イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

GUNSLINGERGIRL 9

相田裕メディアワークス。アニメ二期決定、ガガガの九巻目でございます。結構長めに続いたペトラ編が終了し、始まったのは終わりの初めというかなんというか。そもそもにおいて、この漫画は非常にろくでもなく、かつろくでもないことに自覚的で内罰的な漫画でして。まぁ女の子をサイボーグにして、脳負荷が異常なクスリで洗脳したあげく鉄砲持たしてテロリスト皆殺し、手に入れたデータは民生利用でウッハウハと、女の子は鯨じゃねーんだぞ! と突っ込みたくなるような設定で自覚ないのも問題ですけども。
しかしま、漫画とアニメで、女の子と戦いが扱われない漫画は最近非常に少ない。そんな風潮の中で、そういうことに自覚的なこのマンガが僕はとても好きなわけですよ。このマンガの女の子達はとても可愛い。でも、思い返してみれば最初から彼女達は歩く死人であり、担当官はネクロマンサーであり、死人はやっぱり腐り果てるしかない。そんな都合の良い様で悪いモラルを抱え込みつつ進んできた話は、ペトラという恋をしたり人を殺さなかったりという「まともな死人」の出現で終わりの風景を見せていたわけです。
義体一期生たちはみなとても子供で、クラエスにしてもトリエラにしても結局"賢い子供"でしかない。何かを選び取ったり、運命の車輪から逃れたりするには、どうしても足らない部分が存在する。このマンガにおいては公社という超攻性非合法諜報組織の因果と、義体に組み込まれた死の秒読みなのですが。一期生たちはソレを克服できませんが、ペトラ(と二期生)はそれを克服してしまうのでしょう。
なにしろ二巻かけてずっとやってきたペトラの話とはつまり、それまで延々えがかれてきた「子供が銃を持って人を殺すこと」と「刷り込まれた愛情を基準に関係を作っていくこと」へのアンチテーゼ提議でありまして。「君らのやってきたことはやはり死人の演劇でしかなく、滅びることでしか終われない」とひどく人間的なペトラとサンドラの行動が無言の内に告げれば、やはりこの酷くろくでもない人形劇は死の方向に突き進んでいくわけです。
そんな終わりが始まって、やはり最初に語られるのは最初の一人であるアンジェなわけで。こうして冬の木の枝に成った果実のように、ぼろぼろとぼろぼろと一人ずつ終わっていくのかと思うととても物悲しい気持ちになります。なにしろ彼女達は可愛い。相田祐は絵が巧いし、可愛く書くことに注力してきましたからね。ですが、やはりこの話は初めから終わる話なので、終わらないよりは終わったほうが遥かにいいのでしょう。
このマンガが本当にろくでもないなぁ、と思うのは、アンジェが死んだ後もマルコーは生きつづけ、別に墓守になることもなく、それなりに心に傷を負いつつも乗り越えて別の子の担当官になってしまうことです。優しく嘘をつくなら、アンジェはとても思い存在で、マルコーはその重さに潰されて退場してしまう流れが発生するんでしょうが、マルコーは大人でベテランなので、それなりに蹴りをつけて、アンジェを終わらせて退場してしまう。それは生々しい解決法で、綺麗なお話にはそぐわない死の解決法です。
でもまぁ、そういう風に一人の女の子が死んで、死んだ後がある、ということがこの作品なんだと思います。そうやって一巻ずつ、じっくりと女の子達は死んでいくのでしょう。それは、このお話が始まったときから決まっていたことで、つまりはそういうものなのです。そして、僕はその態度はとても良いことだと思っています。