イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第22話『僕は山田に近づきたい』感想

 新学期にクラス替え……変わりゆく環境から湧き上がる、新たな激震の予感!
 鵜の目鷹の目で初恋を弄ばれそうな予感に、僕らの適正距離を探る僕ヤバアニメ第22話である。

 と言っても、女性陣は新キャラ交えつつほぼ続投、男衆が丸ごと別クラスに流れる形になったわけだが。
 話の中軸である山田と関わり深い人達が相変わらず周囲を固める中で、無責任な恋の賑やかし大好きヒューマン・カンカンに警戒度を高めたり、不思議美少女・半沢さんとの間合いを探ったりする、懐かしくて新しい手応えのあるエピソードとなった。
 元登校拒否の激ヤバ少年から、山田に惚れて自分を変えていった京ちゃんが手に入れた、同性の友人との変わらぬ友情なんかも垣間見え、相変わらず強張りつつ迷いつつ、他者に極力誠実に向き合おうとする、市川京太郎くんの学校生活を堪能した。
 気づけば明るい充実オーラ垂れ流している”陽”の人間を、呪うようなことも全然口にしなくなってて、あそこら辺の言動は身の内から湧き上がる薄暗くドス黒いモノとどうにかやっていくための、思春期の予防接種みたいなもんだったのかな……などと思う。
 登場当初の京ちゃんだったら、カンカンは最悪に苦手な相手で強めに押しのけていたと思うのだが、コッチの都合お構いなしなビカビカ加減に慄きつつも、なんとかやっていこうと手立てを探っている姿が、小さく積み上げてきた成長を感じれて良かった。

 

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第22話より引用

 というわけで、要警戒度数の高いヤバ女と同クラにぶっこまれつつ、京ちゃん最後の中学生活が始まる。
 お互い好き合いつつも、大事にしすぎてなかなか決定機を得れない主役二人を前に推し進めるべく、『ぜってぇコイツに、素手で初恋触ってほしくない……』と思えるようなノンデリ人間を隣に置いたのは、なかなかタクティカルな配置と言える。
 ここら辺の仕掛けが生き始めるのは今後の話として、俺がこの作品でいっとう好きな場面がちゃんと描かれていて、大変に安心した。
 自分が変われるキッカケになった存在と、同じクラスになった幸運の裏に、教師の、大人の気遣いを感じて、少しツンと背筋を伸ばして”大丈夫”な自分を見せる。
 学園主任と前担任のやり取りは、京ちゃんが釘を差した通り先生たちが、色々難しい袋小路に入りかけた彼らの生徒をしっかり気にかけて、どうにかいい方向に進んでいってくれないか気をもんでいたことを、サラッと描写する。
 京ちゃんもそういう人達に見守られながら、人生良くも悪くも変化しうる可塑性の高い季節を自分が歩いていることを、気づけば意識するようになった。
 こっから話は青春ラブコメらしく、ドタバタ騒がしくもときめく方向に当然進んでいくわけだが、そこからちょっと離れた、当たり前で大事な優しい学園生活の1ページがちゃんとあるのが、僕は好きだ。

 そんな暖かなものに守られつつ、山田と京ちゃんは今日も今日も今日とて苦しいごまかしとエッチなハプニングに包まれ、幸せな日々を過ごしている。
 ここでパンツ見られるのが少女・山田杏奈ではなく、少年・市川京太郎なところ、このお話らしいヘンテコな平等で大変好きだが、カンカンのハチャメチャ提案に目を輝かせつつも、色々防壁張ってくれる萌子の存在がありがたい。
 傍から見れば超バレバレ、ラブラブオーラ垂れ流しで山田も京ちゃんも日々を過ごしとるわけで、恋愛ハイエナがクラスに混じった最高学年、望む方向に進みたいならちっと気は使わなければいけない。
 ……のだが、二人共スーパーピュアなので嘘つくのは下手だし、小器用に人間関係を乗りこなすのも無理だしで、どうやってもギクシャクドタバタ、大変愉快な感じに転がっていく。
 この力みと強張りが、生来の善良さから出て可愛らしくも滑稽な所が、このお話のチャーミングさを支えているのだと思う。

 

 女性陣とは同じクラスになれたが、男衆とは離れてしまった京ちゃん……なんだが、花見にも行った同性のダチとは良い距離感を保っている。
 ガサツで遠慮がない……ように見えて、色々ナイーブな足立くんの善さやありがたさを京ちゃんがちゃんと解っていて、変に誤魔化したり嘘ついたりしたくない、マジの友情で繋がろうとしている姿が、やはり愛しい。
 山田への恋慕を起爆剤に、京ちゃんは自分を変え(あるいは失いかけたものを取り戻し)前に進み、自分を包む小さな社会の中での立ち位置と、繋がり方を変えてきた。
 時にうっかり失言も飛び出すが、笑ってメンゴですむいい関係をこうして掴めているのは、縁と幸運に恵まれ、それを活かせる自分を京ちゃんが作ってきたからだ。

 このお話はラブコメディだから、山田との関係性を中心に話が組み立てられていく。
 でもそれだけが世界の全てではなくて、中学3年生になりたての少年を見守り、繋がっている人たちの表情も、色んなところで描かれる。
 逞しさを増した京ちゃんに安心した表情を見せた先生たちや、クラス別れたってダチな足立くんたちや、ヘンテコな部分もあるけど優しい家族とも、縮こまらず世界に手を伸ばせるようになった京ちゃんは、確かに繋がっているのだ。
 中学受験失敗という、どこにでもありふれているからこそ切実な挫折からなんとか這い上がって、手放しかけていた自分の善さをもう一度取り戻して前に進んでいく、当たり前な思春期の戦い。
 京ちゃんが立ち向かう平和な戦場に、色んな人がいてくれるのがやっぱり、僕は好きだ。

 

 

 

 

画像は”僕の心のヤバイやつ”第22話より引用

 そんな市川京太郎の世界に、新たに迷い込んできた不思議な闖入者、半沢ユリネ。
 感情表現が下手くそで得体が知れない、どっか京ちゃんと似たオーラをキレイなお顔に包んで、なかなか距離感掴むのが難しい相手である。
 話してみるとぽわっと柔らかな内面を持っていて、どこか幼いトコロ含めて共通点も多いのだが、知らぬ同士が集まるクラス替え直後、ぎこちなくも微笑ましく、探り探りの時間が続く。
 カンカンがド派手に鳴り物かき鳴らしながらイヤ圧力をかけ、反発でストーリーを先に進めていく仕事をしているとすれば、半沢さんは素朴で柔らかな好奇心から恋する二人に近づいて、お互い抱えているものが何なのか、改めて問い直すようなキャラである。
 ここら辺、新しい関係性が構築されていく新学年だからこそのうねりであり、なかなかに面白い。

 二人のラブコメ固有結界と化しつつある図書室にも、半沢さんはスルスル迷い込んでカーテンを開く。
 布一枚垂らせば、息遣いすら感じ取れれる密着距離感が衆人環視の中確保できると思い込んでるあたり、京ちゃんも山田もどっかズレているわけだが、そこがあくまで誰かと繋がった”社会”の一端であることを、半沢さんはペロンとベールを捲って教えてくる。
 学校という社会が小さいながら、他者と隣り合って成立している場所な以上、『二人きり』と二人が勝手に定めた場所は開かれて危うい場所であり、カーテンの向こう側にはいつでも他人がいる。
 いる上で、『二人きり』がとても大事な京ちゃん達はどういう距離感を選び取り、どういう繋がり方をするべきなのか。
 下手くそな文字で書き綴った手紙の中、もう隠しようのない気持ちが溢れかえっているこの状況で、そういう事が問われている。

 

 無論半沢さんは悪意も揶揄もなく、ぽやーっと純粋に『恋とはどんなものかしら?』を知りたがっているだけだ。
 そういう人だから、『忘れていった図鑑に、手紙を挟んで返す』という、どっか幼いアプローチが心の波長にピッタリあって、山田はあっという間に至近距離へ滑り込む。
 カンカン相手にグイグイ間合い詰めた時もそうだが、山田生来の毒気のなさがスペックの高さを巧く打ち消して、妬まれず憎まれないベストポジションに彼女を押し上げている感じあるね。
 半歩間違えれば色々敵を作りそうな造形なんだが、ここの釣り合いが精妙だからこそ、善良な人達が集う前向きな作風が維持されていると、山田杏奈が新しい友達を作る過程に刻んでいくエピソードとも言えるか。

 自分がどれだけ市川京太郎を好きになって、これからの未来を大事にしたいか。
 山田が手紙に綴った真心を、無下にしない善良さが半沢さんにはあって、こじれるかと思った不思議少女との接触は、とても良い距離感で落ち着いていく。
 ナチュラルに近いパーソナルエリアに、強い顔面がガッチリ噛み合って、ちっと体温上げすぎたがそれはそれだッ!

 ここら辺の関係構築の外野に立ちつつ、新しく出会った他者がどんな人なのか、おっかなびっくりちゃんと見ようとしてる京ちゃんも描かれていて、そこも良かった。
 やっぱこー、他者と向き合い繋がり、面倒だけど孤独でもない自分をどうしていきたいのか、どう他人と向き合っていきたいのか……不器用に一歩ずつ、適切なコミュニケーションを学んでいく季節の手応えが確かなのが、俺は好きだ。
 『コイツはこういう奴!』とすぐさま決めつけず、相手の顔見て向き合い方を決めれる、当たり前と思われているけどとても難しい、だからこそ心の奥底で望んでいた、ヤバくない自分に京ちゃんも、ゆっくり近づいていっている。
 そういうコミュニケーションの真ん中に、山田杏奈への慕情が熱く燃えているのが、作品の力強いエンジンになってるのが、凄く良いなと思う。
 山田杏奈が好きでいることで、市川京太郎はどんどん、善い人間になっていく。
 そうなれるような恋は、やっぱ素敵だ。

 

 という感じの、波乱の新学年開幕でした。
 ニューカマーとの向き合い方に悩みつつも、22話分しっかり成長している様子も感じ取れ、でもまだまだ自分をより善くしていく真っ最中な半煮え感も、ぷにぷに愛おしい。
 桜の季節が終わり、爽やかな風が吹いてくる物語がこの後、どういうクライマックスに向けて加速していくのか。
 次回も楽しみです。

ダンジョン飯:第11話『炎竜1』感想

 妹を冥府から取り戻すべく、魔物を喰らい辿り着いた深き廃都。
 想像以上の火竜の実力に、用意した算段が全て瓦解してなお、腹をくくって進むしか無い土壇場に、血みどろの死闘が咲き乱れる。
 食うか食われるか、”ダンジョン飯”が安全なグルメ観光ではない証明を赤い色で描く、ダンジョン飯アニメ第11話である。

 というわけで1クール目クライマックス、旅の最初から追い求めてきた火竜との決戦である。
 序盤はややコミカルに転がる戦いは、センシ渾身の『腹をくくれ!』を呼び越えに作画もケレンを帯びて心地良く崩れ、片足食わせることで命を貰う、ライオス覚悟の秘策で決着していく。
 最初からTRIGGER味全開というわけではなく、このお話らしい軽やかな味わいから決戦を始めたことで、逆にマジで生きるか死ぬか紙一重な強敵との戦闘が、ピリッと引き締まった感じもある。
 前回色々用意していた算段は総崩れ、仲間たちが命懸けで作った活路を何とか駆け抜け、新たにひねり出した秘策で勝利をもぎ取る展開も、この迷宮で行われている闘争がどんなものであるのか、そこで生きて死ぬことの手応えを生々しく伝えてきて、大変良かった。
 楽観混じりに組み立てた予測が全部裏切られたとしても、足一本龍の口に突っ込むとしても、成し遂げなきゃいけないことがあるからライオス達は冒険者となり、この戦いに挑んでいるのだ。
 美味そうな飯をドタバタ楽しい冒険のなかかっ喰らっていた物語が、実はずっと取っ組み合っていた『食うこと』の深奥へ、更に一歩踏み込むようなバトル……素晴らしかったです。

 

 アダマント鍋で炎を防ぎ、建物の下敷きにして動きを封じ、ケンスケでとどめを刺す。
 先週あんだけ準備して組み上げた作戦は、実際火竜と向き合ってみると全部上手く行かず、しかしそのままならなさが、逆にダンジョン稼業のシリアスな重たさを巧く教えてくれてもいた。
 思わぬところでおっ死ぬし、大成功ばかりが待ち受けているわけではないが、それでも知恵と勇気と覚悟を絞り出して、どうにか死地を越えていく。
 そういう経験を既に経ているライオスにとって、算段が全部崩れる窮地は確かにピンチであるが、我を忘れて泣きわめくものではない。
 そういう危機に食らいつき、牙を立てて、噛み砕いて飲み干す貪欲さあってのダンジョン暮らしであり、朗らかな人柄でここまでの冒険を楽しくしてくれたセンシも、戦士としての逞しさを全面に出す。
 『俺を戦闘要員に数えるな!』と言っていたチルチャックも、逸るライオスを切り札に温存するべく前に出て、龍の目を潰す殊勲を立てる。

 男衆の覚悟に比べると、数字の上では長く生きてるはずのマルシルは全くどんくさくパニクっていて、しかしその感情豊かで脆い所も彼女らしさだと、僕らは既に知っている。
 仲間を思うからこそ混乱してしまう気質を、なんとか飲み込んで仲間の元へ駆け出し、爆裂魔法をロケットジャンプに使う機転で、勝利への道を切り開いてもくれた。
 何しろファリン復活という、旅の大目的がかかった大一番なので、パーティー全員が死力を尽くし、自分のやれることを全部やりきって勝利に近づいていくのが、見応えがあって良かった。
 先週は一か八か過ぎると却下してた、『竜の首に飛び乗って倒す』って案が結局決め手になる所とか、予測通りには転がらず命懸けのギャンブルも時には覚悟の、冒険野郎らしさが良く出てました。

 

 大ボスとの激震バトルということで、今回は魔物グルメなし! ……と思いきや、ライオスが己の骨肉を竜に喰わせるという、食べる側と食べられる側が逆転した”料理”が描かれていた。
 喰われる側が負ける側というわけでもなく、足を食わせて逆鱗を貫く一撃は見事のクリティカル、勝敗の天秤もまたギリギリで逆しまに傾いて、ライオス達は血みどろで勝利を掴み取る。
 赤龍の鱗、燃え盛る炎、流れ出す血しぶきと、”赤”が鮮明な回であったのは、実はシャレになる範囲でダメージ描写を抑えてきたこのお話が、一つギアを踏み込んで火竜決戦のシリアスさを演出していたのと、巧く歩調を合わせていたと思う。
 センシの獅子吼が思い出させたように、ここまでの旅で行われた”料理”は、相手の命を奪う”戦い”でもあって、明るく楽しい食卓には常に、死力を尽くして屠られた魂が乗っかっていた。
 ならば躊躇いつつも盤上この一手、竜に食い殺された妹の痛みを思って恐怖を乗り越え必勝の一撃に賭ける決断は、ダンジョンに確かにあった日常の延長線上にある。

 あそこでライオスがちゃんとビビってて、それでも自分の命も妹への情も飲み干して踏み出す描写があるの、俺凄く好きなんだよな。
 あいつ確かに激ヤバイカレ人間だけど、自分や家族や身内に何も感じていないわけじゃないし、だからこそ妹救うために逆風の中迷宮に潜り直すことを、選んだわけで。
 そういう決意があるから、人間の”普通”ってのが巧く飲み込めない彼の不自然さや不器用さ、不気味さが消え去るわけじゃないけど、何かがズレてる変人だって、人間の一番弱くて強い部分を、持っていないわけじゃない。
 ギリギリの所まで追い詰められてなお、諦めず逆転の秘策を編み上げる戦術家としての才も含めて、彼が英雄の器、主人公の資格を持っていると伝わる、良いクリティカルでした。
 いやまぁ、思いついてもアレやれちゃうのは、どっかぶっ壊れているなと俺も思うけどさ……。

 

  かくして強敵を打ち倒し、荒っぽい治療魔法で傷を癒やした後は、火竜の腹を探ってファリンの遺体を探索することになる。
 常識外れの竜の巨体を探る時、ミスリル包丁をツルハシにした炭鉱掘りの様相を呈しているのが、”ダンジョン飯”だなぁという感じでいい。
 火竜の身体はファリン復活の可能性を奥深くに隠した、一つのダンジョンなのであり、試行錯誤を繰り返しながら、時に血に濡れながら自分の手で探っていくことで、求めていたお宝を手に入れられるのだ。

 同時に火竜は屠殺され解体されることで”食材”にもなっていき、”食”の色んな側面を切り取ってきたこの話は、腸引きずり出して肉を裂く、屠畜の実情からも目を背けずちゃんと描く。
 踏みつけられかじり取られ、逆鱗ぶっ刺して命を奪う、お互い様の血みどろを描いた後だからこそ、何かとタブー視されがちな『命をいただく』ことの一番生臭い部分も、スッと見ているものに入ってくる感じがある。
 瓦解しかけたパーティーを立て直した、センシの咆哮に感じ入るものがあった視聴者ならば、臓物の臭気漂うドラゴンバラしもまた、迷宮の中で人が生きていく一つの事実なのだと、受け止められる語り口だった。
 キレイなことも汚いことも、全部ひっくるめて問われる迷宮の厳しさと面白さが、二転三転する火竜との戦い、そこで輝く人間の弱さと強さに照らされて、とても鮮明な回だったと思う。

 火竜炭鉱に分け入り、探し求めてきたファリンの遺骸が見つからなくてマルシルが凹む後ろで、ライオスが自慢の魔物知識を思い出して、道を拓く描写が好きだ。
 人間社会に馴染むのを妨げるほど、彼の魔物への偏愛は度が過ぎているわけだが、それでも知恵は知恵であり、火竜を殺すときにも妹を蘇らせるときにも、剣で切り開けないところを突破する鍵になってきた。
 ただただバトル一辺倒というわけではなく、古き良きRPGテイストをふんだんに盛り込んで面白いこのお話、こんな風に機転や知恵が助けとなる場面が多くて、見ていてとても面白い。
 そもそもただ闘う動物として冒険者を書きたいのなら、”ダンジョン飯”なんてやらないわけで、食って迷って闘って見つけて、人生の全部を迷宮に問う人間絵巻として、鼻につかない活きた賢さが強みと描かれているのは、大変いい。

 そんな知恵と勇気が探り当てた、愛しき人のされこうべ
 命懸けの勝利に一瞬微睡み、思い出した自分たちの原点において、ファリンがあくまで『死者の声を聞くもの』として描かれているのも、プリーストという存在がどういうものか、このお話らしく書いてて好きだ。
 その特出した才能は村落共同体から兄弟を弾き出して、流れ流れて冒険者稼業、生きるも死ぬも勘定のうちなロクデナシとなったわけだが、そういう存在だからこそ輝かせる光が、確かにある。
 そんな作品の力強さが、迫力満点のアクションに元気に踊る回でした。
 大変良かったです。

 つーわけでボスモンスターはぶっ倒したけども、現実は厳しくファリンはお骨に。
 こっからどうハッピーエンドを引き寄せるのか、はたまた新たな危機が訪れるのか。
 まだまだ続く冒険を、アニメがどう画いていくかを楽しみに、来週を待ちます。
 次回も楽しみ!

外科医エリーゼ:第10話『玉響』感想

 そろそろ医師試験というクライマックスを見据えつつ、サブキャラとの絆を深めよう回第三弾!
 素顔を隠したクール王子とのドキドキデート……と思わせておいて、すんごい勢いで劇場炎上! 愚鈍貴族に龍声一閃! 命の現場に恋が燃える、リンデン様攻略回となりました。
 前回あんま医療無双しなかったので油断してたが、スナック感覚で命の危険が降り注ぐアニメだったわね、そう言えば……。
 序盤は最高スイーツにときめき夢色逢引と、乙女色濃いめにヌルく進んでいったわけだが、そっから一気に急旋回してボーボー舞台装置が燃えてモクモク致死性の煙が出始める勢い(の割に、死人は出ない所)が、このお話らしくて良かったです。
 なにするにしても緩急が凄いというか、加減を忘れて全力で殴りかかるわりにどっか抜けた可愛げが残っている所、俺は好きな作風なのだ。

 

 ここ最近はやや話のペースを緩めて、エリーゼ以外のキャラの彫りを深めていく話が展開しているわけだが、遂にメインヒロイン攻略! という話でもある。
 コッチが想定していたよりリンデン様はエリーゼにお熱であり、エリーゼも『前世の罪咎を悔いて恋は捨てました……』と、尼みたいなこと抜かしてるくせにメロメロときめいてもいて、くっつきそうでくっつかない両片思い状態。
 これに加え、王家秘伝のロイヤルプリズムパワーメイクアップでもってパツキンに化けて名前を偽り、叶わぬ恋(と思い込んでる)の相手とイチャコラしてる罪悪感が壁になって、結構拗れた状態になっていた。
 ロン状態でのときめきも、立ち居振る舞いにリンデン様の面影を見ればこそメラリと燃える炎であり、ちょーっと素直になれば即座にくっつきそうな二人であるが、そこがなかなか進んでいかないもどかしさが、ロマンスの醍醐味……といった感じか。
 まぁ残り話数から言っても、二人の恋路がゴールに辿り着くのはアニメでは難しそうなので、ニチャニチャ微笑みながら見守れる感じになれて、良いエピソード来たなと思った。

 そのための薪として劇場一個燃やすのは……まあこのアニメだし良いかッ!
 実際エリーゼの価値観軸は徹底的に”命”にあり、こういう火急の危機に想い人がどういう決断をするか見届けないと、真実惹かれて良いものか判断も付きかねるわけで、災い転じて福となす……かどうかは、この後の転がり方次第ではある。
 ロイとして受けた治療がリンデン様にも影響を及ぼし、生きるの死ぬのの境目で黙って座ってはいられない、熱い血潮をお后候補と共有できているのは、似合いの二人だと思う。
 これが”一周目”では全然噛み合わず、二回の転生を経て人間力が究極に高まった今のエリーゼだからこそ、ピッタリ引き合う形になったのは、なかなかに面白いね。

 

 今回はいつもむっつり鉄面皮だったリンデン陛下が、どういう才気と価値観を持っているかをエリーゼと僕らが知る回なので、ワッショイ担当はエリーゼがやることになった。
 ここまで聡明で善良な人ばっか出てきたので、むしろ新鮮な趣すらあった愚鈍モブ貴族を持ち前の王気で従わせる時の、その凄み全てをセリフで説明し切るエリーゼの立ち回り、”受け”に回っても誰かの無双を引き立てられるバンプを感じれて、大変良かったです。
 クドいくらいのワッショイでもって、主役の特別性を引き立ててこその無双モノという感じもあるので、眼の前の相手がどんだけ凄いのか、ちゃんと驚いて言葉で伝えてくれるキャラは大事よね。
 一発喰らわされた愚鈍貴族が、エリーゼに向けてた反発をシオシオと手早く引っ込めて、素直に屈辱的なハイハイで無事脱出していく所とか、メチャクチャこのアニメらしくて良かったですネ。

 エリーゼは婚約辞退して医道に生きる意思を示しちゃったし、リンデン様はロンという仮面被って望ましい関係構築しちゃったしで、なんか捻くれた繋がり方になってる二人。
 しかしまー心の根っこでは思い合っているのは間違いなく、微笑ましく可愛らしいトキメキ満載で、仲良くやっていけそうな前向きさがあったのは、このお話らしくて良かったです。
 お互いの立場と信念があればこそ、思い合っていても繋がれないもどかしさがロマンスを彩ってもくれるわけだが、うまいことお互いの気持ちが通じ合って、本当に求めているものを掴めると良いね。
 ……と、素直に応援できる濁り少ないキャラが主役とヒロイン張ってるのは、自分としては見やすくてありがたい限りだ。
 素朴でボヤッとした可愛げ含め、なんだかんだ肌に合うアニメだったのだと思う。

 

 というわけで、劇場デートに恋の炎(物理)が燃え盛る回でした。
 お互い好き合ってるのに、いらない障壁が邪魔をして巧く繋がれない現状が描かれたことで、まず最初の障壁である医師試験突破に弾みが継いたのは、終りが見えたタイミングで良いトス上げだったと思う。
 医道に邁進する志を抱えたまま、恋に使命に全力で頑張る道をひた走るべく、エリーゼが乗り越えるべき試練も間近。
 どんな風にアニメを締めくくってくれるか、残りの話数も楽しみです!

異修羅:第11話『落日の時』感想

 街と理想を薪として、亡滅が夜闇に燃える。
 数多修羅が散り、それに倍する咎無き人たちが木っ端のごとく散る、戦争の惨禍。
 弱者が呪い強者が嗤う世の常は、流れた先でも変わりなく、月下に一刀が冴えて……鬼が一人死ぬ。
 決着目前、異修羅第11話である。

 リチアがボーボー燃える中で、死ぬべきが死に生きるべきが生き延び、物語は続く。
 勇者決定トーナメントの序章でしか無い、世にありふれた大惨劇もそろそろフィナーレ、色んな死に方が無明の夜闇に眩しい。
 このお話の乾いて容赦がない所が好きなので、カーテの無惨な結末には得心がいっているし、ダカイとソウジロウの剣豪小説めいた永遠の一合には震えが来た。
 総じて大変ロクでもなく、このお話らしい決着へと雪崩込んでいる感じがあって、大変良い。
 あとは色んなモンボーボー燃やしてタレンが引き寄せたかった理想とやらが、一体どんなものかのかを死ぬ前に誰かが問いただし、ちゃんと語ってくれると満点……かなぁ。
 『結局本番開始ってないじゃんッ!』は、第4話あたりで飲み込んだツッコミなのでここまで見た自分としては、マイナスポイントじゃないかな。
 アニメの語り口好きだから続きが見たいけど、全力で初見を置いてけぼりにする作風をあえて選んだ後に何が続くのか、そこまで楽観視は出来ないとも思うので、とりあえずは新魔王戦争の行く末を見届けたい。

 

 つーわけで今回のメインステージはレグネジィとカーテの美しく悲しい決着と、盗賊ダカイの末路。
 初登場時から死相が浮かんでいたレグネジィくんが、約束された決着へと彼の天使といっしょにたどり着いたわけで、悲しくもあり奇妙な達成感もあり、こういうやつから死んでいく世の無常も感じられて、なかなか良い終わりだったと思う。
 二人が戦いと無縁に、幸せに生きていく余裕は魔王亡き後もこの世界にはなく、彼らを食い破ったこの戦争も、後の平和を買うための必要な代価……というと、無惨にグロ死した数多の弱者に申し訳が立たないけども。
 客人達の故郷である彼方もまた、殺し殺されが当たり前の超ロクデナシワールドのようなので、とにもかくにも残酷な世界律でこの世界は動いている。
 そこで意を通し望む未来を引き寄せるには、言葉一つで何もかも書き換えたり、誰にも殺されえないほどに強かったり、社会から逸脱するほどの力を有してなければならない。
 レグネジィくんが世界全部をバカにしながら手に入れた群れの力は、真の強者足りうるほど十分ではなく、それは剣士ではなく盗賊だから勝ち筋を見間違えたダカイもまた同じなのだろう。
 殺し、殺され、無限の修羅界の果てに一人、世に生きる資格を証明した孤独な怪物は、しかし人間と言えるのか?
 それを問い切るには、戦争一個はあまりにも短い。

 何もかも求めて街すら焼くアルスに比べ、レグネジィくんの願いは大変慎ましやかで、カーテとの幸せだけを片手に抱いて生きていく道は、しかし燃え盛る怨嗟が許さなかった。
 ユノが己の無力を呪い、しかしその身に引き受けて謙虚に弱者のまま生きていけるほど強くもないから、ソウジロウを己の代理闘士としてスカッとしない復讐に身を投げたように、群れという概念に呪われ魔王に尊厳をすり潰されたレグネジィくんは、強者を気取ることでしか生き延びられなかった。
 力を誇れば角が立ち、大事な物ごと全てを貫いていく。
 虫を使った外法で彼の”群れ”を作り、リチアを第二の宿り木に選んで命を賭けた時から、この決着は必然だったのだと思う。
 しかしまぁ、そうなるようにしか生きられなかったのだから、しょうがない。

 

 死んでいく薄汚れたワイバーンに対し、生き残るハルゲントのおっさんはずいぶん正しく、不自由な生き方をしているように思えた。
 ワイバーンは死ぬべき、人は死なないべき、世界は正されるべき。
 何もかも”べき”で語っている割に、そのルールを他人に押し付けるだけの実力には欠けていて、しかし誰かが押し付けてくるルールを黙って飲むほど、心が冷えているわけでもない。
 ずいぶん半端なところをフラフラして、薄汚い翼竜と美しい天使の間に確かに在った絆に、目を向ける眼力も受け止める優しさもない。
 しかしその半端さが、なんとも人間らしくてなかなか良いポジションである。

 今回の悲劇は、曲りなりとも二十九宮の一人であるハルゲントにとって見慣れたもののはずで、彼の半端な英雄志願を揺るがすほどの強烈さは持たないのだと思う。
 当たり前に可哀想に思って、当たり前に廃墟の中に置き去りにして、当たり前に記憶の中にとどめて、そういう半端で煮えきらない男がどこかしら行き着く物語は、この惨状の先にある。
 死んで物語を完遂するリチアサイドの人間に対し、黄都側、あるいは彼らに見初められる勇者候補はまだまだ余白を残してアニメの範囲を終えるので、なかなか感想が難しい部分がある。
 レグネジィとカーテの死は、それを見届け手を下したハルゲントとアルスの物語がどうなっていくかで真価が決まって来ると思うわけだが、それを描ききるのはまだまだ先の話なのだろう。
 ここら辺、舞台に上がる人数がとにかく多い群像劇故の難しさって感じはあるが、最高の宝を見つけて満足できたレグネジィと、見えずともその真の祈りを聞き届けていたカーテの終わり方は、強者になりえなかったが弱者としては終わらなかった稀有な例として、とても良かったと思う。
 そういう生き方も、この修羅の巷に確かにあるのだと認める度量が、欲深き三本腕と英雄志願の無能者に、あるのかないのか。
 その片鱗くらいを最後に見せて終わってくれると、収まりが良いかなと思う。

 

 さて、弱者と強者のワルツは剣を交えつつも語られ、ダカイが死にソウジロウが生きる。
 前回ニヒロから勝利を盗んだ大怪盗であるが、剣技……というより魂に刻まれた殺傷の本質から縁遠く、観察力と獲物の強さで勝ってきたダカイは、ソウジロウが手にした武器を魔剣と誤解し、無様に死んでいく。
 巨大ゴーレム相手に物語の開幕を告げた異形の無刀取りは、極めて正当な形で柄頭を抑え足先を制し、盗まれた鈍らの一撃を意にも介さず、修羅たり得なかった客人を切り捨てていく。
 超加速した思考と幾重ものハメ手が交錯するたった一合の決着は、何かと大火力ぶっ放して街を焼き人を殺してきた後半戦に、静かなメリハリを生んでくれたと思う。
 目を武器に勝ってきた男が負けるなら、そらー眼違いが死因になるよなぁ……良いオチだ。

 そんな死地に、ソウジロウを引き寄せたユノの狡猾も、爪無き獣なりの噛みつき方が鮮烈で大変良かった。
 弱者である自分の無力を自分に引き受け、修行して強者に変わるなり、絶望に飲まれて怪物になるなり、色んなルートがユノには開けていたと思うのだが、狡さも弱さも開き直って強者にすがるという、メチャクチャ生臭い道を選んだのは、このロクでもない世界のロクでもないお話らしくて素晴らしい。
 ”強い”とは相対的かつ多彩なもので、自分自身が個として圧倒的に強いのもその一つだろうし、強いやつを自在に操れる強さもあるし、強さが成立する土台を切り崩してしまう強さもあるだろう。
 ユノは自分を翻弄した運命の流れの中、確かに掴んだソウジロウとの縁、旅の中で見てきた強者を求める気質を武器に、決死の時間稼ぎでダカイを足止めして、勝てる状況を作った。
 十分以上に、それは”強い”。

 

 しかしそれでスカッとするかっつーと別の話で、本当にするべきなのは弱い自分を受け入れ先に進むことだし、こんな勝ち方で自分が納得も出来ないと、ユノは理解っている。
 弱者が真実強くなるためには、一体どうしたらいいのか。
 絶対負けるとは思えないクソチート野郎どもが、それ以上のチートでバッタバッタぶっ倒される弱肉強食の世界で、ユノは今後彼女なりの答えを探らなければいけない。
 そしてそれは、個人としてのユノのあり方を問うだけでなく、人間が寄り集まって作られる社会の形を、血のインクで描く旅になるだろう。

 理不尽に翻弄され、苦しみに塗れ、生来己の意を通せない弱者として世に生み出されてきた人間は、群れることで生存権を世界に打ち立ててきた。
 たった一人で何もかも選び、押し通せる孤独な怪物たちは、それ故社会から浮き上がり、魔王呼ばわりされて討伐対象にもなっていくだろう。
 強者を強者のままでいさせないルサンチマンと、たった一人の存在で世界のあり方が左右される理不尽を認めぬ、社会のあり方。
 魔王一人に世界のルールを決められていた時代がようやく終わり、群れる人間たちの弱くて強い社会が到来しつつある今、孤独な修羅達は世界に君臨する暴君ではなく、駆り立てられる獣のように思える。
 ここら辺、”私の街、私の人たち”が肉ミンチになってトラウマ背負った、現地民だからこその帰属意識が強いラナと、元々の故地にも愛着を持てず、流浪の傭兵としてリチアを置き去りに逃げ去ろうとしてるダカイとの対話に、低住民と流浪民の対比/対立が匂って面白い所でもある。
 この戦争の後に始まるだろうトーナメント本番では、そういう不定形な社会の怖さ、突出した個人を食い殺す負の平等主義が掘り下げられるかなー……って感じなんだが、アニメで確かめてる余裕はもちろんねぇッ!
 ダカイとソウジロウの、個と個の鮮烈な激突が印象的だからこそ、そういう孤独な強さを包み込み窒息させるもう一つのチートを、どういうキャラとどういうドラマで描くつもりなのか、見たい気持ちは強い。
 ここら辺、”将”であるタレンが担当するかなとも思ってた部分なんだが、チート野郎の引き立て役として、国ごとボーボー燃やされちゃったからな……。

 

 かくして、”遠い鉤爪”が引き寄せた牙が鵲を捉え、廃墟にまた一つ命が消える回でした。
 ナガン壊滅のトラウマを解決するには、真実強い人間として己の弱さを認めなきゃいけないと頭で解っていても、インスタントに誰かにぶっ殺してもらって復讐完了! となるの、最高にロクでもなくてよかった。
 そういう倫理の教科書に乗ってそうな立派な人格達成は、まだまだ沢山ロクでもない地獄見た後で成し遂げるもんだよねッ!

 レグネジィくん達も死んじゃったけど、途中で言葉にしてハラ固めておいたし、『こういう死に方して!』って推し団扇振りながら見守ってきたところに落ち着きもしたので、まぁ納得で満足です。
 天使たちが生きていくには、このクソ異世界クソすぎっからね……死ぬしか無いよ。
 そんな命の薪を最後に燃やして、崩れ行くリチアに何が描かれるのか。
 この地獄を現臨させた張本人、警めのタレンが何考えて魔王になろうとしたのかがやっぱ、最後に知りたいところです。
 次回も楽しみッ!

 

・追記 盗人が盗まれて死ぬのならば、剣士は剣に依って斃れるのだろう。

 

ゆびさきと恋々:第10話『桜志の世界』感想

 夏の風に照らされた君の横顔が、あの時僕の世界から音を消した。
 雪と桜、交わらぬ定めをその名に刻まれた青年の閉ざされた心を、常識の外を爽やかに吹く風が心地良く攫っていく、ゆび恋アニメ第10話である。

 大変良かった。
 恋に限らず青春の物語は『選ぶ』ということが非常に大事で、それを際立たせるために作中には『選ばれない』存在が必ず生まれる。
 ガキで身勝手で狭い場所に自分も好きになった子も閉じ込めようとする桜志くんは、コミュニケーション応力に優れた大人で、広い空へと雪ちゃんの望みを解き放ってくれる逸臣さんとは真逆の『選ばれない』側である。
 彼が無様なクソガキであるほど、雪ちゃんが大学で出会った特別な運命、そこから跳ね上がるトキメキは素直に見るものの心に届いて、作品のメインエンジンはガンガン加速していく。
 桜志くんが選ばれない負け犬であることは重要で必要な、物語の必然だ。

 

 しかし物語を都合の良い書割として窒息させるのではなく、意思と尊厳に満ちた人間の場所として呼吸させたいのならば、そういう選ばれない存在にもプライドを認め、届かなかったあがきに報いる必要はあるだろう。
 作品の丁寧な筆致はここまで桜志くんの身勝手が、雪ちゃんを思う真っ直ぐな気持ち、幼い頃から見つめていたからこその不自由故であり、彼は彼なりに雪ちゃんを愛しているのだと、豊かに告げてきた。
 そのトーンに惹かれて、彼の挙動に注目するようになった自分としては、恋が彼を外野に置いたまま成就したこのタイミングで、逸臣さんがヤバい横恋慕野郎にどう向き合うかに強く注目していた。
 運命の恋人と狭く緊密な関係を築き、そこに入らない他人を関係ないと踏みつけにして高く飛ぶのか、それとも自分が出会っていなかった時代、雪ちゃんを大事にしてくれた人を大事に出来るのか。
 かなりハラハラして迎えた話数であったが、持ち前のコミュニケーション能力と他者への善い興味は桜志くんの心を叩き、鷹揚に迎い入れて彼の世界を広げてくれる決着となった。

 『雪の世界』で恋に落ちてスタートしたお話が、恋からちょっと離れた場所で『桜志の世界』もまた広げて幕引きを見据えていくの、構造としてあまりに綺麗すぎて震えが来るんだよな……。
 男女関係を飛び越えた、人間としての爽やかな影響力が恋敵にすら及ぶことで、逸臣さんのイケメンっぷりが顔面だけでなく魂の全部に及んでいると、確認できたのも良かった。
 複雑な三角関係に取り込まれた心くんが、桜志くんを恨まない理由を『カッコいいじゃん』と呟いていたのが、良い補助線にもなっていたね。

 

 俺はこのお話のメインターゲットとは、ちょっとズレたところに立っている視聴者だ。
 雪ちゃんのような最強天使に自分を重ねるにはヒゲが濃すぎるし、逸臣さんに選ばれるトキメキを素直に齧るには、男性としての自己認識がちと邪魔をする。
 そういう視線からすると、恋人になりうる子だけに優しい男にはそこまで惹かれず、雪ちゃんとの関係構築にフォーカスして進んできたここまでの物語では、逸臣さんの人間を判断しかねる部分があった。
 無論ここまでの語り口で既に、恋人との狭い関係性だけで人生判断しない人格を備えていることは十分感じ取れたわけだが、今回酒の飲み方も知らない弟分にしっかり向き合い、奇妙で彼らしいアプローチでもって厄介な恋敵の心を解してくれたことに、強い侠気を感じた。
 雪ちゃんとの幸せな暮らしを思えば、ぶん殴って関係を壊して終わりでも良いところを、極めて面倒くさい敵対姿勢にあえて分け入って、行き場のない少年の心を抱きしめてやる。
 そういう事ができる男はねぇ……本当に偉い。

 逸臣さんの人間力に抱きとめられることで、宙ぶらりんになっていた桜志くんの思いも叩きつけるべき壁を、その形を測る鏡を得て、美しい涙とともに凝り固まった心から流れていった。
 あの美しい涙が、どこか”雪解け”のイメージを宿していること……つまり彼と彼らが追い求めた美しい少女と重なっているのが、恋がすれ違うどころか近づくことも出来ぬまま、それでも真っ直ぐに一人を愛した青年が報われた感じがして良かった。
 ぐうの音も出ないほど、好きだった女を盗っていった男に解らされてしまった立場だが、こうも気持ちよくノックダウンされてしまうと、青春の予後はだいぶ良いように感じる。

 相手の顔を見て、伝えるべきを伝える。
 ろう者である雪ちゃんとの恋の中で、とても大事なことだと描かれ、今回もセックスに至るまでの同意形成を追う過程で新鮮に描かれ直したお話のテーマが、サブキャラ救済に腰を据えた話運びの中で、もう一度輝いたように思う。
 とにかくコンセンサスを大事に、恋を含んだ人間関係を展開しているのは大変現代的な感覚だと思うが、こうも鮮烈に描かれてみると『そらー大事だよね……勝手に決めつけて良いことなんて、何もないよね……』という気持ちになる。
 『俺はコイツが嫌いなんだ』で凝り固まっていた桜志くんが、逸臣アニキに抱きしめられて(酒の力も借りて)自分と対峙し直し、『嫌いになれねぇ……』という結論を導く話でもあって、このお話で繋がる手ってのは恋人や他者だけでもなく、見えにくい自分自身もそうなんだなぁ、と思った。
 一貫した太いテーマでもって、多彩な相手や問題をビシバシしばきながら進んでいく物語には力強い推進力が宿るわけで、『このアニメ……オモシロッ!』となる理由を、自分の中に改めて確認できる回でもありました。
 本当に、大変良かったです。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 というわけで物語は、桜志くんの心に運命が滑り込んできた夏をまず描く。
 子供らしい自意識に遮られて、少女の視線から目をそらしてしまったあの時に炸裂した、恋の花火。
 それは桜志くんの心に深く突き刺さって、しかしガキっぽい意固地だけで片付けられない思いを確かに宿して、恋という名前を与えられないまま残響し続けている。
 幼い頃に出会ってしまったからこその呪いのようなものが、桜志くんと雪ちゃんには絡みついていて、雪ちゃんが携帯電話からメッセージを受け取った時のイメージは、『アホアホ言ってくる嫌な桜志くん』で止まっている関係性を、コミカルに反射している。

 そういう出会い方をして、それが大事な繋がりだからこそ変えられず、足踏みしている間に頭を飛び越えて、誰かに何かを変えられてしまった。
 そんな状況は前回鮮烈に描かれた、心くんとエマちゃんの距離感とも重なるものがあり、常人が足踏みしてしまう心の痛みで蹲らず、高く自由に飛ぶ強さこそが、逸臣さんを主役足らしめている感じがする。
 あの夏の日の呪いが胸に疼いて、どんな名前をつけてどこに行くべきか分からないまま見守っていたら、同じように運命に出会ってしまった男は素早く力強く、雪ちゃんとの距離を縮めて恋人になった。
 進める逸臣さんが凄いんか、立ち止まった桜志くんが悪いんか。
 是非を判断する場所じゃないが、運命の残酷さというものを少し考えさせる構図ではある。
 ここら辺の苦さを適切に薄め、見ている側が『桜志くんから雪ちゃんを盗った』という印象にならないよう、桜志くんを『ボーっとしてたバカ』と思わないように、このお勝負の前にしっかり描写を編んで来たのは、巧いしありがたいね。

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 腐れ縁の幼馴染には、けして見えない情欲と慕情の混ざりあった甘い微熱が、逸臣さんの家に招かれた雪ちゃんからは消えない。
 自分の”ぜんぶ”を与えてもいいと思える、特別な相手との特別な間柄。
 世間一般では人間と人間が、そういう場所にまで上り詰めたのなら必然として起こるのだと、知識だけはあるし恥じらいとともに憧れてもいる、セックス・コミュニケーションへの門は、雪ちゃんの前に確かに開かれている。
 解らなぬからこそ戸惑い憧れる”大人の階段”を、しかし逸臣さんはゆったりと一段ずつ進もうと、言葉と唇と手のひらで伝えてくる。
 自分の経験と内面が反射する私室に招き入れ、休日をどう過ごすかを伝え、”雪の世界”を知ろうと映画の音を消し、キスはしても肌には触れない距離感を保つ。
 自分と極めて個人的で親密なコミュニケーションを取ることに、喜びよりも緊張のほうが勝っている乙女の現状をしっかり見据えて、静かに滾っているだろう性欲にきっちり首輪をつけて立ち止まる。

 それは雪ちゃんを大事にしたいからだと、逸臣さんは学び取った手話でしっかり伝える。
 『ただ思うだけで終わらず、相手に受け取れるメッセージを手書きで整えた上で、受け取りやすいように手渡す』という能力が、逸臣さんは高い。
 雪ちゃんは逸臣さんが好きだからこそ、素肌に触れられ何かが始まってしまうことに怯え、また憧れてもいる。
 そういう彼女に何も告げず、ただ見守って”大事にする”だけでは、愛を感じられず不安になるかも知れないから、『する。だが今ではない!』としっかり告げることで、適切な同意を形作っていく。
 ここら辺の距離感と歩調は、『恋人にもなったしセックスすっか~~~』という定形を全力で否定し、二人だけのラブストーリーを手捻りで作っていく気合を感じれて大変良かった。
 大切なことだからこそ秘され、特別扱いされている”それ”をストイックに消去するわけでも、当然視してこなすでもなく、重要なコミュニケーションの一つとして段階を踏み、一つ一つの歩みに宿るときめきを暖かく描きながら、そこに在るものとして描く。
 エロティシズムに向き合う姿勢も、やっぱりこの話好みである。

 

 自分の生き方が宿っている領域を見せて、映画を流しながら触れ合い、心の奥底に入る。
 ここで雪ちゃんと逸臣さんが形成したコミュニケーションが、後に恋敵と語らう時になぞられているのが、大変に面白かった。
 男と女、好きな人と警戒するべき相手。
 真逆に見えて二人は確かな縁で結ばれていて、心のどっかに透明で綺麗なものを残している。
 そういう相手と逸臣さんが向き合う時、かなり似通ったアプローチをたどるのだと、今回のエピソードは鮮明に描いてくれていて良かった。
 奥ゆかしく慎重な日本的接触法ではないけども、あけすけながら無遠慮ではない踏み込みでもって心を開き、その自由さが相対する者をも解き放っていく。

 雪ちゃんがあの出会いの日に見上げた空は、今回セックスの手前で慎重に立ち止まった時、眩い星空として新たにもう一度、胸の中にひろがる。
 逸臣さんはこのアニメにおいて、空の擬人として描かれ続けているわけだが、この認識が恋人である雪ちゃんだけでなく、恋敵である桜志くんにも共通していくのも、また面白い。
 純情な月明かりを雲が隠す場所にいた彼が、尖ってぶつかって酔っ払ってたどり着いた場所でようやく見上げた、遮るもののない夜空。
 そういう存在として、波岐逸臣という男はあり続けている。
 ……雪ちゃんの存在が桜志の心に這入ったのも、夏夜空に舞い上がる花火の日だったことを思うと、人生の様々な季節ごと、心が揺れる時に空が広がるお話なんだな。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 桜志くんの世界に分け入っていく前の閑話として、あるいは次回以降心くんとエマちゃんの世界へ踏み込んでいく前走として、店長に一人相談に来る青年の表情も切り取られている。
 雪ちゃんがドキドキお泊りに始めて眼にした私室、あるいは桜志くんとの接触の中で導くサークル棟と同じように、灯の落ちたオシャレな酒場にはプライベートな匂いがあり、そこに二人きり身を置いている時の親密な空気が、独特の表情を照らしている。
 逸臣のこと、嫌いにならないの?
 特別な関係性を構築できていないのなら、なかなか聞きにくいこともここでは/この人相手には親身に語り合うことが出来て、そう出来る相手がいるから苦しい恋にも負けずにいられる。
 あるいは負けないために、わざわざ真夜中にこの温かな場所へと足を運んでいる。
 出会いが恋となり、全てを許しあえる特別な関係へと成就していく歩みを追いかけてきた物語が、少し別の角度から、男と男の不思議な信頼感を照らす時、作品の武器である繊細な鮮明さはけして緩むことなく、優しく迷い子を写していく。

 やはり作品全体において、『眼を上げて、相手の顔を見る』という行為は大切に扱われているように思う。
 ろう者である雪ちゃんにとって、顔が見えないコミュニケーションがどれだけの不安を生むか、このアニメは丁寧に積み重ねてきたわけだが、自分の気持の中にだけ沈んでいけば周りを見る余裕も、瞳を合わせる勇気も消えていってしまう。
 前髪で瞳が見えないシャイボーイ達が、抱え込んだ恋に一人苦しんでいる様子が心くんを……あるいは桜志くんを被写体に幾度か描かれてきたわけだが、店長の言葉はそういう深みから友達を引っ張り上げて、眼の前の相手がどんな顔でいるのか、心くんに見させる。
 そうやって、自分が孤独だと思い込みそうなどん詰まりから助けてくれる人の温かさが、明暗同居する夜に灯るオレンジでもって描かれ続けているのも、このアニメが積み上げてきた映像詩学と言えるだろう。
 この店長の助け舟に心を休めて、心くんがどこへ踏み出していくかも、彼が好きな自分としてはなかなか気になるところだ。

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 それはこの先綴られる物語として、逸臣さんは遂に桜志くんとの接触を図る。
 逸臣さんからしたら桜志くんは彼女に良くないアプローチを仕掛けてくるヤバいガキであり、数年間の足踏みを一気に追い抜いて恋愛勝者のポジションを勝ち取った負け犬なわけだが、年下の不器用な青年を相手に、雪ちゃんとまだ恋仲になる前見せていたような強引な気さくさを、思う存分発揮する。
 面倒見が良い……ともちょっと違う、自分と関わった人間を前にして色んな面倒くささから逃げず、相手がどういう人間なのか、自分をさらけ出して解ってもらった上で対応する鷹揚が、そこにはある気がする。
 あの改札で桜志くんが自分に見せた、負けん気と当惑と庇護意識の入り混じった視線の奥に、一体何があるのか。
 ”身近な異国”として雪ちゃんに興味惹かれたように、かなり複雑な内面を尖った態度で覆い隠している青年の、色を見届けてみたくなったのかも知れない。

 彼女を自分の家に呼び寄せ、口づけだけして抱きはしない間合いで向かい合った時のように、逸臣さんは自分を形作っている空間に桜志くんを招き入れ、食事を共にし、映画を見る。
 あの部屋では雪ちゃんが『手を引いてくれる存在』として逸臣さんをスクリーンに重ねてたわけだが、今回は『ガキな自分をからかい、導く存在』として、桜志くんは恋敵を見ることになる。
 受け入れてしまえば何かが壊れると、強がりの奥に恐怖を隠して逸臣さんを遠ざける桜志くんの姿勢は、最初傾いで遠い。
 しかし男相手にも距離感バグった逸臣さんの、『俺はこういう人間だ』というあけすけなメッセージを無視できるほど、感受性が薄い……瞳を伏せて他人の顔を見ない人間でもない。
 雪ちゃんを好きでい続けるために、雪ちゃんが好きになった人を好きにはなりたくない。
 複雑にこじれた純情にしがみつきつつも、逸臣さんの歩み寄りとそれを無視できない自分の誠実さに切り崩されて、気づけば投げ捨てても良い約束を守り、共に酒を飲む関係性が構築されていく。

 物理的、あるいは身体的な距離がそのまま、社会的、精神的な間合いを反射して雄弁に関係性を物語る筆致は、映像表現の基本であるし、だからこそ難しく面白いものだ。
 ヤバそうでもあり面白そうでもある若造の内側が、どんなもんかと身を乗り出し方を組んで乗り込んでくる逸臣さんのアプローチには、雪ちゃんを相手取って積み上げていった関係性と同じ、遠慮がないけど心地よい距離感覚が確かにある。
 背を向け、相手の顔と目を見ないように逸臣さんを遠ざけようとする桜志くんの内側に、恋敵がどう滑り込んで、酒席を同じくする関係になっていくのか。
 そういう無言の表現が、巧くて強いのがこのアニメの好きなところだ。
 雪ちゃん相手には使わなかった(未成年なんで使えなかった)アルコールの魔力を借りて、頑なボーイの防壁切り崩す手管なども見せつつ、嫌いになりたい男の真っ直ぐな瞳を見てしまった桜志くんは、否応なく自分がどこにいて、何を守りたかったを見つめることになる。

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 そこは逸臣さんよりもっと早く、もっと幼い季節に出会ってしまった、美しい思い出の国だ。
 自分の中に湧き上がっているものが確かに空いなのだと、認めるには気恥ずかしくも怖く、しかし諦めるには湧き上がる想いはあまりに熱く、目をそらしては向き合い、手にとっては遠ざけ、心地良く中途半端な距離で、名前のないままに転がしていた想い。
 第8話で描かれた高校時代を思えば、そんな愛しい未熟は逸臣さんにもあって、エマちゃんや心くんとの甘酸っぱく少し痛い時代を経た後だからこそ、雪ちゃんが求めた立派な大人として、幸運にも出会うことが出来た。
 桜志くんにはそういう好機は訪れず、花火と一緒に心を揺らした美しい少女とどう向き合うべきなのか、わからないまま『アホ』と手のひらで綴ってしまうような、微笑ましくも残酷な繋がり方が、鎖のように彼を縛る。
 手話を覚え、影から守り続けていれば好きになった女の子と、確かに繋がっていられる。
 そんな安心は同時に、より自分の心の真実に近く、より新たな可能性へと開けた関係性……心ちゃんが逸臣さんに求め答えられた間柄へと、彼らを解き放つことを許さない。

 雪ちゃんが優しいステンドガラスの檻から自分を解き放ち、一般大学へと進み出し恋に新生活に挑もうと思った裏で、桜志くんは手話のテキストに視線を落として、変わっていく彼女を真っ直ぐは見られなかった。
 その帰結として、鳶に油揚げ掻っ攫わられたこの体たらくもあるのだが、ではその幼い想いが、夏の日の出会いが、無駄で無意味で無価値なのだろうか?
 ここまで桜志くんを描いてきた筆と同じように、作品はその無様さを、頑なさを、ままならなさを、愛しく肯定する。
 それは確かにそこにあって、桜志くんがいてくれたから雪ちゃんが微笑えた場面が沢山あって、でも恋という形にはならず、あるいは恋にするための一歩が怖くて踏み出せず、それでもあの子と繋がるための特別に、呪いのようにしがみついた。
 もっと颯爽と、もっと成熟した選択を賢く取れたと、傍から言うのは簡単だけども、桜志くんにとってそれが精一杯の決断であり、夏の呪いが痛みと停滞だけではなく、柔らかで温かなものを確かに生み出せていたのだと、彼の追憶を描く筆は確かに語る。

 桜志くんのナイーブな内面は、その視線のゆらぎに常に表されてきた。
 あの改札で、明確な敵意を持って雪ちゃんへの視線とことばを遮られた時、桜志くんは敵意を自分の中から絞り上げる前に、凄く当惑し傷ついた表情を一瞬見せる。
 大人はそんな顔しないから、この子はすごく子どもなのだと、僕はあの時解って、だから見届けてあげなきゃ行かないと、勝手な思い入れを彼に抱いた。
 雪ちゃんが花火の中投げかける視線から、気恥ずかしく顔を反らして、しかし確かに繋がりたいと願って学んだ『アホ』で、真っ直ぐと自分の恋を見つめる視線で、彼なりに応える、一連のシーケンス。
 『目を逸らす』ところで今回冒頭の回想が終わっていて、『その延長線上に停滞してたから、逸臣さんに負けたんだね……』と思わせておいて、桜志くんも視線のことばをしっかり返していたと描き直すことで、彼なり必死の戦い方を、確かにそこにあった愛を、しっかり教えてくれた。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 桜志くんが頭を擦り付けて、前に進めなくなっていた行き止まりを、逸臣さんは何の問題にもせず軽々飛び越えて、雪ちゃんが本当に欲しいものを見つめ、手渡し、受け取った。
 恋の鞘当てにすらならないまま、名前もつかない幼い恋にしがみついていた桜志くんは、逸臣さんがわざわざ時間を作って、くっそ面倒くさい若造に向き合ってくれたことで、行き止まりから向き直って、眼の前の相手を……見るまで、やっぱ手はかかる。
 別れろとか、両思いを横から盗りたくねーとか、七面倒くさいグダグダを酒の勢いで吐き出しながら、桜志くんは眼の前の相手の顔を見ないように顔を伏せ、しかし真っ直ぐ自分を見てくれる大人の男を無視も出来ず、二人を隔てる一線を越えていく。
 そうすることで、月にかかっていた叢雲は晴れて、静かな春の月光に照らされて少年は、自分が失ってしまったものと、まだ自分の心の中にたしかに残っているもの、そして今目の前、新しく出会ったものをしっかり見る。
 桜志くんと逸臣さんの心理的距離が、決定的に変化する瞬間を切り取る舞台として、縦方向に画面を貫通する街頭と看板、月光のライティングがビシッと決まっている。

 自分が雪ちゃんとどうなりたかったのか、もう絶対に取り返せない状況になった後で認識してしまうのは残酷だが、必要な施術でもある。
 それが恋なのか憧れなのか、庇護欲なのか良く分からない柔らかな気持ちに、名前をつけたくなかった桜志くんの願いを、逸臣さんがそうするように、僕はけして嘲笑わない。
 奪われてようやく、それが恋だったのだと認めた時、流れていく温かな涙。
 それは逸臣さんが雪ちゃんに惹かれた、美しい透明さを同じく宿していて、ヤバい恋敵がもしかしたら、結構面白い男なのかもと踏み込んでみたからこそ、嫌いになれない……というか好きになっちゃう相手と肩を並べ、悪友のように歩き始めることも出来る。
 優しい檻から己を解き放った鳥が、広い空を求めて羽ばたくように、時に陰り暗がりに沈みながらも、あの夏出会った眩しさを反射し続ける月光もまた、自分を解き放つ空を求めていた。
 ”桜志の世界”に”雪の世界”が確かにあり、その両方に”逸臣の世界”が清々しい自由と、頼もしい優しさを手渡した場面で、このエピソードは終わる。
 大変に良かった。

 

 というわけで、雪ちゃんのドキドキLOVEレッスンお泊り編と、桜志くん月下の男泣きでした。
 桜志くんのめんどくさく拗れた幼さを、彼だけの宝物として凄く大事にして描き、別れてほしいんだかほしくないんだかワケ解んないメチャクチャに、揺れ動かなきゃどこにも行けない青春ど真ん中を、堪能させてくれる回でした。
 こういう面倒くさい旅を経ないと前に進めないヤツってのは確かにいて、そういうやつと真正面から向き合い、顔を挙げさせるほど強く見つめて、熱く透明な涙を受け止めてくれる男なのだと、逸臣さんのこともっと好きになれて良かったです。
 終わってみると、雪ちゃん関与しないところで青春の地雷原が撤去されて、彼女(を主役とする作品全体)の特徴であり魅力でもある透明感が全然濁らず決着したの、巧いなぁと感心もする。

 桜志くんは逸臣さんがどんだけ大人で、雪ちゃんを束縛せず自由に羽ばたかせ、新しい出会いと可能性を届けてくれるか教えるための、惨めな鏡だ。
 しかしそんな存在にも人としての尊厳があり、青年としての想いと迷いがあり、間違っていたとしても愛しく抱きしめていたかった、かけがえない思い出がある。
 世の中、そういう不格好な宝石を抱えた連中ばっかりで出来上がっているのだと、群像劇として背筋の伸びたメッセージが、負け犬をきっちり負けさせることで未来に顔を向けさせるお話から、しっかり飛び出していました。
 つえーわこのアニメ、マジ……。
 次回も楽しみです。