イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プロジェクトセカイ カラフルステージ感想:ほどかれた糸のその先に

 進級という大きなくくりに向けて、各ユニットが新たな大波に向き合うタイミング……ワンマンを成功させたモモジャンに襲いかかる、最悪な終わり方した過去との対峙第一弾ッ!!  である。
 ”完璧な日野森雫”という幻想を中心に回していたチアデ三期が破綻し、どん底から仲間に引っ張り上げられ自分を飛び立たせ、素顔のぽわぽわ女のまま”アイドル”やれるようになった雫。
 そんな彼女がメジャーシーンに足を入れるにあたって、現役で最前線立ち続けてる古馴染みとのこじれた関係をどうするかという、かなりでかい爆弾を解体……あるいは残響させるエピソードだった。
 雫の特等席を作中最強の人間力で確保した桃井の姐さんに、どうやってもなれなかったアリサのこじれきった関係と過去が、湿り気強く雫の爽やかな現状と対比され、一筋縄ではいかない現世を良く語る。
 終わってしまったものに拘泥などしていないと、悪辣を演じることでしか過去と現在に……眼の前の美しすぎ脆すぎる女に向き合えない、主役に選ばれなかった女の想い。
 キラキラ☆学生ベンチャーサクセス物語を突っ走ってるモモジャンには背負わせられない苦味と粘り気を、全身で受け止められる逸材だと思うので、アリサは今後もちょくちょく出番欲しいな……。

 

 お話全体としてはモモジャン成功秘話の着実な一歩で、古巣との関係……というかチアデ時代にまだ傷がある雫の独り立ちを描くエピソードだ。
 とにかく桃井の姐さんのカバーアップが早く、相当に無理をしているマブダチの思いを身体全部で受け止めるべく、最速で動いてるのいつもながら頼もしすぎた。
 あの子が”高二”はぜってー嘘……って言いたいところだが、姐さん自身もめっちゃ辛い体験をした上で苦味を腹に落とし、人間を鍛えていろんな連中背負える筋肉を鍛えた結果なので、ただただ桃井愛莉は凄い。
 遙みのり相手にはかぶれてた健気な仮面が、愛莉相手にはペロンと剥がれて地金が見えて、飾らない言葉とともにモモジャンで鍛えた素の強さ、結構”日野森雫”にメラついてる雫が特別暴かれるも、やっぱ良い。
 ”みんな”がとても大切だけど、ただ一人の”あなた”がいてくれればこそ。
 そういう関係が雫に用意されているのは、見てる側の心情としても物語的納得としても大事だ。

 雫がチアデ時代の詳細を取り乱せず語れてる時点で、モモジャンでの歩みが過去の傷を客観視させ、自分の弱さと生み出した波紋を踏まえた上で、それに飲まれず”今”どうなりたいか、しっかり絵を描けていることが解る。
 雫視点だとかなり達観した、透明度の高い回想になっていたけども、これがアリサを語り部にして描かれた時どんだけ濁るのか、その粘性と熱量を確かめてみたくもある。
 ファンのニーズを確かに掴み、チアデ三期を”日野森雫とそれ以外”にまとめたプロデューサーは、商品企画者としては最高に優秀で、10代の少女を監督する立場としては最悪だったのだろう。
 ……人を恨みもすれば、完璧を演じ切れもしない生身の女の子であることを、”アイドル”という仕事は許してくれない、という話なのかもしれない。

 

 虚像を演じきれない雫の至らなさも、それを認められないチアデの醜さも、雫自身は既に過ぎたことと認めた上で、乗り越えなければ前に進めない課題と正しく捉えている。
 今ここでデカい嵐に向き合う事になったのは、素直な自分色をファンに受け止めてもらえた”Color of Myself”やら、そのファンの力で夢を飾る宝物を形にしてもらえた”Cast Spell on You”やら、モモジャンの一員として全力で走ってきたこれまでの物語が、雫を強くした結果だ。
 そんな歩みはアリサにも宿ってて、雫がいなくなった後も芸能界で先頭を走り続け、結果を出してきた。
 全国放送番組でのメインMCはチアデであって、モモジャンではない。
 そこまでたどり着く道にはモモジャンとはまた別のガッツストーリーがあり、アリサなり構築した自分というものがあり、そこに”日野森雫”はいまだ食い込んで癒えない、整理しきれない傷なんだと思う。
 社会的成功度でいえばインディーから這い上がって追いつく側の雫が、精神的優位性としてはアリサを追い抜いている構図が、雫と一緒に歩いてきたここまでの物語の価値を、上手く浮き彫りにもしている。

 アリサはプロ意識と負けん気が強く、どこか桃井愛莉と似た存在に思える。
 そんな彼女が”日野森雫の、特別なたった一人”になれなかった過去は消えない。
 全ては終わったことで、自分たちは(ど地下なモモジャンとは違って)メジャーでバリバリやってるし、だから『せいぜい頑張ってね』。
 そうやって突き放した態度を取ったのは、アリサの中で”日野森雫”が未解決の難問だから、距離を取りたかったからに思える。
 新たに”アイドル”やり直すためにも過去と現在と未来の自分がどんな存在で、何がしたいか……それを支えてくれる人たちがどこにいて、どんな顔をしているかをしっかり考えた雫は、『せいぜい頑張ってね』が当てこすりではない本音なのだと、正しく感応する。
 しかしアリサは雫が本心から絞り出す決意と謝罪を、透明なまま受け取り未来の自分への糧に出来たのだろうか?
 二人を対比すると、辛く思える体験をどう咀嚼し、より望ましい未来を掴み取るための資質はあくまで受け取る当人にあるのだと、厳しい事実を突きつけられている感じがある。

 

 運命に選ばれ、友に恵まれ、地べたに叩き落されてなお真っ直ぐに青春を歩めた雫が、自分と誰かの傷を見つめる視線に歪みはない。
 その透明感が”日野森雫”なんだろうけど、必ずしもそれだけを人生の正解にしなくていいと思う。
 雫の代わりに『このクソアマーっ!』と怒ってくれる桃井の姐さんも、歪みと濁りを抱えたままメジャーアイドルをやり続けるアリサも、それぞれの色と人生のど真ん中を、否応なく走り続けていく。
 自分の中に確かに突き刺さっていた”日野森雫”を切り捨てて、その選択が正しいのだと証明する意味でも、アリサは事務所主導のメジャーアイドルを降りられない。
 それが、モモジャンが形成する演者主導でファンを巻き込む、リゾーム構造の”アイドル”というビジネスと再び出逢う時、彼女がどんな顔をして立っているか。
 その意地と妄執が行き着く先を、僕は見届けたい。

 色々辛いことも難しいこともありつつ、”アイドル”への理想を真っ直ぐ走るモモジャンが描けない所に、上手く踏み込んだエピソードだと感じた。
 雫は自分がたどり着いた達観を、チアデとアリサが共有してくれると信じていない。
 他人の気持ちは他人のもので、自分が見つけた答えが他人にとっても正しいとは限らないのだと、正しくエゴの境界線を引いている。
 いつだって私は私で、それだけが望むセカイを現実に引き寄せるための足がかりなのだ。
 ここら辺、サバサバした軽蔑で武装しつつも、その奥にドロドロ形にならない執着が滲んでいるアリサの生っぽさと真逆で、大変に美味しい。
 オメーは”透明な雫”にはゼッテーなれねぇんだよ、アリサさんよぉ~~~。

 そんな潔い強さこそが彼女の持ち味で、モモジャンやる中で鍛え上げた人間としての強みなのだと思う。(無論、外付けドロ吐き装置である愛莉の性能がぶっ壊れているので、透明度を保てているのもある)
 そういう正しさを主演に背負わせつつ、正しくも綺麗でもいられず、それでも自分を保って生き続けているアリサのような人間を作品の端っこに描けたのは、とても奥行きのある筆だと思う。
 書き換えられない過去と他人に、だからこそ爽やかに微笑んで雫とモモジャンは、自分たちだけのアイドル道を走っていく。
 その道に寄り添わないものにだって、物語はある。
 そんな息吹を感じられる、とても良いイベストでした。

 

・追記 人形たちの家

 今回チアデ時代の泥に向き合い、求められる完璧を演じられなかった自分も、素を出して受け止めてもらえるようになった自分も、自分なりの強さで受け止めて進んでいく道を掴み取った雫。
 誰かの都合のいいお人形に押し込められ、魂の軋みを超えていく歩みが日野森雫の真ん中にはあるわけだが、それは母のマリオネットになってるまふゆにも共通する物語であり、既に”あがった”のだと今回示した雫と弓道部の縁で繋がっているのは、あの子の未来がいつでも心配な人間としてはありがたい。
 それが人間を殺すとしても完璧な夢を追い求めて、魂の余分を切り捨ててカタにハメてくる加害者の側にまで雫の理解は及んでいるので、愛着と分離不安で凝り固まって『お母さんが悪いよ』が染みにくいまふゆに、全領域から『理解る……』突き付けれる立場なのは強いなぁ、と思う。
 自分に理想を押し付けたプロデューサーに愚痴たれるでなし、夢を演じきれなかった過去の自分を”今”に引き付けながらTVの電波越し、大衆に向かって丁寧に書き直した雫の一歩が、愛の操り糸にがんじがらめな朝比奈さんを解き放つ『先取りされた答え』として、いつか生きる日が来るといいな。
 俺は”弓引け、白の世界で”が本当に好きなので……。