イマワノキワ

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烏は主を選ばない:第10話『若宮暗殺』感想ツイートまとめ

 烏は主を選ばない 第10話を見る。

 暴走する忠義が、主君の思惑を超えて政敵を刺す。
 敦房の企みを火種に長束派と若宮派の真相が暴かれ、対立構造が反転していく回である。
 俺は路近が好きなので、期待通りワイルドでクレバーな立ち回りをしてくれて嬉しい回だった。
 敦房の値段は次回雪哉に語るだろう本心で決まるだろうけど、勝手に主の本意を都合よく解釈して、金烏を補佐する宗家としての本分を貫く志を全く汲めていないのは、まぁ…って感じ。
 忠、如何成るものや。
 自分の身の置きどころに悩み続けている雪哉に、面白く響くネタが幕引きを前に飛び出してきたな、って感じがする。

 

 というわけでネトネトネバネバした臓物を吹き出しつつある華やかな桜花宮に対し、血なまぐさい政争に明け暮れていた男衆の世界は、蓋を開けてみると真心で繋がった爽やかな場所だったよ、というお話。
 パッと見感じたものが真実ではない反転の構図は同じなのだが、こっちはマイナスからプラスへの転化なので喉越しが良い。
 …女の子サイドの後味がどうなるかは、最後まで走ってみないとわからんけども、白珠のぶっ壊れ方を見てるとまー、大変ロクでもない真実がぶっ放されそうな予感はひしひしあるぜ。
 そのための胃薬として、先に男の子サイドの爽やかさが処方された感じもあるな、この構成。

 敦房の若宮への接近自体が暗殺の機を作るための策謀であり、主と信じた長束を実質権力のトップに押し上げるべく、勝手に暴走しての暗殺騒動。
 何かと敵を作る真の金烏が動きやすくなるため、”長束派”という虚像を餌にハラグロネズミ共を集める算段だったわけだが、この虚構が実態を持ってしまったからこその暴発…とも言える。
 序列だの家の権勢だの、人間側の生臭い事情を全部蹴っ飛ばして生まれ、問答無用で権力のトップに座る真の金烏が、生まれてくる超越的な理由。
 そこを長束は生来しっかり受け止めて、我欲や権勢ではなく大義と平穏のために、弟の影となる覚悟をしっかりと固めている。

 この清廉はまこと見事なものだが、その思いを真っ直ぐ伝えたところで愚物の腹が改まるわけでもなし、じゃあそれを満たす権勢の幻をちらつかせることで集め、スカし、操ろう…という、清濁併せ呑む方策なわけだ。
 路近という優秀な側近も得て、”長束派”という装置はまぁまぁ上手く機能している感じだが、しかし今回のような暴発があると、どんだけ現実にすり寄っても美しい理念が勝ち切れない、世間の難しさを感じさせられる。
 忠義取り違えたクソバカを無事洗い出したようでいて、命がけの綱渡りを何度か乗り越えてようやく、狙い通りの所に落とせた状況だからなぁ…。
 危ういんと違うか、若宮兄弟の権力運営。

 

 大紫の御前のやりたい放題を見ていると、南家をもり立てる家系第一主義はすっかり山内に染み込んでいて、早々簡単には抜けない毒だ。
 運命に求められ生まれた真の金烏の治世は、現実的な蜜しか旨味を感じない貴族達にとって、なんの意味もない題目。
 欲で釣り上げ策で絡め、腹の膨れぬキレイな理想を横に置いて、この世の春を謳歌する。
 そういう下卑た応対が、山内のスタンダードになるのは良く分かる。
 現実世界の猿どもも、山盛りそういう事してたって歴史の教科書に書いてあるしねッ!
 そして長束と若宮は、そういう泥臭い現実から高く飛べる、理想の烏なのだろう。
 その高潔に、俗人たちはついていけるのか?

 敦房が何考えて若宮殺しにかかったかは、次回吐露されるところだろうけど。
 我欲一辺倒ならあそこまでバカになってない感じもあるし、彼なりの”忠”を抱えて暴挙に走ったのだと思う。
 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
 地べたを泥まみれ這いずることしか出来ぬ下卑た魂だからこそ、勝手な理想を長束に押し付け、思い込みで最善の”忠”を差し出そうとした結果がコレだとすると、まぁ敦房は愚かしい。
 同時にその愚かしさを絡め取って、良い所に落とせなかった長束と若宮の未熟も、爽やかな風の奥に微かに苦く香る。
 危ういよなーこの二人…残り話数的に男の子サイドは一端ここらで落ち着くが、アニメに書かれないこの先がな…。

 

 さてそんな風雲を横に置いて、火急の危機に天性の冴えを見せた雪哉は無事謎を解き、頼るべき敵の懐に潜り込んで事態を解決へ導いた。
 まこと見事な働きであるが、こんだけのことをしておいて一地方貴族のボンクラと己を卑下する。
 それはボンクラであることで、血の繋がらぬ兄弟との絆を保ち、土地と血縁に守られた己を維持したい気持ちが強いから…だと思う。
 色々ひねくれ、だからこそ荒れ狂う政争を乗り切っていく力も宿す青年なんだが、その根っこには家柄だの血筋だの、人間個人の外側にあるもの全部無視して自分を抱きしめてくれた、家族への強い愛情があるんだと思う。
 ピュアだなー雪哉くん…。

 一個人の願いを叶え、その幸福を何より優先する人間第一主義としてのヒューマニズムは、近代の尊い果実である。
 この考え方が価値観の根本にある近代人…つまり僕らは、家や血に左右されない目で、真っ白な自分を求めて欲しい雪哉の気持ちに自然シンクロする。
 しかし権力の構造も人々の心も、家と血筋の奴隷としての人間を否定しない…というかそれ前提に全てを編む上げていく山内においては、その純粋な思いは全く異端であろう。
 そんなモノが尊重される世界ならば、白珠はあんなにぶっ壊れてないし、浜木綿も行方をくらましていないわけでね…。
 桜花宮という婚礼装置は、そこを可視化する良いキャンバスなんだな。

 

 周りの思惑や狂った常識など関係なく、自由に正しいことを為す。
 しょせん近代人でしかない僕は、家と血だけを求められたと思い込んだ雪哉の反発に共感するけど、今彼が取り込まれている山内はそういうモノを殺して成り立っていて、そんな世間の当たり前を完全に御し切る力は、権力の真ん中に座るはずの金烏にも、その忠節たる兄にもないと、敦房の暴挙が語っている。
 あまりに薄汚く、あまりに身勝手に回転する権力の装置に少しでも抗い、己の理想を形にしていくのならば、若宮とその近習は世のままならなさともっと深く向き合い、血みどろに争いながら自分たちなりの答えを、探していく必要があるのだろう。

 そうして見つけた答えが、絶対の正解になっていくとも限らないシニカルな険しさが、作品全体から匂い立ってるのがまた怖いが…。
 家柄と血筋、権勢と妄執に囚われた山内の亡者たちを、見てる僕らは理解不能なエイリアンと思いがちなんだけども、山内という閉じて古い生態系のなかでは、そこに適応できないヒューマニストの方が異物なんだよなぁ…。
 次回”忠”の答えを見つけるだろう雪哉が、若宮とともに進んでいく道はそういう『近代VS中世』の構造を強く孕んでいるように思えて、なかなか興味深い。
 進歩史観に則れば負けるのは山内のクズどもなんだが、そういう”正しい”視線で作品が書かれてるのか…解んねーな全然!

 まーここら辺の視線は明らかにアニメの範囲を越えているので、とっとと原作読めよって話ではあるんですが。
 僕は二冊の別のお話を一つにまとめあげ、お互いに呼応させながら”山内”を語ったアニメのやり方が結構好きなので、最終話まではアニメ一本槍の贅沢を、心ゆくまで楽しもうと思います。

 

 とりあえずは一番の理解者のつもりで何も解ってなかった、忠義気取りのアホが何を吠えるか、聞き届けないとな。
 敦房の無様はどっか、青雲の志に飛び出す雪哉の未来を照らす照魔鏡って趣があって、聴き逃がせない重さを宿してる印象だ。
 桜花宮花嫁レース(脱落2)の行く末も気になるし、次回も楽しみですッ!