イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

REVENGER:第8話『Two of a Trade Never Agree』感想

 噛むの噛まぬの恨みの在り処、小判に違いはないじゃなし。
 猿に狂犬因果に回され、辿った遍路の汚れた足先、呼ばれ長崎狙撃旅。
 さらば劉大人、汚されていく報仇雪恨の裏稼業、REVENGER第8話である。

 これまでも大江戸ジップラインやら大江戸スパイクダッシュやら色々ブッ込んできたこのお話だが、主役たちが揺れつつも抱えていた最後の一線を蔑するドス汚れた影が持ち出した大江戸スナイパーライフル(サプレッサー付き)の問答無用感が、そろそろクライマックスだよと教えてくれる。
 ヤリすぎ感すごいけども、あのカンフー超人を的にかけて状況回すのであれば、こんくらいのハッタリは必要かもしれない。
 あの一発で状況は一気に動き、約束されていたツケの払い時がガンガンガンと迫ってくるのだろうけども、剣術サイボーグだった雷蔵を常に上回る武の極限が、あっさり獲られるこの状況、銭積み上げて暴力を買う手付きの生臭さ、渦を巻く我欲に悪意もコレまでより分厚く、さて利便事屋の命運やいかに……である。
 一応話の柱だった『恨みの小判を買って、法で裁けぬ悪を斬る』っていう倫理が揺さぶられることで、安易に寄りかかれる答えを否定し、主役たちだけの真実を問う形も整ってきた。
 所詮お天道様の下を歩けぬろくでなし、それでもなお血塗られた道を選ぶのであれば、悪鬼なりの筋ってのを刻みつけて、ここから先の地獄へ踏み出してほしいもんだわな。

 

 

 

画像は”REVENGER”第8話から引用

 前半は静謐で落ち着いた調子でもって、雷蔵を取り巻く”今”が切り取られていく。
 血塗られた隘路に己の愚かさと運命の軛で縛り付けられた雷蔵であるが、筆を執って新しい生き方を探り、今”硯心”という新たな名前を、まぶたを閉じても消えぬ面影とともに刻み込んだ。
 眼の前に在る現実しか筆で写せない(だからこそ、時代を越えた才能と世に認められつつある)雷蔵が、もはやこの世に影も形もないはずの死者を写し取ったことは、彼の魂が冷え切って動かぬ現実を超えて、信念だの思い出だの、湿って暖かな想念に目を向けたことを意味すると思う。
 もともと武家の本分という、極めて抽象的なものに支配されて生きるも死ぬも出来なくなった男であり、女の柔肌酒の味、形のある欲にはまったく縁遠い人でもあるので、本来の居場所に戻った……という話なのかもしれない。
 自分が殺した許嫁の一文字を新たな門出に刻んでいるのは、はたして後悔か愛か……どちらにしても、冷たく生臭くやるせない”現実”を映す以上の生き方へ、雷蔵の眼が向き始めている結果だろう。

 刀ではなく絵筆を相棒と選び、新たな名前で始まる新たな生き方に、転がりだして良いものか。
 生真面目な雷蔵は染み付いた血の匂いに怯え、幽烟は奇妙な優しさでそれを包み込んでいく。
 自然豊かで静謐な……街の俗気に染まり得ない雷蔵をよく見た宿(それは駆け出しの頃の幽烟が、その身魂を横たえた思い出の場所でもある)を用意し、殺し以外の道へ進み出せと囁く。
 差し出された雷蔵の前に広がる風景は爽やかに開けていて、それを背中にした幽烟を包むのは鳰の無邪気な殺意と、視線の通らぬ八重葎である。

 上役が胡散臭く捻じ曲げる教理を、信じて背中に刻んだ幽烟が殺しの日々の中失ったもの。
 その清廉を雷蔵に感じるから、幽烟は掟破りの足抜けを後押しするようなふらつきを見せ、鳰がまっすぐに突き付けてくる矛盾に、霞みがかった曖昧な答えを返すのかもしれない。
 恨み背負って利便事稼業、果たせぬ悪を拭いましょう。
 そんな題目が自分たちの仕事を裏切っている事実を、幽烟はようよう良く知っている。
 知ってなお背中に刻んだ聖母マリアが、果たされきれぬ数多の恨みが、殺しの現場に信仰者を誘う。
 幽烟もまた、何処に進むべきか迷いながらどんずまり、殺しの泥沼に腰まで使ってなお、綺麗に澄んだモノを求めているのかもしれない。

 

 

 

画像は”REVENGER”第8話から引用

 後の死闘を予期するように、酒場に迷った雷蔵は堕ちた遍路と席を同じくする。
 本来五戒を守るべき坊主が酒も魚もバリバリ食い荒らして、殺しが稼業の元侍が精進口に運んでいる構図は、そのまま利便事屋への向き合い方を反射する。
 『銭に貴賎があるじゃなし、形だけ口つけてくれれば親でも殺します』と嘯くクズ坊主と、『この剣を血で汚すのならば、せめて意味ある殺しがしたい』と迷い続ける生粋の武士。
 やってることを拾い上げりゃ、確かに何処に申し訳が出来るわけでもねぇ殺し屋稼業、今更悩むこともなかろう……で収まるなら、雷蔵はこんなにもぞもぞ彷徨ってはいない。
 そこんところ綺麗に割り切って、清濁……どころか積極的に他人様が拾わねぇ”濁”を飲み込んで銭貰っている遍路の貞は、主役を照らす良い鏡である。

 貞がバリバリ噛みついた現世の業を、形なりとも痕付けて受けるのが殺しの流儀のはずだが、その元締めたる礼拝堂が差し出したのは、問答無用の殺しの依頼。
 私的な感情と悪事の痕跡が宿ればこそ、殺戮産業に理由が立つと信じてきた者たちを裏切る試練を前に、隠れ家には奇妙な重たさと熱が宿っていく。
 かつて鳰が示したように利便事屋システムは穴が大きく、あくまで私的で隠密なやり取りをクラッキングして私欲を果たすのは、あまりに簡単である。
 あの時は破綻まで至らなかった殺しのシステムが、噛み跡のない大判……はるか昔の死人の恨みを大義名分に動き出す時、その裏に何があるのか。
 薄っぺらい題目と知りつつ、”正義の復讐”にすがって生きてきた幽烟が訝しむのも無理はない。

 鳰はいつでもそのぶっ壊れた感性で、リベンジャー達の人間関係や社会的立場の真実を射抜いてきた。
 銭がもらえりゃそれで良いけど、後味悪い殺しは勘弁。
 極めて”常識的”な殺人者だった惣ニが気軽に喜ぶ大判が、幽烟筆頭に殺しに信条を預けてきた連中を壊しかねない事実を、スパッと指摘する。
 天井の梁が二人の断絶を鋭く切り取る構図の中で、誰も”真実”だなんて信じきれていない一つの信念のもと元締めを噛むか、誇りなき犬に落ちるか。
 なかなか厄介な二者択一へと、利便事屋は追い込まれていく。
 ……『言うたかて、君ら薄汚い殺人者じゃん』というツッコミはこれまでのエピソードでも、遍路の貞の露悪的な態度でもしっかり示されていて、主役たちが選ぶべき”正しさ”を不安定に揺らし続けている所は、やっぱ好きだな。

 

 

 

画像は”REVENGER”第8話から引用

 これまで主役たちの正統性を示す小道具として、印象的に描かれてきた恨噛み小判。
 宍戸と貞のやり取りはその特別さをいい塩梅に蔑して、大変グッドだ。
 所詮は欲塗れの猿芝居に張り付いたお題目、投げ捨てれば狂犬共が殺し合う。
 銭を貰って命を奪う、お話のど真ん中がどんだけ薄ぎたねぇことをやってきたか、土足で踏みに往く態度は悪辣で、真実の一端をたしかに射抜いている。
 このやり取りに憤るのであれば、”殺し”を生き様と選んでしまった主役と何が違うのか、自分たちなりの証を立てなければいけない。
 欲と麻薬と殺しと金が、渦を巻いて人命を飲み込むナガサキ・スプロールの末端として、人を殺して飯を食ってるクズがどうやって、自分だけの物語を世界におっ立てるのか。
 作品の真ん中へ切り込む上で、同じことやって現実の引力に飲まれた連中を舞台に置いておくのは、大変大事だ。

 劉大人の密書の宛名は、欽差大臣・林則徐。
 清廉潔白な人柄で知られ、清国が阿片戦争へと進むその先頭に立った当代随一の士大夫である。
 チャイニーズマフィアの代表と思いきや、阿片を通じて祖国を飲み込む大国の欲に抗う、唐国の侍ともいうべき立場かもしれなかった劉大人は、どー考えても出てくる時代間違えてる超兵器であっけなく伏す。
 世のため人のため、許されざる悪を断つ。
 その志は人生麻薬絡みの金でめちゃくちゃになった雷蔵と、通じ合う可能性もあったというのに……まぁ生きてる可能性もあるけどさ、無敵のカンフーサイボーグなので。
 つーか西洋方面ではなくアヘンの毒に蝕まれてる清から、伝奇成分がモリっと染み出してくるのは予想外の面白さで、かなり興奮してきたな……。

 流しの利便事屋と会所の頭目が、首輪を外した狂犬始末を企む現場に、礼拝堂のシスターも同席していた。
 つまり同じ穴の薄汚れた狢が我欲を重ねて、一足早く阿片禍に苛まれてる祖国を守らんと立った高潔の拳士を弾く算段を整えている……という話であろうか。
 宍戸が積んだ銭、それで取り除かれる”恨み”を礼拝堂が共有しているとすると、天草の怨念だぁデウスの裁きだぁはお題目でしかなく、麻薬で人間狂わせて生み出される黄金に、じゃぶじゃぶ濡れ手を突っ込もうつうドクズが、神父服着て邪教垂れてる可能性。
 幽烟先生……金箔貼っ付けるマモンの信徒は、あんたの目の前にいるかもよッ!
 (もちろん、バキバキの恨みで凝り固まった邪教倒幕テロリストな可能性も全然残るけど)

 とすれば利便事屋は(これまで幾度か示唆されてきたように)長崎の泥を抜く必要悪などではなく、ガッバガバのシステムに薄っぺらな題目を貼り付け、権力者の欲望遊戯の走狗として殺しを請け負う、言い訳効かないクズのお仲間である。
 剽げた態度で利便事屋を便利に使ってきた漁澤も前回、会所が自分に都合の悪い跳ねっ返りを弾く試みに条件付きでGO出してたわけで、殺し屋に銭渡して仕事を制御する連中、軒並み腐ってる気配が濃くなってきた。
 幾度もその輪郭だけ描かれて中に踏み込めてない長崎地獄城……この世界でも山ほどアヘン売りつけてるだろうアンゲリアとその教門が、ゴミどもの後ろにうっそりくすぶる感じもある。
 アヘンで長崎と国全体を腐らせ、弱者の血を絞って私腹を肥やす面白くもねぇ計画に、どんだけのクズ共が首を突っ込んでいるやら……まだまだ闇は深い。

 

 そいつらが長く伸ばしてくる暴力が、坊主の顔でせせら笑う。
 薬と金をせき止めて、正義漢ぶるヤクザの元締め、”恨み”腫らして仕り候。
 遍路の貞は幽烟や雷蔵がフラフラ、不確かに彷徨ってる場所からひと足お先、現実に膝曲げて動物のように生きる道を選んだ。

 薄汚い、と。
 正しくない、と。
 感じるように作られているキャラクターだが、その鈍い輝きは『お前らも同類だろうが』と、鋭く主役たちを照らす。

 違うのだ、と。
 なにか綺麗で、危うく脆いものを探し求めて、殺しをやっているのだと。
 大嘘真顔でほざきゃるつもりなら、ドス黒い謀略と身も蓋もない暴力のうねりにあらがって、野良犬は牙を突き立てなきゃいけない。
 そら、命がけにはなるだろう。
 濁流に押し流されて道を外れるものもいるかもしれない。
 そんな厳しい流れだからこそ、ドラマとキャラクターの嘘のない答えを暴き、刻めるのだと思う。
 こっからどう運命が流れていくのか、そこでどんな思いが燃えていくのか。
 次回も楽しみですね。