
 東京へ出ていくのが”逃げ”ではなく”旅立ち”であり、離れてなお繋がるものが確かにあるのだと、感じ取り鍵の形で手渡し、『いってらっしゃい』も『さよなら』も『ありがとう』も言える新たな関係を、朝日の中に作り直す。
 この迂回的な距離感の肯定は、実は第4話ですばると祖母の関係性を間近に見て、ただただ真っ直ぐぶつかるだけが人間の在り方ではないのだと、仁菜(と僕ら)が納得し学習していたことが大きんじゃないかと思う。

 井芹家の崩壊と再生に切り込む今回、余人を交えず仁菜一人で熊本決戦に挑む意味と意義はとても大きい。
 しかし仁菜は(川崎に流れ着いたときのように)本当に一人きり、運命の歌だけを携えて戻ってきたわけではなく、バンドとなり心を交わした人たちの思い出と優しさに、支えられて戻ってきている。
 ぶつかり合ったり抱き合ったり、ヨーグルト飲ませてもらったりカーステレオの音量上げたり、色々なことを山盛りやったからこそ、仁菜はようやく自分の一番深い傷がどうなってんのか見つめて、その先に誰が立っているのかを確認できるようになった。
 待ち望んでいた『いってらっしゃい』を、ちゃんと言ってもらえる場所に来たのだ。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 一緒に食卓は囲わない、手を引っ張って強引に連れて行きもしない。
 そういう距離に自分たちがいるのだと、それが適正なのだと確認したことで、仁菜はようやく父親を抱きしめられる。
 それは本当は父が好きで、だからこそ守ってくれなかったと恨んで、それでも父なりに新しい戦いの中、自分を愛してくれていたのだと解ったから、手に入る温もりだ。
 それを伝えるだけ伝え受け取るだけ受け取って、抱きしめられるのは拒否してスタスタ進み出すのも、W小指サインを肉親にぶっ噛ますのも、極めて”今”の井芹仁菜らしくていい。
 抱きつくのに助走がいるのもなっ!

 トゲまみれだった仁菜は今回初めて、溢れさせたトゲを引っ込め、誰かを傷つけず近づく体験を掴んだ。
 第3話では溢れるトゲが世界を飲み込む様子を色濃く描いてきたわけだが、迷ってぶつかって愛のありかを抱きしめたこの旅で、仁菜をボーカルとする”トゲアリトゲナシ”の音楽はどう化けていくのか。
 世界に喧嘩を売るファックサインを、自分なりチャーミングにアレンジして未来の約束に代えた意味も、今はより鮮明に仁菜の視界に飛び込んできている。
 そういう体験がどういう音を生み、どういう歌になるのか。
 フェス・クライマックスに向けて、ガッチリ足場を固めているのもマジでいい。

 宗男の表情が過去話数…あるいは今回序盤とは大違いの穏やかさだが、それは仁菜が過去見ていた大好きなお父さんの顔であり、傷だらけで闇に飲まれ何も見えなかった時も、父は多分同じ表情をしていたのだろう。
 それが見れない仁菜の無明を、愚かと断じるにはこのお話はロックンロールに過ぎて、そういう迷いがあったからこそ改めて、目の前に広がる愛の形が眩しくもある。
 なかなか進めず、事実を見れない仁菜の視界を嘘なく描くことで、主人公と物語へのシンクロ率を高めているのは、酒井監督さすがの表現力。
 客観と主観、激情と詩情のバランスが良いという、目立ちにくい作品の強みがエモい話運びの中、よく映える回だったと思う。

 

 

 

画像は”ガールズバンドクライ”第10話より引用

 熊本への人生旅を経て、仁菜の携帯電話に新たな詩が刻まれる。
 それは彼女のバンドみんなの歌であり、それで未来を切り開くために仲間たちは、少女の帰還を光の中待っていた。
 故郷を旅立って、今自分がいるべき場所へ。
 踏み出し飛び出す足元は力に満ちて、仁菜はもう暗い場所に己を閉じ込めていない。
 世界が自分を傷だらけにするトゲばっかじゃないなら、両手を広げて無防備にトゲナシ、愛と向き合ったって怖くないってことを、家族と仲間に教えられた仁菜は、どんどん赤ん坊じゃなくなっていく。
 良いな、と思う。
 凄く良いな、と思う。

 クソ学校が押し付けてくるような、取り繕った嘘っぱちは仁菜のバンドにはなくて、帰ってこねぇなら追いすがってやるという熱情も、眩しい光の中出迎えてくれる愛も、全部本当のことだ。
 それと同じ覆いのなさを、仁菜は熊本で新たに取り戻してきたし、自分自身を守るために張り巡らせた壁の奥から、ずっとそこにあって見えなくなってて、でもようやく見つめられた輝きへ、踏み出すことも出来た。
 その飛翔が奈落への墜落なのか、栄光への跳躍なのか、世間と己に問いかける勝負のフェスへ、仁菜と”トゲアリトゲナシ”は新曲抱えて挑んでいく。
 勝てる。
 そう確信できる準備を、井芹家の再生とともに丁寧に描く回であった。

 

 いやー…ムチャクチャ良かったです。
 仁菜の過去と家庭問題は絶対どっかで触れなきゃいけない大ネタだったわけだが、フェスで勝負できる新曲準備つう要素としっかり絡めつつ、クズはクズのまんま、愛が愛であることを改めて見つめ直す形で掘り下げてくれました。
 どーしょうもねぇモノが世間に溢れているから、人間はロックンロールを必要とするわけだが、そればっかりが世界の真実じゃねぇから、人間はロックンロールを奏でられる。
 仁菜が家族との在り方を見つけ直す足取りを丁寧に追うことで、そんな”事実”を改めて吠えることが出来た、凄く良い回でした。

 残り三話、どう駆け抜けるのか。
 楽しく見届けたいと思います。