イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

2024年 4月期アニメ放送前短評

 

異修羅:第12話『修羅』感想

 かくして新魔王戦争は幕を閉じ、夢の骸が大地に転がる。
 世にありふれた残酷の一片を足場に、生き延びた修羅たちが向かうは黄都。
 アニメ異修羅、一期最終回である。

 終わってみると『なげープロローグだったな!』という話ではあり、同時にこの世界に起こる悲惨のモデルケースとして、それを飲み込むより大きな無惨の啓示として、なかなか良いスタートだと感じた。
 リチアを舞台に巻き起こった惨劇は、終わってみれば『まぁまぁマシな殺戮』として収まっていって、殺すべきを殺し生かすべきを残し、極めて政治的で経済的な決着が張り付いていく。
 そうなるように始まった戦争であるし、タレンが街を巻き込み自分を焼いて辿り着こうとした結果にちゃんと収まったことが、黄都という巨獣(リヴァイアサン)を動かす顔のないシステムがどれだけ強大か、しっかり示していたように思う。

 どんな理不尽も独力で跳ね除けられる、怪物的……に思える”個”をいかにして社会集団が飲み込み、無力な人間の群れが不定形の同意の元、少しはマトモな人生を送れるよう世界を作っていくか。
 リチアはそのための大きなネズミ捕りであったし、今後展開されるトーナメントもまた、”修羅”と持ち上げられた勇者候補を潰し合わせ、突出した才無き普通の世の中を形作るための罠になるだろう。
 無力であるがゆえに群れ、群れるがゆえに強い”人間”の社会が、世界のルール全部を一人で曲げてしまえた魔王が斃れた後、なお”人間的”であるためには不必要な、強さに特化した歪な”個”。
 長い牙を持った猛獣のようでいて、数に駆り立てられる害獣でしかない勇者候補達がはたして、悪辣極まる人間社会を相手取りどこまで生き延び、我欲を通せるか……という、作品全体を測るスケールが一期最終話、暴かれる回でもあった。
 ともすれば主人公様の超絶チートでなんもかんもぶん回して、無双の快楽だけ与えてスカッと終了な転生モノを相対化し、新たに掘り下げる画角として、今回顕になった『強者を包囲する弱者の社会』はなかなかに面白い。
 より戦いが激化する中で何が描かれるのか、見届けたい気持ちも強くなった。
 つーか本番全然始まってねぇし、続いてくれなきゃ困るのよ、アニメからのニワカとしては……。

 

 というわけで冒頭、一番聞いてほしかったポイントにクゼさんが切り込んでくれて、大変良かった。
 ”冷たい星”に頼り切りの武力、不安定な軍備構造、全体的なヴィジョンの無さ。
 魔王を自称し世界に牙を突き立てるには、あまりに不自然なポイントが目立つタレンの反乱であったが、自身と新公国を薪にして未来に不要なクズを減らす、壮大な害獣駆除計画であったのなら色々納得は行く。
 終わってみれば戦後処理もスマートかつスムーズに、黄都が新興国を併呑する形で収まっていきそうであるし、そうなるように戦争を編んで綺麗に決着させて、まこと警めのタレンは名将であった。
 彼女が養子への私情引っくるめて自分を殺す道を選んだ背景には、死してなお残響する魔王の存在感を、黄都中心の新秩序から払底し、人間が人間らしく生きられる世界(これがユノが旅の中見つけた夢と重なっているのが、グロテスクでいい)への希求があるのだろう。
 勇者が欲しい。
 その末期に、嘘はなかったと思う。

 魔王殺しの勇者は、いったい誰か。
 大きなフーダニットが物語の牽引役として秘されている以上、『魔王がいて、恐怖の中で死んでいくのが当たり前な時代』と『魔王がいなくなり、巨大な空白が世界に不安定を撒き散らしている時代』の実像がどの程度かは、この戦役が終わっても、正直自分には見えきらない。
 巨大な獣の影を追うように、全体像を把握しきれないからこそ死したる魔王の凄みも高まり、その影響力が黄都を非常に狂わせている現状にも、納得がいくわけだが。
 イカれた反逆者として死んでいくタレンが、声望も愛も焼いてなお決着させなければいけないと思った、人が生きるには不安定すぎる魔王以降の世界。
 その実像がどんなもんかは今後……あるいはタレンの犠牲それ自体によって、一筆ずつリアリティを増していくのだろう。

 

 例えばユノが己の支えと選び、例えばラナが無念の中で答えなく祈った、弱者が弱者のまま、人間が人間のまま生きていけれる、当たり前の世界。
 何より重要ななずの人命がちゃんと尊重される社会は、非常に現代的なものであり、”魔王”なる遺物に未だ支配されている中世的世界においては、顧みられなくて当然ではある。
 僕らが識る地球の歴史においても、無力な民草はみな生きたいと願いながら荒れ狂う暴力に無惨に殺されてきて、血のインクを涙で溶かし、悲憤と怨嗟に塗りたくりながらなんとか、社会契約の鎖で人間を縛った”当たり前”が到来している。
 そんな倫理的変化(”進歩”と言っていいのか、言うべきかは悩ましい)を異世界転移してくる客人達は手渡してくれなかった世界は、極めて中世的に命が軽い。
 正確には『俺の生命は重たいぞ!』と言いたいのなら、他人をぶった切るだけの強さを示す以外に手がないルールで動いている。
 それが魔王亡き後もそのままであり続けるのなら、個として怪物的な力をもつ修羅たちが新たな勇者として世界を蹂躙し、新たな支配を圧倒的多数の弱者に押し付けることにもなろう。
 個が個として強すぎる限り、異修羅世界に近代は訪れないのだ。

 それはド許せぬと、薄墨のジェルキを筆頭に黄都を動かす官僚集団が腹に固めたからこそ、この戦役は起きたし、勇者決定トーナメントも開催される。
 名誉や理想や戦乱の興奮を釣り書きにして、強すぎるバカを世界から排除するための大きな罠を駆動させて、数の暴力で世の中からはみ出す個を狩り殺す。
 極めて民主的な殺戮が正義の名のもとに、幾度も展開していくだろう。
 その智謀と惨殺が”正義”たりうるのか、グロテスクに戦場の悲惨を描き続けてきたお話は無言で問うてくる。
 しかしこの世界においても人間は群れることでしか生き延びられない動物であり、高度な技術と社会システムを発達させ、人間らしく弱いまま強くなろうとしている有り様を見ていると、修羅のエゴを社会が食いつぶそうとするのは、むしろ自然な反応に思える。

 殺したり奪ったり、愛したり守ったり。
 修羅ごとに望むこと、出来ること、やろうとすることは違えど、それぞれが抱えた狭い祈りを強引に押し通し、世界を支配するルールとして運用しうる身勝手が、修羅には許されてしまう。
 その独善に自分でブレーキをかけれないほど、抱えたエゴが強力だから修羅は修羅足りえ、つまり無数の人間、無数の祈りを調整してなんとか張力を保っている社会の在り方とは相容れない。
 殺すことにしか興味がなく、殺し合える相手しか”人間”と思えないソウジロウの独白は、そんなふうにしか在れない、遠い故郷からも追放された異邦人の姿をよく削り出している。
 修羅は、修羅としてしか生きられないのだ。

 

 このままならなさは、勇者を求めつつ偽物の魔王で終わるしかなかったタレンにしても、告解を受け取る宗教者のはずが極めて優秀な暗殺者でしかないクゼさんにも、複雑に反射する。
 新公国を理想の元統制し、戦争状態に突っ込ませるだけの指揮能力を持っていても。
 誰もが許される理想を見据え、盲目の歌姫の末期を聞き届ける優しさを確かに残していても。
 彼らは自分が望んだ圧倒的な力には届かず、狂って残酷な世界の在り方を変えれる”勇者”にはなり得なかった。
 この時”勇者”の定義が、魔王を殺したという行動でも、それをなしうる怪物的な強さでもなく、傷ついたまま取り残された無数の人民に向き合い、人のあるべき姿を示してくれる倫理的理想として見られているのは、個人的には面白い。

 それはつまり、最強の力を持った修羅をどれだけ殺し合わせ、蠱毒の果てに一匹を選んだところで、それが”勇者”の証明にはならないことを示しているからだ。
 タレンが今際の際に願い、クゼさんが死者を埋葬しながら見上げる、ハッピーエンドをこのクソみたいな世界につれてきてくれる、特別な存在の資格。
 それはソウジロウやアルスが戦場に示し生き延びた個としての強さとは全く関係なく、あるいはそれのみを必要条件として実現しうる、多彩で多様で恨み言と祈りに満ちた世界全部に、向き合えるだけの人格的巨大さだ。
 個としてのエゴの強さが修羅を支えている以上、彼らは身勝手で聞く耳を持たない強者にしかなり得ず(ここの軋みを、ソウジロウとラナで照らしているのは良い)、強くなるほどに”勇者”の資質を失っていく。
 トーナメントが進むほどに、真の勇者の正体を探るミステリは解かれていくのだろうけど、そうして示された”真の勇者”がその実、弱き人間が望む立派で優しい勇者様とはかけ離れていることは、十分以上に有り得る話だ。

 そうやって、望まぬ勇者の真実が暴かれた時、今回の戦役で起きたように黄都という巨大なシステムがそれを飲み込み、自分たちに都合の良い勇者像を打ち立てようとすることも、また想像に難くない。
 むしろ黄都に都合の良い勇者像を喧伝し活用し、魔王亡き後の新世界秩序をより善く、より安定し、より優しく形作っていくために、勇者候補選別とその殺し合いが用意されている感じもある。
 とすれば、『ハイ強者でござい』というツラ引っ提げてコロシアムに顔を出す、世界最強のチャンピオン達こそが時代の生贄であり、死んでいくことを期待され約束された”弱者”なのではないか。
 そんな強者と弱者の反転可能性が、12話の物語を駆動させていたカラクリを吐露する、タレンの末期には滲んでいた。

 

 ユノがむき出しのエゴに向き合い、八つ当たりにも似た復讐を遂げてようやく、素直に話せるようになった強者への怨嗟と、弱者としての祈り。
 それは生き延びられなかったラナやカーテやレグネジィの末期が、答えを求め得られない未解決の謎だ。
 世界はどうでも良くない尊さで満ちているのに、全て恐怖で狂わせ支配する魔王とか、倫理観ぶっ壊れた異世界チート野郎とかがボンボコ湧き出すこの世界は、それを大事にしてくれない。
 強さだけが己を示す証であり、世界を塗りつぶすほどに圧倒的なはずなその”強さ”を勇者にぶっ殺され否定されたから、魔王の時代は終わった。

 その好機に人間が人間らしく生きられる世界を求めるのは、為政者としてまこと真っ当な、誠実ですらある決断だ。
 だから修羅を駆り立てる分厚い包囲網が、戦争を血みどろの茶番と弄ぶ傲慢が、必ずしも悪と断じられないのは面白い構図だと感じた。
 黄都の連中は相当に優秀で、自身の手を血で汚しながらある程度の個人的野望と、それ以上の公共心と理想を持っている。
 極めて残酷なシステムによって人間の世界を、魔王亡き後取り戻そうとしている。
 そこですり潰される生命や祈りが、未来への必要経費だと飲み込めたから、タレンはこの戦争を始めて、色んな人が死んでいった。
 こっから先もイヤってほどたくさん死ぬだろうし、賢く計画された殺戮計画を経なければ、変われないほど世界が終わってることも、この序章は巧く教えてくれた。

 

 同時に人間のスケールを大きく越えた、社会という弱者に優しいブランケットに絞殺される、圧倒的な”個”の反撃を見てみたい気持ちもある。
 我々は社会と世界という、とても大きな構成要素の一つであると同時に、どこまで言っても自分ひとりでしかない孤独なエゴだ。
 集団と個人という、相反する性質を抱え込んだまま、無慈悲で不条理な世界を生き延びるしかない。
 そんな過酷な定めを背負った我々が、『今日くらいは生きててもいいかな……』と思える大きな助けがエンターテインメントというものであり、超絶チート野郎が血みどろ活劇に暴れまわるこのお話は、その一つである。
 だから当たり前に我々の周囲を保護し、包囲し、常識や倫理や法や正義という輝かしい名前に飾られて首を絞めてくる、ひどく窮屈なものを。
 ”社会”なるものを孤独な怪物たちが蹴っ飛ばし、傷を負いながら暴れている姿に、怯えつつも快哉を叫ぶ。

 ああ、スカッとした。
 いい気分だ。
 無慈悲で無惨な殺戮が画面の中に描かれて、それが今生身で座ってる自分と無縁であることを確認して、心のなかに溜まった面白くもねぇ澱を吹き飛ばさせてもらう。
 そんな、悪趣味で力強い心地よさ。

 それちゃんと向き合った上で、群像がそれぞれの祈りと脆さをこすり合わせ、時代を発火させる群像劇の面白さを描いていること。
 刻めて残酷で救いのない話を描きつつ、血の池にかすかに輝く真摯な祈りが、確かにそこにあったのだと忘れず記すこと。
 そういうことをしっかりやってくれているお話で、大変良かったです。
 モンドテイストを全面に押し出し、読者の悪趣味な期待感にしっかり答えつつも、そういう理不尽で不条理で残酷なモンを扱えばこそ描ける大きな絵に向かって、かじりつくように話を紡いでいる様子が感じられたのは、俺はつくづく良いなと思う。

 

 

 世界は理不尽で残酷で、そんな中で人間は優しい夢を希う。
 この矛盾が話しの真ん中にあった上で、多種多様な向き合い方、叶え方、へし折れ方を描くのが、僕が12話見て感じた”異修羅”だ。
 遅効性の毒で自分の野心を危うくする間者をきっちり殺し、キアを操るための”先生”の仮面を……あるいは微かに残った甘い願いを、しっかり守ったエレアの顛末にも、その色合いは濃く匂った。

 流石に黄都二十九官、情に曇らされて判断を見誤るヌルさではなく、きっちりやりきってくれて良い決着だなぁと思う気持ちと、心ズタズタにされた挙げ句誰にも看取られぬ無残な死を遂げたラナを痛ましく思う気持ち、両方がある。
 『あんな死に方しなくても……』と、現代人の感性で思ったところで、ラナの死はあの世界に極めてありふれた終わり方であり、大概の人間がああも苦しく、無念に斃れていくのが”当たり前”なのだ。
 それをどうにかしたいと願うから、黄都の為政者たちは巨大なシステムを編み上げ、人間の世界を取り戻すべくこの戦争を仕組み、まだまだ戦いを続けていくのだろう。

 そんな世界に対し、幼い世界詞は何でも出来る無敵なのだと、己を打ち立てる。
 目の当たりにした炎と殺戮、不和と断絶を極めて子どもっぽい受け止め方で、『仲直り』出来る未来を夢見て噛み締め、明日への糧にする。
 再会と対話を願ったラナが、眼の前の先生の手で無惨にぶっ殺されており、この話はおしまいになって魔法でも取り戻せないことを、彼女は知らない。
 知らせないことで、エレアは世界詞という切り札を握り込んだまま、陰謀渦巻く政治劇のプレイヤーとしての資格を保った。

 

 世界が想像より遥かに残酷で、自分に出来ることは大してなくて……つまりはただの子どもなのだと、キアが己を思い知った時、世界詞を巡る物語がどうねじ曲がっていくかは、結構興味がある。
 キアの言霊は極めて強力だが、起きてしまった事実にしか影響が及ばぬように見えるし、キアが言葉にしたこと……認識できることしか効果が及ばない。
 彼女が想像もしない悲惨や尊さが世界には山程あって、その無敵の言葉が触れ得ないものがいくらでも転がってると理解った上で、言葉を紡ぐ選択を果たした時、あのあまりに純粋で幼い女の子はようやく、人間への一歩を踏み出す。
 世界を変えてしまえる怪物のような力が、それ故伸びた権力の長い腕が、彼女を当たり前の成長と痛みから遠ざけるだろう。
 けど全く優しくないこの世界、否応なく残酷な現実にぶち当たる瞬間は必ずやってきて、運命に愛されてしまっている彼女はそんな終わりの先へと、(ラナとは違って)辿り着いていくだろう。

 それは何かと歪んだ連中が多いこのお話の中で、レアリティの高い透明なお話に……なってくれるかも知れない期待感があるファクターだ。
 悲惨で辛いものをたくさん書けばこそ、人間が持っている輝きや祈りをより強く照らせるというスタンスが、色濃く滲むこのお話。
 そこでキアがこの戦役で見たものがどう発芽し、美しく花開き、残酷に摘み取られていくのかは、結構大事な画角だと思う。

 そんな当たり前の挫折と成長は、例えばソウジロウには望むべくもないジュブナイルなのだが、複数のキャラクターが対等な存在感で物語を泳げる、群像劇の強みはその多様さにある。
 人の心も自分の未来も、何もかも理解らぬまま剣を握り、それでいいと飲み込めるソウジロウの物語も、自分の無力を思い知ってなお優しさに包まれ、痛みとともに目覚める時を待っているキアの物語が、同じページに収まるからこその、乱反射するプリズムのような面白さ。
 それが本格的に息をしてくるのは、死ぬべきものがしっかり死んで、その血潮で生き延びた者たちの肖像画に立体感が加わった後の……こっから先の面白さだろう。

 

 

 というわけで、異修羅アニメ一期終わりました。
 お疲れ様でした、楽しかったです。

 初見勢を大層豪快に振り落とす、ゴアゴア血みどろな描写、前半分全部使ってのキャラクター紹介、山盛りの世界設定と複雑怪奇な人間模様!
 色々クセの強いところはありながら、だからこその噛み応えで自分との相性は良く、大変楽しませてもらいました。
 原作が持っている歪んだオリジナリティを、あえてそのまんまアニメの俎上に乗っけて、120%の力が発揮できるよう色々工夫してくれた感じがあって、ググッと引き寄せられました。
 世間からは色々言われる作りになったと思うけど、それでも選び取ったやり方をやり切るんだ! という覚悟と決意が常時滲んでいたのは、大変好みの力み方でした。

 1クール終わってみるとやっぱ壮大な序章であり、こっから本番という感じは色濃くあります。
 幸い終了直後に二期制作の報があり、血みどろの戦争を生き延びたキャラの行く末、彼らを画材に描こうとしている作品全体の未来が、アニメでも見れるのは嬉しい限りです。
 エンタメが飽和している昨今、このペースト語り口でクール使うのは相当な冒険だと感じていますが、だからこその独自性とクセが強くうねっている手応えもあり、何が見れるのか今から楽しみです。
 俺はこの終わりまでちゃんと付いてきたし、自分なり噛み砕き独自の面白さを飲み干せるところまで行けたので、いいアニメだったなーと感じています。
 そう思える人の割合が、そうそう多くない作りだとも思うんだけども、その歪み方あっての面白さだしねぇ……難しいところだ。

 

 どうしょうもねぇロクデナシどもが、生きたり死んだりしながら血の海の中、微かな祈りを世界に投げる。
 群像劇だからこそ、超最悪の異世界だからこそ描けるモノがしっかりあって、このお話を見る意味が色濃くあったのは大変良かったです。
 弱い群れとしての人が、強い個としての修羅をどうにか食い殺して、魔王がいた中世から人間が生きる近代へと時代を変えていく。
 そういう話だと、12話見てみて自分は受け止めました。

 この見切りが正しいのか的はずれなのか、確かめて見るためには最後まで見とどける必要があるわけで、この極めてロクでもない、暴力と悲惨に溢れた作風でもって二期と言わず、全てが決着するまでアニメで描いてほしいものです。
 さらなる残酷を心待ちにしつつ、今はお疲れ様を。
 1クール楽しかったです、ありがとう!!

外科医エリーゼ:第11話『願い』感想

 医師試験を目前にして、突如発生した重大事件……皇帝危篤!
 広がった動揺は対立に火を付け、エリーゼの未来に暗雲が立ち込める。
 急展開のクライマックス、一体どうなってしまうのか! ……という感じの、外科医エリーゼ第11話である。

 散々規格外の医療知識で無双ブッこいて『試験とかヨユーでしょヨユー』とかナメてたら、急に皇帝陛下は血を吐いてぶっ倒れるわ、調子こいた貴族派がダイレクトな暴力に訴えかかるわ、比較的抑えられていた治安が一気に発火して、俺好みのキナ臭い展開になってきた。
 『今まで喉越し爽やかに話し飲めていたのは、エリーゼの周りに集う人が人格者だっただけなんだなぁ……』などと、異世界に流れ着いても変わらぬ人間世界の業に思いを馳せつつ、最期の医療無双に向けてハードルが上がりまくる回である。
 貴族派の人たちが軒並み『皇帝陛下の病因、常人に見抜けるわけねーだろ! 出来るやつなんて人生三周目の超絶ヒロインだけだぜ!!』みたいな、露骨な神輿の担ぎ方をしてくれて、来週どんだけブッこまれるのかワクワクしてきたぜ……。
 やっぱ最後の花火はデカいほうが良いわけで、こんくらい状況がヤバくなってくれたほうが盛り上がるわな。

 

 つーか帝国史上類を見ない、女性初の薔薇勲章受勲者とかになってる時点で世俗の栄達はただの飾り、医学生の立場があまりにも不釣り合いな超絶チート野郎なわけで、この帝国の危機を聴診器でぶった切り、実力に相応しい名声で周囲を黙らせる流れは、待ってましたでしっくり来る。
 ”一周目”でやらかした悪行が響いて、エリーゼの自己評価は地に落ちているわけだが、医療超人としての実力と行いはそこを飛び超えて高みに登っているわけで、こんぐらいハードな事件ぶっ飛ばして終わってくれたほうが、収まりが良いわな。
 いやまぁ、医療方面以外はごくごく普通のお姫様なので、抜身の白刃ぶら下げて直接的政治解決を図られると、ビビってブルブルもしちゃうわけだが。

 こういうダイレクトな行動主義に蓋をして、なんとか平和な日常を保っていたのが宮廷の内幕だと考えると、リンデン陛下もなかなかお辛い立場で生き延びてきたんだなぁ……と、最終話一個前に理解が深まる。
 風聞は垂れ流す、いざとなったらヤッパは抜く。
 まさに毒蛇の巣と言うしかない陰謀の渦中、匂わされてきた貴族派と皇室派の対立が、国の大黒柱が揺らいだことで吹き出したわけだが、逆に言えば陛下の命脈を保ちその病院を解明しさえすれば、膿を出すいい機会とも取れる。
 皇太子の身柄が牢に繋がれ、逆転の足がかりが主人公にしかない状況もなかなかヒロイックで、スカッと終われる足場づくりを、一気に成し遂げてくれた感じがある。

 元々宮廷絡みの火種は気にかかっているネタであり、こういう形で医療と絡めながら発火させてくれるのは、自分的には嬉しい流れだ。
 こんだけ冷え込み腐りきってるのは予想外ではあったが、まーユリエン様が例外だったということなのだろう。
 エリーゼには甘く情けない顔ばっか見せていたお父様が、皇帝派筆頭としてギリギリのせめぎあいに身を投じ、かなり頑張っていたのも良かった。
 急に話の方向性が180度変わったようにも思えるけど、むしろこの重たさ暗さこそが宮廷のリアルって感じはあるし、降って湧いたお后ポジションに痛みと重みを足す上でも、政治のややこしさとヤバさに首突っ込んでくれるのは、個人的には嬉しい味付けだ。

 

 掘り返すとなかなか根が深そうな問題だが、幸い皇帝陛下危篤の謎を解くと情勢が良くなりそうにまとまっていて、最後の医療無双が唸りを上げる準備は万端。
 取り敢えず目の前に迫った危機をどうにか脱し、生命と国を救って過去最大のワッショイを受け取って話をまとめる最終回、いったいどう描くのか。
 次回も楽しみです!

ゆびさきと恋々:第11話『約束』感想

 冬の出会いから時は流れ、誰もが前へと進んでいく。
 大きな一歩を踏み出す前の途中経過だって、素敵に愛しいことを丁寧に描く、ゆび恋アニメ第11話である。

 残りニ話、どういうまとめ方をこのアニメが選ぶのか気になっていたが、大変”らしく”落ち着いた話が展開され、とても良かった。
 バイトを始め逸臣さんとの仲を更に深める雪ちゃんも、恋敵との衝突を経て少し視界がひらけた桜志くんの危うさも、意を決してエマちゃんと向き合う心くんも、皆それぞれの季節を、それぞれの足で進んでいる。
 その一歩一歩の先にとても喜ばしいものがあって、そこにたどり着くためにも誰かの隣に立ち、その目を見ながら一緒に進んでいくことが大事なのだ、と。
 お話がその始めっから言い続けていたことを、終わりがけもう一度告げてもらえるような話数となった。

 海外旅行というデカいイベントを打ち上げて終わる道もあったと思うけど、恋人になってから初めてのデートという小さな……でも大事な楽しみをあえて選んで、それが大事なのだと思い返す過程まで丁寧に追いかける形で、雪ちゃんと逸臣さんのお話が終わっていくのは、何か良いなと思った。
 告白や決別や、なにか大きな運命の転換点だけで人生は出来ているわけではないし、その途中にある小さな歩みをどれだけ丁寧に、目の前の人を尊重して進んでいけるかが、世界を輝かせる決め手であると、コミュニケーションとコンセンサスを主題に据えたこのお話はずっと描いてきた。
 逸臣さんが雪ちゃんの言葉を聞き、彼女の世界に優しく入って広げてくれる人だからこそ恋が始まり、実をつけ豊かに育まれているわけで、お互いの喜びや願いを良く語り合い、ちゃんと共有して恋人やってる彼らの”今”が見れるのは、本当に嬉しい。

 この他人をちゃんと見る視線、届く言葉を選ぶ大事さが、前回壮絶な青春体当たりを逸臣アニキにぶちかました、桜志くんに雪ちゃんが向ける目線から感じられるのも良い。
 不定形の感情に否応なく”恋”と名前をつけ、憎い相手の目を見てしまった彼は、もうガキっぽい不機嫌で何かを覆い隠したまま幼馴染に接することは出来ないし、そんな変化を雪ちゃんも敏感に感じ取り、尊重している。
 恋人になれないからと言って、雪ちゃんと桜志くんが積み重ねてきた(逸臣さん抜きの)日々が無意味に消えるわけでもないし、その尊さに気付き直して新たな息吹を加えていく歩みも、超らぶらぶダーリンとイチャイチャする日々に併走して、雪ちゃんの人生であり続ける。
 こんだけ恋心に丁寧に分け入りつつ、恋だけを絶対視せずもっと広い場所へ、自由にお話を羽ばたかせていける手付きが、あの夜を経て桜志くんがどう変わり、その変化を雪ちゃんがどう受け取ったか、しっかり描いてくれるアフターフォローに感じ取れた。
 恋すればこそ”一歩”があまりに重たかった心くんも、湖面に揺れる叢雲に複雑な心境を照らしつつ、勇気を出して踏み込んだわけで、そこからまた何かが動いていくのか……アニメが一旦幕を閉じた後の人生に、ワクワク期待が持てる感じで幕引きが近づいているのは、俺は凄く良いと思う。
 物語が彼らを追わなくなっても、作品世界の中で彼らが確かに生き続けて、大事なものがやり取りされ変化が積み重なっていくのだと、信じられる形で終わるお話というのは、大変素晴らしいものだ。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第11話より引用

 というわけで、メロンパンもぐもぐする雪ちゃんもかわいいね……かわいいね……という気持ちを新たにする所から、お話スタートである。
 雪ちゃんは自分の心と世界のあり方を、鋭敏に聞き分ける聴覚を魂に持っている人なので、恋人関係になっても……むしろなってからのほうが、逸臣さんに恥じらいときめく場面は多い。
 それは心が瑞々しく波立っているからこその反応で、生きることにガッツがある人だからこそ生まれる感情だと思う。
 そんな彼女の内面に、音響面での細やかな演出を交えて丁寧に踏み込み、何を感じて体温を上げているのか、とにかく丁寧に積み上げていく筆致が、この作品のロマンティックを形作っている。
 やっぱ雪ちゃんがどんな気持ちでいるか、丁寧に語り描くことでこっちのシンクロ率も上がるし、そういう素敵なトキメキを手渡してくれる逸臣さんへの愛しさとか、触れ合う実感とかも強く伝わってくる。
 この手応えの確かさは少女漫画の本道であろうし、ここがガッチリ強いからこそ、恋以外もしっかり描く横幅が成立しているのだと思う。

 優しく手を取り励ましてくれる逸臣さんの、野放図な自由さに振り回されながらも、雪ちゃんは彼に恋すればこそ世界を広げ、新しいことに挑む。
 バイト先のお姉さんが、メッチャ明るく雪ちゃんを受け入れてくれる好い人で、本当に良かった……。
 こんないい子が辛い目に遭うの、俺あんま受け入れられねぇからよぉ……縁をたぐり果敢に挑んで、世界を変えていく活力が主役にあって報われるの、とってもありがたいよ。
 聴覚にハンディを負いながらも、バリバリ働いてバリバリ稼ぐ”当たり前”が雪ちゃんの前に広がっていること……そこには真剣な表情だけでなく、コミカルで明るい笑いもあると描くのは、自分たちが主役に据えた存在が持つ属性を、信じて敬した結果かなとも思う。
 どんな立場の人だって人が生きてりゃ笑いがあって、それがあればこそ生きていけるもんなワケで、このお話のコメディ要素が爽やかで力強く、ちゃんと笑えるのは良いことだなぁと、仕事に燃えるお姉さんを見ながら思った。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第11話より引用

 そんな風通しの良い世界にいる……逸臣さんに引っ張り上げて貰っている雪ちゃんに、桜志くんは置き去りにされたのか、追いすがっているのか。
 マスク着用が一般化した社会で、なかなか気づかれにくい難しさをこういう形で教えてくれる面白さを感じながら、極めてジェントルにスマートに、幼馴染に助け舟を出す桜志くんが、纏う空気は先週までとは変わっている。
 自分が酒も巧く飲めないガキであることを思い知らされ、強がりと気恥ずかしさの奥にある思いを引っ剥がされてしまった彼は、後戻りできない一歩を踏み出して雪ちゃんとの距離を縮める。
 それは粘ついた感情に執着して足を止めているときより、爽やかな青さを宿した色合いで描かれ、開放的で自由だ。
 ここら辺のカラーリング・コントロールが極めて私的で、かつ適切なのはこのアニメのとても良いところだ。
 桜志くんが今どういう場所に立っているか、彼を取り巻く色と光が良く教えてくれる。

 逸臣さんにぶつかることで自分と向き合ったことは、勘定の赴くまま突っ走ってしまう危うさとも繋がっていて、桜志くんは逸臣さんを愛しく語る雪ちゃんの指先を初めて遮る。
 バランスの良い、正しい方向へ進み出せそうだった青信号が、彼の感情が揺れて前に踏み出す時に赤信号に変わり、なかなか始末をつけきれない思いを静物が語っているのも、このアニメの優れた語り口だろう。
 桜志くんが抱く雪ちゃんへの恋は、身勝手でありながら純情で、真っ直ぐでありながらねじくれていて、なかなか目鼻がつかないからこそ力強い。
 自分の気持ちを上手く制御して、雪ちゃんの望みや願いを優先的に引っ張り上げてくれる”大人”な逸臣さんとは、違う形で自分のエゴと祈りに向き合っている青年だ。
 安全に進める正しさと、危うくても手放せない思いが入り混じった彼の世界は、少しずつ形を変えながらもまだ不安定で、青信号と赤信号が明滅し続けている。
 そのどちらに進めばいいのか、わからないなりにちゃんと見据えて選ぼうとしている姿勢が、僕にはとても愛しく見えるのだ。

 

 雪ちゃんは彼女の恋人と幼馴染が、どういう夜を過ごし何をぶつけ合ったか、知らないし分からない。
 自分の見えないところで、時に”男”であることを鎹に繋がる感情の形は、まだ幼く(だからこそ透明に美しい)雪ちゃんには計り知れないところがある。
 しかし裏側が見えないからといって、表側に立ってきた変化が感じ取れないわけではないし、それを思いやれないわけでもない。
 既に決着が継いてしまっている恋をどこに持っていくか、わからないながら本気で向き合い自分を前に進めようとしている桜志くんの”今”を、雪ちゃんがちゃんと感じ取って手を伸ばしているのが、俺には嬉しかった。
 そういう風に、陰ながら彼女をしたい守っていた少年が自分に向ける気持ちを、その危うさも引っくるめて受け入れてくれる人が、このお話の主役で良かったなと思った。

 桜志くんが恋愛レースに参加する前に、逸臣さんがロケットで突き抜けたスピード感が、この物語の特色だと僕は思う。
 すでに結果がでてしまっているものに心を追いつかせる、結構キツい負け犬の歩みをこの後も桜志くんは進んでいくことになるわけだが、しかしそこには確かに爽やかな風が吹いていて、見て欲しい人はちゃんと自分を見てくれて、答えのでない語らいの後広がる空は、美しくて広い。

 恋敵を嫌いになれない惨めさも、複雑に揺れながら差し出す思いも、桜志くんだけの宝物として愛しく磨き上げられ、丁寧に描かれているのが好きだ。
 彼が最後に見上げるのが、逸臣さんの象徴として幾度も描かれ、雪ちゃんが抱きしめている”空”なのが、やっぱ良いなと思う。
 彼自身はワーワー大声で否定するだろうけど、やっぱ空を背負った男と出会いちゃんと話したこと、恋敵の顔をちゃんと見てそこに自分の心を照らしたことは、彼をもっと自由に、もっと大きくしていく。
 恋に破れることにだって、人が幸せになる切っ掛けはある。
 主役の恋路を濁りなく、幸せに結実させたこのお話が、桜志くんを画材にそういう場所に切り込んでいってくれるのは、豊かで良いことだ。
 恋にはならずとも、心が見えないから見ようと思える人として桜志くんがいてくれて、その身勝手も不自由もチャーミングに、一人の人間として魅力的な濁り方を書いてくれていることが、お話に彩りを与えているのは間違いないだろう。

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第11話より引用

 桜志くんが危うい赤信号を背負いつつ、夕焼けの空を見上げる真っ直ぐさを手に入れつつあるのに対し、心くんとエマちゃんは直接月を見上げる気持ちをまだ持ちえず、水鏡に反射させながら向き合うことになる。
 気持ちがどこに向いていて、何が見えているのか。
 視覚言語である手話、それを用いるろう者を主役に据えたお話が大事にしているものが、また別の形で表現され、演出されていく場面と言える。
 エマちゃんが別格の美しさを備えていること、それが心くんを縛り呪っていることが大事な場面で、めっちゃ繊細に綺麗にエマちゃん書いてくれているのは凄く嬉しいし、大事なことだと思う。
 このキレイな女の子が、自分の隣で自分の親友を見上げ続けている横顔を、ずっと見てきた心くんの気持ちを思うと、そらー”一歩”は難しかろう。
 しかし、彼は踏み出した。
 マジ偉い。

 月明かりは湖面に不安定に揺れながら、時に雲に覆われ、時に葉に隠される。
 エマちゃんがどれだけ強く逸臣さんを追いかけてきたのか、良く知ればこそ切り出しにくい、彼女を置き去りに進んでしまった時間の残酷さと、ままならない心。
 風、水、あるいは月。
 透明度を重要なモチーフとして、雪やガラスに反射して描かれた主人公の恋路とはまた違った複雑な屈折を、しかし同じだけの真剣さと温かさで持ってこの若者たちも抱えていて、それが美しい画面構成にしっかり反映されている。
 心くんが訥々と、起こってしまった事実と隠していた気持ちを告げる調子も、静かに過ぎていく水面の風にしっかりマッチしていて、彼ら特有のナイティな空気を教えてくれる。
 『畠中祐最ッ高ォ……』という個人的な感慨はさておき、泥酔して自分を紛らわせ向き合ってきたエマちゃんに、彼らしい真摯な素面で対応出来るようになった変化を感じられて、大変良かった。
 ……桜志くんが酒の力を借りて自分を前に進めたのに対し、心くんは避け抜くことで言うべきことを言えたんだな……。

 揺れ、隠され、震えた月は最後には冴えた光を放ち、起こってしまったことと伝えるべきことは、ちゃんと”一歩”を踏み出す。
 これをどう受け止め、どう進み出していくかはエマちゃんが選ぶ未来であり、心くんが寄り添う道になるのだろう。
 急に心が正しくなってくれるわけではなく、揺れ動くからこそ愛しいものもあることは、桜志くんを描く筆の中に色濃く宿っているけども、エマちゃん達もまた、そんな複雑で彼ら独自の色合いで、自分たちの人生と恋を塗っていくのだろう。
 それがどんな風に進んでいっても、見守り応援したいと思える素敵なものと受け止められるのは、このお話のとても良いところだ。
 色んな色、色んな光、色んな空がそれぞれにあって、関わり響き合いながら変化していく豊かさが、群像劇だからこその面白さが、話の最後にググっと力こぶを見せてくれた感じがあった。
 良いなぁ……終わるってのにワクワクするのは、凄く良い。

 

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第11話より引用

 湖面の月のモチーフを引き継ぎ変奏する形で、雪ちゃんと逸臣さんの夜も優しく転がっていく。
 なかなか会えない寂しさを反射して、最初雪ちゃんが見上げる月は叢雲なのだが、愛しさに突き動かされてパジャマのまま駆け出し、街頭に照らされながら抱き合った後には、一切の陰りなく明鏡が輝いている。
 ここの街頭モチーフは、冬……まだ二人が恋人ではなかった季節に描かれたモノをリフレインしている感じもあって、恋人になればこそ高鳴るときめき、恋人になった彼らが掴み取ったものを、改めて感じることが出来た。
 つーか雪ちゃんはホント無防備なトコロあるから、めちゃくちゃ心配だよッ!
 そんな薄着で夜に駆け出しちゃダメだよ!!
 逸臣さん頼んますよホント!!(ダーリンはちゃんと、顔だけ見て帰ろうとしてました)

 しかし胸の高鳴りをせき止めず、優しく語り合う夜というのも恋人の特権であり、そこで優しく頼もしく、雪ちゃんが知らず狭めていた世界を広げてくれる逸臣さんのありがたさも、月下に染み入る。
 なにか大きなイベントじゃなくても、楽しくて素敵なことを一個ずつ一緒に作っていって、もっと幸せに、もっと好きになって良い。
 そういうことを真っ直ぐ、伝わるように伝えてくれる逸臣さんはそっらーモテるわ……って感じだし、この衒いとためらいのなさと野放図な無遠慮は、裏腹なんだろうなぁと思ったりもする。
 長所短所を決めるのは場面と使い方によるわけで、雪ちゃんに必要なものを、欲しいタイミングでちゃんと差し出せている逸臣さんの生き方は、人間が取るべきバランスをしっかり掴んでいると思う。
 そのバランス感覚に導かれる形で、雪ちゃんは自分ひとりだと見えないものを見つけれて、知らなかったことに踏み出していける。
 そういう人生の拡張装置として、好きになった人がいてくれるって幸せなことだなと、素直に思える話で大変良かった。
 『恋したら、一体何が手に入るのか』つう現世利益主義的なツッコミから、僕はロマンス見る時どうしても逃れられないのだが、作品が持つ透明感を損なうことなく、凄く納得行く手応えの答えをしっかり描写してくれているのは、とてもありがたいです。
 人生が善くなるから、二人の恋は良いもんなんだな。

 

 

 というわけで、様々な人々が迷い戸惑いながら、よりよい光の方へ進み出していくエピソードでした。
 手話を用いてコミュニケーションする場面が、いつも以上にしっかりと作画されており、逸臣さんが自分をそこに置きたいと思えた雪の世界に、入るための鍵をどれだけ身に着けたのか、感じ取れて良かった。
 ろう者が有する様々なコミュニケーション手段を、スムーズに見ているものに解ってもらって、豊かでいいもんだと思えるようクオリティを高く保ってきたの、ホント志あって良いなと思います。
 そういう、沢山ある作品の強さと善さを改めて感じられる、最終話一個前なのはありがたい。

 心弾む、恋人となってからの初デート。
 それは最初であって最後ではなく、ここからもっともっと豊かな世界が花開いていく。
 あなたと一緒にいるからこそ眩しい、明るく美しい世界でどんなものが見えて、何が聞こえるのか。
 僕がすごく好きになったこのアニメは、最終話、何を描いてくれるのか。
 とても楽しみです。

プレイレポート 24/03/20 BoA『償いの伽藍にて』

 昨日はシェンツさんのブレカナオリジナルシナリオを、カッツェのみんなと遊びました。

 シナリオタイトル:償いの伽藍にて システム:ブレイド・オブ・アルカナ GM:シェンツさん

 アカメくん:シンクレア:21才女性:マーテル=アダマス=コロナ 平和な片田舎に生まれ、誰かを助けるために盾を持ち運命に身を投じたグラディウシア騎士。ハイデルランドで生きていくにはあまりに真っ直ぐな魂をしているが、だからこそ眩しい光の化身。

 二次元くん:”星見の”ヴァイベルク:外見60代男性:アクシス=フィニス=オービス 天恵院で学究に明け暮れ、狭い象牙の塔で人生を閉じようとしていた老学徒。刻まれたフィニスの聖痕に導かれ、広い世界で人に交わり学ぶ道へと己を進み出す。落ち着いた智慧を持ちつつ、達観で自分を遠ざけない真の賢者。

 コバヤシ:”死の暴風”ライカーガス:外見30代男性:アングルス=アルドールクレアータ 記憶もなく、渇望と炎の剣のみを抱え戦場を渡り歩く凄腕の傭兵。その正体はモルトゥスの魔印を刻まれた死者であり、さすらいながらも正しい生き方を探し求めている、喋るされこうべ

 

 こんな感じのメンバーで、クソ異端蔓延る辺境の街へ飛び込んでいきました。
 大変面白かったです。
 発売以来時が立ち、ダークファンタジーのイメージソースも色々変わった中、『俺は生き延びるのがハードな難易度の、陰鬱な中世世界で怪物相手に切った貼ったするのが大好きだぜ!』という、GMの叫び声がよく聞こえるシナリオとなりました。
 差し出されるビジュアルイメージや各種イベントのロクでもなさが大変凄くて、ぐぐっと前のめりにシナリオに引きずり込まれるパワーがあって、遊んでるコッチもノリよく進めました。
 『これぞハイデルランド!』という感じのロクでもなさを堪能しつつも、神と救いに関わる真摯な問いかけ、重たすぎる定めへのリリカルな視線がちゃんとあって、ロクでもなさを露悪に味わうだけで終わらなかったのは、大変良かったです。
 本当どうしようもないんだけども、しかしそんな倫理の泥沼の中で当事者たちは必死にあがいているという、ハイデルランド特有の切実さが良い感じに染み出していて、キャラもPLもそれを自分に引き受け答えを返した、大変いいセッションだと思いました。

 僕ら3rd時代にエピック・ファンタジーは山程やったわけで、歴史が動く大きな話というよりは、あまり公式NPCによりかからない味わいのセッションを作ってくれました。
 そういう話になっても……あるいはなればこそ、ハイデルランドが元来有している魅力的なおどろおどろしさ、祈りが呪いとなり呪いの中で祈る切なさみたいなものが、シナリオ全体に漲っていたのは大変良かったです。
 『これが俺の見た、”ブレイド・オブ・アルカナ”だ!』という、シンプルで真っ直ぐな主張がセッションに芯を入れていて、イメージと熱量の共有がしやすかったことが、身の入ったセッションを支えていたと思います。

 PLは二人が9000円のルールブックわざわざ買って初参加、メッチャ久しぶりにハイデルランド降誕という形だったのですが、クセのない造形がシナリオの強さとバッチリ噛み合う、大変いい造形でした。
 理想を諦めない若き騎士、酸いも甘いも噛み分けつつ熱を残す不死の賢者、擦れっ枯らしながら微かな光を残す魔印の剣士。
 キャラの書き分け・棲み分けが気持ちよく成立して、お互いのキャラ性がお互いを引き立てる連動が理想的に回っていたのは、大変ありがたかったです。
 やっぱ他人のキャラシーを良く見て、欲しいところに欲しい球投げあえるセッションは最高に気持ちがいい……。
 俺も宿命を刻まれし修羅が言いそうなことを、ポンポン垂れ流しに出来て最高でした。
 やっぱハイデルランドからしか生まれない、独特の”味”ってのはあるわなー。

 

 というわけで、大変楽しいセッションとなりました。
 俺もオリジナルシナリオを作って、たっけールールブックの元取んなきゃな! という気持ちがメラリと燃え上がってきました。
 GM、頑張りたいと思います。
 同卓していただいた方、ありがとうございました。