イマワノキワ

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NieR:Automata Ver1.1a:第4話『a mountain too [H]igh』感想

 人を模した鋼鉄が感情の荒野をさまようヒューマニズム探訪SF、久方放送の第4話は鋼鉄遊園地の悪い夢。
 因縁が長く尾を引きそうな『人間の形をした機械生命体』は一旦横に置いて、感情とそれに伴う狂気を獲得つつあるポンコツロボとBOSSバトルなどしつつ、一見剽軽な9Sがその身に宿す濃い殺意と、一見冷徹な2Bの身体を満たす熱い血潮を描く回だった。

 つーか2Bちゃん、9S好きすぎない大丈夫!!?
 感情協定違反とかでいきなり処分されないか、見てる側はどんどん心配になっていってしまう……。
 『私は鋼の戦乙女、任務以外なんの興味もない』みたいなうっすい鎧の奥で、鋼鉄の心臓がドクドク脈打ってる感じは物語が加速するに連れどんどん強くなっていて、永遠戦争の道具であるヨルハ部隊もまた”人間”なのだという印象を強くする。
 しかしプログラムされた使命は敵との対話を拒み、頑なに動かない殺意こそが人間の証明なのだとしたら、仲間を活かすために必死になっている2Bよりも薔薇を踏みにじる9Sのほうが”人間らしい”ということになってしまう。

 アンドロイドSF……というか、『神の似姿である人間を、さらに模して作られた人型機械の物語』は、常にあやふやで不確かな人間の輪郭を、人間に似て人間ではない(はずの)ものを鏡にすることでなぞっていく。
 『これが人間だ』という、一見確固たる信念が社会や世界、あるいは個人の精神を支えているわけだが、問いただせばこれ以上にあやふやで答えがない問いかけもない。
 人を守れば人間らしいのか、人を殺せば人間らしいのか。
 人が人たる存在証明はあらゆるものが答えになってしまい、つまりは何も答えにならない極めて難しい問いかけであり、ヒトが世に生まれ死に絶え、その模造体が地上を徘徊してなお追い求められる、つくづく因果な謎掛けであろう。
 美しく理想的なヒトの形を模した9Sや2Bをこそ”真の人間”であり物語の主役なのだと、ルッキズムの毒に侵された僕の認識は知らず考えてしまうけども、奇妙で無様なポンコツロボにもまた人間性の発露は滲み、それは人であるがゆえの歪みに時に飲まれてもいく。

 何を以て、人の人たる証を立てるのか。
 個人のアイデンティティ探究という小さなスケールでも、アンドロイドや機械生命体といった種族の大きなスケールにおいても、軋みながら続いている絶滅戦争をキャンバスに描かれるのは、そういうシンプルで終わりのない問いかけなのだと感じた。
 それが極めて悲惨な残酷にかみ砕かれていくことは、人間年表の至る所に刻まれてもいる。
 鋼鉄の身体に個別の熱を宿した瞳なき戦士たちも、また同じ道を辿っていくのか。
 美に狂った今回の敵役は、遠くない未来の彼らを照らす鏡なのだろうか。
 確実に重たく辛いお話が展開される予感が、ずっしり腹を打つ第4話であった。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第4話より引用

 明らかに特別な運命に選ばれた重要存在であるアダムとイブを一旦横に置いて、ヨルハ部隊は特別でありきたりな、道具としての使い捨てを前提とした調査・殲滅任務へと進んでいく。
 地上のアンドロイドは機械生命体が”ヒト”になりかけている事実を柔軟に受け止めているが、9Sは2Bとともにある時の軽やかな態度を眼帯の奥に押し込んで、彼らの宿敵が”ヒト”になる可能性を拒絶する。
 運命の女(ひと)の隣りにいる時の柔らかさは、見えないからこそ豊かな表情を9Sに与えるんだけども、そこから離れて殺戮兵器の本分に戻ると、途端に底知れぬドス黒さが眼帯に宿るの、面白い表現だなぁと感じる。
 2B関係ないところだと途端に冷えてくるその温度差が、『9Sくん2B大好きすぎない大丈夫!!?』という危惧と興奮を高めてもくれて、大変いい感じである。
 好きな奴の前じゃ軽さを頑張って演じているのに、どーでもいい連中の前だと兵器の地金を隠そうともしない存在、ホント好きだわ……。

 一見酷薄に見える司令も最上層構造と現場の板挟みではあって、謎めいた孤立を強行しようとする無貌の機械に反発しつつも、決定的な対応に踏み切れずにいる。
 なにもかもが不明な影に隠れて、総体が判別できないあやふやさは眼帯やヴェールが印象的なキャラデザ、不穏当さを強調する画面作り、あるいは謎を謎のままゴロッと遺して進める話運びなど、随所に生きている。
 機械生命体の言葉がノイズまみれで聞こえにくく、彼らの本意とコミュニケーションしにくい(が、そこに人間性の発露があるかもしれないと思える程度には聞こえる)のも、そんな隠蔽の一つか。
 兵器の本分である司令を受け取る時、二人に伸びる巨大な影の描き方もまたそうで、それが本当に輝ける人類の栄光に繋がるのなら、そんな黒さは必要ないものだろう。
 影を伸ばしている存在が一切描かれないのが、ここの演出が特にキレている所で、アンドロイドを永遠の戦争に引きずり込んでいる”人間”の正体と同じように、ただただ影だけが投射されて本体……あるいは実態が見えない。
 本当は答えのない虚無かもしれない、あやふやで不確かな場所から響くこだまを絶対の司令として、拒否権なくアンドロイドは永遠の闘争に身を投じている。
 しかしそれだけで2B達が自足出来ていない手触りは、任務に勤しむ中より強くなっていく。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第4話より引用

 ヨルハ部隊がたどり着いた奇妙な劇場で、踊るプリマは鋼鉄の死骸で飾られている。
 撤退不可フィールドが張られ、ど迫力の砲撃戦とスタイリッシュな剣戟が高速で展開されるアクションはまさにボス戦という感じだったが、闘いが激化するほどに序盤の良く整った舞踏な感じが剥がされて、怪物の素顔とむき出しの殺し合いが顕になっていくのは、面白い組み立てだった。
 任務として機械的に与えられた闘いはしかし、2Bとその敵が何のために生きて、何を求めるかをその激しさで暴いていく。
 戦えばこそ偽れない”何か”(それが輝く希望だとか、人間性の象徴だとか、なんかピカピカ一般的な評価を受ける価値から大きくズレてるところが、このバロックSFらしい表現だとも思うけど)が激戦に暴かれる中で、物理戦闘とハッキング、肉体と精神はその境界をあやふやに揺らがしていく。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第4話より引用

 戦闘を優位に進めるためのハッキングは様々な意味で双方向的で、2Bが踊る現実世界の戦闘と、9Sが飲み込まれる仮想世界の精神戦は重なり合いながら進行していく。
 自己と他者の境界線も、相手のコアに触れ得ればこそ有効な電脳戦の特質に蝕まれて薄くなっていって、9Sは狂気の人形が何故狂い、何を求めたかを間近に知っていくことになる。
 自分を飾り、綺麗になる夢。
 それは数多の死体を生み出す狂気に結実したが、確かにキレイなものが機械生命の中に宿っていた事実に9Sは接近し、しかしそれはただの模造だと切り捨てる。
 切り捨てようとする。

 2Bが危険も顧みずハッキング戦に身を乗り出し、戦友に手を伸ばし覗き込んだもの。
 『機械生命にも確かに、感情がある』という事実を9Sは徹底的に否定する。
 それはそれを肯定してしまえば、戦争兵器として書き込まれた絶対的な命令と矛盾を起こし、戦い続ける自分を保てないからこその防衛行動なのではないか。
 そのもがきは、純粋で苛烈な夢に突き動かされ、制御不能な狂気に飲まれた怪物と……9Sが殺すべき”敵”と似通った必死さを宿しているように思う。
 激戦の末暴かれた敵の素顔は、歯をむき出しにした醜い髑髏であり、ちっぽけで間違えきった……とても”人間らしい”顔に見える。
 それと同じように、激しい戦いは9Sのすました冷たさを引っ剥がして、こっちが考えてるより遥かに仲間思いで熱い魂を教えてくる。

 

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第4話より引用

 その熱と対置するように、9Sは戯けた仮面を投げ捨てて、ただ演劇に夢中になっていただけの親子を、荒々しく踏みにじっていく。
 踏みつけにした薔薇は、赤い血を流さない戦士たちの涙のように風に吹かれて、幾度も繰り返していただろう”任務”の終わりに舞う。
 芸術に心躍らせ、親子の絆で互いをかばう機械生命体と、その人間性を刃で否定し奪い去る9S。
 どちらが”人間らしいか”なんて、問うても返らぬ谺なのかもしれないが、しかし鮮烈な残酷は厳しく激しく、それを見るものに謎を突き付ける。

 人とは、何か。

 激しく美しいアクションと、錆びついた叙情が元気な情景表現に支えられながら、アンドロイドSFのど真ん中を力強く突っ走ってくれる話で、やっぱめちゃくちゃ面白いですな。
 とにかくアクションが激しく面白く、シンプルな力強さでこっちを満足させてくれるのが大変良い。
 そして闘いの苛烈さが、2B達が眼帯の奥に隠しているもの、影になって見えないものをダイレクトに暴く砥石の仕事を果たしてもいて、ドラマとアクションがしっかり噛み合っている印象を受ける。
 この過酷な踊りの果てに、一体何が描かれていくのか。
 次回も大変楽しみである。