イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

話数単位で選ぶ 2018TVアニメ10選

まだ放送を残すアニメがいくつかございますが、今年も10選企画、参加させていただきます。
元締めは新米小僧の見習日記さんであります。

・ルール
・2017年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

この企画をやりやすくする意味もあって、今年はクールごとの視聴アニメ総評・ベストエピソード選出を既にやっております。そっちだと個人的な感性(アニメを信頼できるような、序盤・中盤の地盤固め回が好きで、多く選出されている)が表に出てますが、沢山の方が参加される企画ということでより作品全体を見た視座、よりポピュラーな盛り上がりに感覚を寄せて選出しています。

吐く息白く -2018年1月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

長雨また楽し -2018年4月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

秋風やや寒し ─2018年7月期アニメ総評&ベストエピソード─ - イマワノキワ

六花咲く頃に ─2018年10月期アニメ総評&ベストエピソード─ - イマワノキワ

 

なお、放送日順です。

アイドリッシュセブン 第8話『プリーズ、ミュージック』

序盤に感じていた都合の良さや生ぬるさが、ここに来て大きな意味を持ってくる物語的再構築の楽しさも含めて、非常に良い話でした。

アイドリッシュセブン:第8話『プリーズ、ミュージック』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 1月期を颯爽と駆け抜けた男子アイドルコンテンツ界の昇竜からは、中盤の挫折であり山場でもあるこのエピソードを。
正直ヌルい乙女甘やかしコンテンツだと思っていたわけだが、第4話辺りから重たい雲がかかり始め、芸事の厳しさ、キャラクターを縛り付ける”家族”の呪いが、通奏低音のようにアイドルサクセス物語に乗っかり始める。それが最大限の失敗として爆裂するのが、このエピソードである。
とにかく話の上げ下げが激しく明瞭なお話で、それを鮮明な明暗の演出、きっぱりと意思を感じさせるレイアウトがしっかり補強していた。ときに残忍に思えるほど強く強く下げて心を揺さぶり、眩しい光の中の成功体験で下がった心を打ち上げる。物語を飛翔させる”バネ”としての下げ展開の使い方が上手く、ダイナミックな感情の渦を楽しむことが出来た。
顔のいい男たちの顔の良さを、最大限活かしてぶん殴るキャラデザの強さ、作画の崩れなさもいい。あらゆるカットが非常にキラキラしていて、”この男たちの最高を、君たちに届けたい!”という熱情が、確かな光を生んでいた。顔のいい男を見ると、肌が潤う。乾燥した冬にはありがたいアニメだった。

この話数を選んだのはタイトルが出るタイミングとその意味が六割である。(無論、そこに分厚い意味を見出すためにはここまでの話数、ここからの話数が絶対に必要であるのは論をまたない。ただ、莫大に散りばめられた意味の星を線で結び、明瞭な意味を与えてしまう決定的な瞬間というのが物語には必要で、僕にとってはそれが”ここ”であった)
『Please』の複層的な意味をこれまでの過去、これからの未来に繋げる詩学に、綺麗にノックアウトされてしまった。『喜び』を意味する”Pleasure”から派生した言葉は、『喜んでアイドルさせてもらいます』という”アイドル”側の思いを、どん底でも持ち続ける意志に繋がっている。
同時に音楽は常に”喜び”であり、どれだけ重たい因縁や感情が絡んで、生臭い嫉妬や憎悪が失敗を連れてきたとしても、そういう泥から美しい花を咲かせる蓮のような”Pleasure”として輝く……輝き続けなければならないことも含む。この大失敗のエピソードにあえて、”Please”と乗せてくるのは、このアニメが見据えていた世界の粘度と暗さに囚われつつ、それでも”喜び=音楽”を人生と選んだ少年たちに寄せる期待の大きさ、選び取った闇に負けず光にたどり着くという作者の意思を感じたのだ。
そして”Please”は受け取る側、ファン、あるいはスタッフ(”主人公”たる紬)の期待感『あなたの光をください!』という祈りでもある。幾重にも折り重なる”Please”の交点にこそ、”アイドル”というタピストリのリアルはある。その複雑な織り目をこれまでも描いてきたし、ここを足場に今後も描く。そういう覚悟の見えるタイトルだった。

そういうものは、”アイドル”を書く上で大事だと思う。無論、明るい光を徹底的に描ききり、人を喜ばせる”アイドル”のポジティブな側面を描き続けることでも、傑作は生まれる(’”アイカツ!”とか)
しかし”アイドル”自身も血と因縁と感情に囚われ、それでも自分を偶像として、”喜び”の光源として求める人々の視線を堂々受け止め、笑顔を作っている。それがどれだけしんどいことか、当たり前に消費される”喜び”がどれだけの奇跡なのか、人間のドス黒さに深く踏み込んだこのエピソードは、くっきりとした明暗で描いた。
その上で、夜闇の暗さに諦めるのではなく、『それでも』と歯を食いしばりながらトップを目指す。そこにたどり着くことで、自分を縛る鎖を引きちぎり、最も己らしい己になれると信じるなら、迷っても間違えても、歩みを止めることは出来ない。それを支え正すために、仲間が、裏方のスタッフが居るわけだ。

そういう明暗が、地上波デビュー大失敗という重たい下げ、完璧マシーンだった一織が破壊されるエピソードを”プリーズ、ミュージック”で〆たこのエピソードは、アイナナらしい強く大胆な表現力が溢れている。楽曲表現としてはライブがある第6話、第17話辺りも強いけど、全てがガッシャーンなったTVステージの重たい絶望感こそ、アイナナらしさ……かな? そこ重く書くことで、這い上がる意志力を感じるわけだし。
既に外伝のネット放送が確定し、続編制作も決定しているこのシリーズ。僕の推しである大和の真相はまだ描かれきっておらず、この一期で存分に悩み周囲を振り回した伊織や環、壮五、陸のように、思いっきり暴れて自分を曝け出し、そこから進んでいってほしいものだ。二期、楽しみに待っています。

 

アイドルタイムプリパラ:第50話『夢のツバサで飛べマイドリーム!』

楽しかったなぁ。 すごく真面目で大事なことをやりつつ、やっぱりちゃんとコメディで、ガハハと笑って楽しくなれた。それってやっぱ、凄いことだと思う。

アイドルタイムプリパラ:第50話『夢のツバサで飛べマイドリーム!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 プリパラが終わった。ライブアクトではまだまだ続いているし、”プリチャン!”もあるのだが、そっちにコミットできなかった僕はそれを語る資格も資質も持たないので、プリパラの話をする。アイドルタイムの話をする。
アイドルタイムは、己を語り尽くせたのだろうか? ゆい達の”その後”を予感させつつ終わった、プリリズからの伝統たる”一話まるまるエピローグ”が余白を残す作りだったから、という話ではない。もう少し、やりたいこと、やるべきことは残っていなかったか、という話だ。
あまりに豊かで広いもの……パックというエゴの塊を最終戦の相手と定め、”みんな”になりきれない”あなた”を”みんな”の一員である/一員になれてしまう”わたし”はどう受け止めるかに相当な時間を使ったアイドルタイムを見れば、まだまだ描ける広さに目が行き、それがアニメというキャンバスでは描かれない寂しさにも目を取られる。
そういうふうに、永遠に伸びていく可能性を追い求めてきたシリーズである以上、未練と余韻を残せて終われたのは幸福であったとも思う。

例えば”DOUBLE DECKER! ダグ&キリル”の第9話とか、”HUGっと! プリキュア”の若宮アンリにまつわる物語とか、”やがて君になる”の詩情と真摯さで切開される女性同性愛だとか、”ゾンビランドサガ”第8話に置けるピーターパンシンドロームと永遠の中性だとか、今年は性差、性自認にナイーブな表現を選び俎上に載せたアニメが、かなり多かったと思う。
時代の流れを鋭敏に感じ取った結果であり、そういう”トレンド”とも違う根源的な大切さに向き合った結果だとも思うが、プリパラはその数年前にレオナを出し、ひびきを出し、女の装いを男が選び取るのは”あるがまま”の結果だと、堂々宣言していた。
様々なマイノリティへの意識、それをアニメーションに乗っける意味はメインストリームである深夜アニメより、児童向けアニメ・コンテンツのほうが遥かに太い。長年”子供”に向き合ってきたサンリオ作品、特に”サンリオ男子”がそこに強く踏み込むのは、ある意味当然かも知れない。
とまれ、そういう景色をプリパラはずっと大胆に、余計な力みなく楽しく切り開いてきた。それを見て新たしい世界認識が生まれる視聴者もいるだろうし、ひっそり自分の中の頑なな部分を笑いで切り崩される人もいるだろう。何も気にせず笑った人も、”笑った”というその事実をもって、プリパラが突きつけてきた”それ”の存在を視野に入れ、もう無視はできない。それは、とても強く偉大なことだ。

そんなプリパラが終わる最後の物語は、第46話から暴れ回らせたパックのエゴイズムを、歌が拾い上げる終わり方となった。それを”みんな”への強制同化と取るか、パックの歩み寄りと取るかは、正直意見が割れるところだと思う。そうなる重たさで、アイドルタイムはパックを、彼女を取り巻く愛と嫉妬の陰影を塗り重ねてきた。
それでも、”みんな”であることは喜ばしく、そこから切り離されて閉ざされていくのは、とても冷たく苦しい。だから、”アイドルはじめる時間だよ!”という呼びかけはいつだって、選ばれた特別な主人公ではなく”みんな”に向けられていたのだ。

プリパラが終わって九ヶ月、時折この最終回…一個前のクライマックスを思い出す。パックの思い、それを受け取る”みんな”、その舳先に立つアイドルタイム一年の主人公ゆいは、何を語り得たのだろうか。
その答えは、やっぱりちゃんとアイドルタイムの中に、このクライマックスの決着の中に刻まれていると思う。三年主役を張ったらぁらが背負えなかったものを、ゆいは身勝手に乗り越えてパックに届けた。それ故船が出る。そこには”みんな”がいるのだ。
そう自分に言い聞かせつつも、語られなかった、語りきれなかった、語り尽くせなかった”アイドルタイム”の続きを見たいという未練は、確かにある。それは多分あっても善いのだ、ということも、このクライマックスとその後のエピローグは、ちゃんと優しく語っていると思う。
とてもいいアニメだった。

 

宇宙よりも遠い場所:第12話『宇宙よりも遠い場所

巧さを豪腕でぶん回して、視聴者の脳髄をかっ飛ばす物語筋が、ミスターオリンピアくらいある。

宇宙よりも遠い場所:第12話『宇宙よりも遠い場所』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 いしづかあつこは間違いなく天才で、その天才性が存分に発揮されたのがよりもいであった、と僕は思う。あんま媚びないトンチキな女の子たちに向ける、暖かで手触りのある視線。出会い、ぶつかりあい、わかり合っていく中で溢れてくる感情の重たさと熱さ。出会いの先で学びゆく、人生の意味。
そういうモノを全て映像に塗り込め、圧倒的な圧縮力で意味をたっぷり込めて、カロリー高い画面で視聴者をぶん殴って、難しく繊細な物語を強引に食わせてしまう。映像作家としての力量が、物語作家としての野望を叶えうるという、アニメ作家の理想形を見事に体現し、13話一切緩まず走り切るシリーズであったと思う。

女の子たちが軒並みあんまり可愛くなくて、それ故とても可愛いのがいいアニメだった。矛盾した言説だが、省略した部分を補うと『(一般的なアニメ消費文脈、”媚”を基調とするキャラ記号の寄せ集めとしては)あんまり可愛くない(はずなんだが、それは作者が一人間としてキャラを見て、秘めた複雑な陰影をしっかり見据えキャラに焼き付けた故無くなってしまった部分。そういう生っぽい部分をアニメ映えする意匠でキャッチーに面白く、しっかり整えるところ含めて)とても可愛い(と思える、受け止めさせるデザインと運用の妙味)』となる。
女の子四人はあんまアニメっぽいダイレクトな言説、行動、演出はしない。いや、嵐の南氷洋にぶっ込んだり、しゃくまんえんが無くなったからエンエン泣いたり、コミカルでダイナミックなシーンは勿論多いんだけども、それを生み出す行動原理がどこか泥っぽくて、あんまプラスティックな質感ではない。
語りすぎないダイアログと、それを補って余りある映像の演出力のバランスが、独自の楽しさを強く打ち出してくる。このアニメらしい語り口は様々な場所で盛り上がり、それが最後の大きな波……この話数で描かれる 報瀬と”母”との対面で炸裂する……ように、ここが最大のピークとなるように、的確に構成されている。

モノが喋りまくるいしづかあつこの天才が画面中にみっしりと満ちて、観ること、読むことのプリミティブな喜びを加速させてくれるエピソードである。仲間を”宇宙よりも遠い場所”まで釣れてきた激情と、母を失った空白の同居。そこに押し寄せるメールの”波”、埋め込まれた自分自身の慕情と温もり、それを反射する強烈な不在……否定しようのない木霊なき”死”。全てを”絵”で魅せられる。
無論それは、考え抜かれた会話の味わい、それに血を通わせる声優の熱演があってこその、静謐な圧力だ。役者・花澤香菜の実力が存分に暴れまわり、その円熟をあらゆる人に納得させるエピソードでもある。とにかく、ざーさんが強い。
主役である報瀬を太く描きつつも、彼女と出会い彼女を支え、また彼女が出会い支えてきたかけがえのない仲間たちがどれだけ情に厚く、体温の熱い最高の友であるかをしっかり見せるのも、彼女たちの冒険に付き合った身としては感慨ひとしおである。
全ての要素が有機的に繋がり、物語の起因となった聖杯が、その不在を告げる。その後の最終話の穏やかな満足感、別れても続いていく友情の色彩、最後の最後でもうひとりの仲間に報いるオチ含めて、この話の波の高さが、”よりもい”を見事に総括していると思う。

 

ルパン三世 PART5:第23話『その時、古くからの相棒が言った』

過去に敬意と目配せ、現在に誇りと努力、未来に希望と決意。 "ルパン"オフィシャルがどれだけ"ルパン"を理解し、愛し、夢を持っているか。24分のドラマで証明するような作りだった

ルパン三世 PART5:第23話『その時、古くからの相棒が言った』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 リメイクの多い一年であった。オタクの高年齢化、アニメビジネスの拡大とコンテンツ枯れなど、いろいろな要因はあろう。
あしたのジョー”をスチームパンクな味わいで復刻しつつ、原作の完全燃焼主義を別角度から乗り越えていった”メガロボクス”。
既に大団円を迎えたはずの物語に、あえて”ゼロ”を追加し、描かれなかった物語を本気で描ききることで、暗い闇の中疼く不屈の希望を走りきった”シュタインズゲートゼロ
そして、ルパン三世 PART5である。

僕はPART4が凄く好きで、その後に続くTVシリーズは一体何をやるのかなと、怪訝に思いつつ見始めた。レベッカを相手に描かれただけのオリジナリティと情熱、ルパンへの愛を果たして、もう一度描けるのか?
無論、現実はいつでも余計な心配を乗り越えていく。過去のアニメはおろか原作漫画や初代”アルセーヌ・ルパン”の物語なども貪欲に巻き込んで、『ルパンサーガ』全てを描き切るような野望の作品は、同時に見事な自分らしさを兼ね備えた、面白いシリーズでもあった。
様々なジャンルの作家をゲスト脚本に選び、ガンアクションから探偵推理、ロマンスミステリまで縦横無尽に”ルパン”を踊らせる試み。時にコミカルに、時にシリアスに、切れ味鋭い演出。再解釈とノスタルジーが複雑に、真剣に絡み合い、過去から現在、そして未来へと”ルパン”が伸びていく気持ちよさ。
世界中を旅する(時に時間すら過去に戻る)ルパンの存在感を支えるべく、毎回設定をしっかり起こした背景美術の美麗さ、実在感は素晴らしく、物語の中で背景”が果たす仕事のデカさを、改めて教えてもくれた。

あまりにも巨大化し、その総体がもはや掴めない”ルパン”を、”PART5”の重さを背負えばこそ、自分たちがちゃんと受け止めなければいけない。そういう使命感すら感じられる本気さで、24話思い切り走り、バラエティ豊かに楽しませてくれた。
様々なエピソードの全てが”ルパン”で、時間軸的にも話しのトーンとジャンル的にも、色んなものが一度に見れる猥雑さが、最高に楽しかった。

そんな作品を成り立たせている鋭い批評眼が、真っ直ぐなヒロイズムとルパン愛に支えられ、最高の演出と演技で暴れまわるのが、このエピソードである。やっぱり、何度見てもいい。強い。
『”ルパン”とは何なのか?』という問いへの答えは、やっぱり最終話で晒した素顔、不二子との関係性に出されたアンサーがあまりに輝きすぎててそっちで出るのだけども、『”ルパン一味”とは何なのか?』という問いへの答えは、この回の次元とルパンの対話の中に、しっかり焼き付けられたと思う。
それはオフィシャルだからこそ、1ファンとして”ルパン”を愛したスタッフだからこそ生み出せる決定的な答えで、今ここで”PART5”が絶対に言って置かなければならなことを、過ちなく描ききったエピソードでした。

すべてを語り終えたかのような満足感でPART5は終わるけども、”ルパン”はまだまだ続いていて。第26弾のTVシリーズシリーズの放送も決定しました。
もし”これからのルパン”が続くのならば、それはこのPART5が”これまでのルパン”の全てを愛を込めて抱擁し、肯定し、そこで満足せずに”今の”ルパンを描ききったからでしょう。そう言い切れるだけの”強さ”が、このエピソードにはあります。嘘じゃない。

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト:第12話『レヴュースタァライト

約 束 タ ワ ー ブ リ ッ ジ 頭おかしいんじゃないの?(褒め言葉)

少女☆歌劇 レヴュースタァライト:第12話『レヴュースタァライト』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 やっぱりオリジナルアニメは面白いなと、つくづく思わされる一年だった。
未発売のゲームを先行でアニメ化しつつ、原作たる”競馬”への溢れる愛情を詰め込み熱くキャッチーに仕上げた”ウマ娘”。先に論じた”宇宙よりも遠い場所”、これから論じる”ゾンビランドサガ”。先を知らないがゆえの面白さが、オリジナルな演出の腕力でブンブン殴ってくるアニメが多くて、嬉しい悲鳴を漏らした。
このアニメもまた、オリジナルである。原作……というよりも、作中の言葉を借りてリアルの舞台との『二層構造』で作られているアニメは、しかしアニメーション表現として、物語として圧倒的にオリジナルであり、楽しかった。

この時代に必要なポップさをしっかり背負った上で、どこか懐かしい暗喩と内省を随所に飾って、思いっきり走り抜けた。『イクニっぽい』で見始めた、ノスタルジーに脳髄を封じられたおっさんの頭を思いっきり殴り抜けて、『古川知宏此処にあり』と、堂々の作家性を見せつけた。
女の子たちのポップでコミカルな魅力が、強く話を牽引していた。後にでてくるインタビューを追うと、それは『フィルムよりもキャラ』と作品に求められているものを定め、それを達成するために映像や物語をしっかり制御した、作家達の血と決意で刻まれたアイコンであると理解ってくる。
感性が赴くままに面白そうなことを思いっきりブチ込み、ぶっ飛んだ笑いと勢いで走り抜けるパワーもまたあって、笑いが上品で力強かった。面白いシーンがちゃんと面白いことで、少女たちが身を置く歌劇、青春の息遣いが、身近に感じられたと思う。
その最たる象徴が最後の最後、全てがまとまる最終回にぶっ刺さるのが、本当にこのアニメらしい。刺すしかねぇ!

同時に凄くナイーブな青春群像劇でもあり、優しさ故に閉じた永遠を求めたななの真実が判る第7話、此処まで物語が歩いてきた道を名曲”舞台少女心得 幕間”で歌いきる第11話などは、特に素晴らしい。
彼女たちは生きて、歌い、踊った。思いをぶつけ合い、譲れない星を見つけ、負けてもなお自分星を探す強かさとともに、美しく演じきった。その強い輝きが奇跡を起こし、新たな舞台が生まれる。その歩みをしっかりまとめ上げる最終回で、非常に良かった。
”歌”が分厚く強いのは『二層構造』の強みだが、レヴューシーンが怒涛のラッシュを仕掛けてくるこのエピソードは、その強みが特に前に出た話数だと思う。
舞台装置が大胆に動き、ひかりの孤独と絶望、華恋の独善と強さが全てを押し流していく。最終話に必要な盛り上がりがしっかり劇的空間に焼き付き、”演劇”をテーマに選び取った意味が、しっかり太く存在感を主張していた。

この最終話の盛り上がりは、やっぱり今まで積み上げてきたものあってのこと。舞台少女の一人とて、端役と蔑まれることなく、それぞれの尊厳を輝かせ必死に戦った。その代表だからこそ、ひかりと華恋の戦いと結末は、みんなの物語を締めくくるのに相応しい熱量を持つ。
何かとエキセントリックでチャーミングな枝葉に目が行きがちだけども、実は物語として非常にシンプルで太い構造を、しっかり走りきったのだと判る意味でも、この最終話はすごく良い。

 

アイカツフレンズ! 第31話『伝説の101番勝負!』

作品の最初から問われてきたセントラルクエスチョンに、競争心むき出しでぶつかりまくる二人、ステージを経てお互いを見つける二人が、しっかり答えを出す回だった。

アイカツフレンズ!:第31話『伝説の101番勝負!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

『 フレンズには期待していなかった』と書くと、多分ぶん殴られると思う。でもしょうがない、見始めたときは正直、そういう気持ちだったから。
スターズが”アイカツ”として提示してきたものと、僕は上手くコミットできなかった。『これってアイカツか?』と引用して茶化す気分にもなれないまま、警戒心を上げてみた第一話は、あまりに完璧な『女が女に出会う話』『少女がアイドルに出会う話』『少女が運命に出会う話』であり、だからこそ警戒心は解けなかった。
ずっとこの温度と質量で走りきれるのだろうか。フレンズの間にある感情を深くえぐりながら、コミカルな楽しさもシリアスな真剣さも盛り込んで”アイカツ”らしくやりきれるのか。フレンズ独特の可愛げと面白さと重たさは、ちゃんと出せるのか。
そういう疑念がゆっくりと、実際に毎週放送されるエピソードに浸る中で解けていって、それでも確かな疑問として残っていたもの。

『フレンズって、なんだ?』

ロマンスの文脈を露骨に借り受け、女と女がお互いを見つめ続けるフレンズの文法は、確かに熱い。そこに込められた感情と関係性はたしかに本物であり、しかし同時に、歪な恋愛の真似事でしかないのではないか、と首を幾度かひねった。
ヘテロで多数派の『男女の関係』を『女と女』で焼き直すことで、スタンダード故に積み重なった文化的資源、文脈の太さを窃盗する。そういう意味合いで”フレンズ”がロマンスに擬されているとしたら、これは不正な行為だ。
そうではなく、女と女が恋に似た感情をいだき、しかし恋ではないからこそ描けるものがある……『劇場版アイカツ!』で”輝きのエチュード”を生み出したような、本気で駆け抜ける”アイドル”だけが掴める”歌”へと続く道ならば、”フレンズはフレンズであり、フレンズでしかない”というトートロジーも許される。

このエピソードでピュアパレットは長い迷走を終え、あいねとみおの関係に一つのピリオドが打たれる。飛び交う鳩、鳴り響く鐘、長く延びる霧笛。第1話、あるいは第11話、第28話で思う存分唸ったロマンスの文法が、今回最強に強まる。
その上で、このお話をベストに選ぶのは、”後”が良いからだ。自分がみおの後塵を拝し、それでも追いつこうと心底思えたあいね。別れたからこそ、あいねの手を取ってラブミーティアの高みまで一緒に飛びたいという願いに気づけたみお。二人がたどり着いたゴールはそこで終わりではなく、たしかにその”後”がある。
名前呼びになった後のピュアパレットは、どこかよそよそしいお友達感覚を確かに踏み越え、戦友のようなふてぶてしい距離感を見せている。迷ったこと、ぶつかったこと、わかりあったことはただ一瞬のスパークではなく、確かに生き方を変える猛烈な光、決定的な出会いだった。

それこそが”フレンズ”であり、ここにたどり着くために最初の出会い、アイドルとしての歩み、青春の戸惑いがあったのだ。全ては無駄ではなく、濃厚に意味を宿して連環する。一年4クールを通じて描かれる、長いスパンの物語だからこそ可能な、腰を据えた語り口。
その結実として、これまでの文脈(フレンズ単品ではなく、”アイカツ”すべてを含めた)を最大限活用し、可愛さと真剣さ、溢れるエモーションと絡み合う視線で画面を埋め尽くしたこのエピソードは、やっぱり凄く良い。
ここで全てがまとまって、全てが始まるのだ。恋に似て、しかし恋ではない。トモダチでライバルで、誰よりも大事でありながら、広い世界と手をつなぐ結節点もなってくれるような、運命のパートナー。それこそが”フレンズ”なのだと、力強く訴えかけてくる勝負の回である。

 

やがて君になる:第6話『言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて』

これまでも冴えた演出、境界を行き来し観客を酩酊させるドラマが冴えていたアニメであるが、今回は明かされる真実、話の構成、暗喩と感情、全ての局面が悪魔的に切れる。勝負回に、確実に勝ちに来た作りだ。

やがて君になる:第6話『言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 感情のアニメが強い一年だった。”百合”とか”女と女”とかに限定してしまうと、自分の観測範囲を狭めるだけなのであえて、こういう表現をする。誰かが誰かを求め、どうしようもなく感情が渦を巻く瞬間の、危険過ぎるうねり。それを真ん中に据えたアニメが、たくさん見れる一年だった。
終わった物語のその先に、みっしりと危うさと希望の光を詰め込んだ”Free!”三期。
ズルく臆病な人々が幸福を求めて不幸をばらまき、高く飛んで堕ちていくまでを描ききった”ハッピーシュガーライフ”。
ハリーを中心に複雑怪奇な感情銀河が渦を巻く”HUGっと! プリキュア”の表現力と圧力。
”ルパン”にもルパン三世と彼になれなかったアルベールとの愛憎が色濃く焼き付いていたし、”アイカツフレンズ””レビュースタァライト””BANANA FISH”は言わずもがなだ

そのうねり、誰かが誰かを求めつつなかなかハッピーエンドにはたどり着けない葛藤のドラマを観るのが、僕は好きだ。それさえ出してくれれば、後はなんとでもなるという信条だからこそ、”あかねさす少女”が好きなのかもしれない。
原作からして、次代を切り開くほどに強く感情を焼き付け、美麗と醜悪同居する不可思議に深く切り込んでいった”やがて君になる”は、幸福なアニメ化を手に入れることができた。
時にゆったりとしたペースに落としてでも、微細な感情の揺れ、関係性の変化を見逃さず焼き付ける。ディテールにこそ神が宿ると信じ、一瞬一瞬を丁寧に積み重ねていく。ジャンルが、原作が選び取った方法論をしっかり踏襲し、静かに鋭い筆致で積み上げられる描写の一つ一つが、触れれば切れそうな鋭さと美しさを宿して、眼と心を楽しませてくれる。
原作をゆったり、贅沢に使って。インクのパーティクル一粒一粒を、アニメに変換して焼き付けるようなどっしりとした歩みを、初手から静かに、強く、凶暴に唸らせるアニメーションのテンポは、この話数で一度ピークに達する。

それは侑の星探しという最初のクエストが決定的に終わり、燈子への慕情が嘘ではないと破滅的に確信する瞬間だ。そしてそれこそが、燈子の側へ近づいていく最大の障壁となり、嘘で恋を押し殺し、燈子の望む都合の良さを演じ続ける……姉を完璧に演じ続けている燈子と近い存在になる、最初の踏み込みともなる。
あまりにも残酷で深く黒い、燈子を支配する”死の川(レテ)”。そこに流れているものが慕情と切望という、自分を星に押し流すのと同じものだと感じ取れたから、優しい侑は嘘をつく。燈子の”特別”に踏み込むパスポートを、自分がようやく見つけた”特別”を捨て去ることで手に入れる。
そうする哀切、そうさせるグロテスクがどんな色合いで、緊張感で、温度とリズムで展開するかを、このエピソードの映像言語はあまりに的確に、鮮明に、スキャンダラスに描き抜く。あらゆるシーンに緊張感がみなぎり、同時に張り詰めた優しさと哀しさがみっしりと満ちる。それは今対峙する生きた少女のフェイス・オフであると同時に、遠い思い出の国、死の国から女を支配するものとの対峙でもある。

ここら辺の複雑な色彩と構図を、あおきえいの天才が原作から綺麗に切り抜き、完璧に駆動させている。単純な映像作品としての仕上がり、圧力が頭一つ、どうしても他のエピソードから図抜けてしまっている。それが、”ベスト”の理由だ。
これ一つを選ぶ理由はあっても、他を切り捨てる理由がないところが悩ましく、贅沢なところだ。他のエピソードでも様々な筆、様々な画角で、みっしりと満ちた緊張感、光と闇の混濁、むせ返るような性欲と清廉の同居が、随所で見られる。本当に良いアニメ化である。
ジャンルのコアでは確実に不可欠と大事にされつつ、ポップ化した”百合”なるものでは時に軽んじられ、夾雑物として切り捨てられる性指向、愛情と不可分の(あるいは可分出来てしまう)性的興奮の湿り気を、一切逃げることなくちゃんと書き続けていることも、とてもいい。
セクシュアルな吐息はディスポーザブルな娯楽である(ことを否定して”あるべき正解”を大上段から振りかぶっても、実効ある言葉にはならないと思う。その軽視は、確かにそこにある。あるからこそ向き合い、時に抗議する必要もあろう)と同時に、人の生きる証、確かにそこに存在してしまうものだ。Aセクシュアル、あるいはXジェンダーとして既存のカテゴリーに名付けられない”不在”も含め、それはそこにある。そのことに真剣に向き合えるアニメが、僕はとても好きだ。エロくていいよ、このアニメ。

 

ゾンビランドサガ:第12話『グッドモーニング アゲイン SAGA』

だから最大限キャッチーでポップな可愛さ、笑いを分厚く作り上げて、とにかく楽しく、見ていて元気に心を揺さぶられる…視聴者をネクロマンスするアニメにした。

ゾンビランドサガ:第12話『グッドモーニング アゲイン SAGA』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 とにかく楽しいアニメだった。何も構えず気楽に見れて、ガハハと笑って感動して、スルスルと終極まで引っ張ってもらえる。そのために注ぎ込まれた労力と真面目さを思うと頭が地面につくまで下がるが、あくまで軽く、楽しく受け取ってもらいたいだろう製作者の思いを掬えば、そこにはあまり言及するべきではないのかもしれない。
が、どうしても真面目にアニメを見てしまう性質の持ち主としては、やっぱりその生真面目さにはちゃんと言及しておいたほうが、良い気がする。(ここでいう『真面目に』というのは一つの形質の表現であって、人間の倫理的態度、アニメに向かい合う時の是非判断を含まない……つもりだ。言葉というのは常に色が乗っかって政治的に流通し、なんらか相手にマウントを取るための武器として受け止められてしまいがちだけども、この『真面目』は可能な限り、ただの状態の記述、『熱い/寒い』と同じ種類の言葉と受け取って欲しい)
第一話からし宮野真守のコメディアンとしての才覚を最大限振り回し、大暴れでキャッチーなスタートを踏んだこのアニメ。死人をネタにした不謹慎さをブラックジョークに変えて、笑いと楽しさ、それを下支えする生き直しの根性物語でぐっと視聴者を掴んでいく。
ポップでハイテンポな笑いの切れ味が、アイデンティティを追い求めるゾンビの苦悩、”アイドル”という存在の難しさに真正面から向き合った結果生まれているのは、第二話から視野に入った。後で見返せば、第1話の段階で周到に用意されているのだが。

自分の根源的な真面目さをポップさで装う。初見の衝撃力で余計なことを考えさせないために、情報を封鎖して印象を最大化する。おちゃらけたコメディ調子をまといつつ、”音楽”の質の高さ、姿勢の真剣さで視聴者の居住まいを正させる。
あるいは謎、あるいは嘲笑、あるいはツッコミ。露出する不完全さは的確に計算され、後に答えが出たり、あるいは逆に視聴者を殴ってくる。そういう計算高さ、自分が何を作っているかへの意識の高さがあってこそ、人数もテーマも多い貪欲な藻の語りが、確かな充実感をもって収まる。
ゆうぎりとたえちゃんを”捨てる”決断含めて、そういう構成力の高さが目立つアニメだった。この最終話、フランシュシュのエンジンであり背骨でもあったさくらを立ち直らせる起点をその、メインストーリーも過去の掘り下げもなかった二人に任せるチョイスを見れば、そういうものは即座にわかる。
だからといってノリと勢いで押し流している部分が表層的な"嘘"とか、対外的な宣伝”だけ”というわけでも当然なく。理性と感性、情熱と冷静が同居した時に、傑作というのは生まれるのだろう。むしろその区分こそがとても曖昧で、いざ分け入ってみればそれらは混じり合い、お互い支え合っているものなのかもしれない。

白紙のアイデンティティを探し求めた、ゾンビたちの物語。ときに銃弾でぶち抜かれ、ときに他者の精神を壊すゾンビの異質性、過去から切り離されつつ過去から離れられないゾンビ的時間を、どう開き直って生き抜いていくか。
このお話はずっとそういう話だったと僕は思うし、ここまでの歩みは全部、各キャラクターがそこにたどり着くまでの物語だ。一番デカくて重たい歩みを、主人公に預けたこと。『人が変わったような』停滞とアパシーもまた、さくらの一面なのだと説得力込めて描けたこと。
そして無力感を学ばせる現実の理不尽、重たいリアリティを超えて、”ゾンビ”は、”アイドル”は新しい光にたどり着けるのだという、とても綺麗な嘘っぱちを堂々吠えたこと含めて、とてもいい最終回であり、ベストエピソードである。

 

BANANA FISH:第24話『The Catcher in the Rye』

アッシュの死を納得できない気持ちは、僕にもある。初めて漫画版を読み終わったあの瞬間から、ずっと燃えている。 しかしアニメになってもう一度再動してみれば、盤上この一手、確かにこういうふうに残酷に、誠実に終わるしかない物語だったと、再確認をした。

BANANA FISH:第24話『The Catcher in the Rye』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 今更僕が内海紘子という作家、彼女が初監督した”Free!”に抱いた厄介な屈折について語るのも重たいので、そこは省略する。期せずして”Free!”三期とぶつかることになった”BANANA FISH”は警戒感とともに始まり(僕はいつもそうだな)、満足とともに終わった。
善と愛を強く求めつつ、持ち前の資質と歪んだ世界に邪魔をされたどり着けない少年、アッシュ・リンクス。彼が”異国”から来訪したのんきなヒロイン気質、英二と出会ってしまうことから物語は始まる。
BANANA FISH”という魔薬、それを巡って飛び交う銃弾と性暴力。冷戦華やかなりし頃に描かれた原作から、現在へと舞台を変えて描き直されたこのアニメはしかし、”アメリカ”を蝕む病根がけして消え去らず、むしろ色合いを深めて生き残っていること……”BANANA FISH”が今だ現在進行系の物語であることを、しっかり強調したように思える。

そういう個別の情勢とは別に(あるいは不可分に)、アッシュから英二へ、世界へ伸びていく濃厚で複雑でシンプルな感情とその反射こそが、非常に普遍的な力を持っている。
あらゆる人が善を望みつつ、悪を為す。幸福に、正直に、平和に生きたいと望みつつ、正しさから離れて、あるいは引き剥がされて荒野を生き続けている。それは時代に関係なく、多分これからも人間を支配する矛盾であり、この作品の根っこにはそういう断絶と接合が強く横たわっている。
そしてそういう普遍性を、しっかり切り取り焼き付け続けたからこそ、このアニメはしっかり”今”を写したアニメ、生きたアニメになり得たのだと思う。
原作を大事に、ただただその形をなぞるのではなく。作品のコアにメスを入れて、時に描ききれない枝葉を捨て去る。地面に投げ捨てた夾雑物が、馥郁と孕んでしまう豊かさを惜しみつつ、作家の責務と大胆に切る。
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風”が、あるいは”からくりサーカス”が、現在進行系で挑んでいる、歴史との対峙という難事。それを一足先に走りきり、作品のエッセンスと味わいを豊かに描ききったこのアニメは、やはりこの結末から逆算され、描かれている。

アッシュは殺す。アニメートされた良い作画の中で、アッシュはあまりに的確に殺す。銃弾は必ず二発、傷を被うが視界が悪かろうが移動しながらだろうが、確実に殺す。その戦闘マシーンぶり、奪われる命から溢れる赤を、このアニメはずっと積んできた。
それはアッシュが銃弾の行く先を選び、殺すべきではない相手を殺さない選別と、全く同列に続いていく。殺したくないと願いつつ、しかし殺してしまう。そのアッシュのカルマは、どれだけ英二が優しくても、二人が見つめる”青”が正しくても……優しく正しいからこそ、無力で現実を変え得ない。
お話的な綺麗さ、嘘っぱちの都合の良さを凄く大事なものとしてキャラに背負わせつつ、しかし殺すこと、犯されること、首根っこを掴まれて地面に押し付けられることから、目をそらさない。その過ちは確かにそこにあって、大概の場合”正しさ”なんぞより力強いのだという事実/現実/真実は、アッシュや英二を例外にはしない。
自分の外側の世界だけが、特別に残忍だというわけじゃない。悪は凡庸で力強く、魅力的ですらある。その長い腕が、拒むものを連れ去ろうと伸びてくる時、一体何を支えに善にしがみつき、己の祈りを守り切るのか。

その最果てに、この最終話がある。完璧な答えだし、また問いかけだとも思う。
アッシュはなぜ死ぬのか。英二はなぜ生きるのか。二人の間に何があり、何が残ったのか。
それは舞台を変えても生き残った”アメリカ”(と、その地位を再度問われつつある”異国”)への問いと描写、描写自体が問となるような豊かな構図と全く同じように、見たものの胸に突き刺さって抜けない。
原作が持つその鋭さを、どう最新鋭に研ぎ澄ましてぶっ刺すか。どういう絵、どういう話運び、どういう音で殴りつければ、それを己の物語だと、自分の問への答え、自分の答えへの問だと受け止めてもらえるか。
それを考え続け実行し続けた2クールだったと思う。個人的には、米文学から引用したサブタイトルも、作品を再切開する良いツールになってくれた。
その総まとめとしてのこのエピソードは、もう単純にアニメとしてのクオリティが抜けている。ぶっちぎりで動き、ぶっちぎりで細やかだ。そこに一アニメーターとしての内海紘子がどれだけ食い込んでいるかは、作業工程を見れない1ファンには妄想しか出来ないが、確かに彼女は天才的なアニメーターであり、監督であり、ストーリーテラーとしての資質と誠実さを備えていたのだなと、差し出された作品を見てしまうと、認めざるを得ない。
やっぱり、内海紘子は天才である。多分舞台裏で荒れ狂っていただろう彼女のエゴイズムを、制御しこの形にまとめ上げただろうスタッフ、その才気に煽られ己を出した作家たちも、また。

 

・ SSSS.GRIDMAN:第12話『覚醒』

オタクでありオタクでしかない自分と視聴者を真っ直ぐ見据えつつ、だからこそ生まれた力でしっかり”みんな”に届く普遍性を手に入れた、いい作品でした。

SSSS.GRIDMAN:第12話『覚醒』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 GRIDMANとどう付き合えば良いかは、なかなか良く分からなかった。今でも、よくわかっていないかもしれない。
お話としてはかなり歪な構造をしていて、追いかけるべき謎はアカネちゃんと裕太、二人の空白しかずーっとないし、第1話から画面を支配する曖昧さ、不安定な居心地の悪さはずっと解決されない不協和音だし、というかそれこそが話の主題かのように画面に居座っている割にどっかネアカで楽観的な空気が漂っているしで、なかなか総体が掴みにくい。
ぼくは曖昧な街を切りとるのらりくらりとした語り口が肌にあったし、アガる戦闘シーンのお約束(を読み切れるほど、特撮関係の素養もないけども。ギリギリ、エヴァ勇者シリーズの読解貯金で乗り切った感じ)をあえて枷としてやっぱり居心地の悪さを強調していく性格の悪さも、ゲラゲラ笑いつつ楽しんでしまえた。
食べているもの、出ていくもの。作品を構成し、作品の土台となり、文脈として後景に控えつつ、時に主題として身を乗り出してくるもの。過去へのノスタルジー、今時分が作っているものへの矜持。ヒーローもの語りが堂々主張してきたものを、素直には受け止められない現在と、それでも受け止めなければいけない、受け止めたいと願う気持ち。
全てが不思議に混ざり合いつつ、明瞭なメッセージを残さないまま進む。むしろアニメの外側にあるオーディアドラマのほうが、分かりやすい人間味を素直に宿し、テーマへのど真ん中の言及を果たしていたりする。正直、アニメだけ見てると相当わかりにくいとは思う。オーディオドラマ、期間限定公開だしさ。

しかしその曖昧な不親切さが、僕は懐かしく、親しみやすかった。『エヴァっぽかった』と素朴に言えてしまうほど、僕はエヴァンゲリオンのことが嫌いじゃないけども、まぁエヴァっぽかったから食べやすかったよ、正直。
そこに自覚的なうえで、エヴァが、ウルトラマンが、グリッドマンが語りそこねた部分を、どう自分のものにしていくか。自分が作り上げたもの、自分を作り上げたものをどうアニメにして、物語のエンジンに、飾り付けに、骨格に使っていくか。そこにナイーブなアニメで、視野をシンクロさせて作品を見る(気になる)のは、なかなか楽しかった。
モニタ越し、ガラス越しに。何かを間接的に掴むしかない曖昧さをずーっと据え付けていた物語は、その中心にいて自分が大嫌いでフィクションが大好きなアカネちゃんは、やっぱ僕に似ていた気がする。それは個人的な質感で、当然そうは思わない人もたくさんいるのだろうけども、僕がそう感じたってことはそれなり以上の数共感をもって、この話を受け取る人はいるのだと思う。そんくらいには、主語デカくして傲慢でも良いんだろう。

意図された曖昧さは最後の最後で引っ剥がすためのベールであり、救うことを前提とした”退屈”がどんな色合いなのかを視聴者に解ってもらうための試薬だ。それが11話ずーっと続いて息苦しいところ、それに視聴者を付き合わせるところがなんともチャレンジブルだが、ちょっとスタンダードから外れつつ、むしろそれが新たなスタンダードを感じさせるキャラ造形と噛み合い、そんな焦らしも楽しめた。
二話でなんとなしのグリップ感、『このアニメは、僕のアニメかもしれない』という感覚を掴んで以来、僕はこのアニメを前のめりに見てきた。前のめりにさせてくれる味わいが、確かにそこにはあると信じた。
最後の最後で、最後だからこそど素直にヒロイズムを打ち上げるこの最終話は、そんな予感にしっかり答える仕上がりだった。同時に途中を繋いだ曖昧な後ろめたさをアカネちゃんに背負わせて、うじうじメソメソ、六花に甘える(けど、ちゃんと起きる)シーンが入っていたりで、非常にこのアニメらしい。

そういう『らしさ』は時に錯覚で、『描いてる人そこまで考えてない』なんてザラにあることだ。そも、言葉が受け止められるものである以上、唯一絶対の正しさなんてものはない。いつでも見つけたものを確信なく投げかけて、もしかしたら間違ってると思いつつどっかで断言することでしか、発話という行為は行えない。
でも、根源的に違っている”あなた”の物語と思いを、違っているからこそ”わたし”が大事に思い、受け止められるということは大事だ。それがすれ違って崩れ、曖昧さの果てに遠ざかっていってしまう現実を見据えつつ、それでも繋がれるかもしれないという希望にしっかり足をつけて終わったこのアニメは、記号論的存在への希望を描いてもいる。
このアニメ、この最終回から受け取った(と、僕が認識するしかないもの。それを疑ってしまえば、どんな言葉も思いも完全に閉塞して、どこにも行かず何も手に入れられない曖昧な確信)が、これからどこに転がっていくか。それは白紙の未来、アカネちゃんが目覚めた後の世界だ。その無責任な投げっぱなしが、今はなんだか広大で心地が良い。
また、自由と裏腹の重すぎる責任に押し潰されて、自分とけして重ならない世界の曖昧さに、あまりに情けなく至らない自分自身に、げっそりと絶望する瞬間が来るだろう。でも、この最終話を見て手に入れた錯覚は、とても綺麗な嘘としてそこにある。確かにね。
『それと腰を据えて話し合っても、別にいいじゃないか』と言ってもらえたのは、僕にはちょっと嬉しいことだったのだ。もう半歩、前に進もうと思えるくらいに。

 

つーわけで十個、選んでみました。いやー、悩んだ悩んだ。
以下次点。気になる方は横の検索窓から各話感想をチェケラ!
ゆるキャン△ 第5話
宇宙よりも遠い場所 全話、特に第1話、第5話、12話
3月のライオン 第34話
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第3話、第9話、第13話
ウマ娘 プリティーダービー 第6話、第7話、EX
・Caligula-カリギュラ- 第12話
メガロボクス 第9話
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第6話、第10話、第13話
ルパン三世PART5 第6話、第10話、第16話、第19話、第24話
ヤマノススメ サードシーズン 第7話、第8話、第12話
STEINS;GATE ZERO 第8話、第16話、第23話
Free! -Dive to the Future- 第6話、第10話、第12話
・少女歌劇 レヴュースタァライト 全話、特に第2話、第4話、第5話、第7話、第8話、第11話
ハイスコアガール 第3話
・ハッピーシュガーライフ 第8話
はねバド! 第3話、第13話
・あかねさす少女 第11話
ゾンビランドサガ 全話、特に第2話、第7話、第8話、第11話
BANANA FISH 第2話、第9話、第19話、第23話
・SSSS.GRIDMAN 第2話、第6話、第9話
・HUGっと! プリキュア 第1話、第11話、第16話、第22話、第33話、第39話、第42話、第43話
アイカツフレンズ 第1話、第9話、第11話、第23話、第28話、第32話、第33話
・風が強く吹いている 第5話、第10話
・DOUBLE DECKER! ダグ&キリル 第8話
・色づく世界の明日から 第6話、第10話
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 第6話、第10話
青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない 第3話、第6話、第12話

 

ここに書かれたエピソード、作品以外にも、見たアニメは全部面白くて、楽しいものでした。それを選び取るのも傲慢だなぁって感じしますけども、『あえて』選ぶことでみえてくるもの、研ぎ澄まされるものも確かにあって。
毎回ここで取りこぼしてしまうものが惜しくて、今年はクールごとにある種の予備予選をやってきました。終わったあとに『あえて』まとめることで、作品と僕の距離感、そこから受け取ったものもしっかり受け取れた気がします。やってよかったな、大変だけども。
まだ終りを迎えていないアニメ達の結末も見届けなきゃいけないし、クールをまたいで続くもの、新しく始まるものもたくさんあります。環境の変化で色々向き合い方は変わるかも知れないけど、アニメを好きでい続けて、アニメを好きな僕を誇れるように、色々頑張っていきたいなと思います。
来年もまたよろしくおねがいします。

 

追記・番外

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Pixel Galaxy

 

ネット公開のMV、しかも去年公開というレギュレーション違反の塊なんだけども、海外の視線で切り取られた日本文化の精髄が、凄まじく気持ちいい動き、無言だからこそ雄弁なエモーションに支えられ、凄まじい角度でぶっ刺さる傑作。
SnailChanがほんっっっっと可愛いんだけども、彼女とほんの少し不思議な時間を過ごしたお姉さんが日常に帰還し、少しだけ元気に前を歩ける瞬間の表情が、このMVを見た現実の僕らとちゃんとシンクロしてるのが、ほんといいんスよ……。
日本の深夜アニメに凝り固まってるとなかなか見えない”KAWAII”が、どんな質感か教えてくれるこのショート・アニメ。続編とも言うべき

www.youtube.com

Snailchan Adventure

と合わせてオススメ。マジ。