プロセカイベスト”ボクのあしあと、キミのゆくさき”を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
魂を擦り合わせながら生まれたニーゴの新曲は、確かな手応えを造り手達に与える。
心地よい反響にも足を止めず、さらなる地平に進もうとする仲間を前に、瑞希は笑顔の仮面に吐き気を隠し、実存の只中に迷っていた…。
そんな感じのニーゴ第一章完結編…であり、全編一人の青年が思い迷って結論が出ない、相当の変化球である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
奏が魂を削って生み出し、まふゆの凍りついた心を動かした楽曲の完成は、あくまでひとつの出来事でしかなく、ニーゴの物語を決定的には前進させない。
控えめとも煮えきらないとも言える筆致は、人間一人が自分と他人の距離を見定め、征くべき場所を決めるのにどれだけの葛藤が、労力が存在しているかを、細緻に掘り下げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
一つ一つの逡巡。
裏腹な気持ちと、何処にも進んではくれない自分がどう乖離し、癒着しているのか。
そういうモノを、ニーゴを描く時ずっと続いている歩調で切り取るエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
大変”らしい”し、力強く優しい物語だな、と思う。
未だ明言されざる瑞希の”嘘”が、どれだけ慎重に扱うべき大事な荷物で、どれだけ瑞希を救い傷つけているか。
そこに自身、青春待っただなかの絵名がどう向き合うか。
問いかけ、手を差し出すことすら致命打になりうる人生。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
傍観者を任じるMEIKOが差し出した微かなヒントを前に、絵名は『待つ』事を選び、それを真摯に瑞希に伝える。
何かとじゃれ合いおどけ合い、その柔らかな表層のふれあいが救いにもなっている相手が見せる、シリアスな体温。
そこに飛び込みたいのに、胸に突き刺さった棘が足を縛り付けて、瑞希が前に進めない苦しさを、それを許してくれるありがたさを描いて、物語は一旦の幕となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
何も解決していないし、停滞に見えて確かに進み、逃避に見えて救済がそこにあることを、物語は確かにスケッチしている。
このゆったりしたBPMが、類が非常に物分りよく過去を乗り越え、自力でその再演/再生/再獲得へと踏み込んだ”Revival my dream”に続いて配置されているのは、僕には意味深に見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
類があの話で成し遂げた過去の克服、癒やしと挑戦、そうさせてくれた周囲への感謝と幸福の自認は、とても立派なことだ。
そうして心に刻まれたあしあとを超えて、明るいゆくさきを掴んでいけるものもいれば、そう出来ないものもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
では前者が正しく、後者が間違っているのか。
類のように大人びて賢い選択は強く、瑞希の足踏みは弱いものの選択なのか。
そうではないことをこの作品はずっと書いてきたし、今回も描く
人間がそれぞれの痛みや迷いと向き合い、周囲と対話し支えられながら、己を確立していく足取り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
そのBPMには集団ごと、成員ごとに違いがあって、音色もハーモニーも作り上げるべき楽曲も、皆異なっている。
そうして生まれるグラデーションは、肯定されて然るべきだ。
むしろその速度差、多彩な色彩こそが世界を豊かに彩り、様々に混じり合って大事なものを生み出す、大きな鍵ではないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
そう問い応えたいからこそ、この物語は複数のユニット、複数のキャラクターを作品に配置しているように思う。
人間があるべき唯一絶対の正解を、固定して定めない。
しかし悶え時に嘔吐しながら、必死に自分を探す歩み全てを肯定するためにも、複数の物語を一つのパッケージに…セカイと響き合う青春としてまとめ上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
そういう製作者のスタンスが、類と瑞希、それぞれの心を踏みつけた”あしあと”との向き合い方には、強く焼き付いている。
賢い瑞希は正しくやるべきことはしっかり理解していて、しかしそこに自分を保っていくことが、どうしても出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
脳裏によぎる思考の中では、ニーゴが自分の求めるものを優しく差し出してくれる、これまで自分をさいなんだ他者とは違う存在だと、ちゃんと解っている。
だが身体は思考を裏切り、表面を取り繕った明るさを演じ、あるいは摩擦に耐えかねて嘔吐する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
瑞希は己の身体と精神、自己認識と他者からの認識、既にあった過去とあるべき未来の狭間に悶える存在だ。
そのギャップが、瑞希を実存的嘔吐に追い込む。
令和のサルトルだよなぁ、今回吐いてるの…。
鏡から自分を睨みつける自分は、一体誰なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
どんな風になりたいのか、どうありたいのか。
瑞希は己の内側にある認識と、外側から決めつける規定に挟まれ、殺されかけて、今ここにいる。
ニーゴで一番安定し、大人びているように見える存在が、笑顔の隙間から漏らす苦い血潮。
それがどんだけ重いのか、どこから溢れているかを良く描いたエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
一周年を経て広がった、各ユニットの連帯を上手く生かして、”陽”の象徴とも言えるビビバスとニーゴを接触させたのも、扉が一つ静かに開く感じがあった。
真実を知る杏は、ニーゴでは表に立たない瑞希の社会性の具現だ。
自分なりのペース、ペルソナ、態度で防衛線を張りつつ、学生として求められる社会性を維持している瑞希。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
教室に馴染まぬまでも、許容できる違和感を背負ってそこにあるために差し出した真実が、逆棘の鏃となって自分を…自分が自分でいられる場所を壊さずないよう、必死に祈る。
その身勝手で、杏の人格を全く信じていない振る舞いに、ようやく生身の瑞希を見た気もした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
何かと気が利いて、周囲が見えて、変人集団の潤滑油として大事な仕事をしてくれている青年に、バックリ開いた深い傷、そこから染み出す魂の膿。
それもひっくるめて、暁山瑞希である。
絵名と出会う屋上を、瑞希は『セカイみたいだ』と評する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
電子化された妖精郷、青春のアジール、あるいは成長する心理の反映として、特別な場所であるはずのセカイは、生身の彼らが生き延びる現実の中に、確かに特別に美しく、存在している。
正確には、存在する瞬間がある。
ありふれて見える景色が、当たり前に自分を取り巻くものが、決定的な意味と意図を以て立ち上がり、運命の舞台になる瞬間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
それはセカイだけの特権ではなく、しかしセカイがあったから…己の分身であり導き手であり仲間でもあるバーチャル・シンガー達と出会えたから、瑞希と絵名を取り巻く。
瑞希が実存の狭間に取り残され、どこに行けばいいか分からなくなった時、絵名に道を開いてくれたのがそこにはいない杏との対話であるのが、僕には凄く切なく、大事なことに見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
”真実”を言わなかった杏。
ニーゴのメンバーではなく、遠くにありつつとても大事に、暁山瑞希を見守ってくれる一人。
そのさり気ない助けがあって、ありふれた世界が特別なセカイとして現出してくる瞬間に、二人は行き合える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
それはとても特別で、人が生き続けるために絶対必要な当たり前なのだろう。
そういうものの手触りを、凄くゆっくり描く筆が、僕は好きなのだ。
ファンタジックで特別な場所として描かれてきた”誰もいないセカイ”は、その主たるましろだけの占有物でも、魔法の中にだけ立ち現れる特別でもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
明るく思える瑞希の心のなかに、取り巻く現実に、いつでもあるのだ。
だからこそ、瑞希はましろのセカイにたどり着けた。
何かが欠けて、正しさになんてなかなかたどり着けなくて、周囲が求める都合の良さを演じることで乖離していく、厄介な存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
そんな歪さを抱えて、ニーゴは呼び合って集まり、一つの曲を作り上げた。
それはとても素晴らしい。まふゆはようやく、紅茶が飲みたい自分を捕まえかけた。
でもそれが、全ての答えにはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
その達成を一つの足場として、鏡合わせの重ならぬ歩みは続いていく。
薄汚い祈りと、身勝手な輝きが入り交じる複雑な場所で、瑞希は裏切られぬ永遠を希いながら怯えている。
選択権を預けてもらえる優しさを、感謝しつつズルく悪用もする。
清濁正誤、明瞭な線引で割り切ることなど出来ない、不定形の自己。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
そこに”性”が関わっているのはおそらく間違いないが、未だ瑞希自身が決定的な言説を慎重に避けている現在、部外者たる僕がここに何かを言うことは、暴力的な行為だろう。
願わくば、瑞希の足踏みが幸福ならんことを。
過去に続く”あしあと”を見てる”ボク”と、未来に続く”ゆくさき”を見ている”キミ”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
タイトルは瑞希と絵名を切り取っている…と同時に、鏡写しの瑞希自身、その愛しく痛い矛盾も睨みつけている。
そうして様々に分裂し、連続もしている人間は、どこから来てどこへ行くのか。
物語は続く。
魂の一曲を完成させて、分かりやすい達成感とともに一章完結とも出来たはずだが、ニーゴはそれを選ばなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
ひどく宙ぶらりんで、まだまだ継続中の苦しい青春。
歌はそこに、何が出来るのか。
その答えもまだ、探索の途上だ。
その悩める半端な姿勢が、やっぱり僕は好きだ。
同時にニーゴ的に内向きで微細なスタンスだけでなく、明るい場所に力強く己を証明している物語もまた”正しい”のだと…そんな光の物語には彼らなりの、震えと戸惑いがあるのだと示せているのも、群像劇の強みだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
人生というパレットに乗る時、無限の色彩に正誤はない。ただ、馥郁たる音色だけが…
人間心理の薄暗きモノトーン、それで生まれる豊かなるグリザイユを担当してきたニーゴの物語は、孤独な真白の只中にいたましろに微かな色彩を与え、カラフルな瑞希の仮面の奥から、嘔吐の臭気を漂わす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月1日
物語は、明確な達成をあえて描かぬまま続く。
答えの出ぬその行く先を、僕は待つ。
次回も楽しみ