イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フラッタ・リンツ・ライフ

森博嗣中央公論新社。寒くて仕方がないので、小説が読みたくなって借りてきた。「いつものように」というのはシリーズものを評するときに便r過ぎて使いたくない言葉だが、あえて使おう。「いつものように」丁寧で、綺麗で、海辺で洗ったような透明感のある小説だ。森博嗣の言語感覚、現実の切断面の鋭さはこのシリーズでこそ映えるような気がする。
が、違うこともある。あの草薙水素は飛ばない。疲れていて、ふら付いていて、老いている。あの草薙水素が、まるで人間みたいに、だ。それがこの小説がキルドレシリーズが止まっていない事の証明なのかもしれないと、ぼんやりと思った。それは人間らしさとやらとは一切違う方向性に走っていく言葉の力だ。
この小説は非常に現実感に薄い(乏しい、わけではない)小説で、書かれる為に書かれた小説だ。森博嗣自体がそういう作家なのだが、ことキルドレシリーズは徹底してその色が濃い。だから、草薙水素が人間らしくなったわけではない。なんと言うか、単純に事象として「飛べない」方向に草薙水素が変化している。それだけのことで、この現実感のないシリーズにおいて変化を語るなら、それだけが正解なのだろうと、そういうことなのだ。
語り部である「僕」もまた、書割のような戦争世界で「飛べない」方向へと進んでいく。このシリーズが「飛ぶ」ことを書いてきて、ゆっくりと旋回してこの話でくっきりと「飛べない」ことをサイトにロックしている。キルドレシリーズにこれ以上続きがあるかどうかは解らないが、少なくとも書かれる為に書かれた小説としての「終わり」の気配が強く漂っている小説なのは間違いないだろう。そして、それはけして悲しいことではないのだ。ただ、そういうものなのだろう。