イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

NieR:Automata Ver1.1a:第5話『mave[R]ick』感想

 修羅界で見る平和の夢は、すなわち叶うことのない哀れな約束か、それとも永遠を終わらせるかすかな希望か。
 人間を模して殺し合いを続ける機械が、一瞬だけ手に入れた日常のスケッチ、ニーアアニメ第5話である。
 廃墟とかしたショッピングモールに幼い夢を紡ぐ2Bと9Sは微笑ましかったが、アニメからのにわかとは言え5話付き合ったこの身、オタクセンサーがビンビンに『あ、絶対ロクでもないことが待ってる……』と震えてもいる。
 感情を禁じられ、機械生命体皆殺しの宿命を幾度も己に焼き付けられながら、精鋭部隊は面白くもね~お使いに未来を夢見、闘いに倦んだ機械は村落に集う。
 どう考えても永遠でも真実でもない、ただの幸福のまがい物が、目を焼くほどに眩しい。
 出口のない宿命に囚われ、それでも鋼鉄の奥で”人間”が身動ぎする戦士たちの行く末は、残酷な惨劇しかないのか。
 次回以降の転がし方が、なかなか気になる一休みである。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第5話より引用

 第3話で謎めいた生誕を果たしていたアダムとイブは、聖書に刻まれた人類の始原を形だけなぞりつつ、ブリーフ履いてりんごを食べる。
 ヨルハ部隊の奇妙な散歩の、開始と末尾を挟み込む形で描かれる『人間に良く似た機械生命体』は、平和に同じ日々を繰り返しているようでいて何かを学び、装束を身にまとい、お互いの呼び方を変えていく。
 今回9Sと2Bが剣を握らない道を初めて進みえたように、彼らも不器用に人間を模しつつ、彼らだけの何かを確かに育んでいる……ようだ。
 それが人間試験にバッチリ合格できる”本物”なのか、数値的に確認する手段はおそらくなくて、機械を殺す機械と人間に似ている機械は分かり合うことなく殺し合うのが、遙かなる未来のルールである。
 二人きりの静かな楽園で培った変化にヨルハ部隊が追いつく時、お互いが確かに育んだ心は融和よりも衝突を、対話よりも殺戮を選ぶ気もしているが、可能ならば裏切って欲しい予測ではある。
 でも村落の描写にギシギシ軋む異物感とか、楽園に揺らめく業とか、穏やかな決着を拒む不穏さにわざわざ始原の二人を差し込む理由を思うと、覚悟はしておいたほうが良いんだろう。

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第5話より引用

 

 ずーっとドンパチしてきたお話であるが、今回精鋭部隊の血なまぐさい任務は一旦横に置かれて、2B達はショッピングモールの廃墟でお互いの未来を語ったり、白旗を掲げた”敵”の生活を間近で確認したりする。
 やっぱ主役二人のアンサンブルが魅力的で、一見軽薄に相棒への愛をささやきながら、殺しの宿命に深く悩んでる9Sくんと、冷徹な戦士の顔で静かに仲間思いな2Bちゃんの”人間”は、こういう落ち着いたお話の中でよく顔が見えてくる。
 9Sが2Bの前でだけ見せている特別な軽さを、跳ね除けているようでいて救われてもいるだろう2Bと、そんな想い人の温もりに乾いた自我を癒やしてもらっている9Sの焦りは、すれ違っているようで深く絡み合い、一言では言い表せない感情や関係を、彼らを統治する機構は許さない。


 そんな修羅の定めから一足先に下りた機械が、『人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である』と述べた哲学者の名前を持っているのは、なんとも皮肉である。
 学ぶこと、考えること、語らい分かり合うこと。
 人間が持ちうる最も尊い部分を、古びた戦争兵器との出会いで覚醒させたパスカルは仲間を集め、幼子を育て、日々を楽しく生きている。
 教条主義的な月面に対し、地上で延々戦争生活を重ねてきたアンドロイドは実利的で、闘いを好まない”敵”とは交易すら行っている。
 問答無用の絶滅戦争やってるより、よっぽどそっちのほうが”人間らしい”と思うけども、9Sくんの厳しい査定によればそれはバグかエラーでしかない……ようだ。

 

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第5話より引用

 

 機械であり人間でもある(つまりはそのどちらでもないキメラ)が演じる村の生活は、これまでも幾度か描かれた歪な真似事っぽさを強く打ち出して、不自然で醜く不安定だ。
 しかし画面の中に人間の不格好な類似物しか出てこないこのお話で、村落のポンコツ共を”偽物”と断じる判断基準を、何処に求めれば良いのか。
 月面がさんざんぶん回す『人類の栄光』とやらが、見ざる言わざる聞かざるの現状否認に支えられた薄ら寒い幻にも思える中で、パスカルが目覚め育んだもの、手放し新たに掴んだものにこそ真実がないと、何を基準に判断できるのか。
 そして武器を手放し選んだものが、自然で無理のない”本当”なのだという保証も、同じく何処にも存在しない。
 偶然によってか宿命によってか、殺し殺されの繰り返しから外れたMarverick(異端、一匹狼。語源的には『焼印を押されていない牛』であり、機械生命体のネットワークから外れた村落には相応しいサブタイトルだろう)が示す人間らしさは、軽薄で自我を鎧いながらひどく繊細な少年を、深く抉っていく。

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第5話より引用

 

 精鋭部隊の証たる眼帯に阻まれて、泣けない9Sの代わりに空が泣く。
 それを晴らすのはまるで幼い子供のように、いつかの平和を夢見て交わされる約束であり、戦争兵器が不器用に紡ぐ愛は、切なくも眩しい。
 やっぱドンパチやってねぇ、どーでもいい日常を仲良く過ごしている時のキミらが一番素敵だって……。
 皆殺しの修羅であり存在に思い悩む少年でもある9Sが、2Bの前でだけは明るく剽軽な自分を維持したくて頑張ってるのも、自分たちより遥かに”人間”してる敵の姿に傷ついた彼に、2Bが”いつか”を約束し返すことで光が見えるのも、とても綺麗で寂しい情景だった。

 9Sだけが自分たちの存在に悩んでいるわけではないし、パスカルと村落の在り方を目の当たりにして、『考える葦』ですらない自分に2Bもショックを受けてたんだと思う。
 2Bから発しているように見える約束の光は、彼女自身にとっても無明の戦雲を拓く大事な導きで、”人間”の話ならそうあるべきで、でもこのお話には人間を真似る偽物しか出てこない。
 けして真実にたどり着くことはなく、しかしどこかにあるだろう永遠とか約束とか、何にも揺るがない何かを探してあがいている人形たちの姿は、あまりに不格好で嘘っぱちで、だからこそ血の通った本当の輪郭を濃くなぞる。
 アンドロイドの物語が宿すべきこういう切なさを、廃墟の美しさ、バロックな妖しさを常時保ったまま届けてくれるのは、やっぱいいアニメだなと思う。
 映像詩として、シンプルに作りが良いよね……。

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第5話より引用

 パスカルが武器を取って子どもたちに与えたオルゴールは、自分だけの特別を求めるエゴに挟まれ軋んで、無様に壊れていってしまう。
 それを無価値なエラーだと思いたいはずの9Sは、月への定時報告に震える声で『異常なし』と告げた。
 普遍のはずの機械達は、誰かと出会うことで魂を揺さぶられ、確かにその在り方を変えていく。
 でもそれが希望にだけ繋がっていないことは、争いに巻き込まれて壊れた機械が強かに予兆する。
 自由に空を飛べるはずの鳥を模した人形が、戦いによって壊されて”自由”になってるの、あんまりにも直喩的で陰鬱だな……。

 9Sがハッキング担当で知識欲が強く、敵や世界の精神的領域に飛び込む能力を持っている……からこそ、存在意義を揺さぶられて殺戮の教条にすがっている様子が、僕は好きだ。
 物理破壊のエキスパートである2Bが保てている戦士の仮面が、どんどん剥がれて変わっていって、そうやって”人間”に近づいていく機械を、月面の上層部や壊れきった世界は許すのだろうか?

 否、と。
 画面に埋め込まれたメタファーと、戦士の休日を彩る不穏な気配は答えてくるけども、俺は彼らにいつか、似合わねぇTシャツを選んで欲しいと思う。
 その”いつか”が来ない予感に震えつつ、次回を待つ。

 ……イカす衣装着込んだハイレグ女戦士の、スーパースタイリッシュアクション接種するアニメかと思ってたけど、がっつり人間存在への思弁と哀切に溢れた詩でボコボコ殴られて、毎週急所を抉られてるなぁ。
 ヨルハの二人ほんと全身全霊で”若者”で、フツーに幸せになって欲しいんだが、お話を構成する全てが『そうはなりませんッ!』と告げてて、哀しいと同時にここまで好きになったら見届けなきゃな、という気持ちでもあります。
 あー、超ロクでもねぇんだろうなぁこっから先も……。