イマワノキワ

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鬼滅の刃 柱稽古編:第5話『鬼を喰ってまで』感想ツイートまとめ

 鬼滅の刃 柱稽古編 第5話を見る。

 『わりーわりー、今までアニオリ挟みすぎたわ! ホントはこのテンポが柱稽古なッ!』と言わんばかりの、恋蛇風三柱を一気に駆け抜ける賑やかなエピソードである。
 『元来この速度で転がっていくはずの話で、1クール持たそう!』って発想が相当にクレイジーなのだが、”産業”になった今の鬼滅にはそれが必要…って思ったけども、バズる前の一期からして結構モッタリ伸びてたなッ!
 作画から展開から広報から、全局面で力んで力んで力み抜いて場外特大ホームランを連発し、集英社ビッグバジェットアニメの基本線を引いた作品は、最後まで自分のスタイルを貫く。
 まぁそういう話なのだろう。

 

 さておき話としてはごくごくフツーに修行回といいますか、マッチョ少年のピンクレオタード股裂きあり、蛇柱の珍妙処刑装置 with おばみつ補強あり、風柱ブチギレ金剛わり、ワーワーやかましくてなかなか楽しかった。
 蛇&風はアニオリで結構描写が足されたが、最終決戦までホントのところは全然見えないキャラなので、コレでもまだまだ足りない感じすらある。
 ニョロニョロ屈折しまくった小芭内の陰湿、常に荒っぽい実弥の粗暴。
 その奥に何があるのか、もう知っちゃってる身としては『アイツラなんかヤダな…』と素直に描写から受け取れないのは、なんだかもったいない気もした。
 既読者のジレンマ…贅沢なものね。

 何かと殺伐としがちな柱稽古、一瞬の潤いとして蜜瑠ちゃんの柔軟バレエ教室で一息入れつつ、蛇柱の激ヤバトレーニングとか、風柱とのスーパーステゴロ合戦とか、いつも以上に荒れたアレソレが暴れる今回。
 激戦を経て距離が縮まるまでは、大体の柱あんな感じで人格破綻者(に見えてた)なので、なんかイベントあれば応対も変わっていたのだろう。
 実際、実弥は相当強めのデレ期入っとったからな。
 ここら辺、炭治郎が主役である足場を”人格”に置いてるお話だからこその、徹底して陽性な人公と触れ合って、影の多い鬼殺の修羅が照らされてく物語特有の味かな~、と思う。
 出会った頃のアイツら、大概いけ好かない

 しかし語らい殴り合い命賭けてみたら、捻じくれるにも理由があり、鬼に落ちきってない連中は秘めたる思いを抱えている。
 それを受け止め真摯に思いを返すからこそ、炭治郎は色んな人の心に分け入って重要さを増していき、実力も付けていく…と。
 トラウマケアも含めた人間関係構築が主役の得意で、それを足場にバトルで頭角表す足場が整ってるの、奇策に見えて少年漫画の超王道って感じもする。
 んで蛇と風はあんま炭治郎と触れ合う機会がなかったので、尖ったヤバさの奥にあるものが主役(を通じて物語を知る僕ら)に見えてこないわけだ。
 『まーそのうち、トゲの奥も見えるさ!』って余裕は、急転する運命にはございませんッ!!

 

 とは言うものの荒くれた対応にも既に魂の地金は見えていて、蛇柱は来たるべき決戦が一太刀間違えれば身内を斬り殺す、超乱戦になると推測してあの稽古なのだろう。
 想定できる最悪をさらに越えた鬼に、人生捻じ曲げられ切って切られて繰り返してきた伊黒さんにとって、弱者を盾にとってこちらの斬撃を鈍らせてくる卑劣は『あって当然』なのだ。
 しかし炭治郎はそのトレーニングを、狭所で正確な太刀を振るうための鍛錬として、仲間の悲鳴を効かない集中力を鍛え上げて乗り越えていく。
 あそこで山野をイメージするの、杣人の子って感じで結構好きな描写だったな…追い詰められると、炭治郎は家族と過ごした場所に戻るのだ。

 凡人どもがただ振り回されるだけの試練に、炭治郎ががっぷり組み合って乗り越えていく描写はここまでも多かったが、蛇柱のハードコア特訓においても炭治郎だけが試練を乗り越え前に進む。
 それは彼を主人公たらしめている暴力の強さが、自動的に斬られるだけの雑魚と彼を選別し、生き残ってしまう側、運命を背負ってしまう側に立つことを意味する。
 仲間の悲鳴を聞いてしまう彼にとって、それは生存の優越として心地よく響くのではなく、武器を捨てれば生身の人間同士、笑って話せる大事な存在が消えていく悲劇と受け取られるだろう。
 そんな風に鬼になりきれない炭治郎だからこそ、鬼殺譚の主役を努められもするのだが。

 

 どんだけ認めねー気に食わねーと口で言いつつ、卓越した力を持つ柱は、昇竜の勢いで戦いの中己を証明している炭治郎を、かなり買っている。
 力の有無で無慈悲な選別が行われる戦場において、炭治郎は他人の屍を踏みつけて生き残ってしまう側に立ち、しかしその残酷を飲み込める非情からは遠い。
 (恋柱以外)多かれ少なかれ、元来ある心の柔らかさを殺して鬼斬の鬼になってきた柱にとって、闘争技術以上に残酷さへの耐性を、死人が出ないこの鍛錬で炭治郎に植え付けておきたいてのが、あの珍妙な訓練の狙いかな~と思った。
 あとまぁ、雑魚をごぼう抜きにしていく炭治郎の人柄に直接触れさせて、暗い感情なく後に続かせる素地づくり。

 ハチャメチャやっているようでいて(いや実際ハチャメチャなんだけども)、柱なり未来とか戦いの意味とか考えてトレーニング組んでだなーと、思える”柱稽古”であった。
 風柱のフルボッコ鍛錬も、死ぬような目に会いつつ実際は死んでない生ぬるい地獄を通じて、すげーあっさり人が死ぬ上弦レベルとの戦闘に食らいつける…生き延びられる実力を、少しなりとも付けさせるためなんだろう。
 マジで上弦戦、冗談みたいな勢いで人命が消費されていくので、それが定めと飲み込みつつ生き残っちゃう柱には、心がガリガリ削られる現場だと思う。
 どんだけ祈っても無慈悲に、不条理に命が奪われるなら、荒々しく殴りつけて恨まれ可能性を鍛える

 

 そんな風柱スタイルが一番ハードコアに飛び出したのが、実弟への手加減なしサミングだけども。
 アレも聞き分けがねぇ才能もねぇクソ弟が、人道踏み外してなお鬼との戦いにしがみつくのをせき止める、兄なりの地獄めいた優しさではある。
 そこで素直に弟の愛を伝えるには、あまりに捻くれまくった因縁を抱え込んでしまい、身体に染み付いた家族の血臭を忘れられないからこそ、実弥の風は激しく吹く。
 愛が愛の形を保っていられない、厳しすぎる嵐が兄弟を既に襲っているからこそ、あの二人はああいう向き合い方をするしかなく、ああ生きるしかない。
 やっぱ好きだなぁ、不死川兄弟…。

 そう考えると家族皆殺しにされつつ埋葬を果たし、輝いていた時代の思い出に真っ直ぐ向き合える炭治郎は、不幸でありながらそのどん底から自分を引き上げる、不思議な力を持っているのだろう。
 愛しているのに目を潰すなんて、そんなおかしな話も正気になってみれば無いのだが、しかしそうなるしかない歪な引力が、不死川兄弟には確かにある。
 では炭治郎と禰豆子がなぜ鬼に落ちず、仲良く笑える当たり前の兄妹であられるかというと…色々足掻いた頑張りもあるし、やっぱ炭治郎のある種の異常性、どれだけ影が伸びても沈まない太陽の心持ちがデカいとは思う。
 フツーは歪むし、ともすれば負の感情に凝り固まって、鬼になるのだ。

 絶望の只中に身を置きつつ、それでも刃を取って未来を拓く。
 諦め恨んで、他人の人生を足蹴にして心を満たす鬼への道は実は極めて”人間的”でもあって、実弥の大暴れも自分の中にいる鬼をどうしたもんか、なかなか答えが出ないからこそだと思う。
 しかしその暴力性を無辜の他人に向けることに、躊躇いがなくなれば即座に人は鬼に化けるわけでね。
 なので鬼にも人にもなれる人間の可能性の、陽の側面を絶対に譲らない少年がこの話の主役となり、陰陽の間にいる迷い人に光を差し出したり、無明の奥底から出れなくなった鬼に引導渡したりする話が転がっていく。
 そこがやっぱ、炭治郎の特殊性だ。

 

 『引き返せぬ奈落に落ちた鬼は、殺すが慈悲』と決めてかかることで、揺るがぬ強さを得ていた悲鳴嶼行冥との対峙で、柱稽古は締めくくられる。
 彼との対峙は、刃を握りつつも人の中にある鬼天…鬼の中にある人を見つめてきた炭治郎の特異性を、新たに照らしていくだろう。
 つーか悲鳴嶼との交流が、ぶっちゃけネタ薄い柱稽古編のトロだからな…。
 アニメがどういう力強さで、彼の哀しみと怒りを描いてくれるのか、次回も大変楽しみです!!