イマワノキワ

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ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン:第15話『ウルトラセキュリティ懲罰房』感想

 この世の果ての監獄に響く、熱き闘争の歌……どんどん意味不明なテンションが跳ね上がっていく、ストーンオーシャン第15話である。
 この後連発するワケの解んねぇスタンド使い達の乱打(ラッシュ)を、どういう速度で導いていくか含め、なかなかワクワクする懲罰房編スタートとなった。
 濃厚な作画がおどろおどろしい興奮と上手く絡まって、見ごたえのある話数になっていたと思う。


 スポーツマックスの記憶を読み、『骨』を追って懲罰房へと潜り込んだ徐倫
 F・Fの頼みを受けて危険な解体フェチが動き出し、呼応するように最弱のスタンド”サバイバー”の効果で懲罰房は『ファイト・クラブ』と化した! ……というお話。
 三部で滅んだはずのDIOが夢見た『天国』を求め、その聖骸を蘇らせ謎を解こうという、ある意味”神父”らしい動機も見えてくるエピソードだ。

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第15話から引用

 死体を透明ゾンビにして動かす”リンプ・ビズキット”の効果を受けて、DIOの骨は独自の動きを始める。
 これに傷つけられた”ホワイト・スネイク”と神父の掌には、磔刑にかけられたキリストのごとく傷が生まれる。
 聖痕現象。神との深い自己同一感が生み出す、彼の受難を己と引き受ける奇跡の、グロテスクな陰画を、神父は死せるDIOの探究から刻まれる。

 第一部ではコンプレックスにねじ曲がったどす黒い……そして人間らしい悪党が人間を止め、宿命の果てに新たな闘争へと身を投げる様子が描かれ、第三部では悪のカリスマとして魔神の如き底しれぬ邪悪さを星屑の十字軍に挑まれ討ち果たされたDIO(その名はイタリア語で”神”を意味する)は、深い闇の入り口に足をかけた幼さの残るプッチにとって、セクシーで巨大な存在として映る。
 滅んだはずのDIOは、死してなおその理想を信じられ、復活を望まれる超越的存在としての眩さ(闇に生きるしかない吸血鬼なのに!)を、不気味に輝かせている。 
DIO不在の第5部で、息子・ジョルノが演じる暗黒街の聖人譚においては、その身に流れるどす黒い悪の血を越えて、闇に身を置けばこそ貫ける暗黒の光……そのバックグランドだった父なる存在は、プッチを敵役とする第6部において、これまでとはまた違った描かれ方をする。
 友のように、恋人のように、師のように、ひどく複雑でねっとりした感情を感じさせる回想を越えて、プッチは奸智の限りを尽くして徐倫の先を読み、邪悪な手先を行く末に配置してくる。
 聖書を引用しつつも、彼が信じる”DIO”が十字架にかけられた全人民の贖い主ではないことは、ステンドグラスから延びる光に宿る邪悪……それが強いからこそ濃くなる影が、良く語っている。

 

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第15話から引用


 この妄執に対抗するべく、F・Fは”屋敷幽霊”に赴き、自分の無力を吐露し助力を請う。

 エンポリオくん、久々登場で濃い口作画だけど、やっぱ可愛いねぇ……。
 プランクトン人間が徐倫の過酷な覚悟に感じ入り、それに助力しきれない歯がゆさと、他人の手を借りるべく頭を下げる謙虚さを見せているのは、彼女が好きな自分としては嬉しい。
 仲間になって以来、F・Fがどんな形で人間性を学び取り、また実践していくかはかなり丁寧に刻まれていて、スタンド能力によって生まれた彼女の魂が誰によって、どう彫刻されているのかは分かり易い。
 事件の依頼を新キャラに投げる、一見地味な場面であるけども、こういうところでしっかりF・Fが人間になっている様子を書いてくれることが、彼女を生かすと決め生き方を教えた徐倫達の気高さを、間接的に際立たせもする。

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第15話から引用

  ウェザーが集中治療室にブチ込まれている関係上、ヤバい衣装着たヤバい男に助けを乞うしかないわけだが、プランクトン人間もドン引きのヤバさ。
 気合の入った”ダイバー・ダウン”初お目見えと合わせて、アニメのアナスイ、初手からバッキバキである。
 本人の目の前で超ヤバい経歴をドンドコ垂れ流すエンポリオくんも面白すぎるが、それを樹にした様子もなく『『祝福』しろ、結婚にはそれが必要だ』とかいい出して、後ろを一切振り返らず暴力的に道をこじ開ける。
 クールな態度の奥に燃える決意と人情を秘めていた登場を果たしたウェザーに比べ、かなりブレーキぶっ壊したお披露目であるが、それだけにインパクトはデカい。
 つーかイケメンの皮にインパクトだけぶっこんで、ヤバい服着せたらアナスイ……まであるな。

 人権完全無視の懲罰房、孤立無援の状況で迫りくるスタンド使いの刺客と、徐倫を包囲する状況は大変にヤバい。
 ここを突破しうる問答無用の”凄み”を、しっかり登場時に刻み込んで今後のワクワク感を高めてくれるのは、娯楽作品としての骨格がしっかりしている証拠だろう。
 このヤバ太郎が何しでかすか、不謹慎な期待感がバリバリ高まるもんな、この顔見世……。

 

画像は”ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン”第15話から引用

 この危険なワクワク感は敵の描き方にも冴えてて、ド濃厚で突然な”ファイト・クラブ”開演は、モダンホラーな異常さと異様なアドレナリン分泌量を兼ね備える、最高の新章スタートである。
 五秒前まで下衆ながらぼんくらな『普通の悪』だった看守が、急に求道系拳鬼みたいなことほざきだして、良い作画で超暴力の交錯を開始するカタルシスは、最高にワケが分からなくてJOJO的だ。
 この訳の分からない迫力を作品世界的に許容させるために、”スタンド”という能力がある……のかもしれない。

 ”サバイバー”によって生み出された皆殺しのリングで看守が吠える時、神父が背負っていた邪悪な光が”DIO”の祝福のごとく挿し込んでいるのは、大変上手い演出だと思う。
 そこには不思議な爽快感があり、片目が抉られても拳がへし折れても止まらない興奮があり、思わず飛び込んでみたくなる吸引力がある。
 神父はそれを神と崇めて探究して、承太郎の魂を奪い”天国”を求めている。
 その手は長く、異能を分け与えられた怪物たちが糸を手繰られ、悪の真実を探し続けている。

 闇に潜む吸血鬼が、死んでなお放つどす黒い光に飲み込まれず、正しくおそれ冤罪の闇に身を沈めて、反撃の機会を伺う徐倫は、この眩さに魅入られない。
 不名誉に汚れようと、メシの代わりにそこら辺に生えたキノコで腹を満たそうと、為すべきことを忘れず、闇の中の光を真っ直ぐ見つめ続ける。
 そんな志はDISCが生み出したプランクトンでしかなかったF・Fに伝わり、その懇願が超ヤバい仲間を、この鉄火場に連れてもくる。
 なんだかんだJOJOらしく、強大極まる悪と不屈の正義の対決なんだが、善悪の描き方は複雑化し、邪悪こそが光を背負い、正義は”犯罪者”の烙印を押されて不自由に戦っている。
 ここら辺のねじれが、荒木先生が自ら生み出していくサーガを見つめながら、扱うテーマの複雑さをどう物語に落とし込んだものか、苦戦し工夫してる証明とも感じられる。
 死せる神の伝承者として、躊躇わず悪を為す”神父”の謀略に、法と正義に押さえつけられた戦士たちはどう立ち向かうのか。
 異様にして正統なる闘争の潮流は、加速しながらまだまだ続く。
 次回も大変楽しみである。