イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

桜花、夢と咲き誇れ -2021年1月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2021年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

 

・PUIPUIモルカー
ベストエピソード:第2話”銀行強盗をつかまえろ!”

車としてのモルカーをどう魅せるか、モル要素と同じくらい考え観察し動かしているのは流石だ。

PUI PUIモルカー:各話感想ツイートまとめ - イマワノキワ

最初に言っておくと、ベストエピソードは全話である。バラエティ豊かにジャンルを横断し、毎回アニメとしての見せ所、モルカーの健気な可愛さ、可哀想可愛さ、勇気と魔法を楽しませてくれて大変面白かった。
そんな名家でこのエピソードを上げるのは、どっかナメて流行りに乗っていた自分が正座をしてこの作品を見るようになった契機であり、ただ可愛いだけで終わらないアクションの強さ、カメラワークとタイミングの妙技をたっぷり味あわせてくれたからだ。
凄くシンプルに、ワクワクする絵面と映像の面白さを叩きつける。そういうアニメーションの一番ベーシックな強さが毎回あって、次はどんな表現が叩きつけられるのだろうかと心待ちに出来たのは、モルカーの大きな強さだったと思う。
想定よりも遥かに治安が悪い銀行強盗事件で殴りつけ、社会派としての鋭さも堂々突きつけたこのエピソードは、『モルカー……やるなっ!』と多方面で思わせる、大事な起爆剤だったと思う。
ここから広がっていった期待の爆風はけして裏切られることなく、空飛ぶメカシャークとの大決戦からタイムトラベルまで、様々なワクワクを詰め込んで物語は展開していった。マチズモとヒロイズムの問題に鋭く切り込んだ第10話、最短のミュージカルとして出色の仕上がりな第9話など、ファンタジーとしての仕上がりも大変素晴らしい。
本当に多彩に、僕を楽しませてくれる良いアニメーションだった。ストップモーション・アニメーションというジャンル自体が、”いわゆるアニメ”で固まりがちな視線を大きく横に広げてくれた感じもあり、得難い視聴体験だったと思う。ありがとう、モルカー。

 


・裏世界ピクニック
ベストエピソード:第8話『猫の忍者に襲われる』

もっとこー、血圧上げてアクションすれば良い場面なんだが、妙に緩い。そこが良い。

裏世界ピクニック:第8話『猫の忍者に襲われる』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『え、そこ?』と思われたかも知れない。
現世に居場所がなく、裏世界に一人迷い込んだ空魚が運命の女に引き上げられ、散々に振り回されながらも心に入り込まれて変質……あるいは快復していく物語と考えれば、第1話、また第12話がベストに選ばれるだろう。
自分もそういう物語は大変好きだし、そこに強く注力したアニメだったと思う。裏世界の寂しく清廉な情景の中を、様々な危険と隣り合いながら駆け抜けていくピクニック。命がけで危ないからこそ、共犯者として特別に選ばれた喜びが魂を浸して、魚はようやく自分だけの潤いを見つける。
そうさせるだけの特別な女の、特別な美しさ。作画力とキャッキャウフフの輝きとしては、水着回である第7話が一番強かったと思うし、鳥子を常時別格の美形として書き続けた筆が作品を支え、空魚の人生がねじ曲がっていく(あるいは、本来の形を取り戻していく)過程に説得力を与えてもいた。
その上で、半ば刺し身のツマみてーなファニーな扱いを受けた異形達、それとすったもんだの暴力的コミュニケーションをするフニャフニャなアクションも、僕は嫌いじゃなかった。つうか、話数が過ぎ作品とチューニングが合う中で、そここそが魅力だという奇妙な感覚が確かに生まれてもいた。
アフリカ式投げナイフを構えた猫の忍者に追いかけられながら、薄汚い銭勘定に精を出してみたり、鳥子の”共犯者”という立ち位置にこだわり濃いめの感情を出してみたり。ファニーなだけではない情感もありつつ、『一体何だったんだ……』というぶん投げ感が心地よくもあり、この話数が一番、アニメ版裏世界ピクニック”らしい”回かな、と思う。
『非常によく整った部分もありつつ、むしろそこからはみ出した味わいにこそ、アニメ版独自の面白さがあったかな……』などと、原作未読の身故に思ったりもするが。まぁこれは、アニメだけを見た気楽な立場、作品が持つビートに波長が合った視聴者の、何も解ってない感想かもしれないけど。
しかし、この回に凝集されているムードとテイストは、僕は大変に好きだし、面白かったのだ。それは嘘ではないし、それだけを真実としてアニメを見るのは、悪くないことだなとも思っている。


・ゲキドル
ベストエピソード:第6話『人形の家』

せりあの異常に拗れた軋みは、自分の中にある喪失を誰も共有してくれない孤独から生まれていると思うので、あいりが抱きしめてくれて良かったな、と思う。

ゲキドル:第6話『人形の家』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ベストは全話。見てるやつは解ってくれるだろうし、見てねぇやつは今から見ろ!

そう突き放したい気持ちにもなる、異常な熱量のあるアニメだった。正直あんまパットしない外見から匂う”気”に当てられ、怪作としての期待を込めて見始めた視聴は、加速度的に面白さとヤバさを増していく展開に煽られ、一気に燃え上がっていった。
世界崩壊SFと小劇場奮戦物語と生臭い性欲漂う地下アイドルモノと百合と青春がグチャグチャに入り混じり、しかし各レイヤーが混ざることなく独立して動き、最後の最後で真相を知ることなく、虚構の芝居が現実を書き換え、文句なしのハッピーエンドを連れてくる。
そんな心地よいカオスを支える、”演劇”への異常な情念。作中のキャラクターも、それを動かしている製作者たちも、芝居を駆動させ、本気の嘘で観客を引き込むことの意味に体当たり、全てを粉砕する勢いで思いを叩きつけてくれた。
そう、あまりにトンチキなこの作品、テーマとして選び取った”演劇”に対し凄まじく真摯であり、特に後半アリスインを追い出されてからの独立独歩、自主自立で舞台を作り上げていく手付きの良さは最高である。そこが背骨になることで、藻の語りの体感がブレず、超光速で時空改変SFに話がシフトしていっても戸惑わない……嘘、戸惑うけども、そういうスケールのインフレーションでも消えない芯が残っていた。

もう一つの芯は世界をぶっ飛ばした大災厄の傷が、犠牲者に刻んだ痛みと狂気の描写である。せりあは空疎な狂人として物語に現れ、分厚い人形の仮面を埋めるべく演劇に引かれていく。どれだけ演じてもコピーでしかなく、その裏にはとても悲しい、切実な傷があった。
散々トンチキ展開とサスペンスで踊らされ、わけの分からないテンションに押し上げられて浮かれてた僕は、この回でせりあが見せる真相と、それを真っ直ぐ受け止めるあいりの姿を見て、冷水をぶっかけられた。

人間、狂いたくて狂うわけじゃない。狂わなければ己を失ってしまうからこそ、狂ってでも生き延び、死んだ人を蘇らせる奇跡を演じようとするのだ。それがどれだけ狂的で滑稽に見えても、ぶっ飛んだSF的設定のデカすぎるスケールがあっても、そこには人が生きる切実さがある。
それがあればこそ、せりあは”演劇””を求め、役者でいることで今生きる自分を掴み直していく。様々な人とふれあい、天下の善人・樋口真琴の助けなども借りつつ、今ここに生きる自分を、誰かの代理ではない強さを手に入れていく。
この折返しで抱きしめられた魂があればこそ、超越者達の犠牲でしかなかったせりあは運命の舞台ですべてを超えて、新たな世界を生み出せた。死せる魂をすくい上げ、ヒビの入った世界を修復し、新たな未来へと漕ぎ出せた。
そこには超越的な決断だけでなく、人間が生きる時流れる赤い血、魂がなにかに、そして誰かに抱きしめられて救われていくうねりが確かにある。だから、この怪作は傑作でもあるのだ。
自分が書いてきたものに一切嘘をつかず、非常に独特でトンチキな筆でもって、人間の真実を描く。ゲキドルは、虚構に出来る最善を見事にやってのけた、最高の”演劇”であった。ありがとう。

 

BEASTARS
ベストエピソード:第19話『蜜漬けの記憶』

食殺犯の正体と、彼が見ている世界、反芻する夢(あるいは悪夢)が描かれたことで、そんな作品の背骨がより強く、より太く見えてくる回でした。

BEASTARS:第19話『蜜漬けの記憶』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 BEASTARS二期は、第1話で示されながら謎のベールにしまわれたテム食殺犯を追うサスペンスとして(も)展開した。
誰が、なぜ、どんな思いで食い殺したのか。謎は深まり、闇と光はその色を増していく。青春の汗と残虐な血しぶきが混ざりあった混沌が晴れて、犯人の顔が見える。
そして、問題は常にその先にある。肉草共存の理想を追いかける主人公の、歪みきった鏡としての宿敵。倒すべき怪物であると同時に、救うべき仲間でもあるようなリズの表情を、ここから先の話数は分厚く追いかけていくことになる。

僕は原作既読だから、その正体も話の展開も色々知ってはいた。一期の頃からかなり大胆に原作を刈り込み、あるいは別のものを移植していたアニメ版であるが、僕はその手際も狙いも仕上がりも、なかなか良かったと思っている。
メディアが変われば、作品は別のものになる。そんな当然の変化をどう乗りこなすか、どんな姿勢で原作を改変するか(改変したように見えない改変含め)が、アニメ化スタッフの個性であり腕前なのだと思う。
3Dモデルを用い、芝居のとり方も通常のアニメとはかなり変えたこの作品は、様々な角度から”BEASTARS”とは違っていて、でも同じであったと思う。省略されたもの、変わった画角。それが照らし直すものはとても新規で、しかし確かに原作に描かれたものでもあった。僕はそういう”アニメ化”が好きだ。

色と声と動きが付く。自分のペースでコマを追いページを捲るのではなく、規定の時間で物語が動いていくアニメーションという表現の中で、新たに(あるいは既に)光を当てられた怪物。
リズの存在感、陰影。獣と人、絶望と希望、狂気と正気の間でうねるそのシルエットは、特にアニメでよく彫り込まれた部分だと思っている。
このエピソードはこれまで秘されていた彼の真実を暴き、物語の方向性を大きく変化させる。ここで見せられた蜂蜜色の悪夢を否定し、あるいは救済することでしかレゴシもルイも、彼らを主役とする物語も終局にはたどり着けない。
そういう指標を強く出し、物語を牽引する重要な話数である。でもそれ以上に、リズという凶暴で愚かで、哀れな人間がどういう子供なのかを、ちゃんと描くエピソードでもあったと思う。
彼は狂っていて、身勝手で、凶悪で……しかし確かに、レゴシや僕らと同じ”人間”であった。
間違えきってしまった自分の影を、どう扱いどう向き合うか。リズを描くことで浮き彫りにされた課題に向き合うことで、レゴシと彼を主役とする物語は、より強くそびえより深く掘り下げられていった。
光を書くには、影がいる。主題を際立たせるためには、秀逸なアンチテーゼを描く必要がる。それに成功したこの話数は、一期から青春の様々な場面、沢山の群像を豊かに切り取りつつも、ひとつに繋がってきた物語がしっかり終わる上で、とても大事で、面白いエピソードだったと思うのだ。

 

Dr.STONE STONE WARS
ベストエピソード:第3話『死者からの電話』

リリアンのレコードが再生させたのは、単なる歌ではなく、ニッキーの中の『人でありたい』という希望なのだと思う。 それを届ける時、金メッキの嘘ではなく鋼の信念をこそ、突破口に選ぶ。 千空はまぁ、そういう少年である。だから好きなんよ…。

Dr.STONE STONE WARS:第3話『死者からの電話』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『やっぱ、Dr.STONEは最高に面白い少年漫画だな!』という意識を、新たにさせられる第二期であった。千空は胡散臭い説教はしないし、常にクールでかっこいい。有言実行、絶対無敵。最高にイケてるワルな主人公であり、徹底的に人間社会のベーシック、石器社会で蔑ろにされがちな倫理の基礎を、科学と一緒に信頼している。
彼の実直な行動を支えているのは常に科学への信頼、人間性への確信である。人は幸福になるために生きているし、科学はその助けになる。この信念は人は個人では弱く、簡単に死に、諦め、自分すらも裏切っていく動物だ、というある意味ニヒルな認識に裏打ちされている。
だからこそ、諦めず他人を侮らず、全力を尽くして未来をもぎ取ることが大事なのだ。人間はそういう、群れて世界を変えていく動物としてずっと生きてきたし、その精髄として千空は、科学を信じ続けている。
だからお題目に踊らされないリアリストに見えて、その行動は凄くロマンティックで、他者を尊重したものになる。文明崩壊社会に一人生きて、なお絶望せず人類再生を夢見た男。何も諦めず、全てを掴み取ろうと手を広げた野心家は、その実一人では何も出来ない自分、誰かを頼り補って生きるしか無い生身の自分をよく知っている。
千空は高慢になれない。人類最高に近い頭脳に、誰もが追いつける可能性を信じて科学を公開し、共有し、社会構造それ自体を変えていく。石神村はそんな風に、諦めを知らない集団に変わっていったし、司帝国も携帯電話を通じて変化していく。

その最初がニッキーであったが、彼女の心は科学では変わらない。ゲンちゃんと悪巧みして差し出した嘘も見抜いて、しかしその奥にある黄金の信念、自分にとって大事なものを尊重してくれる千空の生き方に共鳴して、己の生き方を変えていく。
すべてが終わってしまったという絶望を超えて、再生の可能性を差し出す。自分の魂を震わせない歌の奥に、誰かの救いがあることを大事にできる。千空の……彼を主人公とするこの物語の強さは、表面的なシニカルを毎回突き破って自然伸びる他者への、人間存在への強い敬愛にある。
千空はベタついた共感を振り回さない。自分には分からないものがあると認め、手を出せない領域があると身を引きつつ、しかし人間と人間が共鳴する場所を強く信じて、静かに手を差し出してくる。ニッキーもその意味を歌越しに感じ取り、受け取って司帝国の暴力に……『人は変わり得ないのだ』という諦めに抵抗していく。
そんな生き様の変化を、アニメならではの演出の強さ、歌声の凄みでしっかり書ききったこのエピソードは、作品が何を軸に回転しているかを如実に見せてくれる。
石器時代のチート無双は、その実他者への敬愛、不屈の信念、未来への希望という、ひどくオーソドックスで古臭い価値観に支えられ、それを今に蘇らせるようにドラマを駆動させてきた。その古くて新しい試みが、僕はやっぱり好きで、毎回凄いと思うのだ。三期が本当に楽しみです。

 

・呪術廻戦
ベストエピソード:第13話『また明日』

この惨劇も、呪術師にとっては日常にならざるを得ない。 虎杖くんを待ち受ける運命は、本当に重いのだなと理解しました。

呪術廻戦:第13話『また明日』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

スタイリッシュなアクション、現代伝奇・能力バトルとしての面白さ、魅力的なキャラクター。
呪術廻戦は大変欲張りな作品で、本当にたくさんの魅力がたっぷり乗っかっている。自分が引っかかるポイントに合わせて、様々な面白さを求めても必ず答えが帰ってくる。だから結構好きなエピソード、面白かった部分が人によって別れる作品だと思っている。
自分は伏黒くんの長いまつげ……は確かに魅力だけども、やはり日本の文化風土に噛み合った”呪い”の描き方、社会と業が生み出す血塗られた檻の見せ方が、一番気に入ってるポイントだ。
そこを一番最初に感じたのは第3話、濃厚に描かれた野薔薇のオリジンである。あの時は単発だったものが、順平のエピソードでは連作として、爽やかな友情と因縁の地獄が複雑に編み上げられ、虎杖くんは呪術師として、人間として、青年として決定的な傷を刻まれていく。
ありきたりで、だからこそ凶悪な形のない呪いに追い詰められた青年が、微かな光を見つけたと思えば潰され、そこから這い出そうとした瞬間に殺され、そんな末路の予兆は随所にあった。
このエピソードの残酷さ、極めて容赦のない話運びこそが、やっぱり”呪術廻戦”を信頼するのに大事な足場になったなと、個人的には思う。OPで凶悪な配置をされた、あり得たかも知れない……あってほしかった未来は真人の謀略で無残に砕け、それでも虎杖くんはあくまで人間として闘い続けなければけない。
おためごかしを引っ剥がした純粋な殺意を吐き出してなお、改造人間を”人”として認め、その殺害を重たく背負う彼を七海は時に厳しく、そして誰よりも優しく受け止め、道を示していく。剥奪と道標、敵と味方に強烈な個性があったことも、順平の物語が分厚くなった大きな理由だ。
結局この最終段で真人は殺しきれず、お互いの殺意を燻ぶらせたまま路は未来に続いていく。二期の最終回である第24話では、九相図の兄弟が虎杖くんによって殺され、新たな因縁が生まれもしたが。
殺し、殺され、恨み、恨まれ。永遠に繰り返す道から抜けられない愚かな人間が、生み出す呪いの泥。そこに首まで浸かり、魂から赤い血を流しながら、虎杖くんとこの物語はもう一つの人間性……キラキラと綺麗で、暖かく優しい理想を捨てない。捨てることが出来ない。
そんな業の深さを、嫌というほど教えてくれる良いエピソード群であったし、その終わりでもあった。”続”と刻んで終わった物語は、ここで示された血塗りの道標に従って転がっていく。
呪術組織にまつわる因習の重たさ、家系と血縁の腐り方もたっぷり描かれた先で、何が起きるか。続きが大変楽しみである。

ウマ娘 プリティーダービー Season 2
ベストエピソード:第2話『譲れないから!』

負けない。言わせない。それが幻だとは。 疾走する幻影は、テイオー一人の慰めではない

ウマ娘 プリティーダービー Season 2:第2話『譲れないから!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ベストは全話。見たなら判るでしょうよ……。

っていうのもタイトルに反するので、この話数を選んだ理由を書いていきます。
ウマ娘二期はとにかく全体的に隙がなく、怪物的に”正解”を引き続けたアニメだった。王道、小細工なしの直線勝負……という言葉は、それを仕上げていく実態を上手く反映しない。大概、当然やってそうな要素を取りこぼし、上手の手から水が漏れて作品の完成度、緊張感が否応なく抜けていくものである。何しろ、アニメを作るというのはとても大変なことなのだ。
しかしウマ娘二期はやってのけた。キャラクターの立て方、ドラマの作り方、群像の扱い、笑いの作り、作画の緩急、明暗と天候を生かした演出、走りの表現に女の子の可愛さ。アニメを構成するすべての要素に緩みなく、”正解”し続けた。一回二回は間違えを引きそうなもんだが、それがなかった。
理論上あり得るが、実際には形にならない”100点”を出したアニメだと思う。

それが成立するのは、一期で自分たちが何を描き、ファンの中に何が残っているかを鮮明に見抜く視力の良さだろう。ウマが娘になって二本脚で駆けるトンチキを、スポ根油でアツアツに煮込んで飲ませることには成功した。長い間待たせ、それでも期待してくれる熱も残っている。
ならば自分たちが作ったものを信じて、それに相応しく物語を仕上げていく。一期から変えるべき所は変えて、泥臭くゼロから積み上げていく物語ではなく、既にアイドルホースとして活躍を心待ちにされている高みから、一気に主役を突き落とす。
この後幾度も訪れる、失楽と挫折。走れぬことの意味、それでも走ることの意味を、二話という早めのタイミングで一気に発火させる。最高速を更に超えた領域まで、物語の熱量を引き上げる。
この超音速のイグニッションが、後の物語を完全に引っ張ることになる。走るもの全てが持つ真摯さと熱量、幾度繰り返されても厳しい挫折。形を変え、新しい痛みをまとって描かれても、鮮烈に共通する画材がこの段階で、凄まじく強く描かれていた。

二期は負けることの意味、負けないことの意味を強く探る物語だったと思う。それは三冠にも無敗にもなれなかったトウカイテイオーを主役にすればこそ、描ける物語だ。
そこに、様々なウマ娘の思いが絡む。マックとのライバル関係、ターボの真っ直ぐな思い、ネイチャの真心にライスの純真、ブルボンの奮戦。新世代BNWの熱量もいいし、スピカの仲間も最高だ。
群像を描くことで、それぞれの個性と思いが映える。負けるものを照らすことで、勝つものの輝きがより強くなる。そういう魅力的な相補が、この話数ですでに完成の域にたどり着いているのもまた凄い。そして、ここで描かれたものを踏襲しつつも、二度繰り返さないのも。
テイオーはこの後も、幾度もくじけ幾度も傷ついていく。その有り様も、立ち直り方も、バリエーションと説得力を両立させた力強いドラマだ。史実に刻まれた残酷な運命を、個別の物語として熱量を込め書ききれた奇跡は、その最初であるこのエピソードが、圧倒的に強く仕上がっていればこそ可能だったと思う。
何よりも、必死に走るウマ娘達みんなが強く、本気で、優しい。その熱が伝わればこそ、テイオーは初めての挫折を超えて立ち上がり、新たな闘いに進める。その繰り返しが、不屈の奇跡が、何よりも胸を熱くする。面白く、素晴らしいエピソードである。

 

のんのんびより のんすとっぷ
ベストエピソード:第12話『また桜が咲いた』感想ツイートまとめ

そういう物語を描ききれたのは、凄くありがたくて、大変で、偉いことだと思います。 やっぱこういう終わりにたどり着くよう、スゲー考えて話を編み、画面を作った三期だったと思う。”のんすとっぷ”だし。

のんのんびより のんすとっぷ:第12話『また桜が咲いた』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 悩むな……ベストの選出はスゲー悩む。
染みさせる演出という意味では第3話、第11話が凄く強い。特に第11話ラストの驚異的なタメ方、それが奇策ではなく必然にしかならない積み上げてきた説得力の強さは素晴らしい。駄菓子屋とれんちょんの話好きだし。
児童としての宮内れんげさんの書き方という意味では、第4話のボールの投げ方、お姉さんぶろうとちょっと力こぶ作って頑張る姿は素晴らしい。夏の別れを回収する、第10話一面の雪景色も良い。第1話で『アンヨが上手ごっこ』を進める姿も最高だ。少し発育の早い、賢くも未だ全然子供である宮内れんげさんのあり方を、非常に細やかに描いてくれたのには感謝しかない。
底抜けに良いテンポの笑いとしては第5話こまぐるみの旅、第6話のドタバタ肝試しも良い。れんげの面倒をめっちゃ見てる夏海も見れるし。まあ、全話最高に良いので未だ見てない人は見てください。

その上で、やっぱりこの最終回である。ここに繋がるよう、三期はかなり考えて構成を編んでいた感じが、終わってみると強くする。繰り返す日々が解け、新しい春に、変わりつつもいつもどおりの春に飛び込んでいく終わり。
それは不変を祝いでいた物語が、変化へと足場を変える終わりであり、しかし僕らが見ていたものをけして裏切らない、自分たちが作ったものを信じ誇らしく書ききる終わり方だった。そうなるべき必然としての変化を、キャラクターが体験する作中のイベントとしても、作品を外側から仕上げていく作者の努力としても、しっかり作っていた。
変わっていくことは、悪いことではない。そう言えるように村の外に足場を置き、最初警戒しながらそこでの体験をかけがえない武器にして自分を変えていくあかねちゃんの物語を、結構力を入れて仕上げた。村の”末っ子”だったれんちょんがどれだけ大きくなったか、確認できる妹としてしおりちゃんを置いた。
そしてそれは、ただの終わるための仕掛けではない。新しいキャラクターも、昔なじみの子供たちも、みな優しく力強く、時々浅ましく面白く、流れる時間の中で生きていた。生きる姿を、しっかり見せてくれた。

だからこそ、何の感慨もない当たり前の日々が一つの終りとなり、そこから繋がる新たな変化が一つの始まりとなる。最後の最後で、グッと力を入れて涙腺を殴る(これが出来る作品なのは、第8話あたりからのラッシュを見てれば判る)よりも、淡々とのんのんびよりらしく進めていく筆運びがそんな区切りを飲ませる。
結構な時間が開いての”三期”という意味では、例えば”ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN”とか”ご注文はうさぎですか? BLOOM”とかと同じく……そしてそれぞれ個別のプライドと批評眼をもって、自分たちが何を造り、見たものに何を残し、何を語って区切りをつけるべきなのか、よく考えられた作品であったと思う。
続いたものには終りが来る。しかし最後のページの向こう側で、確かにそこに生きた人々がまだ歩き続けるような感慨を、最後の最後で新しいうねりを作品に取り込みながら生み出すことだって出来る。それは、終わるからこそ可能な変化かもしれない。
この最終回には、ここに繋がるよう非常に考えられ、その力みを極力消した三期の話運びには、そういう奇跡が確かに宿っていた。リラックスした語り口が抜けたら、もうそれは”のんのんびより”じゃないと受け取られるだろうから、スタッフは凄まじい覚悟と技量でもって、軽やかさを演じきったと思っている。
緩やかに、靭やかに、絶え間なく。繰り返す優しさを傷つけることなく、変わっていく喜びを書ききったこの終わりは、僕は本当に凄く、素晴らしいと思っている。ありがとう、のんのんびより

 

ゆるキャン△ SEASON2
ベストエピソード:第8話『ひとりのキャンプ』

あのつっけんどんだったリンちゃんが、なでしこの持つ可憐な毒にズブズブにされ、愛の全力疾走をキメるほどにホットな女に仕上がったと思うと、感慨もひとしおである

ゆるキャン△ SEASON2:第8話『ひとりのキャンプ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ゆるキャン△は豊かなアニメだと思う。
飯描写が最高に美味そうとか、そういうだけではなくて。旅の追体験をして現実にスれた気持ちを癒やしてもらったり、少女たちの小さく確かな成長を見守ったり、思わぬ出会いが生み出す関係性の変化を楽しんだり。
思いの外色んな画角から楽しめる、しっかりしたアニメなのだと思う。ジャンル的にはいわゆる美少女動物園、おっさんがやることを女子高生がやってる系に押し込められるんだろうけど……流石にその最先端を突っ走る作品、そんなフレームだけでは収まらない全方面の強さを常時発揮して、たっぷりと楽しむことが出来た。
そんな仕上がりの巧さ、相当に硬い作品の底を感じさせることなく、あくまで緩く可愛く楽しく見れる気負いのない仕上がりも、勝負どころでギュッと作品を占めてくるエモーショナルな表現の強さも、確かに兼ね備えたアニメだった。本当に、隙なくクセなく強い。

二期はソロキャンを決意し、挑み、学ぶなでしこが一つの縦軸として、1クールの物語に分厚さを与えていた。”みんな”で行く伊豆キャンの良さを際立たせ、またソロでいることの意味を彫り込む意味でも、大変良いエピソードだ。
リンちゃんとは同じにならないけど、なでしこらしく素晴らしいソロキャンプ。持ち前の明るさと人当たりの良さで、見知らぬ人とも仲良くなり、特別なお土産を与えてしまう身延の太陽。みんななでしこが好き。俺もアンタもリンちゃんも。

そんな女に魂を焼かれ、すっかりダメになってしまった女達がいた! というのが判るのも、このエピソードである。
僕は誰かが本当に好きで好きで好きすぎて、人間としてのバランスを思わず崩してでも前のめりに突っ込んでいける人間が本当に好きなのだが、この回のリンちゃんと桜さんのクレイジーっぷりは本当に最高であった。こういう、誰かが誰かに向ける感情の強さ、熱さをサラリと投げつけてくる所も、この作品の豊かさである。
この前の第6話で、さくリンの距離感をぐっと縮めておいたことがこの愛の核爆発を更に活かすわけだが、リンちゃんのなでしこLOVEは激烈でありながら、非常に風通しが良い。狭い方狭い方に閉じていくのではなく、なでしこと出会ったことで交友関係も広がり、新しい喜びがどんどん増えていく。
それはなでしこ天性の”陽”であると同時に、自分が感じたこと、出会った喜びについて素直に開かれているリンちゃんの気質が、深く関わっていると思う。知る前は距離を置いていたが、自分の舌で味わってみると悪くない。そう思えたものに、どんどん積極的に踏み込んでいける素直さ。
それがリンちゃんの良さであり、キャンプという体験の新鮮な喜びを伝えてくれるこの作品の強さナノではないかな、と思う。まぁ噛み締めたなでしこ味に狂わされすぎて、大変なことになっとるけども……まぁなでしこも特級のリンキチだし、バランスは取れてるOKッ!!
今後も幸福な友情をキャンプに燃やしながら、大好きなお姉ちゃんに見守られながら、永遠に幸せに生きて欲しいと思います。”なでリン”……やっぱつえーわ。

 

・SK∞ エスケーエイト
ベストエピソード:第2話『はじめてのサイコー!』感想ツイートまとめ

競技、あるいは趣味としての”スケボー”の魅力を、どっしり腰を落としランガを傷まみれにしながら描き、その中で育まれる友情の瑞々しさを、的確に切り取ってくるエピソードとなった。

SK∞ エスケーエイト:第2話『はじめてのサイコー!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 SK∞、良いところ強いところの沢山ある豊かなアニメで、それぞれの見どころに応じてベストも変わってくる作品だと思う。切ない心理描写としては第7話、長い迷路を抜けた先のカタルシスとしては第10話。この作品がどんなものか力強く教えてくれた第1話も、それがどう終わるかをパワフルに叩きつけてくれた第11話、第12話も素晴らしい。
その上でこの大2話を選ぶのは、地道な日常芝居が好きだっていう僕の好みもあるけども、やっぱりこの話数で見せられた”趣味としてのスケボー”の説得力が、作品全体を見事に安定させたからだ。
第1話であんだけスペシャルな飛翔を見せたランガは、この回とにかく転びまくる。傷だらけで無様に練習を続け、しかし最高のマブダチたるレキに導かれて、スケートの面白さを知っていく。その楽しさに、嘘は一切ない。
沖縄の日常、学校の風景に馴染み、しっかりウィールを大地につけて進んでいくスケートボードには、第1話にはなかった親しみが湧いてくる。隣人として、趣味の相棒として、人と人をつなぐメディアとしてのスケートが描かれることで、あるいみうわっついていた作品世界に重力が生まれ、色んなものが落ち着いてくる。
この日常の手触りがあってこそ、ランガとレキに生まれる友情、それ故生まれる断絶と融和のドラマが映える。後の物語が走り出す土台として、このエピソードで丁寧に積まれる暖かな雰囲気は非常に大事だ。

加えて、ランガから出てくる冷たさの理由、”死”の重さが描かれるエピソードでもある。レキはランガの寂しさに踏み込む時、非常におずおずと怯えながら手を伸ばす。他人が抱えている人生の重荷に、上がり込むことの難しさをちゃんと知っている少年なのだ。
この気遣い、人間としての完成度の高さがランガを導き、しかしそれでも足りないものに悔し涙を流して迷う道が、この先に待っている。しかしこのとき差し出した掌、ぶつけ合った拳こそが全ての答えである。そういうモノを、この第2話ですでに見せれている強さ。
あまりにも美しい夕焼けの中で示された、父の死と孤独、強い喪失感。それは最後のビーフまでランガを縛る鎖であり、それを真実過去にすることで少年は少し大人に、物語は完成へと進んでいく。
これから描く物語がどんなもので、何が大事なのか。とびきりハイテンションに、特別な世界の面白さを叩きつけてきた第1話と合わせて、この第2話はほぼ完璧な見取り図を提出している。ここで示されたものはけして裏切られることなく、複雑な葛藤の苗床となり、ドラマの源泉となって作品を貫通していく。
ド派手にぶっ飛んだ力強さが目立つ作品であるが、やはりそれを的確にぶん回し急所に当てる巧さあっての傑作だと思う。この段階でここまで的確に、何を描くか、何を魅せるかを計算しきって的確に出したことが、この後の物語をしっかり支えていたと思う。
そして、このアニメで大事なものはこの話数ですでに出ている。素晴らしいエピソードであり、素晴らしい作品だった。紘子はマジで凄い。そう再確認するアニメであった。